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羽生善治四冠(当時)「先崎君がとても悲しみます(笑)」

将棋世界2000年1月号、新春ビッグ対談「宮部みゆき&羽生善治」より。企画・構成は水町悠さん。

宮部 私の父が大の将棋好きなんです。だから羽生さんと対談すると言ったら、すごくうらやましがっていました。私も将棋にとても興味があるので、今日はいろいろとお話をさせてください。

羽生 こちらこそよろしくお願いします。私も作家の方のお話を聞くのを楽しみにしていました。

宮部 私は子供のころ、姉と一緒に父から将棋を習わせられたんですが、駒の動かし方をやっと覚えた程度なので、腕前の方は全く駄目でしたね。だから私は、将棋のできる方をとても尊敬しています。実は、私の作品の中には将棋の強い少年が登場する小説があるんですよ。

羽生 あっ、そうなんですか。何という題名の小説ですか。

宮部 『今夜は眠れない』という小説です。頭脳明晰な少年探偵の役で、別に将棋を指す場面は出てきませんが、頭の良いキャラクターということで学校では将棋部のエースという設定にしました(笑)。

羽生 私は5年前、『龍は眠る』というテレビドラマを見ました。宮部さんの作品を見たのはそのときが初めてで、それ以来、何冊か読んでいます。中でも『火車』が面白かったですね。

≪『火車』は消費者金融をテーマにしたミステリー小説で、平成5年に山本周五郎賞を受賞した。テレビでもドラマ化され、三田村邦彦、財前直見らが出演した≫

羽生 『火車』には、大阪球場の中に住宅展示場がある場面がありますね。実は、大阪球場の近くのホテルで対局したことが以前あったので、あの場面がなぜか印象に残っているんです。

(中略)

宮部 私は羽生さんに対して、爽やかな印象を持っていましたが、やっぱり思った通りでした。それに、とても普通の方ですね(笑)。将棋の棋士の方が推理小説を読まれるのも、ちょっと意外でしたが、本を読む時間なんてあるのですか。

羽生 対局以外の日は基本的に本人の自由ですから、読書する時間は十分にあります。私は以前、移動中によく本を読んでいました。棋士仲間にも本好きがけっこう多いんです。実は昨夜、そのうちの一人が私の家に電話をかけてきて、「僕を差しおいて宮部みゆきさんと対談するとは許さん!」と言われたんですよ…(笑)。

≪羽生宅に電話をかけてきたその棋士とは、先崎学七段である。先崎七段は宮部さんをデビュー当時から注目していて、全作品を読んでいるそうで、この世で最も好きな女性は作家なら宮部みゆき、歌手なら中島みゆきとのこと。もちろん繭夫人は別格だが…≫

宮部 そうなんですか。デビュー当時から読んでいただいているとは、とても光栄です。

(中略)

羽生 私は振り返る意味で自分の将棋をパソコンでたまに見ることがありますが、宮部さんは自分の小説を読み返すことはありますか。

宮部 ほとんどありません。というか、恥ずかしくて読めないんですよ(笑)。本が再版になったとき、手を入れるために読む程度ですね。例え話で言えば、作者の私は旅先で赤ちゃんを産んで見捨てた母親みたいなもので、7、8年たったら木陰から成長ぶりをそっと見守りたいという気持ちですね(笑)。

羽生 8年もたったら、ここは直したいというのがあるんじゃないですか。

宮部 直し始めたら、きりがないんですよ。子供が少しぐらい不器量でも、読者が可愛いと言ってくれるならばいいじゃん、ということですね(笑)。

(中略)

羽生 私は自宅で将棋を研究するのは、昼だといろいろと雑用があるので、夜が多いんです。でもいざやろうと思っても、頭が将棋モードになるまで助走が10分ぐらい必要なんですよ(笑)。そんなときは、易しい詰将棋を何題も解いたりします。一種の基礎トレーニングですね。

宮部 私も書きだすまでは、助走が必要ですね。でもぼんやり考えているうちに、まあ今日は助走だけにしようということもあります(笑)。私たち作家の基礎トレーニングは人によって違いますが、私は自分の好きな作家や小説を書き写すという勉強法を取り入れたことがあります。

