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A先輩の大胆な仕掛け

近代将棋1983年7月号、「関東奨励会」より。

 級位者では羽生君が3級へ、中曽根君が5級へそれぞれ昇級。小学生名人戦コンビだ。木下君も4級へ昇った。あと調子の良いのは豊川5級。8勝1敗で3番上がりの一番をむかえている。1局目で決める気持ちが必要だ。

 記録係の募集中、「ハイ、ハイ、ハイ」という声が一斉に上がった。この日は希望者が多かった。

A先輩「うるさい!!みんな静かにして、幹事の先生の声が聞こえないじゃないか」

 先輩にそう言われれば黙るより仕方がない。室内がシーンとなった。

 A先輩、幹事に向かって「私を、お願いします」(爆笑)

* * * * *

この反対に、記録係の募集に苦労するケースもあった。

「僕の対局には、記録係がなかなかつかなくてね」

* * * * *

このA先輩の戦術とは少し異なるが、10年ほど前の女流名人位の就位式(里見香奈女流名人)の撮影時間の時のこと。

50人以上のカメラマンがパチパチと写真を撮りはじめてから1分ほどした頃、突然「香奈ちゃん!」と呼びかけるような大きな声がした。

声だけで、誰かがわかった。弦巻勝カメラマンだ。

弦巻さんは、里見香奈女流名人が声があがった方向(弦巻さんがいる方向)に振り向いた瞬間を撮影する。

大胆な技だが、名人芸だと思った。

実録「記録係」

近代将棋1983年9月号、八尋ひろしさんの「駒と青春 記録係」より。

記録係の決まるまで

 プロの対局、年間千数百局に上る公式棋戦には必ず記録係が1名つく。

 この記録係、一局の将棋の始まりから終わりまでを観ることのできる、我々にとっては羨やましい仕事に思えるのだけど……。記録係というのは実際にはどのような仕事をするのだろうか。

 対局というのは将棋連盟の手合課というところでつけられる。組合せの抽選や、対局の日程などの調整はすべてここで行なわれる。

 決められた対局日程(半月分)が滝、松浦の両幹事へ。奨励会例会日の朝、対局前に記録の募集が行なわれる。「○月○日に×局あります」と幹事から対局日程の発表があるとその日を希望する奨励会員が手を上げる。順番に指定されていくのでどの対局の記録を執りたいという希望までは叶えられない。中原-米長、名将戦(好カードで時間が短い)ばっかりを執るわけにはいかない。

 タイトル戦の記録は順番制、記録に慣れている有段者が執ることが多い。

 今期、42期の棋聖戦第1局の記録係を務めたのは北島二段。彼にそのときの模様を語ってもらった。

記録前夜

 第1局の対局場は千葉県の木更津市「ホテル八宝苑」。東京からは比較的近いところだ。

 将棋連盟に2時半集合といわれている。暇だったのでお昼頃連盟へ。持って行く物を用意する。

「記録用紙とストップウォッチ2ケ、ペンも持った。盤、駒は向こうにあるからいいと。これで全部かな?あっ、そうだ。第1局だから振り駒用の絹布を持っていかなきゃ。パンツも持ったしこれで大丈夫だ」

 だいたいこんなように用意を整えたのではないかと想像できる。

 連盟から出発は対局者の森安八段とサンケイ新聞の福本さん、それに北島君だ。

 サンケイ新聞社の社旗がはためく黒塗りの車で東京駅まで「気持ちのいいもんですね」

 すっかりその気になる。早く対局者として乗ってもらうことを期待しよう。

 東京駅では中原棋聖をはじめ立合いの山本八段、報道関係者が揃い、特急で一路木更津へ1時間半の旅。もちろんグリーン車だ。

 木更津から車で10分くらいで「ホテル八宝苑」に着いた。5時ちょっと前。

 今日はリラックスしていられる。

 さっそくフロへ、さっぱりしたところで食事となる。普段の爪に火をともすような生活に比べると極楽に来たようだ(のではないかと想像したりして。ゴメン)

