「観戦記」カテゴリーアーカイブ

清水市代女流王位(当時)「今は胃腸(いちよ)の調子が悪いので…」

将棋世界2004年12月号、野村隆さんの第15期女流王位戦五番勝負〔清水市代女流王位-矢内理絵子女流四段〕第2局観戦記「急転直下の結末」より。

 投了寸前の局面から清水が大逆転。またしても矢内は好局を落としてしまった。逆に見れば第1局に続き清水の精神力が光る一局だった。

 日本酒が好きだと言う清水は普段、局後の打ち上げでは1合ほど飲むこともあるそうだが「今は胃腸(いちよ)の調子が悪いので…」とこの日はノンアルコール。

 打ち上げ後のカラオケの席には途中から矢内も顔を見せて、ちあきなおみの「喝采」、中島みゆきの「ひとり上手」などをハスキーボイスで熱唱。「ジャズシンガー向きの声だ」と関係者のあいだで評判だった。

(以下略)

* * * * *

「胃腸(いちよ)の調子が悪いので」は、なかなか思いつかない鋭い手筋だが、清水市代女流六段ならどのような時にも使えるネタだ。

* * * * *

ちあきなおみさんの「喝采」は、1972年の日本レコード大賞受賞曲で、矢内理絵子女流四段(当時)が生まれる8年前の曲。

対局場は有馬温泉、矢内女流四段の選曲が渋い。

* * * * *

ちあきなおみさんは、1992年に夫の郷鍈治さんが亡くなってから、芸能活動を休止している。

* * * * *

1978年だったか1979年、東京・広尾(住所は南麻布)に、結婚したばかりのちあきなおみさんと郷鍈治さんが経営する喫茶店ができた。

大学へ通う時の最寄り駅の至近距離にあったので、二度ほど一人で入った記憶がある。

郷鍈治さんは宍戸錠さんの弟で、格好の良い悪役が似合う俳優だった。

郷鍈治さんがマスターをしており、やはり、初めて入った時は(あ、テレビで見た通りの顔だ)と思ったものだった。

* * * * *

芸能人も棋士も、初めて会った時は、意識しなくても深層心理で(あ、テレビで見た通りの顔だ)と思っているもの。

初めて生で見た時に、テレビで見るよりもずっと実物のほうが格好いいと思うケースもあり、個人的にはその代表例が、1984年の歌手の岩崎宏美さん、2003年の佐藤康光九段、2005年の中井広恵女流六段だった。

 

「1億と3手読むという呼び名は伊達ではなかった」と言われた佐藤康光棋聖(当時)の読み

将棋世界2004年7月号、滝澤修司さんの第22回朝日オープン将棋選手権決勝〔深浦康市選手権者-羽生善治名人〕五番勝負第4局観戦記「波乱 激闘 そして・・・・」より。

 今期の朝日オープン選手権の第1局から第3局まではすべて横歩取り△8五飛戦法。第4局も当然△8五飛戦法が予想されたが……。

「1回ちょっとやってみたかった」という羽生の誘導で後手番一手損角換わりに進行。

(中略)

8図以下の指し手
△8七歩▲7八玉△6九銀▲6八玉△7六桂▲同金△5八馬▲7七玉△8八銀▲8七玉△8四飛▲8五角(9図)

 8図を前に控え室で検討していた佐藤康光棋聖の目が光る。先手玉が詰んでいると言うのだ。△7六桂▲9八玉△9七銀▲同桂△8八桂成▲同玉△8七歩▲9八玉△8九銀▲8七玉△8六角成▲8八玉△9七馬▲同玉△8五桂▲8八玉△7七金▲8九玉△9七桂不成▲9八玉△7六馬▲9七玉△8七馬までである。