(中略)

宮部 こんどは私の方から羽生さんにいくつか質問をします。もし羽生さんが棋士になっていなかったら、あるいは転職するとしたら、どんな道を進んでいると思いますか(笑)。

羽生 ウーン、答えにくい質問ですね(笑)。強いて挙げるなら、何かを研究して発表する学者が面白いと思います。何しろ勝負がつきにくいからです。

宮部 これは私の想像ですが、羽生さんは天文学者がお似合いのような……。子供のころ、天体観測なんかやってませんでしたか(笑)。

羽生 ああ、そう見えますか。実が私の実家は八王子の田舎なもので、星がとてもきれいなんです。だから子供のころは、天体望遠鏡で夜空をよく見ていました。

宮部 私が抱いている棋士のイメージは、記憶力が良くて思考が論理的で、だけど勝負の場では感情を抑制して決して激昂しない、というものなんです。そうじゃないと、将棋の世界で勝ち抜いていけませんよね。

羽生 鋭い指摘ですね。確かに宮部さんの言う通りです。でも私の本心を言うと、棋士を目指していた子供のころからの習性で自分のミスが出ても知らんぷりするのは、かえって嫌だなあと、最近は思うようになりました。

宮部 それって、人間的でありたいということなんでしょうか…。ところで、私たち作家はえてして独りよがりになりやすいんです。編集者も作品の内容のことであれこれとあまり言いません。だから時々、今の自分は10年前と比べて、果たして小説がうまくなっているのだろうかと思うことがあります。

羽生 それは私も同じです。以前と比べて、自分の将棋はもっと強くなっているのだろうかと…。昔の自分と今の自分が指すことができたら、よく分かるんですが、実現したら勝負の結果が怖いものがあります(笑)。

(中略)

宮部 エンターテイメント小説の世界は、作家の顔ぶれや作品の内容ががらっと変わりましたね。旧世代と新世代の作家ではギャップがかなりあり、私は旧世代の最後の残党なんです(笑)。正直なところ、何年後かに私は作家として残っているのか、不安に思うことがたまにあります。もし駄目なら、また速記記者でもやります…(笑)。

羽生 そんなこと言わないでくださいよ。宮部さんの小説をすべて読んでいる先崎君がとても悲しみます(笑)。

宮部 21世紀はインターネットの時代ともいわれ、活字中心の小説の世界もちょっと先が見えないんです。小説の売上も全体的に落ちています。だけど、作家になりたい人は増えているんです。新人賞には、多くの人が応募してきますからね。

羽生 新人賞って、作家になりたい人のステップなんですか。

宮部 そうなのですが、新人賞受賞者が最終的に専業作家として残るのは、50人に1人ぐらいの確率なんですね。京極夏彦さんは小説をじかに出版社に持ち込んで認められ、ベストセラー作家になりましたが、京極さんほどスケールが大きくないと、なかなかそうはいきません。

羽生 作家の世界もなかなか厳しいですね。ところで宮部さんは今年、直木賞を受賞されましたが、あの賞は生涯で1回しかもらえないのですか。

宮部 どの文学賞もそうで、羽生さんみたいに◯◯を3連覇というのはないんです。そういえば羽生さんが七冠を取られたころ、私たちの世界でもあの賞とこの賞を取って三冠だ、なんていう話をしていたんですよ(笑)。

羽生 今日は文壇の興味深いお話をたくさんお話しいただき、ありがとうございました。

宮部 こちらこそありがとうございました。最後に、羽生さんにお願いがあります。将棋好きの父のために、どうか色紙を書いていただけますか。

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非常に会話のキャッチボールがうまくいっている有益な印象の対談。

水町悠は田丸昇九段のペンネーム。

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『今夜は眠れない』に出てくる頭脳明晰な将棋部のエースの少年探偵は島崎俊彦という名前で、『夢にも思わない』にも登場する。中学1年生。

将棋部のエースや囲碁部のエースというと、物理部のエース、天文部のエース、文芸部のエース、吹奏楽部のエース、野球部のエースなど他の部のエースに比べて、少年探偵に向いているように思えてくるから不思議だ。

