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升田幸三実力制第四代名人が最後に公の場に姿を現した時

将棋マガジン1991年5月号、朝日新聞の谷口牧夫さんの第9回全日本プロトーナメント決勝五番勝負第1局〔森下卓六段-桐山清澄九段〕観戦記「森下先勝、桐山の穴グマを崩す」より。

将棋マガジン同じ号より。

 ことしの決勝は桐山清澄九段と森下卓六段の顔合わせ。この二人が128人の全棋士が参加した大トーナメントの頂点を目指す。今回は三番勝負から五番勝負に衣替えして、優勝賞金は昨年のほぼ倍増の1,500万円。

(中略)

 翌3月1日、朝7時40分ごろ、地震で揺さぶられた。発表は震度2とのことだったが、窓ガラスがびりびり鳴って震度4ぐらいに感じた。朝食のとき、森下「あれは地震だったんですか。突風が吹いたのかなとも思って……」。

 羽沢ガーデンは元満鉄総裁の別邸として建てられた屋敷。「建物にも年季がはいっていますから」と中居さんが笑った。外は風が強かった。

(中略)

 桐山は第1回の優勝者。準決勝で谷川浩司竜王を破って8年ぶりに決勝へ。前夜、「休養十分でしょう」のあいさつに、下を向いて笑った。

 森下は、羽生善治前竜王を下して初の決勝進出。それまで、2勝7敗と羽生にはひどい目に遭わされていた。勝った日はさすがにうれしそうで、「久しぶりに焼き肉を食べにいきましょうか」という話になった。しかし若手軍団が待っていたので当方は遠慮した。白頭を悲しむ翁がついていっても面白くないだろう。

(中略)

 お昼前、「サラダ記念日」でおなじみの俵万智さんが、父親好夫さんと一緒に現れた。小柄で明るい感じ。好夫さんが将棋好きという。

(中略)

 午後2時ごろ、升田幸三実力制第四代名人が静尾夫人の付き添いで姿を見せた。こちらも羽織はかま。羽沢ガーデンは同名人の古戦場だ。ここ3年ほど、決勝戦では必ず現れる。足が少し不自由。特別に用意されたいすに腰かけて、悠然と継ぎ盤をのぞく。昔の他を圧する豪放さは消えて、円くなった感じ。

「玉がこんな端っこにいって、昔なら破門だね」とにやり。もうひとつ、「穴グマはよくないね。駒の働きの範囲をせばめる」

(中略)

 森雞二九段、小野修一七段、沼春雄五段らプロ勢にアマ棋客も交じって、にぎやかさの頂点に達していた。俵万智さんは、「こんどは将棋の歌をつくってみます」と言い残して帰って行った。「将棋はあまり分からないけれど、こういう雰囲気は好きですね」。また、どうぞ。

(中略)

 升田幸三第四代名人は、”命の水”(焼酎)を含みながら、静かに継ぎ盤を観戦。将棋については何も発言がなかった。桐山九段は弟子である。

「小学校5年のとき家にきたが、1年はいなかったね。おとなしくて何も言わんかったので、こっちもよう分からんかった」。そう言いながら、弟子の成長には、目を細めている感じだった。大勢を見極めると、そっとご帰還になった。

(以下略)

将棋マガジン同じ号より。

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全日本プロトーナメント決勝五番勝負の第1局は、東京・広尾にあった羽沢ガーデンで行われるのが定番だった。

この前々年の谷川浩司名人-森内俊之四段戦では、升田幸三実力制第四代名人は森内四段優勢の場面で、「名人がC級2組に負けちゃいかん」の一言を残し帰っている。

升田実力制第四代名人と親しかった故・京須行男八段の孫である森内四段の応援の意味も込められていたという。

谷川浩司名人(当時)の隣に座った受験生の少女

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一番上の写真では、俵万智さん、記録係の藤井猛三段(当時)が確認できる。

