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控え室が騒然となり悲鳴に近い声があちこちで起きた、羽生善治五冠(当時)の妙手

昨日からの続き。

将棋世界2000年12月号、日本経済新聞の松本治人さんの第48期王座戦〔羽生善治王座-藤井猛竜王〕五番勝負第5局観戦記「長き勝負の続き」より。

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3図以下の指し手
△9五歩▲同歩△9六歩▲4六角△9二飛▲4八飛△9七歩成▲5六金△8六歩▲8五桂△8七歩成(4図)

 △9五歩が指された時、藤井は小さく「ウン?」とつぶやき、首を若干前へ突き出したという。今期王座戦の運命を決めた一瞬だった。控え室では「こんな端攻めが間に合うとは思えない」の声が圧倒的。8年ぶりの王座交代を予想する声が最も高まった時でもあった。「自信は全くなかった」と羽生。

 しかし、ここから藤井が崩れていく。

 ▲5六金が、局後に藤井が悔やんだ手である。▲6四歩だったという。△同歩は▲9七香△5五銀▲3七角△6五歩▲5六歩△6六銀▲6五桂△6七銀成▲5三桂成△同金▲4七飛で先手よし。

 従って△6四同角だが、▲同角△同歩▲9七香△8六歩▲同歩△9六歩▲同香△6九角▲7四角で勝負する変化があった。藤井は結局自信が持てず見送ったのだが、羽生も深くは読んでいなかった様子だ。

(中略)

 △8六歩の瞬間も控え室は騒然となった。悲鳴に近い声が、控え室のあちこちで聞かれた。△8七と、と寄れるところを、わざわざ一手余計にかけて、と金を作るのだから、それも当然に見える。

 ところが、これが羽生ならではの妙手。対局者も控え室も予想しない盲点をついた至芸だった。9七と、を残せば△9五飛で、いつでも飛車を自由に活用できる。▲8六同歩と手を戻すのは△同角でいい。

 藤井の態度に今度は変化がなかった。こわい表情のまま、盤面を凝視していたという。「この端攻めで負かされるとは……。△8六歩と突かれてからダメになった」(藤井)。

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4図以下の指し手
▲7三桂成△同桂▲同角成△1五歩▲同歩△1七歩▲同香△2五桂▲2六銀△1七桂成▲同銀△7七と▲2六歩△6七と▲4六馬△4二金上(5図)

 それまで「55対45で藤井か」としていた島八段も「52対48で逆転」と評価を変えた。

(中略)

 ▲4六馬には「一手損しているみたいだ」との評。▲2七銀-▲1八玉を急げばまだ戦えたという。ここで▲5九桂は△8六角▲6七桂△7七角成。△5五香の狙いも残っている。

 △4二金上を見て、藤井にあきらめの様子がうかがえた。と金の攻めが、予想以上に早く、厳しい。

5図以下の指し手
▲8三歩△9五飛▲2五桂△2四銀▲2七銀△8五飛▲9一馬△8九飛成▲3八金△4九銀▲3七馬△5八と▲4七飛△3八銀不成▲同馬△4八金▲同飛△同と▲同馬△7八飛▲3八金△8六角(6図)

▲8三歩を、控え室の棋士たちは一致して最後の敗着と断定した。△9五飛と本譜の順のように指されて、完全な一手パス。まだ▲2七桂といった手の方がよかったようだ。精神的なタフネスさを誇る藤井だが、燃料のガソリンが切れてしまったような展開だった。

 △8六角には「激辛だねえ」といった声があちこちで上がった。△1六歩としても勝てそうな局面だが、角交換で先手の馬を消してしまった方が確実でしかも早い。この手を指して、羽生はトイレに立った。先の△4二金上の時に続く、終盤二度目の離席だった。

6図以下の指し手
▲3七馬△5九角成▲4八香△7九飛成▲4四桂△同歩▲同歩△4九馬▲4三歩成△同金右▲同香成△同金▲7三馬△3八馬▲同銀△3九竜▲3七玉△4九竜右▲4七銀打△同竜▲同玉△4八金(投了図)
まで、126手で羽生王座の勝ち