 流石、「1億と3手読む」という呼び名は伊達ではなかった。

 途中の△8八桂成が作ったような妙着で、単に△8九銀▲8七玉に△8六角成は▲同玉と取られ、7六の桂が邪魔駒(△7六金と打てない)で詰まない。

 感想戦で佐藤はこの手順を披露し「念のためコンピュータにかけられてしまいました」と苦笑まじりに話した。

 その瞬間、羽生は背を後ろに傾け、仰け反りそうになりながら「えっ、えっ~まったく考えなかったな。ひどいな~」とこちらも苦笑を返した。

 本譜は△8七歩から入ったため、詰みそうで詰まないのだ。

9図以下の指し手
△7六馬▲同玉△7五歩▲6七玉△6六歩▲6八玉(投了図)
まで、123手で深浦朝日選手権者の勝ち。

 9図の▲8五角が絶妙の合駒。歩ではいけないのだ。その理由は投了図を見て頂きたい。角が遠く5八の地点に利いていて△5八金の詰みを逃れている。

「角合いで勝ちだと思いました」としばし無言の後、搾り出すような声で語った深浦。しばしの無言が戦いの激しさを物語っていた。

 本局は二転、三転した大熱戦。両者の読みが激しくぶつかった。

 最後に深浦が優ったもの。それは「最終局まで指すことが当初からの目標でした」という執念だったような気がしてならない。

* * * * *

「1回ちょっとやってみたかった」が羽生善治竜王らしいところ。

この時の羽生名人(当時)の後手番一手損角換わりは、手詰まりの局面にして手損が関係ない世界にしてしまおうという指し方だった。

* * * * *

「えっ、えっ~」も羽生竜王が本当にビックリした時によく言いそうな印象の言葉。

* * * * *

「流石、1億と3手読むという呼び名は伊達ではなかった」と書く気持ちが痛いほどわかる、佐藤康光棋聖(当時)の読み。

23手詰めだが、かなり難易度が高い詰み手順だ。そもそも、羽生名人が気がつかなかった手順なのだから、凄い。

* * * * *

ページを読み進めていくと、次の記事もあった。

将棋世界同じ号の山本真也四段(当時)の「関西将棋レポート」より。

 この日は朝日オープン五番勝負の第4局が静岡県で指されていて、関西会館の控え室でも研究していた。神崎七段や、大盤解説のために来ていた小林(裕)五段などで検討していた。白熱の終盤戦が続く中、8図の局面で深浦玉に詰みがあるかどうか皆で調べていた。

 だがどうも詰まないので、誰かが「羽生さんツイてないねえ」などと言っていたら、奨励会三段の津山君が「△7六桂で詰みますよ」と言った。△7六桂▲9八玉△9七銀▲同桂△8八桂成!▲同玉△8七歩以下長手順だがまるで詰将棋のように華麗に詰む。するとまた誰かが今度は「羽生さんはやっぱり強い星の下に生まれてるんだねえ」と呟いた。だがさすがの羽生名人も時間に追われて発見できなかった。しかし、こんなに綺麗に詰むのは滅多にあるものではない。津山君、良く手が見えてるねえ。

* * * * *

津山慎吾三段(当時)はこの2年後に年齢制限で奨励会を退会することになる。

津山三段もこの局面について1億3手読めていたわけで、プロになるのがいかに大変かがわかる。

師匠の想い

 

佐藤康光棋聖(当時)の名人戦観戦記

将棋世界2004年7月号、佐藤康光棋聖(当時)の第62期名人戦第3局〔森内俊之竜王-羽生善治名人〕観戦記「完璧な名人」より。

 二冠同士の頂上決戦となった今期名人戦。羽生名人と森内竜王。昨年からタイトル戦を戦い続けているゴールデンカードとなった。フタを開けてみると森内竜王の連勝。竜王戦、王将戦の勢いが続いている感じである。

 早い投了が話題になった第1局。羽生名人らしい潔さだがこの一局は森内竜王にとって大きい勝利と思った。

 続いて一日目から激しい将棋となった第2局。

(中略)

 連敗となった羽生名人だがここ迄特別な森内対策、大いなる自己改革といった感じはない。正に王道を悠然と進む様は一局一局、プロになって約20年の長きにわたる積み重ねによる自信を感じる。恐らくこれからも特別な変化はなく、あくまで自分の道を突き進むのであろう。その揺るぎない自信と将棋に対する姿勢は正に皆が見習うべきものであろう。

