「序盤のエジソン」を体現した田中寅彦八段(当時)の絶妙手

将棋世界1989年4月号、「B級1組順位戦」より。

第52期棋聖就位式。将棋世界1988年11月号、撮影は中野英伴さん。

 勝った方が即昇級という大一番、田中寅-石田戦は、田中が得意の飛車先不突き矢倉から、アッと驚く新手を出して快勝した。

 1図は、歩の交換こそ行われているものの、まだ駒組みの段階と思える局面だ。後手の石田もこのあと先手は▲7八金から玉を囲ってくるくらいのものと考えていた。時間も、昼休から1時間そこそこというところで、対局室の空気もどことなくノンビリムードが漂っている頃である。

 田中の指した次の一手は、そんな泰平ムードを吹っ飛ばすものであった。読者の皆さんも、1図で田中が指した手を当ててみてもらいたい。自力で発見できればA級並の感覚を持っていると自慢して良いだろう。

 1図以下の進行は、▲8六歩△6五歩▲同歩△同銀▲6六歩△7四銀▲7五歩△同銀▲7六歩△6四銀▲8五歩(2図)

 ▲8六歩と突いたのが絶妙の一手。と言ってもピンとこないだろうが、この手は、次に▲8五歩から▲8四歩としてと金攻めを目指した恐ろしい手なのだ。石田は、▲8六歩とされた時は、意表を突かれながらも「こんな歩でやられるはずがない。何か反発する手がきっとあるはず」と思ったそうだが、考えれば考えるほど、有力な対抗手段がないことが分かり、愕然としたという。

 66分の長考で△6五歩と合わせ、アヤを求めたが、▲6五同歩△同銀▲6六歩△7四銀に▲7五歩以下、一歩を犠牲に銀を元の位置に戻したのがうまい手順で、△6四銀に▲8五歩と突っかけて、先手の優勢がハッキリした形となって現れることになった。

 2図▲8五歩に△同歩は▲8八飛で受けなしなので、石田は再び△6五歩として突破口を見出そうとしたが、田中の中央に集結した金銀3枚のカベは厚く、▲8四歩から▲8三歩成~▲7二とが間に合って田中の快勝するところとなった。

 終局は、7時40分。順位戦としては異例の早さである。石田は力を発揮する所が全くないまま土俵を割ってしまったが、それだけ、新手▲8六歩のパンチ力が強烈だったということだ。

 もっとも、一部の研究熱心な若手棋士らの間では、1図の▲8六歩はしばらく前から”ある手”として知られていたところらしく、局後にそのことを聞いた石田は「イヤーッ、勉強不足でした。イカン、こんなことでは」と、自らの頭を扇子でバンバンとタタいてくやしがった。

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将棋世界同じ号の田中寅彦八段(当時)の「昇級者喜びの声」より。

 1図はA級昇級を決めた対石田戦の序盤。私が▲8六歩と突いたところだが、これで後手は受けなし。勝ったと思った。

 こんなに早く勝ちを意識するのは私の短所であるが、そういう局面を作りやすいのは、私の長所だろう。

 情報化時代の昨今、出だしの研究は進んだように見えるが、却っていろいろな知識があるがために、創造力が欠けてきたように思う。今の将棋界には私のような棋士の存在価値は高いと信じている。

 これからも、読者の皆様には私らしい、おもしろい将棋をお見せできればと思っている。

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▲8六歩(3図)と指されてみると意味がだんだんわかってくるが、1図の段階で▲8六歩を発見するのは至難の業。

これを受けようと△6二飛~△8二飛とすると、6四の銀が取られてしまう。

「序盤のエジソン」という呼び名が生まれるのはもっと後年のこととなるが、田中寅彦八段(当時)の構想力が凄い。