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将棋史に残る名手・絶妙手(江戸時代編)

将棋世界1987年7月号、内藤國雄九段の「自在流スラスラ上達塾」より。

 さて、今回は史上に残る名手というものを取り上げてみたい。

 歌でいえば懐メロの名曲といった所であろうか。

<宗看魚釣りの一局>

 4図は伊藤看寿(手前側)対大橋宗与の一戦。

 1749年というから凡そ240年前の対戦である。

 手合は現在では見られない右香落。

 4図では誰もが▲8四とを考えるであろう。一見それが当然の一手に見える。

4図以下の指し手
▲6九歩△3三角▲8四と(5図)

 しかし天才看寿はそう指さなかった。

 ▲6九歩と打ったのである。

 この勝負を自宅で案じていた兄の伊藤宗看名人は弟の指し手▲6九歩の報を聞くとさっさと釣りに出かけてしまった。

 後は聞く必要がないというわけである。

 流石は名人の炯眼というべきか。

 物語としては出来すぎている感じもするが事実この▲6九歩は鮮やかな名手で、これで心配なしと胸をなで下ろした宗看の気持ちがよく分かるのである。

 さて4図で直ちに▲8四ととするとどうなるか。

 ▲8四と△同銀▲同歩△8八歩成で以下―
①▲同角は△同角成▲同飛△7九角にて
②▲同飛は△9六歩にて

いずれも下手が苦しくなる。

 ▲6九歩は①の方の手順の△7九角による飛金両取りを未然に防いでいるのである。

 ▲6九歩に対する△3三角は気がきかないようだが、もっといい手はとなると見当たらない。消費時間の記録は残っていないが、きっと宗与は対策に苦慮したに違いない。

 

 5図の後は
△8四同銀▲同歩△9六歩▲8六角△8八歩成▲9六飛△8七と(好手)と進んでいく。

 宗与も上手の貫禄を見せて最善を尽くすが名手▲6九歩の前にわずかに届かず看寿の軍門に下ったのであった。

 尚、伊藤看寿はこの時四段。兄宗看(七世名人)の後をついで名人になる予定であったが夭折してしまった。しかし実力を買われて死後に名人位を贈られている。

<宗看の角捨て>

 6図は▲8四歩突きに△同歩と応じた局面。宗看の指した次の一手を考えていただきたい。(便宜上図面は逆)

 手前側伊藤宗看対大橋宗桂の御城将棋で手合は左香落(宗看が上手)、1816年に指されたものである。同じ宗看という名でもこちらは六代目、先程の対局から凡そ70年の歳月が流れている。

 さて6図であるが宗看の方は歩切れ、▲8四同銀△8三歩▲7五銀と一歩を手中におさめて良しとしそうな局面であるが、鬼宗看と云われた程の人、そんな生ぬるい指し方では満足しなかった。

6図以下の指し手
▲9五角△同香▲8六飛(7図)