 食事が終ると地元のファンの方も混えた前夜祭となった。

 佐瀬八段が自慢のノドを披露する。北島君も歌いたいのをじっとがまんしたようだ。

 中原、森安両対局者は早目に引き上げる。北島君も適当なところで引き上げ割り当てられた部屋でアガサクリスティーの「そして誰もいなくなった」を読んで寝たそうだ。

記録当日

 いよいよ記録の当日だ。いつもは目覚まし時計に起こされるのだが今日はモーニングコールと洒落ている。7時半に起きる。

 着がえて食事へ。

 タイトル戦は9時開始だ。15分前に対局室に入る。設営はすでにできている。時刻を合わせ、ストップウォッチ、盤の位置などを点検する。

 普段、連盟での対局は10時開始だが、座布団、灰皿、ゴミ箱などの設営は記録係の仕事である。30分前には連盟に着いていなければならない計算である。

 立合の山本、長谷部両八段、そして報道関係者が対局室へ入ってくる。対局者は森安八段、中原棋聖の順で入室してきた。

 立合の山本八段の合図で絹布を敷き、「失礼します」と言って床の間を背にした中原棋聖の歩を5枚取る。

「タイトル戦の記録は初めてだったので緊張しましたね。中原先生の振り歩先でお願いします、という声がよく出なかったです」

歩を五枚、絹布へ。カメラのフラッシュが焚かれ、カシャカシャというシャッターをきる音。この瞬間は北島君が主役だ。

 歩が何枚出たかは覚えていないそうだ。結果は森安八段の先。

「それでは時間になりましたので森安先生の先手でお願いします」と北島君の声で対局が始まった。(ここまで主役が続く)

 森安八段が▲7六歩と指す。ここで撮影の為に時間を止める。森安八段が7六歩と指すポーズを何回か繰り返す。

 撮影が終ると報道陣が引き上げる。しばらくして立合の山本、長谷部両八段も退室し、両対局者と北島君の三人になった。

 将棋会館での対局では局数やメンバーによっては序盤のうちはにぎやかになることがある。今日は森安八段が時折、煙草を吸うくらいで静かだ。まだ緊迫したムードではない。

 しかしオナラをするわけにもいかない。

 局面は比較的速いペースで進んだ。「△4二銀は意表の手でした」(北島)

(中略)

 以下△8六歩▲同歩△7五歩と進み森安八段が考慮中に昼食休憩の時間となる。

 昼食は天ぷらにザルソバ。連盟での記録のときは昼食代は自前だが、ここではもちろんタダである。

昼休後

 13時に再開。再開後森安八段は10分考えて▲4四銀と出る。昼休前の34分と合わせ44分の消費時間と指し手を記録用紙に書き込む。

 これが記録係の主な仕事である。

 ▲4四銀以下△2四角▲6六飛と進む。ここで中原棋聖は49分の長考。

「昼休の後1時半から2時半、このあたりが一番つらいんですよ。お腹は一杯だし局面は進まないのですごくいい気持ちになって眠くなるんですよね」(某奨励会員談)という魔の時間帯だ。

 勿論、北島君はそんなたるんだ奨励会員ではない。ちゃんと、中原棋聖がミネラルウォターを、それに対抗してか?森安八段が冷たい水とタバコをホテルの仲居さんに注文したのを覚えている。

 △8四飛から▲5六飛△7三桂と進む。この△7三桂は14時6分。指した時刻もときどき記録用紙に記入する。

「ここではどちらがいいのかわかりませんでした。ただ△7三桂はなるほどと思いました」という北島君の感想だ。

 3時になるとオヤツが出る。これは将棋会館での対局でも同じである。

 両対局者のお茶がかえられチーズケーキが出された。北島君にもお茶が出された。しかしいつまで待ってもチーズケーキは出てこなかったそうだ。

「別にそんなに食べたいとは思いませんでしたけどね」とスネたように北島君。「しかし第3局目の塚田君の記録のときは出たそうですよ!」何故私がおこられるのだろう?

