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先崎学四段(当時)「森内にとっての羽生は、昔は太陽であった。この世界、四段と初段は社長とヒラの様なものである。あまりの輝きと口惜しさでとても直視できない」

将棋世界1989年8月号、先崎学四段(当時)の第8回早指し新鋭戦(テレビ東京)決勝〔森内俊之四段-羽生善治五段〕観戦記「早指し世界一決定戦」より。

将棋世界同じ号グラビアより。撮影は中野英伴さん。

 

「今一番強いのは誰かねえ」

 ある日、将棋連盟の記者室に、うるさ型の若手棋士が数人集まり、この様な話になった。皆、気のおけないメンバーだけに言いたい放題。

「まあ実績からいっても羽生君かな」

「いや谷川名人の寄せはすごいよ、また南王将の腰の重さは天下一品だね」

「中原先生の安定度が一格上だね」

 など、けんけんごうごう、なかなかまとまらない(この辺は皆さんの井戸端会議と同じである)。

 ところが誰かが一言、

「30秒将棋ならどうかな」

 と呟いたのを契機に、早指しならという話に移った。ところがまったく議論にならないのである。なぜなら出てくる名前が二つしかない。

 と書けばお分かりだろう。「羽生と森内」この他の声はまったく聞こえてこないのだ。

 要するに玄人筋?の見方は、誰が一番強いかなんてことは分からないが、早指しならこの二人が頭一つ抜きん出ている、ということらしい。

 するとこの決勝戦は、文句なく棋界最高峰の内容の将棋なのだ。

 また内容のみならず、舞台背景も揃っている。二人の火花散るライバル意識が、さらにこの将棋をおもしろくするだろう。

 二人は小学生の頃からのライバルであり、奨励会入会も一緒である。

 二人を比べると、羽生はあくまでもクールに森内を見ている様だ。彼は他人を意識したことがない。おそらく、常に今指している将棋を勝つ事しか念頭にないのだろう。

 しかし片や森内の思いは複雑であろう。四段昇段の時点で差をつけられ(森内は初段だった)、今は順位戦で見下されている。こちらは新人賞、向こうは最優秀棋士である。

 森内にとっての羽生は、昔は太陽であった。この世界、四段と初段は社長とヒラの様なものである。あまりの輝きと口惜しさでとても直視できない。

 それが今では、まさに追いつかんばかりの勢いである。もう少し、少しだ。

 逆にいえばまた差を広げられるわけにはいかない。やっと出会った恋人に振られる訳にはいかない。

 これ以上羽生に負ける訳にはいかないのだ。

 おそらくこの勝負にかける思い入れは森内の方が強いだろう。

(中略)

 局面はスラスラと横歩取りへ進む。羽生はどんな戦型も指しこなすが、早指しの時は横歩を取らせる事が多い。

 これは自分の力に自信があるということに外ならない。乱戦になり、訳の分からない局面の30秒将棋でも手が見える自信があるのである。

 また注目すべきデータがある。羽生は相手に横歩を取らせる将棋をこれまでに10数局指しているが、まだ1局も負けていないのだ。

 羽生がいかによく勝つといっても、この様な激しい将棋でこの数字は大変なものであろう。

 森内はこのことをまったく知らなかったらしい。だがもし知っていても彼は▲3四飛と取ったであろう。そういう男である。

(中略)

 羽生の△7四歩は凄い手である。少なくとも僕は見たことがない。余程の研究の裏付けがあるのだろう。

 羽生の将棋はこの様に大胆な手が多い。彼は自分が分からない以上に、相手も分からないという局面が大好きなのだ。

(中略)

 3図のところで40手、封じ手となり20分くらい休憩がとられる。森内はしてやったりと、羽生は、しまったまずいことになったと思っているだろう。

 楽屋で二人と話したが、森内の顔はいつになく紅潮し、目はどことなくうつろである。

 羽生の方はといえば、視線こそしっかりしているものの、顔色は試験前の受験生の様に青白く、精気が感じられない。

 どことなくたよりない二人ではあるが、再び盤の前に座ると、瞬時にして勝負師の顔にもどるのはさすがだ。

 さてこれより30秒将棋、一瞬たりとも油断できない。

(中略)