 次の一手は何と香の筋に角がとび出す▲9五角。そして△同香の一手に▲8六飛。

 邪魔になっているものは何でも捨てる詰将棋のような味が感じられる。

 7図になってみると後手の裸玉はピンチにおちいっている。あっという間に救いようのない状態になっている。

 7図で△9三角と受ける手はどうか。

 それは落ち着いて▲9六歩と突かれる。以下、歩が9五、9四と進んでくるのを防ぐことが出来ず宗桂のジリ貧となる。

 実戦譜は7図以下次のように進んでいく。

△6三銀▲8四銀△7一玉▲8二歩△6二玉▲8一歩成△7四銀▲6六桂△6三銀▲9五銀△7五角▲8二飛成

 以下数手で宗看の勝ちとなる。

 鬼宗看の面目躍如たる角捨てであった。

<天野の遠角>

 愈々棋聖宗歩の登場である。

 8図は天野宗歩対伊藤宗印の対局。

 1856年に行われたもので、これも御城将棋。御城将棋は江戸時代にあっては最も重要な対局であり力も入っており従って名局、好局が多い。

 本局も棋史に残る名局の一つと云える。

 さて8図、後手の△4四同銀は次に△5四飛と歩を払う準備である。

 これで△5四飛の時の▲8二角の筋が消されている。たとえば8図以下

▲5七銀右△5四飛▲8二角△5五角▲同角成△同銀▲8二角△6四角▲同角成△同銀▲8二角△7三角

 △4四同銀が遠くの▲8二角を消しているという意味がお分かりいただけたであろう。

 ただ先手としては△5四飛に▲8二角が打てなくても形勢を損じるというわけではない。

 充分互角に指せているのだが、宗歩は優勢になるチャンスを逃さない。

 8図の次の一手は▲1八角。

 これが天野の遠角として棋史に残る名角なのである。どうしてこれがそれ程の名手なのか、簡単に説明することは難しい、多分に感覚的な問題であるからだ。

 8図で▲1八角のあと10数手進んだのが9図である。後手は目の上のたんこぶである5四歩を外す事が出来ず模様の取り方に苦労している。

 9図以下、宗歩は▲4五銀とぶつけ熱戦の末押し切った。

 ▲1八角に始まる構想が見事で、棋聖宗歩にとっても生涯を代表する一局となったものである。

* * * * *

4図からの<宗看魚釣りの一局>と8図からの<天野の遠角>は有名だが、6図からの<宗看の角捨て>は初めて知る手だった。

* * * * *

<宗看魚釣りの一局>の▲6九歩は、御利益がわかりやすい。

その反面、<天野の遠角>▲1八角は御利益的にはすぐにわかりにくい。すぐにではなく、しばらく経ってからでもわかりにくい。

そういう意味では玄人好みの一手ということができるのだろう。

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個人的には<宗看の角捨て>▲9五角が、一番痛快で好感度が高い。

振り飛車党が喜ぶような手だと思う。

 

郷田真隆四段(当時)の格調の高い名手

近代将棋1990年5月号、撮影は弦巻勝さん。

将棋マガジン1991年5月号、「公式棋戦の動き 棋聖戦」より。

 このところの棋聖戦は、若手の活躍が目立っている。具体的に名を出せば屋敷伸之。納得していただけたと思う。

 郷田四段も、期待される一人である。

 前期、挑戦者決定戦まで駒を進めた実績、近況の成績の良さなど、成長著しいからだ。

 1回戦の対淡路戦では、その力底知れぬものを感じ取れる手順を見た。

 今、▲8四角成(1図)としたところ。

 1図で、普通は敵陣に飛車を打ち下ろしておいて、それから、というものだが、郷田の指し手は△5三金寄。4一飛を捌こうとする、遠大なる構想だ。

 これに淡路は▲6三歩と、と金攻めに出るが、△4五飛▲6二歩成△4二金▲6三と△4三金寄▲5三歩△5六成桂▲5二歩成に△4九飛成(2図)と飛車の成り込みを成功させて、郷田が勝っている。

 △5三金寄。非凡である。

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慌てず、騒がず、堂々と王道を行く4筋の飛車。

モーセの歩みとともに海が割れる、そのようなシーンを見たような思いにさせられる。

郷田真隆四段(当時)20歳、の絶妙な構想。

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別の格調高い名手→郷田真隆九段の格調の高い名手

 

「将棋指しは、なにがあろうと、勝ってさえいれば仕合わせな人種である。負けては、女性にもてても、金をもうけても、子供が生まれても、名声を得ても、おもしろくない」

将棋マガジン1991年2月号、河口俊彦六段(当時)の「対局日誌」より。

 A級順位戦の、谷川-真部戦はとっておきの一局。

(中略)

 ▲6一飛と打って金取り。誰もが△5二銀と受けると思った。

21図からの指し手
▲4六馬△4一飛成▲4三桂(22図)

 この局面はいろいろなところで紹介した。いくらいい手でも、何回も書いているうちに感激がうすれてくるものだが、△4六馬はちがう。ますますよく見えてくる。

 そもそも金を王手で取らせる、の着想が浮かばない。竜王戦第5局の最後も同じだったが、感覚が余人と全然違うのである。これこそ、谷川でなければ指せない手であった。先崎の言いぐさじゃないが、並の棋士より大駒一枚強い。

 △4六馬は次に△3七銀と打ち込みを狙って一手すき。それだけの詰み筋だから受けがありそうだが、▲3七銀は△2四歩があって受けたことにならない。

 よって、金を取らせても△4三桂で、谷川が勝ちなのである。

 真部も竜王戦のときの羽生も、本筋の指し方をつづけた。真正面から戦ったから谷川に斬られたとも言える。終了は午前0時9分前。真部の残り時間は1分だった。全力を出し尽くしたから悔いはない、ということはなかろう。負けは負けである。感想戦を終えて立ち上がろうとしたとき、真部はよろめいた。苦笑しながら「このごろ酒が弱くなった。すぐ酔っ払ってしまう」と呟いたが、私には返す言葉がない。

 将棋指しは、なにがあろうと、勝ってさえいれば仕合わせな人種である。負けては、女性にもてても、金をもうけても、子供が生まれても、名声を得ても、おもしろくない。真部にすれば、今は人生でいちばんつらい時であろう。

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21図。後手の持ち駒に銀が3枚もあるのだから、△5二銀と打っておいて、それから…と考えそうなものだが、ここから△4六馬。

