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羽生善治棋王(当時)「ガリガリいく」

将棋世界1992年6月号、朝日新聞の谷口牧夫さんの第10回全日本プロトーナメント決勝五番勝負〔羽生善治棋王-森下卓六段〕観戦記「羽生快勝、最終決戦へ」より。

将棋マガジン1992年7月号より、撮影は中野英伴さん。

 羽生善治棋王VS森下卓六段。いまやトップ棋士と目される二人の棋士が激突した五番勝負は、森下が2勝1敗とリードして第4局を迎えた。五番勝負が始まるまで二人の戦績は羽生の9勝3敗。竜王戦挑決、天王戦決勝など大事な対局では羽生に名をなさせて、”準優勝男”というありがたくない異名までもらった森下。しかし、昨年の本棋戦初優勝、竜王戦七番勝負では谷川浩司竜王と七番(1持将棋を含む)まで戦い、すっかりたくましくなっていた。一方、第2、第3局では不発だったものの羽生のパンチが健在であることは、初の棋王防衛、2度目のNHK杯優勝などで立証済みだ。

 第4局の対局場は神奈川県秦野市鶴巻温泉の「陣屋」。昭和27年2月、升田幸三八段(当時)が木村義雄名人との対局を拒否して大騒ぎになった「陣屋事件」で有名なところ。それからちょうど40年、木村十四世名人も升田実力制第四代名人もすでに亡い。

 陣屋の人たちは快く、そして温かく我々を歓迎してくれた。若い二人の棋士は、未来に向けて力いっぱいの将棋を見せた。昔ばなしも交えてその熱戦譜をお届けする。

(中略)

 対局室は2階の「松風」の間。階段のところに看板があり、「升田幸三九段が対局を放棄した『陣屋事件で……」と説明がある。つまり”升田指さずの間”というわけ。もともと明治天皇をお泊めするため黒田藩主が大磯に建てたものと説明は続く。欄間などには桐や菊の装飾がほどこされていた。対局室としては申し分がない。

 陣屋での対局を思い立ったのは、やはり升田九段(肩書が長いのでこう書く)のことが頭にあったからである。昨年の4月5日、ちょうど桐山清澄九段と森下六段の決勝五番勝負第4局の日に急逝。その2、3ヵ月前、升田九段が突然「陣屋に行こう」と言い出したと静尾夫人から聞いた。しかし、風邪ぎみとかで中止。結局行かないままになった。「そのときおいでくださればねえ」と陣屋専務の紫藤邦子さんは残念がった。

 ゆかりの場を一度訪ねてみたいという我々の意をくんで、いまは伝説の場となった「松風」の間が対局室に選ばれた。ロビーの壁には囲碁・将棋棋士の色紙が何枚も飾ってある。真ん中に「強がりが雪に轉んで廻り見る 升田幸三」があった。事件の後、升田九段が陣屋を訪れて残したものだ。肩書もなく「廻り見る」に九段の心情があるように感じた。

 40年も経てば、事件も当事者たちの思いもすべて霧の彼方だ。羽生、森下など若い棋士たちが新しい歴史を刻んでこそ意味があるだろう。

(中略)

 前夜は対局関係者だけで、お狩場焼を楽しんだ。途中、餅つきの余興があったが、立ち会いの加藤一二三九段「対局者は腕に力がなくなるといけないから、私が代わりにやりましょう」と赤いハッピを着込んで怪力?を披露した。

 対局の朝6時半ごろ、大浴場にいくともう森下が入っていた。6時に起きて散歩してきたという。「途中くさむらがありましてね。マムシが出てきそうな気がして、引き返してきました」「いや、この辺りは開けているから、マムシは出ないでしょう。ハブが出ますけど」

 どうも口が軽くていけない。

 その羽生が起きたのは8時過ぎ。早寝早起きの森下とは対照的。共通しているのは、対局前夜は絶対に無駄な遊びに加わらないこと。こちらのヘボ将棋を羽生に観戦されて弱った……。

(中略)

 ひねり飛車と決まり、駒組みは急戦含みから少しゆるやかになった。4、5年前には大流行した戦法だ。

 △3三金に加藤九段、「上がらないのもある」といいながら、興味深そうに進展を見守っていた。自分でもひねり飛車は相当多く指しているからだ。

 ▲9七角は丸田流。丸田祐三九段が昭和30年代の後半に公式戦で指し始めた。ご存知の通り、△8九飛成なら▲8八角とふたをし、▲8六飛~▲6八金~▲6九金~▲7八銀で飛車を召し捕る。

 ところが加藤九段はこれより10年近く前、初段のころにすでに奨励会で用いたことがあるという。「何局か指して、稼がしてもらいました」。升田式石田流もアマチュアが指したのを参考にしたのだと紅記者(東公平氏)に聞いたことがある。戦法に名前を残すのには強くなくてはならないというわけだ。

(中略)