 しばらくは淡々とした駒組み合戦が続く。この辺は、プロならだれが指しても同じ様なものだ。

 森内は典型的な勝負師である。将棋に限らず何をやらしても強い。

 新人王戦に優勝した頃に麻雀を覚えた。

 当然貧乏な仲間からお誘いがかかる。覚えたての森内をカモにしようという訳だ。ところがこの初心者、ルールもうろ覚えのくせにやたら強いのである。たまりかねたある仲間が呟いた。

「カモがネギしょって来たと思ったが腐ったネギだったとは」

 そういえば昔奨励会員だった頃、皆で食事した後によくジャンケンをした。当然負けた者の払いである。無収入の頃である。皆生活を賭けていた。

 森内はこのジャンケンにメッタに負けなかった。当時から天性の勝負運が感じられたものである。

 ちなみに一番よく負けたのは、二人のライバル佐藤康光君だったかな。

(中略)

 まず最終手の△3六桂をご覧いただきたい。いやはや凄い手があるもんだ。

 この手には解説の島竜王をして、

「この手を見ただけで今日の解説役を引き受けたかいがあった」

 とまで言わしめた。

 たしかに迫力満点の桂打ちである。駒は当たりになっている瞬間が、一番働いているというではないか。

 この鬼手を見て”二番目”に驚いたのは森内であろう。まさかこんな手は読んでなかったに違いない。おそらく頭が一瞬空白になったのではないか。

 それでは一番驚いたのは誰だ―。

7図以下の指し手
▲3六同歩△同飛▲3七歩△同銀不成▲同銀△5六飛▲6五銀(8図)

 意表の手を指された時の秒読みは速い。28秒まで考えて森内は▲3六同歩と取った。しかしそのとき、すでに彼は平静に戻っていた。

 結論から言おう、一番驚いたのは誰あろう指した本人の羽生であった。彼は桂を打つ時は自信満々だったのだろうが、おそらく指した瞬間気付いたであろう、その手が「大悪手」だという事に。

 8図を見ていただきたい。先手のカベ銀が見事に捌けてしまった。しかも後手の飛車は見事に詰んでいる。

 8図で将棋は終わりである。以下はただ指してみただけにすぎない。

 戻って△3六桂の所では△3五飛と浮く一手だった。以下▲6三歩成△同金直▲4六金△6五飛となり非常に難解な将棋だったのだ。

 羽生も当然この手は見えていた。しかし、あまりにうまそうな手が目の前に落ちていたために、わなにはまってしまったのだろう。

 プロの間の常識の一つとして、

「秒読みの場合はうまそうな手は指すな」というのがある。この場合もご多分にもれず平凡に飛車を逃げる手が正解だったのだ。森内によればその前の▲4三銀で普通に▲4六同金と取った方が良かったらしい。

 以下は勝負所もない。棋譜を掲げるにとどめる。

(中略)

 森内君おめでとう。

 これからも将棋頑張って下さい。

 ガールフレンドもつくって下さい。

 そして麻雀負けてくれたらもうなにも言うことはありまへん。

 

将棋世界同じ号グラビアより。撮影は中野英伴さん。

* * * * *

「彼は他人を意識したことがない。おそらく、常に今指している将棋を勝つ事しか念頭にないのだろう」

これは、羽生善治九段の、昔から変わらない姿勢なのだと思う。

* * * * *

「羽生の将棋はこの様に大胆な手が多い。彼は自分が分からない以上に、相手も分からないという局面が大好きなのだ」

羽生将棋を鑑賞する際に、頭に入れておくと良さそうだ。

* * * * *

「秒読みの場合はうまそうな手は指すな」

このことが、アマ強豪以外のアマチュアにも言えることなのかどうかはわからないが、守っておけば被害が少なく済みそうな格言のような感じがする。

* * * * *

「カモがネギしょって来たと思ったが腐ったネギだったとは」

料理としてのカモとネギの組み合わせが、そんなに絶妙なものなのかどうか、いまだに納得できていない。

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「森内はこのジャンケンにメッタに負けなかった。当時から天性の勝負運が感じられたものである。ちなみに一番よく負けたのは、二人のライバル佐藤康光君だったかな」