「それにお茶もトイレが近くなるからあまり飲めないんです」絶対にトイレに行ってはいけないということはないが、記録はそう頻繁に席をはずすわけにはいかない。結構神経を使うつらいところだ。

 おやつを過ぎると局面はそろそろ中盤の大事なところへさしかかってくる。だんだんと室内に緊迫感がただよってくる頃だ。北島君も自分が対局しているつもりで手を読む。終ってから感想を聞き、自分との違いを見つける。このあたりが勉強になるところだ。

 4時頃に福本さんが夕食の注文を聞きにくる。両対局者の注文を聞いたあと「君はカレーでいいね」。”カレーは昨日の昼に食べたから他の物がいいな、と思った”けど、そこは長年鍛えたポーカーフェイスで即座に「はい」と答える。

「このホテルはいいホテルだと思いました」と北島君。カレーがメニューになく、ハンバーグステーキになったのである。

 夕休は18時~19時となっている。今度も中原棋聖の△8八竜に森安八段の手番で指し掛けとなった。

 両対局者はそれぞれ自室で、北島君は報道関係者と控室で食事をとった。

夕休後

 夕休後10分で森安八段は▲7二馬。森安八段の消費時間は通計で267分となった。残り33分である。対して中原棋聖は191分、残り1時間49分だ。局面は中盤の難かしいところ、ピーンと張り詰めた空気が漂う。

 棋譜に間違いがないか、消費時間の計算に誤りはないかを確かめる。また対局者に残り時間を聞かれたときにもすぐに答えられるようにしておかなければならない。そして手も読みたいとも思う。消費時間の関係から指し手も速くなってくるのでかなり忙しい。

 ▲7二馬から△5七歩成▲同歩△5四歩と進む。ここで森安八段の残り時間が30分となる。「森安先生、残り30分になりました」と告げる。中原棋聖は少考を繰り返す。△4三銀と馬取りに当てた手が9分。どちらも持時間は1時間を割った。

 森安八段が次の手に1分使ったところで残り10分となった。残りが10分になったときは「森安先生、残り10分になりました。何分から秒を読みましょうか?」と尋ねることになっている。対局者によってまちまちだが、だいたい「5分から」と答える人が多いようだ。

 森安八段も5分からという。丁度残り5分になったとき「残り5分になりました。秒を読みます」といって「30秒…40秒…50秒…55秒…」」で▲1三歩。しかしここが敗着となった。

(中略)

 次の一手には残り1分まで使う。「30秒…40秒…50秒、1、2、3、4、5………」と1分将棋の秒読みに▲1五歩と打ったが△同香と取られ、あといくばくもなく投了となった。すぐに時刻を見る。21時43分である。

 報道陣が入室してくる。感想戦が始まったが見る余裕もない。棋譜を何通も作成しなければならないからだ。「連盟なら複写機があって簡単なんだけど」と思っている暇はない。

 観戦記用、対局者用と結局10通程作成したという。それでも棋譜を書きながら感想戦は耳に入ってくる。またそれを理解できるというのだからすごいものだ。感想戦が終わり、みんな対局室から引き揚げていく。

「これでようやく務めを果たしたなと思ったら、急に疲れてきました。風呂に入ってホッとしましたね」という。

 風呂から上がり打ち上げの席へ。ちょっとばかりビールを飲んで部屋へ引き揚げたらバタンキューと寝てしまったそうだ。

次の日

 次の日は朝8時に目覚める。食事をしてから昨日の分までコーヒーを飲む。と新聞社の人が「誰か俺の布団で寝てやがんの」と赤い目をこすっている。A出版をアルバイトのMさんらしい。という珍騒動もあったそうだ。