将棋や囲碁に関しては、中学生だからといっても大人よりも強いケースがあるわけで、そのような頭脳というか信頼性があるのが原因かもしれない。

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羽生善治四冠(当時)は「頭が将棋モードになるまで助走が10分ぐらい必要なんですよ(笑)。そんなときは、易しい詰将棋を何題も解いたりします」と話しているが、私から見ると、易しい詰将棋を解き始めた段階で既に将棋モードになっていると思うわけで、それぐらい羽生三冠の将棋モードは半端ではないということだと考えられる。

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宮部みゆきさんが「21世紀はインターネットの時代ともいわれ、活字中心の小説の世界もちょっと先が見えないんです。小説の売上も全体的に落ちています」と語っているように、この頃は元気だった近代将棋も週刊将棋も今は無くなっている。

昔は電車の中でも喫茶店の中でも、新聞やスポーツ紙や夕刊紙や週刊誌や文庫本を読む人が多かったが、現代ではスマホがそれに取って代わっている。

技術やインフラは発展したけれども、なかなか難しい時代だ。

宮部みゆきさんの小説は今まで読んだことがなかったが、今度何か読んでみよう。

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今夜は眠れない (角川文庫)

 

 

中村修新人王(当時)「意外と面喰いでもあるんですけど」

将棋世界1984年1月号、第14期新人王戦「中村、宮田を降し初優勝」より。

―新人王になった感想は。

中村 やはりうれしいです。それと、21歳の誕生日の前に新人王を取れたのでよかったと思っています。第3局のときには21歳になってしまっていますので(笑)。

―中村さんの将棋は受け将棋といわれているのですが。

中村 自分ではそんなことはないと思っているのですけどねぇ(笑)。僕は自分で言うのも変だけど、なるべく完璧を目指して将棋を指しているんです。それで、完全にうまくいくという見通しがつかないと攻めにいかないんですね。その前に相手が攻めて来ちゃう(笑)だからどうしても受けが多くなってしまうんですね。ただ、将棋は攻めなくてはいけないと思っています。攻めなければ相手の王様を詰ますことはできませんからね。

―将棋以外のことをお聞きしたいと思います。突然ですが結婚などは考えていますか。

中村 えー、急にそんなこと言われても。まあ、30歳くらいじゃないですか。

―どんなタイプの女性が好きですか。

中村 うーん、まあ、やさしい人ですね。意外と面喰いでもあるんですけど。(えー!という陰の声あり)

―歌手では。

中村 シーナ・イーストンが好きです。こんどコンサートへ行くのですが、今から楽しみにしています。

―趣味は。

中村 スポーツはやりたいんですけど、今はボーリングぐらいですね。あと音楽。自分で歌うカラオケは好きではないですけど、ポップスを聞くのは大好きです。

―収入はどのくらいありますか。

中村 秘密です。

―賞金は何に使いますか。

中村 まだ考えていません。とりあえず貯金します。

―最後にライバルをあげてください。

中村 やはり谷川さんや高橋さん。二人の活躍には刺激を受けました。それと同期に四段になった人たちです。

―ありがとうございました。これからの活躍を期待します。

中村 はい、頑張ります。

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21歳の誕生日の前に新人王を獲得できたことを喜ぶ中村修新人王(当時)。

19歳と20歳の違いなら気持ちがとても理解できるのだが、20歳と21歳の間にこだわりを持つところがユニークというか面白いところ。

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シーナ・イーストンは1980年に『モダン・ガール』でデビューしたスコットランド出身のアメリカの歌手で、『9 To 5 (モーニング・トレイン)』、『ユア・アイズ・オンリー』などの大ヒット曲がある。

1981年頃、エフエム東京を聴けば、必ずシーナ・イーストンの曲が流れていた印象があるほどだった。

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「どんなタイプの女性が好きですか」のすぐ後の「歌手では」の質問なので、中村修新人王が「歌手の中での好みのタイプの女性」を答えているのか「音楽的に好きな歌手」を答えているのか微妙なところだが、コンサートへ行くほどなので、シーナ・イーストンは両方の要素を兼ね備えていたのだと考えられる。