このようなエピソードが嬉しい。

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「森内にとっての羽生は、昔は太陽であった。この世界、四段と初段は社長とヒラの様なものである。あまりの輝きと口惜しさでとても直視できない。それが今では、まさに追いつかんばかりの勢いである。もう少し、少しだ」

見た瞬間に鳥肌が立つような、心を打つ文章だ。

先崎学四段(当時)にとっても同じ思いだったはず。

一葉の写真

 

林葉直子女流王将(当時)「かたや谷川名人。縁起を担いで、これから対局前になると、夜な夜なディスコに繰り出すのではないかと」

将棋世界1989年10月号、林葉直子女流王将(当時)の第30期王位戦〔森雞二王位-谷川浩司名人〕第4局観戦記「ディスコが勝因」より。

「対局の前の日は、できるだけ酒は飲まないようにしてるんですよ」

 数日前、将棋まつりの後、森王位と夕食をご一緒させていただいているときに聞いたセリフだ。

 なるほど、今回の王位戦前日の会食場では、ほとんどアルコールを口にされてなかった。

「そのほうが調子いいんでネ」

 タイトル防衛というプレッシャーの中、酒を飲めないのも辛いハズだ。だが、勝った後の酒は、なんとも言えず美味だろう。

 森王位はもちろん美味の酒を飲む予定であっただろうが……。

 一方、挑戦者の谷川名人は、いつもと変わらぬ風であった。

 ”ほどほどに”という言葉にあてはまるぐらいの酒量。

 しかし、この会食を終えてからの谷川名人の行動には、目を見張った。

 次の日対局というのに、あっぱれ、ディスコに繰り出したのである。

 そういえば、昨年、福岡で行われた王位戦のときもディスコに行く話があったのだが、結局行かずじまい。―そして負けた。(むろん、ディスコには全く関係ないだろうが)

 しかし、縁起を担ぐとすれば、行く手もあると考えたのかもしれぬ。

 対局の前日を”静”と”動”でたとえれば、森王位が”静”で谷川名人が”動”となる。

 森王位は会食後、すぐにホテルの自室に戻られたようだった。

 挑戦者の谷川名人は、運動をしてホテルに戻られたのは午後11時半ぐらいか。

 翌日の対局に備えて、各々の自己コントロールの仕方。

 森王位に谷川名人は、すでに前日から妙手をかけていたのかもしれない。

(中略)

 午前9時に対局は始まった。

 2勝1敗と谷川一歩リードで迎えた第4局。

 要になる一戦だ。

 背広姿の森王位と羽織袴の谷川名人。

 この対局場は女流王将戦と同じだ。

 自分が対局者としてこの場に足を踏み入れたときとはまた違った緊張感がある。

 憧れの両棋士の対局を間近で見れたのである。思わずファンの気分になってしまい息がつまりそうだった。

 気を遣って私に話しかけて下さった森王位。一方、静かに盤を見つめる谷川名人。よかトピアやら盆の里帰りで賑わっている博多の町には、熱気が感じられる。

 その熱気に負けぬ、九州決戦。男と男の戦いは、静かに熱く駒音を響かせた。

(中略)

 この対局場の廊下を挟んだところにホテル専用プールがある。

 チラリとプールサイドをのぞくとカップルで楽しげに水遊び。

 対照的な二つの光景である。

 森王位、谷川名人は、この光景をどのように思っただろうか。

 昼食休憩後、着々と駒は進められた。

 ちなみに昼食のメニュー、森王位はトロロソバとシンプルに。谷川名人はステーキランチとこってり。

 対局さえなければ、博多のおいしいお店にお連れしたかったのだが……。

(中略)

 森王位の封じ手で1日目を終えた。

 58分の長考であった。

 夜は賑やかに、両棋士を囲んでの夕食会。

 この夜のメニュー。前夜祭と似かよったもので、筋の悪い手順と言えようか。魚処博多といえば、お決まりの内容……。

 ふと気がつくと、酒の肴を前にして、ついつい手が出たのだろうか、森王位がお酒を口にしておられた。

 いつの間にか”静”だった森王位が”動”に変化。

「ラーメンを食べに行きましょうか」

 などと言っておられたが、おいしい博多ラーメンは、盆休みだった。残念!