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「穴グマはよくないね。駒の働きの範囲をせばめる」

これは、堅さよりもバランス重視の現代将棋の潮流を見事に言い表している。

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升田実力制第四代名人は、この約1ヵ月後の4月5日に亡くなっている。

この時が、公の場に最後に姿を現した時だった。

 

羽生善治前竜王(当時)の無冠返上を決めた▲4四角

将棋世界1991年5月号、沼春雄五段(当時)の第16期棋王戦五番勝負第4局〔羽生善治前竜王-南芳一棋王〕観戦記「一流の証明」より。

将棋世界同じ号、棋王位奪取を決めた直後。撮影は弦巻勝さん。

 南芳一棋王に羽生善治前竜王が挑戦した第16期棋王戦五番勝負は、公開対局となった第1局に逆転勝ちを収めた羽生が連勝し、南をカド番に追い込んだ。

 羽生も竜王戦での敗退は相当な痛手だったと思われるが、すぐに立ち直って次のターゲットをこの棋王戦にしぼり、五番勝負に姿を現すあたり、さすが並の新鋭ではない。

 ただ新潟での第3局ではカド番を意識したのだろう、途中からの指し手が伸びなかった。

(中略)

 第4局は3月18日に行われた。

 この間、南は米長に3連勝して王将位復位を決めるなど、冬に強い地蔵流の本領を発揮し始めていた。

 第4局羽生負けで2勝2敗となっては南に追い上げの利が残る。

 羽生にとっては背水の陣であった。

 本局は対局場所が東京将棋会館という事もあって、控え室は中原名人、米長九段、高橋九段、塚田八段ら多数の棋士達が詰めかけていた。

(中略)

5図以下の指し手
▲7二飛△3二歩▲4四角(6図)

 5図で平凡な▲7二飛△3二歩▲7六飛成は△5五角▲7七歩△2八角成で先手駒損の上△3八飛などが残って先手がいけない。

 といって後手からは△5五角や△6七銀など厳しい手が多い。

 控え室でも、勝負は最終局か、という雰囲気になってきたが、そんな時、中原名人が”角を出る手がある”と言った。

 えっ、と皆が色めき立つ。この角が使えては完全に逆転だ。

 そして変化を調べている時にモニターテレビに▲4四角が映し出され”ヤッター”と騒然となった。

 6図は前の▲5四歩の効果で次に▲3一銀△同玉▲4二金△同銀▲同飛成△同玉▲5三歩成とする詰めろとなっているし、△4四同銀は▲3四桂△同金▲3一銀でこれも詰む。

 そして後手からの△5五角も消え、適当な手がない。

 絶妙の▲4四角。

 まさにミラクルの名にふさわしい終盤術であった。

(中略)

 南にとって痛恨の失着というべきなのだろうが、おそらく南は6図の▲4四角がよほどショックだったのだろう。

 そして南も羽生の終盤力を信用したため、ここではあきらめが先に立ち、勝ち筋を読む気力がわかなかったのだ。

 しかし南ほどの者の信用を得られるとは。

 まさに羽生にとって一流の証明といえるだろう。

 ともあれ不調といわれた平成2年度だったが、冬に強い南を相手の棋王獲得は立派の一言である。

 来期の羽生の成長と活躍が楽しみである。

「最近では珍しく、ハブニラミもとんだ」とキャプションがついている。将棋世界同じ号、撮影は弦巻勝さん。

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6図の▲4四角が、あまりにも鮮やかだ。

このような手が出ると、ドラマのクライマックスを迎えたような雰囲気になる。

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羽生善治前竜王(当時)は、3ヵ月3週間で無冠を返上。

この日以来、2018年12月までの27年9ヵ月間、羽生九段はタイトルを絶え間なく保持し続けることになる。

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羽生七冠誕生へのスパートは、この翌々期、1992年度から始まる。

1992年度獲得…王座、竜王
1993年度獲得…棋聖、王位、(竜王失冠)
1994年度獲得…名人、(竜王復位)
1995年度獲得…王将

 