 10時に一人でホテルを出る。棋譜を持って連盟へ。普通ならば帰りも一緒の行動になるのだが北島君はちょっと用事があった。

 12時頃連盟に着く。時計や絹布を返し、棋譜を手合に渡す。そして4階へ。盤、駒、座布団、灰皿を設営し対局者を待つ。

 1時から堀口-内田のアマブロ戦の記録。

「それでは時間になりましたので内田さんの先手でお願いします」とストップウォッチをカチッと押す。ごくろう様。

* * * * *

北島忠雄二段(当時)、17歳の時。

棋譜はタブレット入力になったけれども、記録係の仕事のそれ以外の部分は当時も今も変わらないと思う。

* * * * *

ただ、環境的に当時と最も異なるのが、ニコ生とAbemaTVでタイトル戦の中継が対局開始から感想戦までの間行われていること。

モチベーションが上る反面、ずっと見られているわけなので、もしかすると以前よりも疲れるかもしれない。

* * * * *

「カレーは昨日の昼に食べたから他の物がいいな」

カレーに関しては、この辺は大きく意見の分かれるところだと思う。

またカレーが食べられると喜ぶ派と、そうではない派。

私は前者だ。

佐藤康光5級(当時)の軽い捌きと手厚い好手

近代将棋1983年5月号、東和男五段(当時)の「駒と青春」より。

 今迄は、おそらく平手の将棋がほとんどであったろうと思います。

 奨励会に入る前、アマとして指していた時に仮に手合割制で対局するとしても、やはり平手の対戦になるように組まれることが多かったはずだからです。

 それが奨励会に入会したとたんに香落が7割程も占めてきます。昨年秋の新入会員は7人でしたが、その7人に限ったことではなく新しく入った者はこの香落にしばらく手を焼くことになるでしょう。

 そして、それだけ比重を占めているものですから、必然的にそれに強くならなければ勝ち抜いてはいけません。香落という名の食べ物を消化して吸収できなければ生きていけない所が奨励会、といえます。

 12月、1月、2月、と57年度の入会者はまだ3ヵ月しか経っていませんから、現在香落に戸惑っているところと想像します。今日は、その新入会同士の香落戦にスポットを当ててみました。

1983年2月16日 於 関西将棋会館
香落
上手 5級 佐藤康光
下手 6級 井村励児

△3四歩▲7六歩△4四歩▲2六歩△3三角▲2五歩△1二飛▲1六歩△4二銀▲1五歩△6二玉▲4八銀△7二玉▲6八玉△8二玉▲7八玉△7二銀▲5八金右△5二金左▲4六歩

問題の手順

 上手の佐藤康光5級は、入会時は井村励児6級と同級だったのですが、奨励会に参加して初っぱなに6連勝して5級になっています。

 1969年生まれで今13歳。中学に通いながら師匠(田中魁秀七段)の開く将棋教室へ行き腕を磨いているとの事。

 同門の兄弟子に聞けば、その教室で彼にかなうアマチュアの人はいないだろうと言っていましたから、彼の実力がアマでならどれくらいのレベルか推測して頂けるかと思います。

 井村6級は、1966年生まれの16歳。以前でしたらこの年令でも早い方だったのですが、最近では佐藤5級を例にとってもわかるように中学在学中での入会が普通になっています。

 それは1981年度から規定が改められて、それまでは30歳迄に四段の年齢制限だったのが25歳迄に、となったためで、少しでも年若く入会する方が有利だからに他なりません。

 尤も、最終的には本人の将棋に対する気持ちが問題ですから、年令だけみて将来を占う訳にはいきません。年が若いだけでダラダラとやっているのでは意味が無いのですから。

 さて、1図は上手佐藤5級の1二飛型に下手井村6級がふつうに駒組みをして互いに王様を囲った所。

 一見何の変哲もなく、正しい手順で組み上げたかに見えます。が、佐藤5級の△3三角、対する井村6級の▲2五歩にはそれぞれ問題があります。

 ▲2五歩では、▲1六歩△1二飛▲1五歩△4二銀▲4八銀△4三銀▲1七桂(参考A図)と指すべきで、この形は奨励会時代私も数局上手を持って戦った経験がありますが、かなり上手のつらいワカレです。

 ですから、この変化が苦しいので上手は手損でも一旦△3二飛と振り、下手に▲2五歩と突かせて後に△1二飛とするのです。

 これは、香落ではもう常識の部類で、佐藤5級の△3三角は▲1七桂を誘ったものとも考えられますが、たとえそうだとしても下手は桂を跳ぶべきでした。尚、参考A図以下は、機を見て▲2五桂から▲1三桂成△同飛▲1四歩△1二飛▲1三歩成△同桂▲1四歩の攻めで下手良しになります。

1図以下の指し手
△4三銀▲4七銀△5四銀▲5六銀△4二飛▲1四歩△同歩▲同香△1三歩▲同香成△同桂▲1四歩(2図)

5四歩が自然

 下手の▲4六歩(1図)に、上手は△4三銀としましたが、ここは△5四歩と突いて▲4七銀なら△5三銀▲5六銀△6四歩と指す方が自然です。△5四歩と突いた形が5六の銀に圧力をかけて、下手が容易に4筋から仕掛けられなくなりますから。