金を王手で取らせるのも驚きだが、馬1枚だけで先手が寄ってしまうのももっと驚きだ。

最短距離で勝ちに行く谷川将棋の真髄と言って良いだろう。

河口俊彦六段(当時)が「何回も書いているうちに感激がうすれてくるものだが、△4六馬はちがう。ますますよく見えてくる」と書いているが、まさしくそう感じてくる。

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真部一男八段(当時)がA級順位戦で0勝6敗の時の一戦。

「将棋指しは、なにがあろうと、勝ってさえいれば仕合わせな人種である。負けては、女性にもてても、金をもうけても、子供が生まれても、名声を得ても、おもしろくない」

は、かなりな名言だと思う。

 

忘れ得ぬ妙手

将棋世界2005年2月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。

 本誌は2月号だが、今はまだ慌ただしい年の瀬だ。

 一年の締め括りをどうしようかと愚考していると鮮烈な将棋の一場面がフラッシュバックする。

 この思い浮かんだ局面を読者とともに堪能したい。

 どういう訳か蘇る将棋は自分が10代だった頃の作品が殆どだ。

 まずはA図、昭和43年第12期棋聖戦。山田道美棋聖対中原誠六段。

 局面は山田が△4八歩成と角を取った所。次の一手として考えたい方はそのようにしてください。

 中原は飛車取りに構わず▲3五銀と只の所に銀を進めたのだ。

 この一手が絶妙の決め手になっている。

 飛、銀、桂と当たりになっていて目が眩むようでしょう。

 これで後手はヤリクリがつかなくなっているから驚きだ。

 △4九とと飛車を取るのは▲4四銀で全然ダメ。△3五同銀は▲5三金とクサビを打ち込み、△6一玉には▲6三金、△4一玉には▲4八飛が次の▲3三桂不成の両王手を見てぴったりである。

 本譜はやむなく△4五銀と桂を外したが▲4八飛△4六桂▲同銀△3四銀▲5五歩と進み先手が快勝した。

 山田はA図では当然▲4八同飛と読んでいて、以下△2六角▲4七飛△3七歩成▲同銀△1七角成と進むものと思いこんでいたそうである。

 次はB図、昭和44年第15期棋聖戦、中原棋聖対内藤國雄八段。(先後逆)

 ここで内藤の放った一着は私の感覚を遥かに越え、とうてい思いつきそうもない手だったので強烈だった。

 通常の感覚では▲6七香△同飛成▲6八香となるものとして、そこから読みを進めるであろう。

 ところが、内藤の脳細胞は▲5五香の奇想をキャッチしていたのだ。

 ▲9一馬の利きを遮りいかにも単純そうなこの香が、実は最短の寄せになっていたのには仰天した。

 天才の思考回路は分からぬものだが、それにしてもこの香には並み居る控え室の高段者達も一様に唸らされたという。

 以下は△6八金▲同銀△同飛成▲同金△5九銀▲3八玉△6八銀不成▲5三香成△同金▲4五桂と進み、あっという間に寄り筋となった。

 見事なものである。

 最近で(といっても平成8年)目を瞠ったのは第9期竜王戦、羽生善治竜王対谷川浩司九段、C図である。(先後逆)

 

 ここで谷川が打ち込んだ▲3三桂の烈手は読者も記憶に残っているかもしれない。

 先の中原、内藤の妙手もそれぞれ個性的ではあるが、この一手もやはり谷川の並々ならぬ終盤の才能が発現されたと云える。

 流石の羽生も意表を衝かれたであろう。

 以下は△5一飛▲4七飛△5六角に第二の剛打▲4二角が飛ぶ、勝負術では当代随一の羽生もこの飛躍した二連打を浴びては持ちこたえようもなかった。

 この他にも素晴らしい作品が多く浮かぶ、20代を過ぎてからは大山流の渋い金引きの発想にも底知れぬ独創が感じられるようになってきた。

 またの機会にご紹介したいと思います。

* * * * *

アマ・プロ問わず、それぞれの人にとっての「忘れ得ぬ妙手」というものがあることだろう。

多くの絶妙手の中から一つ選べと言われたら、私の場合は、升田幸三九段の1971年名人戦第3局、後手升田式石田流での△3五銀。

そういえば不思議なことに、ブログを始めて11年目になるが、升田幸三実力制第四代名人のこの△3五銀については、まだ記事にしたことがない。

なぜなのかわからないが、私の寿命が尽きるなどしてこのブログにいつかは最後の日が訪れるだろうが、最後の記事を「升田の△3五銀」にしようという深層心理が働いているのだと考えられる。

 

 

鈴木大介六段(当時)「今となっては深浦超合金は私の味方です」

将棋世界2003年2月号、神崎健二七段(当時)の「本日も熱戦関西将棋」より。

1月17日 20時以降

 棋士室には、多くの棋士が来ていたものの、関心は差の開いたモニターテレビではなくて、10秒将棋の勝ち抜き戦。

 最初は三段二人で指していたところにやはり明日B2対局の鈴木大介六段が参入。最初座っていた二人が対戦することはもう二度とはこなかった。

 内容も一方的に勝ち続け、相手変われども主変わらず。しかも指しながらつぶやく話術は面白すぎ。それをすべて書いていては、振り飛車日記の復活になってしまいそうなので省略。