先崎学五段(当時)「羽生君に勝ったのはちょっと嬉しかった。羽生君は前にこの棋戦で優勝しているので僕も優勝したい」

将棋世界1991年5月号、中野隆義さんの第40回NHK杯争奪戦決勝〔先崎学五段-南芳一棋王〕観戦記「やったね!先ちゃん」より。

将棋世界同じ号より。撮影は中野英伴さん。

 南は谷川を、先崎は羽生を、と準決勝でともに同世代のライバルをほふっての決勝戦進出だ。

 口八丁手八丁、本業の棋士稼業だけでなく、筆も立つし、酒も博打も強いという棋界の人気者先崎。今日は20歳代前半の代表選手として決勝の舞台に乗りこんできた。

 試合開始前のインタビューで先崎は「羽生君に勝ったのはちょっと嬉しかった。羽生君は前にこの棋戦で優勝しているので僕も優勝したい」と、優勝をはっきり口に出した。先崎としては、しばらく羽生に水をあけられていたのは面白くなかったに違いない。天才・先崎ここに在り、を顕示する絶好のチャンスとあれば燃えるのも当然というところだ。

 一方、寡黙をもって鳴る南は、先崎の景気のいい口上を横に、動じる風もなく静かに対局の開始を待つの態度。しゃべりではかなわないが、将棋が始まればこっちのものと思っていたか。

 記録の藤森奈津子女流二段の振り駒の結果は、南の振り歩先でと金が4枚出て、先崎の先番となった。この瞬間、スタッフの中から「やった」の声。これは先崎を応援しているのではもちろんなく、彼の得意?とする初手のパフォーマンスを期待してのものだ。▲5六歩(対羽生戦)か▲3六歩(前々回の対谷川戦)か、はたまた別の筋の歩を突くか、盤側は固唾を飲んだ。

 先崎はきっぱりとした手付きで初手▲7六歩。なあんだ、と一同肩を落としたけれど、通常の対局ならさほどの興奮もない初手に、ギャラリーを楽しませてくれるのだから、先崎という棋士は貴重な存在だ。

(中略)

 2図は、先崎が▲4五銀と打った手に、南が6三にいた金を△6四金と上がったところだ。

 △6四金は、先手の次の狙いである▲5四銀の突進から身をかわしたもので、それでも▲5四銀なら△5六歩とふんわり先手の進軍を止めてしまう用意がある。以下、▲5三銀成は△3一角と引かれて銀を助けるために▲5四歩と打つ一手では先手おかしいし、といって▲4五銀のバックは情けない上に△7六銀成とされて先手困る。

 第一、▲5四銀と出る手が成立しないのではせっかく投資した4五銀が泣いてしまうことになって、手の流れとしては先手最悪だ。先崎の快進撃もここまでか。と思えた時だ。

「ハアアーッ」

 スタジオの一隅で息を潜めて、盤面に映っているモニター画面を見つめていた記者は、突然聞こえてきた音声に驚いた。顔を上げて音源地を見やると、声の主は先崎だった。軽い咳払い一つはばかられる本番中のスタジオ内で、台本にないこれだけの声を出せるのは、今まで加藤一二三九段の他はありえないと思っていた。

 先崎は、南陣の5四歩をつまみ上げると自陣深くすえてあった5九の飛車をひっつかみ、それを5四の地点にたたきつけた。これには、ものに動じない地蔵流の南もさすがにビックリしたに違いない。突然、何かわめいたと思ったら、お次は一目無理筋と見える飛車切りが飛んで来たのだ。

「これは……。意表の勝負手ですね」と、二上九段もたまげていた。

(中略)

「ずうっと攻められっぱなしで、全然面白くありませんでした」と南。打ち上げの席での本音感想だ。一方の先崎は、「今まで、大した活躍ができなかった頃は、やはり少し辛かった。今回の優勝はほんとに嬉しい」とこれも本音を吐露。