 羽生、▲4四歩とたたき、

△同金に▲6五桂。

 対局室に入っていた紅記者が戻ってきて「軽やかに跳ねました」と報告した。羽生、自慢の一手だった。これで森下陣は崩壊していた。

 森下も「これでしびれました」。△6三銀で指せると思っていたのが、あっという間の転落。▲6五桂を放っておくと羽生は「がりがりいく」。森下「そのがりがりで困る」。

 つまり、▲7三銀と打ち込み△同桂▲同歩成△同銀▲同桂成△同金。続いて▲7四歩△7二金▲7三銀までの浴びせ倒しがある。

 森下、せっかく打った6三の銀で△7四銀と歩を取る一手となった。羽生の△5三銀はノータイム。

 森下もノータイムで△同角と取る。ここにもう一つ大きな穴が空いていた。

 ▲5三同桂不成。これがまた森下の盲点となっていた。

 控え室で加藤九段が、「これは後手が駄目」と研究からはずしていた図だった。次に▲4一角の王手銀取りがある。△6三金としても、▲6四飛△同金▲6一桂成で、「後手がお手上げ」と加藤九段。本当に手を上げた。

(以下略)

* * * * *

「その2、3ヵ月前、升田九段が突然『陣屋に行こう』と言い出したと静尾夫人から聞いた。しかし、風邪ぎみとかで中止。結局行かないままになった」

亡くなる少し前に、升田幸三実力制第四代名人がこのように話していたことを、初めて知った。

「陣屋」は、升田実力制第四代名人にとっては、いろいろな意味での思い出があるところ。

虫の知らせ、のようなことがあったのかもしれない。

* * * * *

「対局者は腕に力がなくなるといけないから、私が代わりにやりましょう」

加藤一二三九段は、後年も、タイトル戦の立会人の時に、前日の検分をはじめとする様々な場面で、気配り・心遣いを見せている。

加藤一二三九段の餅つきは迫力がありそうだ。

* * * * *

「こちらのヘボ将棋を羽生に観戦されて弱った」

これは、どんなに将棋が強い人でも弱ってしまうと思う。

* * * * *

「ところが加藤九段はこれより10年近く前、初段のころにすでに奨励会で用いたことがあるという」

ひねり飛車丸田流を、加藤一二三九段がもっと前に指していたというのも、新しい情報。

* * * * *

途中1図からの羽生善治棋王(当時)の攻めが、あまりにも絶妙。

途中2図からの変化(▲6五桂を放っておいた場合)は、アマチュア好みの猛攻で、羽生棋王の「がりがり」という表現がピッタリだ。

▲5三同桂不成(途中4図)も、ドキッとするような凄い一手。

途中4図以下は、△6五銀右▲同飛△同銀▲4一桂成△同玉▲7五角、までで羽生棋王が勝っている。

 

谷川浩司竜王(当時)「一番くたびれる負け方をした」

将棋世界1991年12月号、「バンコク竜王戦までの1週間 谷川浩司竜王」より。

10月14日(月)

 王座戦第5局(大阪・関西将棋会館)。2勝2敗のあとの最終局は、千日手指し直しの末に翌日午前0時4分、挑戦者の福崎の勝ち。福崎文吾新王座誕生。谷川「一番くたびれる負け方をした」。午前2時まで打ち上げ。

(以下略)

* * * * *

今日はこの対局について。

将棋世界1991年12月号、中野隆義さんの第39期王座戦五番勝負第5局〔谷川浩司王座-福崎文吾八段〕観戦記「居飛車党のうた」より。

近代将棋1991年12月号より。撮影は炬口勝弘さん。

 10月14日。関西将棋会館にて午前9時より行われた王座戦五番勝負第5局は、同日午後8時11分、千日手となった。

 振り駒で先番を得た福崎は、大方の予想通り、第1、2局で見せた伝家の宝刀「振り飛車穴熊」を抜いた。しかし、谷川に作戦勝ちを許し、戦いが始まってすぐの時点で桂香損に陥るという苦しい展開を招く。

 1図は、駒損の代償として築いた歩の拠点を利して、福崎が▲3四銀と打ち込んだ場面。控え室の継ぎ盤を挟んでの検討では、福崎がかなり棋勢を盛り返して来ているとはいえ、現実の駒損は大きく、谷川よしとなる変化があるのではないか、というムードであった。有力な一手段として△2四桂と打つ手が見える。以下、▲2五銀上には△3六香がすこぶる付きの厳しさである。

「やっぱり、谷川がいいですね」と検討陣の一人が誰にともなく呟いた時、階下の棋士室での検討から戻ってきた観戦記者の池崎和記氏が、「いい手を仕入れて来ましたよ。△2四桂でしょ。打ってみて下さいよ」と言って継ぎ盤に手を伸ばした。

 ▲3七角がビシリという駒音を立てて放たれた。「なるほど、それはうまい手だ」と立会人の伊達康夫七段が身を乗り出した。正直なところ、私には▲3七角の良さがすぐにはとんと理解できなかったが、専門家は、一目で手の素姓の良さみたいなものが分かるらしい。