 一方、昨夜は”動”だった谷川名人は、みんなの話を聞くだけの”静”の態勢へと変化。

(中略)

 2日目の午前11時47分。

 両雄相戦うにしては、あっけなく早すぎる幕切れであった。

 感想戦で、谷川名人は、「封じ手のあたりでは、難しいと思ってました。△8七歩と指せて勝てたかと…」と言えば、森王位は「封じ手のところで、すでに悪いと思っていた」と。

 終盤の魔術師といわれる森王位のことだ、まだまだ予測のつかぬ展開があると私は思っていたのだが……。

 地元、西日本新聞にも”おじさんパワー再び”と期待と声援をこめて紹介されていたのだが、博多ラーメンを食べそこねたのがいけなかったのかもしれない。

 かたや谷川名人。

 縁起を担いで、これから対局前になると、夜な夜なディスコに繰り出すのではないかと、ちょっぴり考えさせられてしまう。

 ディスコなんかに連れていったのは、いったい誰だろうか……。

 

 お盆を中心に博多の夏は殊に暑かった。静かでクールな対局の場にも、熱風吹きすさぶ緊張感があり、観戦する人々にもひしひしと伝わってきた。

 博多の夏が、これで終わりを告げたような気がして街に出る。

 対局場に近い博多駅は、里帰りを終えた人々が、いつもの暮らしに戻るためにごった返している。

 第5局目は、8月28、29日、徳島パークホテルで行われる。

 今回の対局では、やや精彩に欠けた森王位だが、これからの戦いで魔術を見せてほしい。

 時に”動”。

 時に”静”。

 森王位と谷川名人が戦法と戦術をこらし、華麗なる展開を見せてほしい。

 

将棋世界同じ号より。撮影は中野英伴さん。

* * * * *

この王位戦の対局と同時に、福岡で将棋まつりが行われたので、島朗竜王、大内延介九段、佐瀬勇次八段、森下卓五段、大野八一雄五段、斎田晴子女流初段も福岡入りしていた。

* * * * *

他の記事を見ると、ディスコには西武ライオンズの工藤投手、清原選手も来ていたという。

この頃のディスコは、バナナラマなどに代表されるユーロビート全盛の時代。

荻野目洋子『ダンシング・ヒーロー』 の原曲『Eat You Up』、森川由加里『Show Me』の原曲『Show Me』、Wink『愛が止まらない 』の原曲『Turn it into love』などがかかっていたと思えば間違いない。

* * * * *

「かたや谷川名人。縁起を担いで、これから対局前になると、夜な夜なディスコに繰り出すのではないかと、ちょっぴり考えさせられてしまう」

谷川浩司九段が夜な夜なディスコに繰り出すようになったのかどうかは別としても、1990年の将棋まつりのあった日、1993年のJT杯の対局の前日に、それぞれ谷川九段がディスコへ行っていることは観測できる。

谷川浩司王位(当時)「それにしても、神吉さんは何故踊らないのだろう」

谷川浩司王将(当時)「いわゆるお立ち台GALは、残念ながら新潟にはいなかった」

 

「”マムシのと金”じゃなく”ハブのと金”だから、それ以上だろう」

将棋世界1989年5月号、中島一彰さんの第38回NHK杯争奪戦決勝〔羽生善治五段-中原誠棋聖〕観戦記「羽生、4名人を倒して初優勝」より。

将棋世界同じ号のグラビアより。優勝が決まった直後。撮影は炬口勝弘さん。

 年間勝数60を超す新記録。勝率は8割。対局数、連勝もトップ。

 今年度の記録部門を総ナメにし、新人王戦、天王戦の優勝。まさに羽生、羽生、羽生の一年だった。

 そして、その締めくくりとも言うべき快挙が、このNHK杯戦でのVである。

 何と言っても、テレビ対局が将棋ファンに与えるインパクトは、大きい。その注目度満点の棋戦制覇だ。羽生という名前が、さらに大きくフローズアップされた、と言えよう。

(中略)