 宴たけなわとなり、お酒も回ってすっかりご機嫌になった先ちゃんは、優勝カップでビールを飲んでみろという無茶苦茶な注文にあっさり乗って、ドクドクと3、4本のビールをついでガボリガボリ。先崎絶好調の晴れ姿につられて、こちらの方もメートルが上がってきた。

 やったね!先ちゃん。これで勲章も取ったし、これからは大手を振って大口が叩けるゼ。

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「羽生君は前にこの棋戦で優勝しているので僕も優勝したい」

羽生善治前竜王(当時)がNHK杯戦で優勝したのは、この2年前の1988年度(NHK杯戦での1回目の優勝)。

1989年度は櫛田陽一四段(当時)が優勝している。

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2図からの▲5四飛は決して無理筋ではなく、以下△同金▲同銀△1三角▲6四歩△5七飛▲5三金と進み、その後は6四の歩がと金になり、6三→5二→4一→4二→3二と迫っていくことになる。

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「優勝カップでビールを飲んでみろという無茶苦茶な注文にあっさり乗って、ドクドクと3、4本のビールをついでガボリガボリ」

NHK杯戦の優勝カップには歴代優勝者の名前が彫られている。(台になっている銀色の部分)

結構な重さだと思うのだが、それに3、4本分のビールが入ったのだから、相当な重さになったはずだ。

カップの重さが気にならないほど、あるいはカップの重さが心地よく感じられるほどの優勝の喜びだったに違いない。

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とはいえ、優勝カップは1年間倉庫で眠っていたわけで、表彰式の前に布で拭いていたにしても、細かいホコリなどが入っていたはず。

そのような意味では、カップの衛生状態も気にならないほどの優勝の喜びだった、と言うこともできるだろう。

 

谷川浩司竜王(当時)「指したあと駒を押さえつける得意の『羽生手つき』が出た」

近代将棋1991年4月号、谷川浩司竜王(当時)の第16期棋王戦五番勝負第1局〔南芳一棋王-羽生善治前竜王〕「南、羽生戦をみる」より。

棋王戦第1局。将棋世界1991年4月号より。撮影は弦巻勝さん。

 重苦しかった空模様は、新幹線が京都に着く頃、雨となった。

 タクシーから京都の街を眺めながら、両対局者の苦しい胸の内を想像する。

 タイトル保持者。南芳一棋王。

 毎年冬場になると調子を上げる南棋王だが、今年はどうか。1988年春の初タイトル棋聖以来常に何かのタイトルを持っている実力者。しかし、今年は大変な相手を挑戦者に迎えてしまった。

 並行して行われている、米長王将との七番勝負も、現在1勝2敗。苦戦を強いられている。

 挑戦者、羽生善治前竜王。

 向かう所敵なしの勢いで竜王まで昇りつめたものの、今期は思わぬ壁に当たった。

 竜王戦はご存知の通り。昇級の方も1年間お預け。前竜王の肩書を自分の力で変えられるのは、この棋王戦がラストチャンスなのである。

 3時頃、ホテルに到着。直ちに対局場となっている茶寮に向かう。ここは、昨年名人戦第1局が行われたところである。

 ちょうど、羽生前竜王の考慮中だったが、3時45分に中断して、場所をホールに移す、とのこと。

 本局は、公開で行われるのである。

(中略)

 和室からゴールドホールの舞台に場所を移して、いよいよ、一昨年の竜王戦に続いて二度目の、タイトル戦公開対局である。

 羽生前竜王にとっては二度目だし、南棋王も、気にならなかった、との感想を残している。

 二日制のタイトル戦のように初手から63手目までを並べ直し、対局再開。この間の中断約25分は、どちらに有利に働いただろうか。

(中略)

 本譜の順は後手危うい、というのが控え室の見方だったが、羽生前竜王はこれで自信があったようである。

 △2三同玉は、指したあと駒を押さえつける得意の「羽生手つき」が出た。

(中略)