 分からないなら、駒を動かしてみる一手である。待ったはいくらでも利くのが継ぎ盤のいいところだ。

 まず、銀取りに打ったのだから素直に△3六桂と指してみよう……。▲4六角△2八桂成▲同角。アレレ、穴熊はだいぶ薄くしたけど急所の角を取られちゃったな、おまけに飛車取りが残ってるじゃないか。イテテ。それじゃ銀を取る前に△3七同角成だな。▲同飛△3六桂▲同飛はどうかな。「何やってんの。そりゃ、完全にさばかれちゃってるよ!」トホホ。

 △2四桂が危険だとすると後手の指す手が難しい。△7三角と当たりを避けた手に続いて、谷川長考の末、△4二歩が着手された。

「いったん受けに回ったか」

「はがされて、また、打たれると…」

「えっ?」

「2三か3三を取って、取った駒をまた3四に打つんですよ」

「千日手になるかもしれないな」

「まさか……」

(中略)

 形勢よしと見ている谷川がきっと打開するに違いない。希望的観測が当たって欲しいとの祈りもむなしく、モニターテレビに映し出された盤上の駒は同じ動きを繰り返し始めた。

 千日手を宣すべく、伊達七段が控え室を後にした。

「良いとは思っていたのですが、具体的に指す手が難しくて。△4六金がちょっと強引だったのかもしれません」と、谷川。千日手やむなしの結論であった。

(中略)

 午後8時41分に千日手指し直し局は開始された。持ち時間は、谷川65分、福崎60分である。

「穴熊でしょう、やっぱり。それしかありませんよ」

 当然のことながら、福崎の序盤作戦が注目された。

 ▲7六歩に対して△3四歩は100%こう指すところ。もし、矢倉をやるつもりでも△8四歩では▲2六歩△8五歩▲7七角で谷川の必勝戦法である角換わりになってしまう。仮に、福崎のこの手を当てるトトカルチョがあったら、私は有り金の全てを△3四歩に張っていたことだろう。

 ▲2六歩に△4四歩も予想にたがわずである。五番勝負の第2局では、ここで谷川は▲2五歩と飛車先の歩を決めて福崎に振り飛車を促した。本局は▲4八銀とごく普通に進める。「ははあ、矢倉でも振り飛車でもどちらでもどうぞと、相手に作戦の選択を委ねたんだ。さすがは王者の貫禄だ」と、一端の評論家ぶって、私は一人ごちた。

 ▲5八金右に、さあ、また中飛車だぞと見ていると、なんと福崎は6一の金に手をかけた。

「嗚呼……」ため息に似た悲鳴のようなイヤなものが自分の喉の奥から絞り出されて来るのを感じ、思わずモニター画面から目をそらしてしまった。

 振り飛車党の不心得者が「私は、△5二金右を見て、眠たくなりました」と言うのに向かってウンウンとうなずく。今にして思えば、自らの不明を恥じるばかりである。

(中略)

 福崎が、晴れてプロ棋士としてデビューし、振り飛車穴熊を連採して当たるを幸い先輩棋士達をばったばったとなぎ倒していた頃、振り飛車穴熊の講座を引き受けていただけないかと頼んだことがあった。その時の福崎の返事はいまだに私の耳にこびりついている。

「いえ、すみませんが、それは勘弁してください。ボクは、振り飛車党じゃありませんから……」

「へっ」と、言ったまま開いた口が塞がらず、まじまじと福崎の顔を見てしまったものである。7割強の採用率で振り飛車党じゃないって、どこをどう叩けばそんな言葉が出てくるんだろう。こいつは一体何を考えてるんだ。まったくもう。

 福崎は真面目な顔でこうも続けた。

「将棋に振り飛車とか居飛車とかの区別なんかないんとちゃうかな。ボクはどんな将棋でも一緒や思うんやけど。プロやったらどんな将棋でも指しこなせなくちゃおかしいちゃいますかね」

 どんな将棋もったって、あなた、振り飛車ばっかり指してるじゃない。変なヤツ!早口の関西弁を浴びせられ、私は頭がくらくらしてきた。あの時、真剣に福崎の言葉を理解しようとしていれば、この最終局での矢倉の採用はもとより、第3局や第4局の作戦も、十分得心がいったかもしれなかった。

(中略)

4図以下の指し手
△4一飛▲1八香△3八飛▲3三歩△同桂▲1三桂成△3二玉▲3五桂△1三香▲1四歩△3五金▲1三歩成△8六歩▲3五角(5図)

 4図の▲8二銀打が好手で、谷川の優位は動かない。飛車を追ってから、▲1八香と銀を取り返し、▲3三歩の手筋を放って寄せの網を絞る。

 △8六歩の最後のお願いに▲3五角と詰めろを掛けるのを見て、終局近しの空気が流れた。

 5図。先手玉は、△8七歩成▲同玉△8六歩とこられても▲9六玉△9五銀▲8五玉と上に抜ける手があって詰まない。また、△8七歩成▲同玉に△7八飛成▲同玉△8六桂は、いったん▲7七玉とまっすぐ上がるのがうまく、以下△8五桂▲6八玉と逃げて僅かに即詰みを逃れている。