「これで明日の順位戦で負けてしまうというストーリーだと私はあまりにも悲しすぎますよね」

 連勝が10近くになったころに、もう見ちゃおれんと平藤五段が挑戦。10人以上はいた全員が注目。

 ところが、完封シャットアウトできそうだった平藤、漫画に書いたような坂道の転げかたで逆転負け。

 その後連勝は13まで伸びて、14局目に三度目の挑戦で平藤がようやく、鈴木を休ませてあげることに成功して終了。

「明日は▲7六歩△3四歩に対しての3手目が問題だ。▲7五歩かな。たぶん△4四歩だと思うんだけど」とひとりごとの鈴木。

1月18日

19時10分

「奇手を放ってきました」

夕食休憩後、皆が多くの棋譜を並べているのを眺めながら鈴木がひとりごと。その後、二言三言何か悲観的なこともぼやいてはいたが、誰もその後半は信じてはいない。でも中には、昨日の10秒将棋で、ゆるい球を打ちすぎた弊害か?との心配の声も。

 そこまで言われては見に行かなくてはいけない。内藤の長考中の盤面は4図。

 棋譜を見ると4手目△4四歩まで昨日の予想どおり。

 確かに妙なところに見たことのない桂打ち。もしかすると、きしゅは奇手ではなく鬼手のほうのキシュだったのか?

 なかなかこの▲5四桂は浮かびにくく、淡路、杉本、平藤はじめ何人かで数手先から予想してもらったがなかなか浮かびにくい手。

 鈴木としては、大長考の夕休をはさんだ69分の一手は、決め手となった。桂を△同歩と取れば▲6三金の打ちこみ、角を逃げれば▲6二桂成から▲6三金でつぶれてしまうのだ。

21時

 感想戦。

「何かあがいて来たなあと思ったら、こっちがやられてた。考えてたらあんまり悪いんで最後には笑うてしもたわぁ」と淡路九段に自嘲ぎみに話しかける内藤。隣で深浦と対局中の有吉九段。中盤の手順を質問。内藤乗りの手順を指摘して、その後両対局者も、その説に賛同。

「この手筋は、覚えても、使うことはないなぁ。この将棋一局だけや」と内藤でもいうほどの珍しい場所の歩頭の桂。

24時

「今となっては深浦超合金は私の味方です」(理由は順位戦の表参照)

 B2では、全勝の深浦も1敗の中川も勝って自力を維持。依然三番手のままの鈴木は、感想戦終了後もいつまでも棋士室にいて、この部屋が自分の住みかであるかのように、いろんな将棋を次々と並べていた。

 その中には、派手な応酬の中原-久保戦(中原勝ち)、島-郷田戦(島勝ちで昇級)の途中までの棋譜もあった。

 鈴木は脱落しようとも、逆転昇級しようとも、来期も相変わらず楽しそうに10秒将棋を指しつづけているような気がする。そういえば、最近関西では若手棋士が10秒将棋を指す姿は、少なくなってきたかも?

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4図の鈴木大介六段(当時)の▲5四桂がワクワクするような凄い手。

内藤國雄九段の「この手筋は、覚えても、使うことはないなぁ。この将棋一局だけや」もユニークだし、対局中なのに感想戦に参加してくる有吉道夫九段も面白い。

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「今となっては深浦超合金は私の味方です」。

その心は。

この時点での順位戦B級2組の戦績上位は次の通り(段位は当時)。

深浦康市七段(5位)8勝0敗

中川大輔七段(6位)7勝1敗

鈴木大介六段(4位)6勝2敗

最終戦で深浦-中川戦。

つまり、自身では残りを2勝するとして、最終戦で深浦七段が勝ってくれれば、鈴木大介六段が昇級できるという勘定。

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実際には、

鈴木大介六段(4位)は残り2連勝で8勝2敗。

中川大輔七段(6位)は9戦目の対行方尚史六段戦に敗れ、最終局の対深浦戦に勝ち8勝2敗。

深浦康市七段(5位)は9勝1敗で昇級。

で、中川大輔七段が頭ハネとなり、深浦康市七段と鈴木大介六段の昇級が決まった。

順位差1つは1勝分という言葉があるが、まさにそのような事例。

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それにしても、深浦超合金という表現が秀逸だ。

勝負師としての深浦康市九段を表わす見事な形容詞となっている。

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鈴木大介九段と深浦康市九段というと思い出してしまうのがこのエピソード。

ストイックだった深浦康市少年