 ▲4四桂からは形作り。午後10時ちょうど、藤井が駒台に手をやって投了し、羽生は9連覇を達成。

 感想戦は1時間ほどで、仕掛けから△8六歩までを一通り調べて終わった。羽生にホッとした様子はうかがえず、藤井にも残念そうな雰囲気はなかった。局後の打ち上げは、夕方から控え室に詰めていた読売新聞の担当の方に、最後に締めくくりのあいさつをお願いして終了。羽生はすぐ帰宅したが、まだ元気が残っていたのか、藤井は出版社の編集の人達と席を替えて飲んでいたようだ。

(中略)

 以前はほかの戦法も指していた藤井も、最近はほとんど全局を藤井システムで通している。得意戦法を体系的に完成させようと、執念に似た気持ちでいるかのようである。

 羽生にとって、第1局、第3局の敗戦は、今でも心に残っているだろう。防衛後のインタビューで「色々対策を変えてみたけれど、結局決定版はなかった」は本音に近い。戦法の選択の幅は狭められ、これからも苦心を余儀なくされそうだ。

 羽生と違い、藤井は将棋界以外との交際はほとんどないという。その一方、ファン一般からの支持は大変なもので、ネット内などでは羽生すらをも凌ぐのではないかと思わせる。藤井にも、一流の芸術家らしい複雑性が感じられる。知的で冷徹で感情を表にあらわさず、辛らつな批評と機知に富む会話を好み、大胆さと細心さを同時に表現できるこの一種の怪人物が、歴史とともに歩みつつあるスーパースターと世紀末最後の戦いを演じる。

——–

△8六歩が指される直前の局面がA図。

ここから△8六歩が指されれば、指された瞬間は誰でもビックリしてしまうだろう。

解説を聞けば非常に理解できる手だが、閉山した炭鉱に穴を掘りに行くような雰囲気の一手。

このような、ゆっくりしているように見える手ほど、恐ろしい狙いを秘めている場合が多い。

△8六歩から△8七歩成、そしてこのと金は7七→6七→5八→4八と、アラスカの北極海に近い炭鉱からニューヨークのタイムズスクエアへ移動してくるかのような働きをする。

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△8六歩以下入手した歩は、今度は1筋からの端攻めに活かされる。5三にいる角が9筋の端攻めにも1筋の端攻めにも利いている。

藤井陣から見れば、5三の角は悪の司令塔のような存在だ。

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「色々対策を変えてみたけれど、結局決定版はなかった」は、藤井システムに向けられた言葉。

いかにこの時代、藤井システムが猛威を振るっていたかがわかる。

 

 

藤井猛竜王(当時)の矢倉のように重たい振り飛車

将棋世界2000年12月号、日本経済新聞の松本治人さんの第48期王座戦〔羽生善治王座-藤井猛竜王〕五番勝負第5局観戦記「長き勝負の続き」より。

 対局前日、羽生は早めに対局場入りした。夕方に散歩へ出かけた以外はホテルの中で静養を取っていた。一方の藤井は忙しい。まずチェックインした後、将棋会館で開かれている囲碁部の定例会に律儀に参加(藤井は個性派のメンバーぞろいで、まとめ役としての力量が問われる囲碁部幹事を7年間務めている)。仕事の引き継ぎを済ませた後、また対局場へ逆戻りである。途中、二日前に行われたという竜王戦の予想座談会の模様を聞いて、ニヤリとしていた。

 藤井は「竜王戦が始まる直前は、いつも気持ちが高揚してくるけど今年は不思議とない。もう走り始めているから」と言う。逆もまた然りで、こちらもタイトル戦最終局の、一種独特の寂寥感がない。前夜祭で立会人の島朗八段は「芸術品のような今回の王座戦の、あすで終わりと思うと惜しい」とあいさつした。荘重なムードの中で洗練された物言いだったが「来週もまたありますよ」と混ぜっ返す声が出て、一同爆笑のシーンに一変した。対局者は2人ともリラックスして眠れたようだ

(中略)

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1図以下の指し手
▲6七金△5五銀▲4八飛△9四歩▲4五歩△3三角▲9六歩△4二銀▲8八角△6四銀▲6五歩△8八角成▲同飛△7五銀▲7七歩(2図)

 控え室の研究をリードしていたのは島八段と行方六段。さらに勝浦九段、深浦六段らが顔を見せた。1図から▲6五歩の決戦策を、島八段が何通りもサラサラ進めてみせる。次第に検討が活発になってきた。