「危ないけど詰みませんね。それにしても谷川さんらしい決め方だなあ」

「弦巻さん、もうすぐ終わります。カメラいいですか」

 振り返りながら言うとカメラマンの弦巻氏は、うん、分かってるという仕種をした。ネクタイをしごきながら腰を浮かせようとした時、福崎の手が盤上に伸びた。

 あれっ、変なことに何か打ったぞ。

 テレビの画面を覗き込んだ私は、福崎の着手を確認した瞬間、体が後ろにぶっ飛んでしまった。

5図以下の指し手
△9六桂(6図)

 △9六桂ってなんなんだ。一体、何者だ。

6図以下の指し手
▲7九玉△3一角▲2二銀△8八銀▲6九玉△2二角▲同と△同玉▲1三香成△3二玉▲8八金△同桂成▲2三成香△同玉▲2四銀△3二玉▲2三金△4二玉▲3三銀成△同金▲同金△同玉▲2四金△2二玉▲3四桂△3二玉▲3三歩△4三玉(投了図)  
まで、124手で福崎八段の勝ち

 △9六桂は、必殺の勝負手であった。▲同歩なら、△8七歩成▲同玉△8六歩▲7七玉△8五桂▲8八玉△8七銀で先手玉は詰んでしまう。手順中△8六歩の時に▲9六玉と上に脱出する手をなくしているのが、先に△9六桂と打ち捨てておいた効果である。それにしても、1分将棋に追い込まれながら福崎はどこで△9六桂なる一手を編み出していたのだろうか。福崎将棋は恐ろしい。福崎将棋は強烈だ。控え室はまさに騒然となった。

 △9六桂が入ったために、新たなる拠点ができ、4二の角が盤上から消えても先手玉を寄せることが可能になった。△3一角と受けに回り、駒を渡せ作戦である。△2二角と銀をむしり取ったところで先手玉は受けなし。後は、福崎の王様が詰むかどうかが勝負となった。

 すでに谷川も持ち時間を使い切り、1分の秒読みである。谷川は、▲8八金と銀の質駒を際どく手駒に加え、福崎玉に襲いかかった。

「詰まない、詰まないか」

 確たる結論の出ぬまま、控え室はモニターに映る盤面を見守った。

 福崎の玉が詰まないと分かったのは、王手ラッシュから実に12手目△2二玉を見た時点であった。

「新王座誕生だ!」控え室の面々は総立ちとなり、対局室へと雪崩込んでいった。

「△9六桂はうっかりしていました。(自玉は)詰まないから勝ちだと」谷川ははっきりとした口調で敗因を述べた。

 局語の談話で作戦についての発言を求められた福崎は、「穴熊をやって千日手にされたので、矢倉で行こうかなと……」と語った。その時、私の脳裏に本局の第5手目▲4八銀の局面が蘇った。あれは、振り飛車でも矢倉でもどちらでもどうぞと言ったんじゃない。谷川は福崎が矢倉で来ることが分かっていたのではないか。だからこそ、矢倉に組みやすいように飛車先の歩を決めなかったのだ。また、福崎の方も谷川の出方に関して、信頼を持っていたに違いない。でなければ、作戦の主導権を持ちにくい後手番をもって「矢倉で行こう」とは思考しにくい。

 お互いを理解しあった戦士同士の戦いは美しい。

「ホントは居飛車党なんですけどね。穴熊でしか勝てんようになってしまって」どんな将棋でも指しこなせなければプロとはいえないという自負心。福崎は、新進気鋭の頃に持っていた将棋に対する姿勢を今もって忠実に生きようとしていた。

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福崎文吾王座誕生の一局。

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「▲5八金右に、さあ、また中飛車だぞと見ていると、なんと福崎は6一の金に手をかけた。『嗚呼……』ため息に似た悲鳴のようなイヤなものが自分の喉の奥から絞り出されて来るのを感じ、思わずモニター画面から目をそらしてしまった」

目をそらすまではしないとしても、振り飛車党のほとんどの方が、プロの対局を見ていてこのような思いをしたことがあるだろう。

6一の金に指が行った時点で全身の血が逆流するような感じになり、その金が5二に置かれた時点で深い絶望感に襲われる……ような流れ。(7一の銀が6二に行った時も同様)

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「ホントは居飛車党なんですけどね。穴熊でしか勝てんようになってしまって」

福崎文吾八段(当時)の表芸が矢倉、裏芸が振り飛車穴熊ということになるのだろう。

ただ、福崎八段の振り飛車穴熊を楽しみにしているファンも多かった。

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詰めろがかかっている状態での△9六桂(6図)が鋭い。格好いい。

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ここには出ていない対局中のエピソードがある。

敵にお茶を送る

日本経済新聞の表谷泰彦記者による記事もある。

福崎文吾王座(当時)誕生

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羽生善治九段が19期連続で王座に就くのは、この翌期から始まることになる。

 