 終局が近くなったので、私は対局場の方へ足を運んだ。ファンの皆さんも、息をこらして対局者の着手を注目している。

 記録係の秒読みも、緊迫感を高める。

 南棋王としても、△6四歩辺りで投了したかったと思うが、きょうは最後まで指さなければいけない。つらい時間だった。

 △9一香で南棋王が頭を下げる。盛大な拍手が起こるのを聞きながら、これからは「ライブ」でなければ、と強く感じた。

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近代将棋同じ号、池崎和記さんの「福島村日記」より。

某月某日

 京都へ。宝ヶ池プリンスホテルで棋王戦第1局を観戦する。南棋王と羽生前竜王。ゴールデンカードとあって、大盤解説場と控え室には大勢の棋士が集まった。木村義徳八段(立会人)、桐山九段(大盤解説)、淡路八段、田丸七段、森信雄五段、中田章道五段、浦野六段、村山五段、阿部五段、中尾五段、林葉女流王将…。取材陣も、本誌から谷川浩司竜王、将棋世界から島七段、そして週刊将棋記者、NHK衛星放送スタッフと超豪華。勝負は終盤、南さんが寄せを誤り、羽生さんの逆転勝ち。大熱戦だった。取材者としてやや残念だったのは、感想戦がわずか10分で終わったことだ。終局が午後9時18分と遅く、また直後に打ち上げパーティが控えていたので、仕方がなかったのだが、新聞用に全10譜でまとめなければならない私は、これからが大変。観戦記はどう書いてもいい、というのが私の持論だが、それでも指し手の部分に関してだけは、最低限、押さえるべきところは押さえなければいけないと思っているので大変なのだ。

(中略)

 打ち上げのとき、島さんが谷川竜王と私に「テーマがダブらないようにしましょうよ。みんなが同じことを書いても仕方がないですから」と言う。もっともな意見だが、アルコールがまわって、結局、私たちは事前協議をしなかった。しかしテーマはたぶん、ダブらないと思う。書き手が違えばおのずと表現も違ってくるのだから。

(以下略)

近代将棋同じ号より、控え室の模様。

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「前竜王の肩書を自分の力で変えられるのは、この棋王戦がラストチャンスなのである」

この時の羽生善治前竜王は、B級2組なので名人戦は出場できないとして、棋聖戦、王位戦、王座戦とも、勝ち残っていない状態だった。

竜王戦は1組ランキング戦 1回戦で敗れて、出場者決定戦(裏街道)を待つタイミング。

この観戦記が書かれた時点ではまだ(前竜王の肩書を自分の力で変える)チャンスは竜王戦で残っていたわけで、谷川浩司竜王(当時)が「この棋王戦がラストチャンスなのである」と書いたのは、勘違いだったのか、あるいは竜王戦で挑戦者になったとしても、絶対に返り討ちにしてやるという強い思いだったのか、どちらかは分からない。

どちらにしても、羽生前竜王はこの後、出場者決定戦でも敗れて、竜王戦では2組に降級してしまう。

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「指したあと駒を押さえつける得意の『羽生手つき』が出た」

これは、指したあと、指で駒をグリグリと盤に押し付けるという、今の羽生九段のスタイルそのままなのだろう。

『羽生手つき』、なかなかインパクトのある言葉だ。

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「しかしテーマはたぶん、ダブらないと思う。書き手が違えばおのずと表現も違ってくるのだから」

これは本当にそう思う。

 