(中略)

 ▲6七金は決戦回避だが、これで若手棋士の言う「早く駒をぶつけて、力で決着をつけようという羽生さんの狙い」は封じられたことになる。△5五銀で△7六飛▲同金△6七銀は▲6五歩で後手不利。△9四歩は△7五歩▲8五歩の変化の時に△9三桂を用意している。対局室では羽生が前傾姿勢になり、扇子の先を畳の上で目まぐるしく動かしていた。藤井は斜め右に体を曲げ、どんよりした天気の窓外の風景に目をやっていた。ここから手の殺し合いが続く。

 ハッキリした手を指した方が悪くなる。△3三角はある若手によると「本局で一番感動した手」。

(中略)

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2図以下の指し手
△7六銀▲同歩△3三角▲7七角△8二飛▲3三角成△同銀▲7七桂△5三角▲3六歩(3図)

 研究のため姿を見せる棋士はさらに増え、中原永世十段、佐藤九段、神谷七段、鈴木(大)六段ら20人を超えた。4つの継ぎ盤が目まぐるしく動かされ、決戦間近しの雰囲気だった。

 2図から3図へと進む間に「振り飛車ペース」の声が多くなる。羽生の△3三角では単に△8二飛と回り△5三銀を目指す方がよかったらしい。▲7七桂が夕食休憩直後の第一着。羽生は「いつの間にか悪くなっていた」と言う。控え室でも「藤井流の”重たい振り飛車”のペースだな」「矢倉みたいな振り飛車か」といった声が上がった。

(中略)

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(つづく)

——–

この対局はフォーシーズンズホテル椿山荘東京(当時)で行われており、多くの棋士が検討に訪れている。

この時は、王座戦で羽生-藤井戦、続いて竜王戦でも羽生-藤井戦が行われるという流れだった。

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藤井猛九段の振り飛車は、自らも「居飛車感覚の振り飛車」と語っているように、軽妙に捌く振り飛車とは趣を異にする。

居飛車感覚の振り飛車だからこそ、藤井システムが誕生したと言えるだろう。

1図から2図に至るまでが、重たい振り飛車、矢倉みたいな振り飛車の指し回しだ。

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私が昭和のガチガチの振り飛車党だからかもしれないが、振り飛車にした後、先手で言えば飛車を1筋~4筋に振り戻すのは非常に抵抗があってできなかった(だから強くなれない)。

大山康晴十五世名人が、先手居飛車棒銀に対して△7二飛と袖飛車(中飛車や四間飛車から、玉の横や上に飛車を転回する)にしたりすると、「ああぁあ」と少しガッカリした時期もあった。

例えば、三間飛車にしたなら、飛車は3筋(7筋)から動かずに戦い、飛車を3筋(7筋)から成り込んでこそ三間飛車の理想だと思っていた(だから強くなれない)。

ただし、これは私が若い頃のこだわりであり。年齢を経るごとにそのようなこだわりは少なくなってきている。

若くなくなるということは悪いことばかりではない、と思う事例の一つだ。

 

 

三浦弘行五段(当時)が羽生善治七冠からタイトルを奪った日

将棋マガジン1996年10月号、中村修八段(当時)の第67期棋聖戦[羽生善治棋聖-三浦弘行五段]第5局観戦記「夢でも幻でもなく」より。

 羽生七冠王が誕生して以来、棋界の興味は次の一点に集中していた。

”誰が羽生を最初に倒すのか”

 その答えが第67期棋聖戦によってついに出された。2勝2敗のタイスコアで迎えた注目の第5局に、原田泰夫先生と共に立合いで呼ばれた事は幸運と言うしかない。それでは早速本局を振り返ってみたいと思う。

(中略)

 関係者一行は、29日新幹線と車を乗り継いで「高島屋」へと向かった。

 移動中、関係者と和やかに談笑する羽生棋聖はいつも通りのマイペースに見えたが、一方の三浦五段もタイトル戦の雰囲気を心から楽しんでいる様子で、ほぼ3時間笑顔を絶やさず対局場に入った。