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中村修九段が佐藤康光九段の後を継いで棋士会長に就任した。

日本将棋連盟棋士会長に中村修九段が就任(日本将棋連盟)

非常に大変な時期ではあるが、大いに応援したい気持ちだ。

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中村修九段は、企業で言うと経営企画部長風の外観と真面目で隙のない雰囲気。

しかし、話すことには不思議な面白さがあるし、エピソードもたくさんある。

中村修七段(当時)の結婚

後輩棋士から大人気の中村修七段(当時)

中村修七段(当時)「つらいス」

「点のある・ない論争」・・・中村修七段(当時)の独白

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昨日は臨時棋士総会が行われ、3名の理事の解任が決まった。

日本将棋連盟理事解任のお知らせ(日本将棋連盟)

今の歴史的な豪雨を伴う暗雲が、早く晴天に変わるようになってほしい。

 

 

「井上慶太君の奥さんになる子がピカ一で、有吉さんもそう言っとった」

将棋世界2001年4月号、鈴木輝彦七段(当時)の「棋士それぞれの地平 男は黙って〔伊達康夫七段〕」より。

「馬には乗ってみろ、人には添ってみろ」というけれど、人には外見だけでは分からない部分がある、と今更ながらに考えさせられる対談だった。

 20年以上前の入社試験の面接で、何を訊いてもうまくしゃべれない学生がいた。

「最後に何か言いたいことはあるか」

 面接官の一言に「男は黙ってサッポロビール」とだけいった。この、当時流行したCMキャッチコピーの一言で、サッポロビールに入社できたそうだ。作ったような話だが、男は黙って、の部分が面接官の琴線に触れたのだと思う。

 伊達先生も、実に口が重い。理事時代も総会の席で他の大阪の理事が代弁していたこともあった。それでいて、信望が厚かったのは、実務のエキスパートだからだと思っていた。関東でいえば、勝浦修専務理事のようなタイプである。

 しかし、関西本部の道場経営や稽古先の多さを聞くと、営業面での才能を感じる。知らなかったのは、東京の若手だけだったかもしれない。関西の棋士は肌で感じる部分があったのだろう。

 (中略)

鈴木 引退された時が52歳で驚きました。これはどうしてですか。

伊達 12年前やね。持病の腰痛がヒドくなってね。対局になると出る。40歳くらいから出て、30分くらい我慢すると直る。トイレにも行けないくらい痛いんだよ。

鈴木 持ち時間が長いとキツいですね。特に順位戦は長いですから。

伊達 始めのうちは夜の10時くらいに出て、8時、6時と段々早くなってきた。お灸や針もやったけど効かなかった。引退しよう思ったのは1図や。

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 もう必勝で△8六歩なら櫛田君も「投了するつもり」と言っていた。打とうとしてズキンときて歩を5六に置いてしまった。二歩やけど、こんな反則はない。この年の3月に辞めたのはこの理由です。

鈴木 痛いですね。ホームランを打たれて辞めた投手もいました。しかも、二度と投げられない所に針を打って(笑)。それとは訳が違います。休場という手はなかったですか。

伊達 それはできない。理事もやってたからね。苦しんでいるのを見てたカミさんが「嬉しい」というので決断できた。いろいろと悩んだよ。

鈴木 それは分かります。棋士から将棋を取るとどうなるのか。加えて生活面のこともあります。(中略)収入的にも恵まれたんですか。対局料では大変だったと伺っています。

伊達 交通費に毛が生えた程度や(笑)。稽古を一件紹介されて、そこから増えていった。教えてる人が他にも紹介してくれてね。

鈴木 理想的ですね。今はそんな感じになりません。棋士本人がいけないんでしょうか(笑)。

伊達 それは分からない(笑)。府庁やあさひ銀行、電通とかは35年から40年行ってます。今でもOBの人が来てね。

鈴木 それだけの大会社の人を相手に出来るのは凄いことです。新聞を読むとか本を読むのが必要ですか。

伊達 それは常識やね。背広にネクタイで遅刻しないことでしょう。タイトル戦がある時は新聞を買ってきて並べるとかはするね。

鈴木 そんな秘伝を聴いていいんですか(笑)。取ってない新聞を買うことはないですね。稽古の日数はどのくらいですか。

伊達 月の半分は行ってた。お金のことは二の次やった。

(中略)