 本譜は△5四銀▲5六銀と対抗する形にしたため、常に▲4五歩の仕掛けを注意しなければならなくなっています。

 △4二飛は、その意味ですが、すかさず▲1四歩△同歩▲同香と端を攻められてハッキリ上手が損をしているのがわかります。この△4二飛では、△4三金とすれば一応下手からの仕掛けを封じていますが、形が重いので香落上手としては指しにくかったようです。

 いとも簡単に端から仕掛けた井村6級ですが、△1三歩▲同香成△同桂に▲1四歩と打ったのは疑問。▲1四歩では、定跡が教えるように▲1八飛△1二飛▲1四飛(参考B図)と指せば下手の指せる将棋でした。

2図以下の指し手
△1二飛▲2四歩△同角▲4四角△2五桂▲同飛△1四飛▲1五歩△同飛▲同飛△同角▲1一飛△5一角▲2二角成△2八飛(3図)

軽いサバキ

 ▲1四歩として、△1二飛に▲2四歩△同角▲4四角と決戦に出ますが、これでは下手に成算のない戦いです。▲2四歩では、まだ▲3六歩とジッと突いておく方がまさると思いますが、それとて下手を良くする具体的手順まで結びつきません。

 △2五桂と捨てて△1四飛。これが軽いサバキでした。この手で上手が駒得を活かそうなどと考えるとおかしくなります。

 対して、井村6級は▲1五歩と応じましたが、これは悪手といえます。ここですぐ飛交換して一直線に3図迄進めてしまってはダメです。△2八飛と打たれた3図の局面からは、下手方90%勝てません。

 ▲1五歩では、まだしも▲1七歩と辛抱するところです。以下、△1五飛なら▲2七飛△1六歩▲2二角成△1七歩成▲同桂で、もし△2六香とくれば▲同飛△1七飛成▲2五飛△1六竜▲2九飛△1八竜▲2五飛と千日手に持ち込む腹づもりです。

 形勢に利のある上手は必ず手を変えてきますから、そこで勝負に出る方が得策でした。

(中略)

4図以下の指し手
△7四桂▲7七馬△7五銀▲3一飛成△6三金▲4五歩△6五銀▲同銀△同歩▲5五銀△5四歩▲6四香△5五歩▲6三香成△同銀▲4二金(5図)

シッカリした受け

 △7四桂と打ち、▲7七馬に△7五銀としたこの2手が実にシッカリした受けでした。

 手厚い好手とはこの事をいうのでしょう。

 次に△7六銀▲同馬△3三角がありますので下手▲3一飛成ですが、佐藤5級△6三金から△6五銀と駒を捌いて好調です。

 これで手順に6筋の歩がのび、先程打った7四桂と7五銀が下手玉のコビンをにらんで急所に利いてきました。先程△7四桂と△7五銀を好手と言ったのは、この構想が素晴らしかったからです。

 自陣に適当な受けもなく、井村6級は▲5五銀~▲6四香で上手陣を薄くし、▲4二金(5図)と必死の抵抗ですが、いかんせん駒損が大きすぎます。逆転を望むのはまず無理な局面です。

5図以下の指し手
△同角▲同竜△7二銀打▲9七角△8五金▲7五角△同金▲8四桂△7六香▲7二桂成△同銀▲7六馬△同金▲8五銀△8六桂打▲8八玉△7九角▲同金△同竜▲9七玉△8八竜(投了図)まで、99手にて佐藤5級の勝ち

 佐藤5級は、アッサリ△4二同角と取り、▲同竜にガッチリと△7二銀打。これで角1枚の下手は手の出しようがありません。

 ▲9七角と打ち、△8五金に▲7五角と切って▲8四桂と跳んだのは、せめて一太刀といった手ですが、上手に平凡に応対されて、以下きれいに寄せられてしまいました。

 この将棋、初めにいったように序盤での△3三角▲2五歩の2手と、下手が仕掛けた後の▲1四歩に問題が残ります。

 上手の△3三角に対して下手が▲1七桂とする攻めを選ばなかったのを、この指し方の奇襲敵要素を嫌った、と仮定しても、端から仕掛けた▲1四歩(2図の局面)の方は罪は大きいといえます。