”決戦”の第5局は振り駒にいぇ行われる。それまでここ一番では必ずといっていいほど振り駒の女神に微笑まれた羽生棋聖だが、今回は意外にも後手番。三浦五段は緊張からか、少し震えた指で飛車先の歩をつまみ、長い一日が始まった。

 ここで棋聖戦第4局までを振り返ってみたい。第1局は羽生棋聖の先手で相掛かり。途中、棋聖の勘違いがあったようで後手の三浦五段が一方的に攻める展開となり快勝。

 逆に2局目の角換わり棒銀、3局目の相矢倉は羽生棋聖が一方的に攻め切り完勝。ここまで来るとやはり防衛と思えたが、続く第4局は素晴らしい大熱戦だった。角換わり腰掛け銀から両者小ミスはあったものの、秒読みでの正確な指し手には驚かされる。この接戦をものにした三浦五段は大きな自信を得たことだろう。対する羽生棋聖には今までになかったような見落としが目立った。これは過労からくるものなのか、あるいは後輩の挑戦者が続き、読み筋の合わせにくさを感じているのかもしれない。そういえば前夜祭の時に「今期は年下としか指していないんですよ」と言っていたのを思い出した。

 三浦五段の作戦は飛車を深く引く前例の少ない力戦型。研究会などで仲間同士強くなろうとする傾向にある若手棋士の中で、一人だけで一日10時間の勉強を欠かさない三浦五段は異色の存在といえる。

 元々、戦法は選ばない棋風ではあるが、この大一番、天下の七冠王に対して定跡型ではなく、力で来いというのだから気持ちが良い。羽生棋聖も同型で応じ、私自身も期待の膨らむ序盤戦となった。

1図以下の指し手
▲3八銀△3四歩▲2七銀△3三角▲3六銀△2二銀▲6八玉△4二玉▲5八金△6二銀▲9六歩△9四歩▲1六歩△1四歩▲7六歩△8四飛▲6六角(2図)

 前例が少ないといっても後手の羽生棋聖にとっては2局ほど経験のある形で、先手の棒銀にも迷わず△3三角~△2二銀としっかりと受け止めた。ここで産経新聞の奥田記者から三浦五段のお腹の調子が良くないとのこと。この時期だけに一瞬嫌な気もしたが、驚くことはなくどうやら神経性のものらしい。第2局でもそうだったと聞く。何でも普段から対局の時には胃薬など欠かせないそうである。

 七冠王に対して、臆せず立ち向かう対局態度からして、かなりの強心臓かと思えたが、実際は繊細な心の持ち主のようである。薬を飲んで落ち着いたらしく、関係者一同も一安心。局面は難しい序盤戦が続いている。

2図以下の指し手
△同角▲同歩△5二金▲8八銀△6四歩▲7九玉△6三銀▲4五銀△3三銀▲7七銀△7四歩▲5六角(3図)

 ここ岩室温泉「高島屋」は対局場としても有名である。対局室から見える美しい竹林の庭園。そして女将さんをはじめ従業員の方々の行き届いたサービス。対局者にとってこれ以上のことはない。私自身もプライベートか、できれば対局者で是非一度と思わずにはいられなかった。

 2図で▲6六角と出て後手から角を交換させられたため、先手は2手得に成功した。但し、先手の▲4五銀も▲5六銀と戻れば手の損得はなくなる。羽生棋聖の△7四歩で、仮に△4四歩▲5六銀と進めば長い駒組みが続いていただろう。

 三浦五段の▲5六角は、勝てば勝因、負ければ敗因といわれてもおかしくない勝負手。この大一番を左右しかねない一手を僅か14分で指せる度胸が羨ましい。以下はこの角が働くかどうかが最大のポイントとなってきた。

3図以下の指し手
△7五歩▲同歩△6五歩▲同歩△7三桂▲6七金右△9五歩▲同歩△4九角(4図)

 羽生棋聖の△7五歩に突然の大長考。▲1五歩を中心に読んでいたそうだが、以下△同歩▲1二歩△同香▲3四銀△同銀▲同角△4九角▲2四歩△3三金で難解な形勢といえる。

 飛車の横利きが通ってみると、4五銀は動けず、困ったようだが△4四歩には▲3四銀と前に進めるため追い返される心配はない。もっとも△4四歩に▲3六銀と引く一手の局面になれば間違いなく後手が勝つ。