鈴木 関西の理事も長いですね。

伊達 35歳の時に5年と、昭和55年の会館建設の時から13年経験した。

鈴木 辛かったこと、楽しかったことを一つずつ話して下さい。

伊達 辛かったことはないね。良かったのは最初の時に近鉄将棋まつりを作れたこと。何度も足を運んだ。もう一つは平成元年に職員を二人入れた。本当は一人やった。井上慶太君の奥さんになる子がピカ一で、有吉さんもそう言っとった。もう一人、東京で免状を書いている森君の履歴書の字がきれいやった。

鈴木 字がきれいくらいで免状の字が分かりますか。しかも定員は一人ですよね。

伊達 荒巻先生の次を考えてた。それで大山会長に言ったら「関西のことは関西で」と認めてくれた。大山会長は大きな人物やったね。あの先生がいなかったら会館は建ってないやろ。

鈴木 その1年後に森君は東京に移るんですね。彼はぼくの弟弟子になります。奨励会試験は落ちたんですけど(笑)。小事を見逃さないことに敬服します。

伊達 運営者としては普通や。道場を作る時も2ヵ月、他を見て回った。毎日見てた(笑)。連盟がようなっても、他がダメになったらアカン。それで他よりも席料を3割増しにした。

鈴木 競争原理としては難しくなりますけど。

伊達 連盟の上では、谷川や羽生が指しとる。ファンにはあこがれの人達や。どこで会えるか分からない。それが連盟の強い所やね。同じにしたら他の道場は厳しいやろ。

鈴木 対局の厳しい所で、缶のお茶を買いに降りてきたりします。一瞬ですけどファン冥利に尽きますね。ぼくもデビッド・カッパーフィールドを見るだけで1万2千円は安く感じますから。

伊達 そやろ、だから高くした。東京もいいとこ(注:黒字のこと)に出来る筈や。

鈴木 引退してからの生活面は?

伊達 今でも稽古に5、6軒、月に12、13日行っとる。カルチャーセンターの十面指しはキツうなっとるけどね(笑)。15年指したら棋士は分かる。連盟で貰う分くらいは外で稼がないとね。全部がA級やタイトル取れる訳ではないから。

(以下略)

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「道場を作る時も2ヵ月、他を見て回った。毎日見てた(笑)。連盟がようなっても、他がダメになったらアカン。それで他よりも席料を3割増しにした。連盟の上では、谷川や羽生が指しとる。ファンにはあこがれの人達や。どこで会えるか分からない。それが連盟の強い所やね。同じにしたら他の道場は厳しいやろ」

が、感動的なほど素晴らしい感覚。

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「井上慶太君の奥さんになる子がピカ一で、有吉さんもそう言っとった」

以前も紹介したが、元・近代将棋編集長で、当時日本将棋連盟に勤務していた中野隆義さんの、次のような証言がある。

当時、関西将棋会館の女性職員は皆それぞれに感じのよい方ばかりでして、私めは関西に出張に行くのが楽しみでした。関西会館の女性職員の中で、全てのしゃべりの語尾がクルリと上がる方がいらっしゃいました。コレがまたその容姿と年齢にピッタリと合った雰囲気を醸し出していまして、そうですねえ、可憐さと可愛さをミックスさせたような感じですか。その方が井上流と結婚したと聞いたときは、ホントにもう井上の野郎めえと、あ、いえ、井上さんおめでとーと心より喜んだものでした。

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伊達康夫八段は2003年に亡くなっている。享年66歳。

 

 

佐藤康光九段「実は、ぼくは誰とも読み筋が合いません」

将棋世界2001年6月号、鈴木輝彦七段(当時)の「棋士それぞれの地平 神の領域に挑む男 佐藤康光九段」より。

佐藤 実は、ぼくは誰とも読み筋が合いません。自分が変だと最近分かって来ました(笑)。この間、郷田真隆君と指して「ええ、そう指すの」と言ったら「そんなの全く考えてません」の連続です。羽生-森内や羽生-谷川は読み筋が合ってますね。