 ここで▲1八飛~▲1四飛(参考B図)とする感覚は、香落の基本も基本、序の序といえるからです。冒頭に、香落に戸惑っているだろう、とは述べましたが、必要最低限の知識は入会前に覚えておかなければなりません。戦うのは、それからの事です。

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佐藤康光5級(当時)の2図からの軽妙な捌き、4図からの手厚い指し回し、が非常に印象的な一局。

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本来は△3二飛として▲2五歩を強要(▲2五歩としなければ石田流に組むよという強要)し、それから△1二飛と回るところ、ダイレクトに△1二飛。

これは、佐藤康光九段創案のダイレクト向かい飛車の思想(それまでは△4二飛と一時停車してから△2二飛と回っていたものを、ダイレクトに△2二飛)に通じるものがある。

まさに、三つ子の魂百まで。

 

奨励会員語録「俺が勝つまで!」

近代将棋1982年12月号、「関東奨励会」より。

 奨励会の秋の旅行会が10月20、21日の両日に行われた。春は日帰りのハイキング、秋は一泊の研修?旅行会が恒例となっている。そして隔年ごとの秋の旅行会は関東、関西奨励会合同の旅行会が行われる。今年はその合同の旅行会の年にあたっている。普段あまり交流のない関東、関西の奨励会が一同に集まるのは意義のあることである。

 豊橋のトヨタ自動車工業を一緒に見学し、旅館ではA・B・C級に分かれてのトーナメント戦が行われる。やはり対抗意識が働くのか、いつも熱の入った闘いが見られる。早く公式戦で顔を合わせられるようになることを期待したい。

 そのトーナメント戦には優勝賞金が出ることになっている。賞金を目指してみながんばるのであるが、トーナメント戦だけに1回負ければお終いである。みな勝負師の卵、負け組が集まって次は勝負勘を養うため?の勝負が展開されるのは恒例の行事となっている。

 今年は誰が死んで誰が笑うのであろうか。

 奨励会員語録―勝負勘を養う勝負をしている4人組、一人の形勢がよくない。形勢のよいA「ねえ、いつまでやるの」形勢の悪いB「俺が勝つまで!」これくらいの根性がないといけない。

(以下略)

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はじめは、トーナメント戦で敗れた奨励会員同士が勝負勘を養うために10秒将棋をやるのか、自分が勝ち越すまで将棋を指し続けるのか、と思っていたのだが、文字を打ち込んでいるうちに、「勝負勘を養う勝負」とは麻雀であると理解できた。

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棋士になろうとしたら、将棋以外の勝負事でも負けず嫌いであることが必要な資質ということになるのだろう。

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20世紀の頃、棋士の麻雀が24時間以上行われることが珍しくなかったわけだが、これも皆がそれぞれ「俺が勝つまで!」と思って麻雀をやっているから長くなったのだとも考えられる。

 

秘話 奨励会版「青い山脈」

近代将棋1982年11月号、「関東奨励会」より。

 奨励会員も楽しい夏休みを楽しんだことであろう。そこで裏話を一つ。

 秘話 奨励会版「青い山脈」

 奨励会員も十代の不健康な男である。好きな女性も出てこよう。ところで某奨励会員がある女性に恋をした。自分の気持ちをなんとか相手に伝えようと思ったところ、ラブレターという手が最善手に見えた。(結果的には敗着であったが)漢字に自信のない彼は辞書とにらめっこで慎重を期してポストに手紙を投げ入れた。が、やはりなんとなく不安である。そこでなにげなく先輩にたずねてみた。「あのー、『ぼく』という字は『撲』でいいのですよネ」

 その後、彼の初恋がどのような結果に終わったかはみなさんの想像におまかせする。

 いよいよ秋の陣である。夏休みは終わった。気持ちを入れ替えてがんばれ。

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『青い山脈』に出てくるラブレターは偽のラブレター(新子という女学生に反感を持った同級生の女学生が男性の名前で書いた)で、「変しい変しい新子様」などのような誤字が含まれていた。

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誤字だけで恋が成就しなくなるものなのかどうかは分からないが、うまくいく時は誤字があろうがなかろうがうまくいくと思う。

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現代は、誤字よりも変換間違いやタイプミスの方が多いだろう。

ただし、何も見ないで直筆の場合は、昔よりも誤字率は高くなっているかもしれない。

「僕」という漢字、昔は書けたが、今は自信がない。