 端を突き捨てたところで夕食休憩。△9七歩ぐらいかと見ていたら、ぼんやりと△4九角。

 どちらの角に軍配が上がるのか。

4図以下の指し手
▲4六歩△4四歩▲3四銀△同銀▲同角△6五桂▲6六銀△9八歩▲同香△7六銀(5図)

 三浦五段の▲4六歩をみて膠着状態が続くかと思えば一転して羽生棋聖は動いた。△4四歩は相手の攻め駒を呼び込むだけに怖い手である。

 しかし、七冠王の貫禄からか、5図の△7六銀まで進んでみると、”肉を切らせて骨を断つ”好手に思え、羽生優勢という空気が控え室全体を包んでいった。

5図以下の指し手
▲同金△同角成▲6四歩(6図)

 局面は一気に終盤戦に流れ込んだ。

 控え室のモニターで指し手を見ている面々にも自然と力が入ってくる。5図の△7六銀に平凡な▲同金△同角成▲6七銀では、以下△8七馬▲8五歩△同飛▲7六銀打△8八金▲同金△同馬▲同飛△6九金で寄りとなる。

 防衛濃厚という雰囲気の中、突然大きな打ち上げ花火の音が飛び込んで来た。何でも町の夏祭りと重なったらしく、こればかりは七冠王でも止めることはできない。対局室への影響が心配されたが、旅館側もこの日のために防音窓に変えてくれたそうで対局者には聞こえなかったらしい。

 花火以上に驚いたのは6図の▲6四歩。銀取りを放置して絶妙のタイミングで打たれたこの一手に羽生棋聖はしびれたのである。

6図以下の指し手
△7七歩▲同桂△6四銀▲6七銀△7七桂成▲同金△同馬▲同銀△6五桂▲8六銀△5七桂成▲7六桂△4三金打▲同角成△同金左▲6八歩△7七歩▲8九銀△6七成桂▲同歩△3九角(7図)

 6図の▲6四歩に対して△同銀には▲6七銀と打ち、以下△8七馬▲同金△同飛成▲5二角成△同玉▲9六角と強引に王手竜取りを掛けて先手良し。後手陣は飛車に弱い陣形なのだ。また、▲6四歩に△6六馬と銀を取り合う手は、▲6三歩成△同金▲5二銀が詰めろとなりやはり先手がいい。

 ▲6四歩の切り返しを境にして控え室の空気も変わり始めてきた。研究すればするほど三浦良しの変化が出てくるからである。戻って△9八歩~△7六銀と攻めたところでは、△4五歩と角取りに突き、以下▲6四歩△同飛▲4五角△8六歩▲同歩△8七歩などと複雑に指すべきだったらしい。

 本局も羽生棋聖らしからぬ見落としが出てしまった。しかし、将棋は三浦有利でも勝負はこれからだ。ましてや、相手は羽生である。

 見落としのショックで自滅する人間にはタイトルは取れない。本局でも羽生は苦しみながら最善手を見つけてきた。

 後手の銀取りに構わず△7七歩。以下▲6三歩成は△7八歩成▲同飛△8七馬▲5二と△3三玉で後手の勝ち。

 ぎりぎりの利かしを入れて△6四銀と手を戻す。先手有利に見えるが差は少ない。三浦五段待望の▲7六桂に△4三金打がしぶとい一着で形勢はハッキリしない。後手△4三同金左のところで形良く△同金右と取ると▲8四桂△6七桂成▲8二飛の王手で負けてしまう。

 いつの間にか控え室は東京からの各新聞記者の方々でいっぱいになっていた。皆の関心は一点に集中している。▲8九銀と受けたところで、ついに三浦五段は1分将棋となった。

 続いて羽生棋聖も△3九角(7図)で秒読みが始まった。

7図以下の指し手
▲2三飛成△5七角成▲6八金△7八銀▲同銀△同歩成▲同玉△8九銀▲7七玉△7五銀▲8四桂△8六銀▲同歩△7六歩▲8七玉△8四馬▲3四桂(投了図)  
まで、105手で三浦五段の勝ち