先崎学五段(当時)「どうや、これ。のぞいていくやろ」

近代将棋1992年1月号、鈴木宏彦さんの第14回若獅子戦決勝〔先崎学五段-村山聖五段〕観戦記「暴れた暴れた先崎優勝」より。

近代将棋同じ号より。

 バタバタと先崎が対局室に駆け込んで来た。午後1時きっかりだ。カラシ色の綿シャツ。ノーネクタイ。でっかいスーツケースを右手に持っている。

 村山は、とっくの前から上座に座って待っている。最近の村山は髪も短くヒゲもなし。さっぱりした顔で駒箱を開け、すぐに駒を並べ始める。なぜか香が一枚見つからず、村山がキョロキョロ。先崎がアハハと笑う。

「お、決勝戦か」

 隣の部屋で対局中の宮田利男六段が冷やかし半分にのぞきにきた。決勝戦…。そう、この対局は若獅子戦が迎える14回目の決勝戦なのだ。

(中略)

 先崎がどかどかと戻ってきた。困った顔をするかと思ったが、すぐに△7六歩と取り込む。さすがにもう席は離れない。

 最初はわざとやられて観衆をハラハラさせ、苦しくなってから本気を出すのがアントニオ猪木とウルトラマンのテクニック。まさか先崎、そのテクニックを使った訳ではないと思うのだが…。

(中略)

 千日手の成立は午後4時39分。指し直し局は30分後の開始である。

(中略)

 それにしても驚いたのは、村山の△4一飛。盤上から悔しさが伝わってきた。そのとき、村山の顔は真っ赤。

(中略)

 王手飛車狙いの△4六桂。一瞬はっとさせる手だが、先崎は1秒で▲同歩。最後の最後まで先崎らしい指し方、そして先崎らしい優勝のしかただった。あの村山が最初から最後まで振り回されっぱなしだったのだ。

 終局は午後7時41分。1時間ほどの感想戦のあと、将棋連盟近くの鰻屋で打ち上げになった。

 ビールをうまそうに飲み干した先崎、「どうや、これ。のぞいていくやろ」

 なぜか大阪弁になって、村山を雀荘に誘う。2次会を盛り上げてくれる仲間がそこにいるらしい。「はー」とため息をついた村山、それでも「行きます…」。

近代将棋同じ号より。

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「1時間ほどの感想戦のあと、将棋連盟近くの鰻屋で打ち上げになった」

若獅子戦は近代将棋主催の棋戦だった。

打ち上げの場所は、「ふじもと」ということになるのだろう。

6~8人の宴席だったと思われる。

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「村山を雀荘に誘う。2次会を盛り上げてくれる仲間がそこにいるらしい」

きっと、先崎学五段(当時)と親しかった郷田真隆四段(当時)や中田功五段(当時)などの若手棋士が待っていた(麻雀をしていた)のだろう。

先崎五段と村山五段は、この日、初めて一緒に遊びに行ったのかもしれないし、あるいは既に何度も遊びに行っていたのかもしれない。

どちらにしても、先崎九段と村山九段で思い出すのは、村山九段が亡くなった時の先崎六段(当時)の追悼文。

先崎学六段(当時)「彼が死ぬと思うから俺は書くんだ」

竜王戦第5局前夜に差し入れされた写真集

将棋マガジン1992年2月号、西川慶二六段(当時)の第4期竜王戦七番勝負第5局〔谷川浩司竜王-森下卓六段〕観戦記「▲5九角のココロ」より。

第4期竜王戦七番勝負第5局、2日目の朝。後列に萩本欽一さんがいる。将棋マガジン1992年2月号、撮影は中野英伴さん。

 本局で私は、NHK衛星放送の解説を務めさせていただきました。

 初めての事でしたので、不安もあったのですが、聞き手が、

「私は、テレビに出演してあがった事がないのです」

 と話す神吉宏充五段だったのは、心強い味方でした。

 そして、2日目にはこれ以上は望めないほどの最高のゲスト(解説者?)に出演していただけたのは、幸せな事でした。

 挑戦者の2勝1敗1持将棋と盛り上がりを見せて来た第5局は、竜王の地元神戸市、六甲山のホテルで行われました。

 対局前夜は、対局室を検分した後、両対局者を囲んで将棋連盟、読売新聞社の関係者だけで会食するという、リラックス出来るものでした。

 食事の後は、何かゲームをするのが通例なのですが、今回はナント衛星放送のスタッフの差し入れで、話題の「宮沢りえ写真集」の鑑賞会になりました。

 谷川さん、森下さんの反応はそれぞれ面白かったのですが、20代の健康な若者らしい意見だったとだけお伝えしておきましょう。

 両対局者が自室に引きあげた後は、本局の立会人である有吉道夫九段を中心として、将棋界の昔話に花が咲きました。大先輩に貴重な話を聞かせていただいた有意義な時間でした。それから、本局の戦型予想も話題になりました。谷川竜王の先手番ですので、角換わり腰掛け銀か、矢倉かで意見が分かれたのですが、私はハズれてしまいました。