(以下略)

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佐藤康光九段の2015年の著書『長考力 1000手先を読む技術』では、羽生善治三冠とも森内俊之九段とも全く読み筋が合わず、相対的には郷田真隆王将とは読みが合う、と書かれている。

2001年からお互いに多少変化してきたのか、お互いの理解が更に深まったのか、どちらかは分からない。

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羽生善治三冠と郷田真隆王将の読みが合っていることを1990年代に先崎学九段が指摘している。

羽生善治五冠(当時)と読み筋の合う棋士、合わない棋士

羽生善治三冠と郷田真隆王将の読みが合い、郷田真隆王将と佐藤康光九段の読みが合うからといって、羽生善治三冠と佐藤康光九段の読みが合わないという事実。

AさんとBさんの顔が似ていて、BさんとCさんの顔が似ている場合でも、AさんとCさんは顔が似ていない、ということが多いが、そのことと同じようなことなのかもしれない。

 

 

 

三浦弘行八段(当時)「恋愛もいけないと思ってきました。これ変ですか(笑)」

将棋世界2001年7月号、鈴木輝彦七段(当時)の「棋士それぞれの地平 もう一度鍛え直す 三浦弘行八段」より。

 新A級の三浦弘行八段は、謎の人である。いや、そう思われている節がありそうだ。丸山忠久名人の系譜である、将棋一筋、手の内を明かさない派と感じている棋士も少なくない。

 しかし、実体はやや違うと私自身は思っている。初めて見たのは彼が三段で記録を取ってくれた時だった。他の奨励会員とはどこか雰囲気が違っていて、記録用紙の名前を見た覚えがある。

 それから、しばらくして「変わった子が棋士になりました」と後輩棋士から聞いた名前が印象に残る彼だった。四段になっても群馬から通うせいか情報は少ない。「ネクタイがうまく結べない」は笑い話としても、周囲に気を遣わない昔気質の棋士なのか、とは思っていた。

 それが、1年くらい経って行方尚史新四段のお祝いの会で話をして見方は変わった。普通に話もするし、地方から通っている悩みを相談する後輩でもあった。相談を受けると嬉しいもので、一遍に情が移る気がした。その後、棋聖になり一緒に大盤解説をして深夜まで話をしたこともあった。話はかつての記録係の時に戻り、私が宇宙の”ビッグバン”は無理がある、と言ったのを「変わった棋士がいる」と思ったそうだ。これには笑ってしまった。だいたい、棋士が棋士を変わっていると言うのが可笑しいのだろう。

 話をして感じるのは求道心の力強さである。多弁であり、質問が好きだ。その全てが如何にして将棋が強くなれるか、そのことだけを考えている。純粋であり、純真そのもので、19歳の頃と今も全く変わらないでいる。

「インタビューは断るべきでしょうか」とインタビューの最中に訊いてくる。変わっている、と思われるが、彼のようなタイプは棋士の中に3分の1はいる。

 それを変だと思わない。むしろ、利害や損得でなく、より真理を追求するタイプとして好感を持てるのだ。

 彼のような人間に政治的な話は、してはいけないと思う。将棋を強くなることが最大の責務と考えているからだ。ただ、将棋以外のことに鈍感でいられない感性も持ち合わせているようで、今の悩みにもなっている。人は見かけだけでは分からないものである。

「普及とか何もしないと思われているのは心外です」と彼は言った。きっと、心ない言葉をどこかで聞いたのだろう。

 それは、世間の眼や棋士の眼等から無縁でいられない人間界への疑問である。

(中略)

―彼が2年前にNHKの講師をすることになって少し驚いてしまった。本人も不器用だから、と言っていたからだ。

 別件で電話をすると、彼は留守でお母さんと少し話をした。お母さんは彼のことが心配そうだったが、評判もいいようで安心されていた。それよりも、お母さんが将棋界のことに詳しいのでビックリした。それだけ、ご両親には話をしているに違いない。彼の人柄が感じられてほのぼのとした気分になったものだ。