 羽生棋聖にとって最大のチャンスは7図の△3九角で△6六歩と打つ手だった。以下▲同歩なら本譜の様に進めて▲6八金に△6七銀が利く。

 また、△6六歩に対して攻防に利く▲5六角には、以下△5七角▲6八桂△6七歩成▲同角△6六角成▲2三角成△3三金でこれも後手が面白い変化だった。

 本譜は▲6八金と受けられて少し足りない形である。途中、△8九銀にうっかり▲6九玉と引くと△8六飛と切られ、▲同歩は△7八銀打で詰み。▲5七金にも△7六飛で逆転模様だが、三浦五段は間違えることなく▲7七玉と立ち勝負は終わった。

 投了図以降は△5一玉には▲8一飛の王手馬取りまで。また、△同金には▲4三銀△同金▲3二飛以下の簡単な詰みとなる。

 約1時間の感想戦の後、場所を移して新棋聖の共同インタビューが始まった。そしてその後、異例ともいえる敗者へのインタビューも同じく行われた。

 これまで圧倒的な強さで隙を見せることなく勝ち続けてきた羽生六冠王だが、今回少しイメージが変わって来た。何れにせよ羽生六冠王の正念場はここからである。休みなく続く防衛戦をどう戦って行くのか興味は尽きない。(傍観者になってはいけないが)

 話は前日に戻るが、前夜祭を終え、対局者が8時過ぎに自室に戻った後、二次会にておいしい日本酒をたくさん頂いた。そろそろ寝ようかと思った12時過ぎ廊下に出ると、そこに三浦君が立っていた。「冷房の音が気になって」係の人と部屋へ行ってみると、換気扇の音らしく、これも止めようがない。そこで布団を大広間から継ぎの間に移動させて何とか眠れたという。

 対局終了後、新棋聖を囲んで麻雀を少ししたが、彼は「昨日はすみません。寝ぼけていたみたいです」と言う。「こちらも酔っていたので朝あれは夢かと思ったよ」と言いながら私は同時に思った。今回、羽生が負けたという事実は夢でも幻でもなく、私にとって忘れられない出来事になるだろうと。

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1996年7月30日が、三浦弘行棋聖誕生の日。

当時はひねり飛車が多く指されていたので、1図のように飛車先交換後、2八まで飛車を引く例は少なかった。

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6図の▲6四歩が絵に描いたような絶妙手。

今ならコンピュータソフトが考えたような手と言われてしまうのだろうか。

それではあまりにもつまらない世の中だ。

棋士同士、お互いの信頼感だけは持ち続けていてほしいと思う。

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今日、2月13日は三浦弘行九段の誕生日で、2月14日は羽生善治七冠誕生の日。

そして今日は、三浦九段の復帰第一戦となる竜王戦1組、羽生善治三冠-三浦弘行九段戦が行われる。

ニコ生の解説は、今日取り上げた観戦記の筆者でもある中村修九段。

前回も書いたことだが、勝敗を超越した素晴らしいドラマが生まれるような気がしてならない。

 

 

大山康晴十五世名人「あんたたち、麻雀強いでしょ、お酒も相当やるんじゃない?」

将棋世界1981年9月号、能智映さんの第22期王位戦〔中原誠王位-大山康晴王将〕第1局観戦記「終盤の大逆転劇」より。

 大山は昨夜の麻雀の話をしながら駒を進める。得意の四間飛車だ。中原の9六歩に端を受けずに7一玉。ここで手が止まった。熟慮31分、意を決して9五歩と詰める。以後中原陣は俗にいう四枚高美濃に、大山陣は高美濃(1図)になっていく。

 ふらっと大山が控え室に現れたとき、タイミングよくテレビ局から「どんな駒組みですか?」の問い合わせの電話。私が「銀冠」と答えると、「いや、高美濃ですよ」と大山。

「西と東では表現が違うんですよ。シルコとゼンザイみたいにね」に、みなわかったような、わからぬような顔をしてうなずく。

 板谷進八段は繁華街の西武デパートの前で大盤解説だ。ちょっと見に行ったが、猛烈に暑い。しかも丑の日とあって隣でウナギの蒲焼きの大売り出しをやっている。その煙が風の具合で大盤の前を漂う。それでもやり過ごすのが板谷流。「1年分のウナギの匂いをかいじゃったよ」と満足げだからおかしい。