 予想と言えば、本局では大変おもしろい事が起こったのです。

 いや、面白がっていては、解説者としては不謹慎なのかもしれませんけどね。

(中略)

 2日目の午前9時からの衛星放送をご覧になった方は、封じ手開封の場面に、萩本欽一さんがいらっしゃったのにお気づきになった事と思います。萩本さんの将棋好きと実力は、本誌の読者には「欽ちゃんのド~ンと指してみよう」のプロ棋士との2枚落戦でご存知ですよね。

 その欽ちゃんが、3図の▲5九角という竜王の指し手を見て大喜びをされたのです。予想が当たったからですが、この話には伏線があるのです。

 前夜、萩本さんが神吉五段に封じ手以降の予想を聞いたとき、

「3図の▲5九角はないの」

 と質問すると、間髪入れずに、

「そんな手はありません」

 と否定されてしまったのでした。

 ゲストの欽ちゃんの意見は、

「一回守っておけば、次に▲6五銀と桂馬が取れるし、8筋の守りにもなっているじゃない」

 というものでした。事実、▲5九角で▲2七飛では、△8六歩▲同歩△8七歩で先手不利という、両対局者の一致した感想があったのです。大いに自慢されて良いでしょう。

 私も▲5九角には気付かなかったのですが、△6四角に比べていかにも働きが悪い感じがして、打ちづらいんです。

 欽ちゃんの解説はまだ続きます。

「今は、働きが悪いかもしれないけれど、桂馬を取って、▲7七角と出れたら素晴らしい角になるなあ。そうやって竜王が勝ってくれたら楽しいなあ。よし、この将棋は谷川先生を応援しちゃおう」

 将棋に台本はないのですが―。

(中略)

 そして、5図から谷川竜王は見事な寄せの構想を見せてくれたのですが、それは欽ちゃんの筋書き通りだったのです。

5図以下の指し手
▲8五歩△5一角▲8六銀△2五歩▲7七角(6図)

 ▲5九角と打った心は、竜王も欽ちゃんも同じだったんですね。

 竜王が優勢を意識したのも6図だったということでした。

 実は、▲5九角が不発なら、

「折角の角が、使えませんね」

 と申し上げるつもりでしたが、完全に降参です、萩本先生。

 お見事な予想でした。

(以下略)

将棋マガジン1992年2月号より。

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近代将棋1992年2月号、池崎和記さんの「福島村日記」より。

某月某日

 竜王戦第5局取材のため、六甲オリエンタルホテルへ。

 NHK衛星放送のスタッフが宮沢りえの写真集を持ってきていたので、みんなで回し読み。マスコミが連日大騒ぎしていたので、どんなすごい本かと期待してページをめくったが、全然たいしたことはない。写真集発売前の、テレビのワイドショーや週刊誌などのあのバカ騒ぎはいったい何だったのかと思う。だんだん腹が立ってきた。

某月某日

 竜王戦2日目。対局室に萩本欽一さんが姿を見せる。衛星放送にゲスト出演するそうだ。

 萩本さんは大の将棋ファンで、控え室で神吉さんと西川さんに代わりばんこに二枚落ちの指導を受けていた。神吉さんのとき盤面をのぞくと、上手は序盤から定跡はずしの手を指している。「プロの先生が本に書いてない手を指しちゃ、ダメじゃないの」と萩本さんはブツブツ言いながら、それでも、とても楽しそう。

 プロが定跡をはずすのは、下手の力を認めている証拠。ということは、萩本さんはなかなかの指し手ということになる。

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「今回はナント衛星放送のスタッフの差し入れで、話題の『宮沢りえ写真集』の鑑賞会になりました」

この写真集は、1991年11月13日に朝日出版社から発売された篠山紀信さん撮影の『Santa Fe』。

Santa Fe』は155万部のベストセラーで、発売前から大きな話題となっていたので、入手するのは非常に難しかったと思う。

この対局が行われたのは12月4日~5日。

発売1ヵ月以内に見ることができたのだから、鑑賞会になるのは自然な流れと言えるだろう。

とはいえ、この写真集は、

「どんなすごい本かと期待してページをめくったが、全然たいしたことはない」

の通り、かなりソフトな写真集だったので、

「谷川さん、森下さんの反応はそれぞれ面白かったのですが、20代の健康な若者らしい意見だったとだけお伝えしておきましょう」

と書かれているが、二人ともとても大人しい発言だったと考えられる。

* * * * *

萩本欽一さんの手の見え方、大局観が素晴らしい。

これ以前には将棋マガジンで、萩本欽一さんとプロ棋士の二枚落ち戦が連載されている。

今年の1月2日にNHK BSプレミアムで放送された「一二三!羽生善治の大逆転将棋2020」にも萩本欽一さんはゲスト出演しており、将棋界とのつながりは長い。とても有り難いことだ。

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1996年、三浦弘行棋聖就位式のお祝いに駆けつけた萩本欽一さん
三浦弘行棋聖誕生前夜