 森内竜王の充実ぶりは素晴らしい。30を過ぎて一段と強くなったと皆感じている。これは大変な事でこちらは絶え間ない自己改革の結果と見る。それだけ自分というもの、将棋というものを人一倍大事にしてきたからこそ今があるのだろう。これも又、トッププロを目指す者ならば見習うべきことである。

 そしてこの第3局。羽生名人にとってはほとんどカド番に近い。正に一つの正念場ともいえる一局でどんな将棋を見せてくれるのか。マスコミはいろいろと騒ぎ立てるが当人達にとってはそんな事はどうでも良い。誰もが畏敬の念を抱き、また夢を見る名人戦というこれ以上ない最高の舞台で二人が新たな素晴らしい歴史を作って行く。

(中略)

 再開後、森内竜王が難しい顔で考えていて羽生名人は普段通りか、と思ったが15時を過ぎた頃は逆に。そして封じ手近辺ではどちらも険しい顔になっていた。既にここで読み切ろうとしているのか。否、そうではない。一手一手時間をかけながら将棋のもつ無限の可能性を探求している。また深さに悩み感動もしている。この長考とは迷っているのではない。推考を重ねることで自分の血となり肉となっていく。今日は一枚の白い紙からどのような絵を描いていこうか。前局と違い名人戦らしいペースで進み、2図で一日目終了。17時30分、封じ手宣告を受けた森内竜王はすぐに封じた。

(以下略)

* * * * *

封じ手局面の2図。このような序盤の局面で両者が険しい顔で長考を重ねるというのだから、壮絶であるとともに奥が深い。

封じ手は△5四銀だった。

* * * * *

「一手一手時間をかけながら将棋のもつ無限の可能性を探求している。また深さに悩み感動もしている。この長考とは迷っているのではない。推考を重ねることで自分の血となり肉となっていく。今日は一枚の白い紙からどのような絵を描いていこうか」

名人は名人を知る。

佐藤康光棋聖(当時)の言葉が冴える。

 

谷川浩司王位(当時)「淡路には三浦ファンが多いという」

将棋世界2003年8月号、谷川浩司王位(当時)の第74期棋聖戦五番勝負〔佐藤康光棋聖-丸山忠久棋王〕第2局観戦記「打開する意思」より。

 震災からの復興を祈念して1996年から始まった淡路での棋聖戦も、今年で8回目となる。

 第1回は、七冠を達成したばかりの羽生棋聖に三浦五段が、前年に続いて挑戦したシリーズ。ここでの第1局に快勝した三浦五段が3勝2敗でタイトルを獲得。七冠の一角を崩す。三浦棋聖が賞金の一部を寄付した事も、地元の将棋熱を盛り上げる理由となり、淡路には三浦ファンが多いという。

 2000年、谷川-羽生戦の第1局がちょうど通算100局目に当たるなど、数多くの舞台を演出しているが、正直言ってここでの対局は何故か一方的になる事が多い。

 実力派同士の今シリーズ。名局を期待しながら朝早く神戸を出た。

 二人の対戦成績はここまで20勝12敗。2000年の名人戦、フルセットで丸山奪取のイメージが強いが、実は佐藤がかなり勝ち越している。

 この七番勝負では、佐藤先手の1・3・5局は横歩取り。丸山先手の2・4・6・7局は角換わり。スペシャリストの丸山に相手の得意を避けない佐藤が真っ向からぶつかった。

 番勝負で丸山の角換りを全局受けて立つ棋士は佐藤の他には、郷田くらいしか思い浮かばない。負けはしたが、佐藤の真骨頂とも言えるシリーズだった。

(以下略)

* * * * *

1995年1月に起きた阪神・淡路大震災。大震災からの復興と活性化を目指した地元からの誘致がきっかけで、1996年6月18日、淡路島のホテルニューアワジでの第67期棋聖戦五番勝負第1局 羽生善治棋聖-三浦弘行五段戦が実現されることとなった。