 時々、控え室に現れる大山、ホテルの担当者二人をつかまえて「あんたたち、麻雀強いでしょ、お酒も相当やるんじゃない?」と真顔で聞いている。その二人の名札を見ると「北村」「芹沢」と書いてあった。偶然なのだが、変な取り合わせだ。

 夕食後は、誰がいい出したか妙な麻雀遊び。中原は仲間に入り、大山はニコニコ笑って見ている。10時すぎに二人は消えた。

(以下略)

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タイトル戦一日目、昨日の麻雀の話をしながら指している大山康晴十五世名人の姿がいかにも昭和で嬉しい。

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昔の関西では銀冠のことを高美濃と読んでいたとすると、高美濃は普通に美濃囲いと呼ばれていたのだと思う。つまり、片美濃も銀美濃もダイヤモンド美濃もすべて「美濃囲い」。

3八に銀、4九に金、2八に玉(7二に銀、6一に金、8二に玉)があればとにかく美濃囲い。

この辺のざっくりとした感覚が、古き良き時代の振り飛車の感覚そのものなのだろう。

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「美空」「五木」のような名札なら「あんたたち、歌うまいでしょ」と言われても通じると思うが、「北村」「芹沢」の名札で「あんたたち、麻雀強いでしょ、お酒も相当やるんじゃない?」と突然言われればポカンとするしかなかっただろう。

しかし、このようなところが大山流の人心掌握術のとっかかりのようにも思える。

 

 

行方尚史六段(当時)「なんだか余計ひどくなっちゃったっす」

将棋世界2001年9月号、椎名龍一さんの第20回早指し新鋭戦決勝〔深浦康市六段-行方尚史六段〕観戦記「胸を打った投了シーン」より。

「決勝戦の観戦記を書く」という立場からすると、主役は優勝した深浦でなければならない。一歩譲っても両対局者を五分に見て、傍観者としての立場を貫かねばならないところであろう。

 ところが僕はその王道を踏み外し、今回はどうも行方を中心とした観戦記を書いてしまいそうなのだ。これが混乱と悩みを引き起こしている原因なのだが、この日の行方があまりにもオモシロかったので、とりあえずその路線で書いてしまおうと心に決めた。決めたのだ。

 まず、控え室に現れた行方を見て「ハッ」としてしまった。日頃愛用しているコンタクトレンズではなく、ラグビーボールを二つ並べたような、鼈甲色のフレームの眼鏡を着用してきたからだ。

 パッと見た目には縄文時代に作られた土偶のような雰囲気なのである。

 この眼鏡着用には訳があった。実はこの対局の前々日に、行方は「暑苦しい」という理由により髪の毛を自分でカットする、という冒険に出ていたのだが、右と左の長さを揃えているうちにいつの間にやら短く切り過ぎてしまったのだそうだ。しかもガタガタに…。このヘアースタイルでのテレビ出演はまずいと思い、対局日の午前中に床屋へ駆け込んで整髪してもらったそうなのだが、「それが新入りの人に当たっちゃったみたいで、なんだか余計ひどくなっちゃったっす」と行方。派手な眼鏡は髪型に視聴者の目を向けさせないためのカムフラージュというわけである。

 深浦はいつも掛けているフレームレスの落ち着いた雰囲気の眼鏡。行方の眼鏡を「サイケな前衛ミュージシャン風」とすれば、深浦の眼鏡は「オーケストラのバイオリニスト風」という感じでとても対照的だ。その眼鏡のレンズを対局開始10分前にティッシュペーパーで念入りに磨き、気合いを入れた深浦だった。

(以下略)

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将棋世界のこの号のグラビアに、行方尚史六段(当時)の当日の写真が載っている。

中野伴水さん撮影の写真の一部

たしかに、行方六段には見えない。

メガネの影響がかなり大きいのではないかと思う。

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髪型が大きく変わっているけれども、それ以外は変わっていないケースも見てみたい。

この写真は、1989年の週刊将棋に載ったもの。

この時の羽生善治三冠は、何かの理由でスポーツ刈りにしたあと髪の毛が伸びた状態。

髪の毛は著しくイメージと違うが、どう見ても羽生三冠の若い頃だ。

こうやって考えると、変装をするなら、髪型を変えるよりもメガネに工夫を凝らした方が効果的、という結論が導き出されるように思える。