2001年、山田久美女流三段(当時)と萩本欽一さんの対談
「欽ドン!良い名人・悪い名人・普通の名人」

 

森下卓六段(当時)「それにしても▲6四歩とは恐ろしい手があったものです。将棋は怖い」

近代将棋1992年2月号、読売新聞の小田尚英さんの第4期竜王戦七番勝負第5局〔谷川浩司竜王-森下卓六段〕観戦記「竜王戦第5局」より。

第4期竜王戦七番勝負第5局感想戦の模様。将棋マガジン1992年2月号、撮影は中野英伴さん。

 第5局を終え、帰京の途中、新幹線の時間待ちをしていた新神戸駅近くの喫茶店。それまでの別の話題を切り換えて、森下は突然言った。

「それにしても▲6四歩とは恐ろしい手があったものです。将棋は怖い」

谷川の作戦

 対局の前、控え室では先手の谷川がどちらの戦法を採用するかが話題になった。どちらかとは「角換わり腰掛け銀」か「矢倉」である。

 ここまでの戦型を振り返ろう。

  • 第1局 谷川先手 腰掛け銀 持将棋
  • 第2局 森下先手 矢倉 谷川勝
  • 第3局 谷川先手 矢倉 森下勝
  • 第4局 森下先手 矢倉 森下勝

 谷川のローテーションから言えば角換わりが自然なのだが、問題は第1局の内容。結果は持将棋(無勝負、引き分け)だったが、作戦的には森下に利があったで意見が一致しており、対抗策がなければ矢倉の可能性もある。角換わりは先手・谷川の得意戦法であると同時に、後手を持っての森下の(森下は先手では指さない)得意戦法でもあるのだ。入念な研究で、迎え撃つのは目に見えている。負けると竜王防衛が非常に苦しくなる正念場。果たして谷川は角換わりで行くのか。

 第3手を注目した。谷川の手は躊躇なく右側に伸びた。谷川「これ(角換わり)で負けたら仕方がないと思っていました」。さすが谷川だ。敵に後ろは見せない。

「秘中の秘」

 今期竜王戦七番勝負は、矢倉にせよ角換わり腰掛け銀にせよ、仕掛け周辺の両者の構想がまず見所になっている。序盤の研究では棋界一とまで言われる森下が、第1局の△5四角、第2局▲4七銀(これは前日に米長九段が指したのだが、二人の共同研究だという)、第3局は△5三角と、いずれも新研究を披露して最新の定跡に問題提起している。これに答えるのが谷川だから、プロの間でも専門的に大きな関心を呼んでいるのだ。

 そしてここまで森下の研究手順は好結果を生んでいる。もっとも、終盤型の谷川は「多少苦しくなるのは覚悟、そこからが勝負」と見ており、事実第2局は中、終盤に勝負手を放って勝利している。

 さて、谷川が角換わりを選択したからには、1図までは必然の進行だ。第1局と手順まで同一で、控え室に姿を見せた谷川が「芸がないなあ」と冗談を言ったくらい。

 なぜ1図か、という理由は先月号の本誌で、武者野勝巳五段が歴史を辿り明快に解説されているので、それを再読していただきたい。先後同形のこの形から仕掛が成立するかが、今のプロ将棋の大きな焦点となっているのである。

 1図から谷川は当然▲4五歩の仕掛け。以下△同歩▲3五歩△4四銀までは第1局と同じ進行だが、ここで手が変わった。第1局は▲7五歩△同歩と7筋の突き捨てを入れたが、本局は直ちに▲2四歩。この仕掛けも前例がある。現在は若手の間では▲7五歩は指し過ぎか、という見解が多い。谷川がこの正念場でこれを選んだからには、有力な順なのだろう。2筋の歩交換に満足してじっと▲2八に飛を引く。

 手を渡された後手は当然反攻に出る。△6五歩に▲同歩。従来はここで△7五歩と、先手と同じように攻めるところだったが、森下は何と単騎の△同桂!(2図)。またまた森下の新手が出た。

 森下は以前から2図での△6五同桂は成立する、と見ていた。第5局の対策を練るとき、この手がテーマになった。一人でこれ以降の変化を読みに読んだ。正直言って、直前の他の対局の途中でも変化が頭から離れなかった(第5局の前、森下にしては早い終局が続いた。この局にかけていたのだ)。

 △6五同桂は「秘中の秘」(森下)の手だった。それが日の目を見た。

 事前の研究だとこれはうまく行く、と森下はほくそえんだ。でも、相手は谷川さんだ、念には念を入れよう。それで2手前の△6五歩に1時間23分考えた。よし、大丈夫だ。行こう。

桂損の代償は?