(中略)

鈴木 今27歳だけど、将棋観というのはどうですか。

三浦 もう一度鍛え直したいです。技術と大山康晴先生のような人間的強さを求めています。

鈴木 電話でも言ってたけど、A級になって何を鍛え直すの(笑)。もう十分な気がするけど。

三浦 理由があって4月に車の免許を取ったんですけど、その間1勝5敗です。気持ちが離れると負けますね。

鈴木 そんなにストイックにならなくてもいいと思う。将棋に人生を捧げる人に申し訳ないけど、楽しむ部分があっていい気がする。恋愛とか、有名になってお金持ちになりたいとかは考えないの。

三浦 恋愛もいけないと思ってきました。これ変ですか(笑)。有名になるとか、お金持ちになりたいとかも思っちゃいけないと考えてます。13歳の時からずっとです。

鈴木 その質問には答えられない(笑)。将棋にはある種のハングリーさとか失う物の恐ろしさをバネにする部分があると思う。しかし、最近の若手は「お金の話はしないで下さい」と棋士会で言ったりする。中堅棋士は口を開けてます(笑)。

三浦 普及も父に言われて無料で行っている所もあります。その代わり将棋世界を買って下さいとお願いしてます。それでも買ってくれないですね(笑)。ネギを貰ったりしますけど。

鈴木 尊いけど、無料はどうかな。指導料を頂いて、そのお金で将棋世界を送ってあげる方が価値的です。プロが無料で教えるのは芸の世界としては良くないように思います。

三浦 父の考え方は、これまで強くなれた恩返しだと思います。地方に住んでますから出来るだけ行きたいと考えます。一方で、対局のことだけ考えるのがいいのかとも思って迷ってます。

鈴木 それはさまざまですね。30代以下の考え方に、それ以上の棋士達は戸惑っているというか、時代の変化に追いついていけない。三浦君の考え方はついていける(笑)。

三浦 対局以外は何もしない、と思っている若手もいますけど、何かをしたい気持ちはあります。誤解されてますか。

鈴木 それは深い質問ですね。人間心理の複雑さです。丸山名人にもあるけど、強さに対する裏返しの気持ちもないとはいえないでしょう。

(中略)

鈴木 優先順位は判りますけど(笑)。

三浦 1番が将棋です。これが全部ですけど、2番は家族です。趣味は読書で歴史書が好きです。後は散歩です。

鈴木 散歩はいい趣味です。カントは毎日同じ時間に散歩したそうです。純粋理性批判をカント先生が考えたように、将棋の純粋理性批判を考えて下さい(笑)。

三浦 将棋のことだけで精一杯です(笑)。

鈴木 今日はありがとう。一杯飲みながら話の続きをしましょう。

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三浦弘行九段らしさが、非常にうまく引き出されている。

インタビューの最中に「インタビューは断るべきでしょうか」と聞いたのは、心を許している表れでもあるだろう。

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「恋愛もいけないと思ってきました。これ変ですか(笑)。有名になるとか、お金持ちになりたいとかも思っちゃいけないと考えてます。13歳の時からずっとです」

思わず「変だ」と言いたくなりそうになるが、自分のことを振り返って考えてみると、中学生の頃、同級生なり下級生、誰かを好きになった時に成績が落ちた経験がある。

恋愛と勉強は両立しない、とその時に思ったものだ。

幸いなことに、高校は男子校だったので勉強に集中することができたが、そういうわけなので、三浦弘行八段(当時)の恋愛に対する気持ちは理解できる。

将棋を強くなることに人生を懸けてきた三浦弘行九段。

将棋に対する一途さが、清々しく感じられる。

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「普及も父に言われて無料で行っている所もあります。その代わり将棋世界を買って下さいとお願いしてます。それでも買ってくれないですね(笑)。ネギを貰ったりしますけど」の、最後に突然出てくる”ネギを貰ったりしますけど”が絶妙に可笑しい。

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実際のインタビューはこの数倍のボリューム。

「棋士それぞれの地平」は観る将棋ファンの方にとっては必携の読み物だと思う。