米長邦雄王将(当時)「こんなに驚く手を見たのは本当に久し振りである。おそらく対局中の佐藤君も同じ気持ちだったのではなかろうか」

将棋世界1990年11月号、米長邦雄王将(当時)の第31期王位戦第7局〔佐藤康光五段-谷川浩司王位〕観戦記「驚愕の収束」より。

第31期王位戦第7局終了直後。撮影は弦巻勝さん。

 のっけから恐縮であるが、まず投了図を見て頂きたい。

 図は谷川王位が歩の頭、金の利きに銀を打った局面である。

 なんという一着か。

 どうだろう、読者の皆さん。こんな素晴らしい手が世の中にあるものだろうか。

 おそらく、図面を見てもどういう意味か皆目わからない、という人がほとんどではないかと思う。

 これは本当に素晴らしい一手であった。

 意味は簡単に言えば、逃げ道封鎖である。9七の逃げ道をふさいだのだ。

 この銀を▲同金は頭金なので取るなら▲同歩しかない。

 ▲同歩なら△7九金▲9八玉△8八桂成▲同玉△7八金打▲9八玉△8九金寄とする。ここで受けるとすれば▲9六歩か▲7七銀くらいしかないが、いずれも△7九角成で必至となる。

 取る手がダメなら図で▲7八玉はどうか。これも△6八金▲同馬△同角成▲同竜△8八銀成▲7七玉△6八桂成となって、駒を全部取られてしまう。攻防ともに見込みない。やはり試合終了である。

 で、1分将棋の佐藤君はどうしたかというと投了したのである。

 これもまた意外な気がするが、しかしここで投げたというのもまた面白い。

 一言で言うなら「いと、おかし」といったところであろう。

 投了図に至るまでの寄せも全く見事であった。見事という言葉では言い尽くせない程の収束だったのである。

(中略)

 今月は私の自戦記を休みにして決着の付いた王位戦の最終局を解説したい。

 名人を取られた後、復調著しく日の出の勢いの谷川浩司。チャイルドブランドの中にあって、羽生、屋敷に遜色のない第三の星、佐藤康光。

 この二人がぶつかるということで、今回の王位戦はプロアマを問わず、皆が注目するシリーズとなった。

 ここまで期待にたがわぬ激闘を繰り返し、結局3対3となり最終局を迎えたわけである。

(中略)

 第7局は1日目から駆けつけるつもりでいたのだが、あいにく大阪での対局があり、2日目の早朝、9時前に私は対局場の陣屋に到着した。

(中略)

 控え室には午前11時、かねて示し合わせておった通り、精鋭がゾロゾロと集まって来た。

 師範格に青野照市、勝率第1位の丸山忠久、真面目人間の中川大輔、紅一点清水市代、佐世保の天才深浦康市である。

 昼は皆でカレーライスをごちそうになった。

 私は2日目の昼休みだから、当然対局者は自室で食事だろうと思っていたのだが、なんとオープンシャツに着替えた谷川王位がフラリと現れた。

 最終局の上に局勢は谷川がやや不利かと思われるのになんという屈託の無さか。

 どうもこの将棋は谷川王位が相当に伸びのある指し口を見せるのではないか、という気がしたものだった。

 谷川王位が立ち去るや直ちにまた将棋の研究である。

 まず丸山をつかまえて現局面から3局。この早稲田の学生さんにこっぴどい目に遭った。続いて深浦にも3局。これもひどい目に遭わされた。次に弟子の中川大輔。私が待ったをさせてもらってようやく1番勝った。

 とにかく当たるを幸い、次から次へと指してみたけれども、手応えとしては佐藤やや優勢という感じであった。

(中略)

 午後2時ころに羽生竜王が現れた。

「寝坊をしたのかい」と私が聞くと、「ハー」という答えであった。昨日は対局だったらしい。

 局面は4図となっている。

 この△8四桂は油断ならない一手だ。

 なぜかというと、次に△9六桂と香を取って来るとは限らないからだ。この手の真意は△5七桂成▲同金△7六桂にあるのである。

 4図ではどちらに跳ねて来られても大丈夫なように▲9八玉と寄っておく手が”玉の早逃げ八手の得あり”の好手であり、なおかつ米長玉の真髄である。

 私はこの手が最善手だと思った。

 羽生先生に意見を求めると、彼もそれを肯定した。

「しかし、佐藤康光はこの手を指さないのではないか」と私が言うと羽生竜王は「いや指します」と断言した。

 それならということで、お互いに1,000円ずつを机の上に置いたのだが(羽生君には無理矢理置かせた)、これはすぐに取られてしまった。

 佐藤君はやはり▲9八玉と寄った。

 強い!!