この五番勝負で羽生善治七冠(当時)を破った三浦弘行棋聖(当時)は、棋聖戦の賞金の中から100万円を兵庫県洲本市に寄付している。

羽生善治七冠と三浦弘行五段のホテルニューアワジ決戦

* * * * *

阪神・淡路大震災が起きた1995年1月17日早朝は、三浦弘行四段(当時)は順位戦の対局のため大阪のホテルにいた。

三浦弘行四段(当時)「2週連続の順位戦」

* * * * *

谷川浩司王位(当時)は結びで次のように書いている。

 佐藤連勝。淡路で棋聖戦が始まってから誰も果たしていない、タイトル防衛まで後1勝とした。

調べてみると、たしかに1996年から2002年まで、棋聖戦は全て挑戦者が勝っている。

しかし、2003年以降は佐藤康光棋聖が5回防衛(在位連続6期)、羽生善治棋聖が9回防衛中(在位連続10期)と、非常に安定した流れとなっている。

 

18歳の豊川孝弘二段(当時)

将棋マガジン1985年12月号、ジェームス三木さんのジュニア・チャンピオン戦〔豊川孝弘二段-高徳昌毅二段〕観戦記「静(豊川)と動(高徳)の対決、”動”に凱歌」より。

 全くの素人に観戦記を書けという。思わずにっこりしたが、すぐ不安になった。私は無類の将棋好きだが、棋力は町道場の初段程度である。かつてNHKの銀河テレビ小説「煙が目にしみる」で、年齢制限と闘う奨励会員の苦しみを書いたことがある。それでお声がかかったのだろう。あのときは青野照市七段(当時)のお世話で、鈴木英春三段、武市三郎三段(当時)に取材させて貰った。まあ何とかなるだろう。こんなチャンスを見逃す手はない。

 10月4日1時半、なつかしい将棋会館に到着すると、玄関で編集部のW氏が待っていてくれた。この日は順位戦や新人王決定戦などで対局室がなく、ジュニア・チャンピオン戦は鳩森神社の広間で行うという。私は少し不満だったが、行って見ると立派な庭つきの大きな和室であった。床の間に、はじけた南天が活けてある。別の部屋で詩吟の稽古をしている声が流れ、なかなか風流なBGMとなっている。

 既に力強く駒をならべはじめていた対局者を、W氏が紹介してくれた。上座の高徳二段は23歳、二上九段門下で、風貌がなんとなく谷川前名人に似ている。東京出身のアパート住まい、連盟野球部のレギュラー選手だそうだ。一方の豊川二段は18歳、関屋六段門下で、端正な横顔が巨人の原選手を思わせる。こちらも東京出身で自宅から通っている。ゆうべは王座戦の記録係をつとめたそうだ。

 ちなみにこの対局の賞金は5万円、米長スポンサーはほんとにえらい。ただし私は米長さんに貸しがある。首相官邸の文化人パーティーでしつこく頼まれ、加賀まりこを紹介してあげたのだ。

(以下略)

* * * * *

このジュニア・チャンピオン戦は、米長邦雄十段(当時)が企画しスポンサーとなって開催されたもの。

画期的だった奨励会特別選抜戦

* * * * *

ジェームス三木さんは脚本家。

銀河テレビ小説『煙が目にしみる』は1981年にNHKで放送されており、主演は故・川谷拓三さんだった。

銀河テレビ小説『煙が目にしみる』(NHKアーカイブス)

この観戦記が書かれた1985年は、ジェームス三木さん脚本の連続テレビ小説『澪つくし』が放送された年で、視聴率55%を記録している。

さらに1987年、大河ドラマ『独眼竜政宗』を大ヒットさせ、大河ドラマ史上1位の視聴率を獲得している。

* * * * *

豊川孝弘二段(当時)が巨人の原辰徳選手を思わせる、と書かれているが、似ているかどうかは当時の写真からだけでは何とも言えないところがあるが、端正な雰囲気であったのは間違いない。

豊川孝弘二段(当時)。将棋マガジン同じ号より。撮影は弦巻勝さん。