振飛車党の古き良き時代

振飛車党の古き良き時代

振り飛車党はそれを我慢できない

将棋世界1994年3月号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時 in 関西将棋会館」より。  大阪・ミナミ。バブルが崩壊した今もなお、若者を中心に活気溢れる街。  夜のネオンに彩られた午後七時、ドラマのアクションシーンを彷彿とさせる光景に出...
振飛車党の古き良き時代

振り飛車党受難(2)

将棋世界1992年10月号、奥山紅樹さんの「棋士に関する12章 『少数派』」より。 将棋戦法の隆盛と衰退は、時の棋界第一人者の動向とぴったり一致している。  かつて大山康晴・升田幸三の両巨人が健在だった1960年代後半から70年代前半にかけ...
振飛車党の古き良き時代

振り飛車党受難

近代将棋1991年4月号、武者野勝巳五段(当時)の「プロ棋界最前線」より。  小林健二八段、森安秀光九段と振飛車党の実力者が相次いで昇級を決めた。前号で残した宿題が、表題の「振飛車は復活するか」という命題であった。  少し前号をおさらいして...
振飛車党の古き良き時代

米長哲学誕生の一局

「米長哲学」という言葉がある。 「自分には消化試合であっても、相手にとっては一生を左右するほどの大勝負には全力投球すること。それができない者は、この世界では見放される」というもの。 確かに、この言葉には非常なインパクトと説得力がある。 今日...
振飛車党の古き良き時代

佐藤大五郎九段自慢の一局

佐藤大五郎九段の自慢の一局。 (将棋世界1999年7月号、「棋士それぞれの地平」に棋譜が掲載されている) 1969年B級1組順位戦、佐藤大五郎七段(先)-中原誠七段戦。 佐藤大五郎七段の四間飛車に対して、中原誠七段は△6四銀から△7五歩の急...