 控え室はこの手に驚いた。この桂はタダで取られる運命にある。何か代償がないとひどい。その代償をどう求めるのだろうか。本局は、この桂跳ねの正否を巡る争いとなった。

 譜を追っていただこう。2図から▲6六銀のかわしに△6四角の桂取り。これに対して▲5九角。受け一方でプロは一目打ちたくない感じだそうだが、これ以外に有力な受けは提示されなかった。ちなみに、観戦とNHK聞き手で対局会場を訪れた萩本欽一さんはこの手を当てて大喜びだった。

 3図までは森下の思惑通りに進んだ。

 桂損の代償は5九と7三の角の働きの差、そして自陣は厚く谷川陣右翼に殺到の構えを得たことだ。

驚愕の一手

 森下は一般には受け将棋だと思われている。確かにコマ損を嫌い力をためるタイプだと思うが、本人は「手厚い攻め将棋」と思っている。特にこの七番勝負では積極的に攻める姿勢のようだ。第2局で受けに回って失敗した森下は、第3局では歩損して攻めるという「らしい」感じでともに勝利を得ている。本局はさらに踏み込んで、桂損で攻めるという構想なのだった。

 それにしても、2図の桂跳ねから3図までが森下の研究通りなのだから驚く。感想戦でそう言ったのを聞いた西川慶二六段(NHK解説)、井上慶太六段らは仰天していた。△6五同桂から△7三角まで16手。必然という風には見えない、かなりひねった進行である。これが事前の研究とは。

 一方の谷川、前2局を不本意な受けに回って失ったので、本局は攻める、と宣言していたが、ここまでもまた受けに回った。しかし、今度は先に桂得しているので、同じ受けでも楽しみが違うようだった。3図から反撃。まずは▲4五歩。この手は森下も予想していて「△3五銀とかわして何事もないとおもっていました」という。だが、ここで谷川の次の一手に気がついて愕然とする。

 4図。中空にぽつんと垂らされた▲6四歩。これが森下の構想を、根底から覆したのだ。

新構想に穴

 2日目の午前中だった。▲6四歩自体は控え室で検討していた有吉道夫九段、淡路仁茂八段も指摘した。ただ、単に▲6四歩ではなくいったん▲8八玉と入ってから狙う方がいいとの意見も。しかし▲8八玉では「何でも△5四歩です」(森下)で、事前研究の術中にはまる。△5四歩~△5五歩~4七歩成の殺到が森下の狙いで、めちゃめちゃに厳しいのだ。すぐに▲6四歩だったので、あてにしていた△5四歩は間に合わない。

 ▲6四歩に△同角なら▲5五桂△4二金引▲6三桂成で、角が死ぬ。▲6四歩で角を近づけないと、▲5五桂△4二金引▲6三桂成に、△8四角と逃げられる。△8四角は△3七銀成▲同金に△5七角成(王手銀取り)を見た逆先になっている。何の支えもない▲6四の一歩が森下の全体重をかけた角を止めた。

 何日もかけて練りに練った新構想△6五同桂に穴があった。衝撃が森下を襲った。感想戦で森下は「▲6四歩で投げようかとも思いました」ともらした。

早い投了

 新幹線を待つ新神戸駅のホーム。森下はまた繰り返した。「小田さんね、この僕がですよ、あれだけ考えて、対局中も念を入れたのに。やはり手はあるんですねえ」

 ▲6四歩以降も、控え室ではまだ形勢は難解と見ていた。4図から△8七歩▲4四桂△8四角▲2五桂のところで△3七銀成と勝負する順も相当。だが、森下にとって本局は▲6四歩で終わっていたのだ。盤側から指摘された手に対し、珍しく「馬鹿馬鹿しくて考えませんでした」など、なげやりとも取れる言葉で応じたりもしていた(明るい態度なので、周囲に不快感はなかった)。

 谷川の攻め、寄せは鋭く見事だった。

(中略)

 森下は△2七歩成で谷川に首を差し出した。控え室の淡路八段は「これでは終わってしまう」。この言葉で騒然となった。

 終局は午後4時5分。竜王戦七番勝負では3番目に早い時刻となった。正念場を乗り切った谷川は打ち上げの後くつろいでゲームに興じ、森下は早めに自室に引き上げた。

 持将棋で始まった今期の竜王戦はついに2勝2敗のタイにもつれ込んだ。後は改めての三番勝負となる。少なくとも年末まではかかる勝負に付き合ってきて、今年は将棋の最前線に立ち合える喜びを実感している。一局一局を見ると本局のように差がつく局が多いのだが、全体を通すと、特長、棋風の違う両者が拮抗して総合力を競うのがわかる。熱戦のシリーズだと思う。

まだ強くなれる

 やはり新幹線のホームで森下「これだけやっててまだわからないということは、将棋が深いんでしょうか。僕は四段になった時より香一本は強くなったと思いますが、あんな手があるということは、これからもまだ香は強くなれるということですよね」。当たり前だが、挑戦者の意欲は萎えていない。

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今朝の記事「谷川浩司竜王(当時)『結局、50手目で研究が外れた私が勝ち、66手目まで研究通りに進んだ森下六段が負ける、という結果となった』」を森下卓六段(当時)の側から見た記事。

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この対局が終わった時点で2勝2敗1持将棋。

しかし、この一局が大きかったのか、ここから森下六段が2連敗して、谷川浩司竜王(当時)が防衛を果たすことになる。