(中略)

 以下10手程進んで6図は△8四桂と打った局面である。

 

 6図では▲7五馬がうまそうに思えるが、これは△6二香と先手で飛成を防がれ▲6三歩に△9六桂と銀を取られてまずい。

 そこで▲7三馬と突入したのだが、この▲7三馬の瞬間、次の一手が飛び出すのである。

 おわかりになるだろうか。

 △9五飛(7図)。

 なんという素晴らしい一着!!

 これには驚いた。

 こんなに驚く手を見たのは本当に久し振りである。

 おそらく対局中の佐藤君も同じ気持ちだったのではなかろうか。

 この△9五飛によって4一に打つ一歩を補充し、金銀を手駒に加え一気に寄せ切ってしまおうというわけである。

 まさに光速の寄せだ。

 以下必然の手順で8図となる。

 後手の持駒は角金銀香。

 はたして佐藤陣が寄るや否や。非常に難しい局面と見えたのだったが……。

 8図から△9七銀▲7七銀△5七角と進んで9図。

 △5七角も素晴らしい。

 この手には▲6八歩で受かるように見えるが、それは△同角成なのである。

 △同角成を▲同銀、▲同金は頭金までなので▲同竜よりないが、これは以下△同桂成▲同金△6五香で一手一手だ。

 となると9図での▲9八歩もこれよりない。以下、△8八香▲同銀△同銀成▲同金と進んで10図。はたして金銀だけで寄るものなのだろうか。

 読者の皆さんも考えてみてもらいたい。

 ところが、10図で次の一手を指すと冒頭の投了図になるのである。

(中略)

 振り返ってみると、本局は佐藤君としても十分に自分の将棋が指せたはずである。しかし、終盤の20手程は谷川王位に何かが乗り移ったとしか思えない。

 それほどの棋神にも優る指しっぷりであった。完全に谷川は復調した。

 さあ、この後の王座戦、竜王戦が面白い。名人に復帰した中原と10代の星・羽生が相手である。しかもこの両者には全日本プロ、名人戦で叩かれている。

 谷川王位としても春先に泣かされた相手だ。その両者と同時に秋の陣で戦うのである。

 今年は谷川とフセインを中心に地球が回っている。

 今回の七番勝負は、佐藤君がその谷川を内容的には凌いでいた。必ずや近いうちにタイトルを獲得するに違いない。

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「続いて深浦にも3局。これもひどい目に遭わされた」

この深浦とは深浦康市三段(当時)のこと。

奨励会員の時から米長邦雄王将(当時)に精鋭と認められていたわけで、本当に凄いことだと思う。

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「それならということで、お互いに1,000円ずつを机の上に置いたのだが(羽生君には無理矢理置かせた)、これはすぐに取られてしまった」

このような、次に指す一手の賭けがあるとすれば、お勧めは絶対にできないが、賭けの世界が無限に広がりそうだ。

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△9五飛(7図)からはじまる谷川浩司王位(当時)の寄せは、まさしく光速の寄せの代表例の一つだろう。

8図など、9五の馬と6一の竜が自陣に利いていて、とても後手から寄せがあるとは思えない。

ところが、8図から9手で終局となる。

△9七銀(投了図)は有名な手となっている。

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「さあ、この後の王座戦、竜王戦が面白い」

谷川王位は王座、竜王とも奪取することになる。

「今年は谷川とフセインを中心に地球が回っている」

は、まだこの2つのタイトルを奪取する前に書かれたことなので、いかに谷川王位の勢いが凄かったかがわかる。

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ちなみに、この対局の1ヵ月半前にイラクによるクウェート侵攻が始まって、イラクのサダム・フセイン大統領(当時)は国際世論の非難を受けていた。

アメリカ軍を中心とする多国籍軍が、対イラク軍事作戦である「砂漠の嵐」作戦を開始するのは、この翌年の1月17日から。