 山口(英)、福崎、大山、加藤(一)、谷川、そして決勝が中原。

 羽生が倒したメンバーだ。特に3回戦以降は、いずれも名人経験者である。とてもフロックだけで勝ち進める相手ではないはずだ。しかも、その一局一局の内容が、これまた素晴らしかった。

 準決勝で敗れた谷川が「もう、子供たちとは指したくありません」と、ボヤいたと聞く。たしかに、羽生と対戦する上位者とすれば、心理的にやりにくい点、あったことと思う。

 羽生が相手では、皆「切られ役」に立たされてしまうからである。谷川や中原は、常にヒーローだった。だからどうしてもヒールには徹し切れない。何となく腰がすわらないまま……しかも短時間制の将棋……。

 しかし、そうした点を割り引いても、羽生のすごさには舌を巻かざるを得まい。恐るべき18歳である。

(中略)

 本トーナメントで、羽生は、1回戦からことごとく戦型を変えて臨んだ。本人の弁によれば「意識的に、いろいろな将棋を指したかったから」。

 決勝戦ではひねり飛車。先手番になったらこれ、と決めていたようだ。羽生にしては、やや珍しい作戦か。

 矢倉、または相掛かりを予想していたという中原は、やや意表を突かれたか。

「ひねり飛車にして最初のポイントは、左側の金銀をどう使うか」は、解説役を務めた大山十五世名人の言葉だが、羽生はその金銀をいち早く右翼へ引き寄せ、自玉をがっちりと囲った。そして、攻め込むチャンスを静かにうかがっていた。

 中原が2、3筋の位を取り、△3四金と立った1図、狙いすました羽生の攻めが出る。

 ▲6五歩△同歩▲6四歩。よくある手筋(△6四同銀ならば▲7四歩)とはいえ、続く△5二銀に、じっと▲5五歩と伸ばした手が、渋く幅広い。

 後手の角筋を未然に止めると同時に、▲5四歩の攻めも秘めているのだ。

 少し進んだ2図は、羽生がその▲5四歩を決行、中原が△同歩と応じた局面である。

 2図から。羽生は▲6三歩成。

 これが軽妙な成り捨て。△6三同銀ならば、▲4二角成△同玉▲7一銀△7二飛▲6二銀成△同飛▲5三金の王手飛車で決まる。そこで中原△6三同金と応じたが、やはり▲4二角成と切る手が厳しく、羽生はっきり優勢。以下△4二同玉▲6四歩△7四金に、▲同飛と連続しての大駒切りは、見ていても迫力満点だった。

 我々取材陣は、本番中「副調整室」という部屋で熱戦を見守っていたが、羽生が飛車角をともに切った時には、思わずどよめきが起こったものだ。

 居合わせていた森王位などは、中原が△7四金とした瞬間、「あっ、ダメ」。

(中略)

 羽生の攻めは鋭かった。たちまちにして、と金を2枚作って追い込む。懐の深さでは定評のある中原をしても、もはや受けが利かない形だった。

「マムシのと金、じゃなく、ハブのと金だから、それ以上だろう」と、誰かが言った。そして3図での▲4三銀。これがまた鮮やかな一打だった。

 △4三同玉ならば▲4二金の1手詰めだ。△2三玉と逃げるよりないが、じっと▲3六歩とされ、中原玉は上部脱出の望みも絶たれてしまった。

「大駒は全部持っているんですけどねえー」は大山解説。言外に後手シノギなしをほのめかす。

 ともかく2図あたりから、大山の予想する通りに指し手が進んだのだ。「大山さんが一人で指せばいいんだよ」という声もあがったくらいである。裏返せば、それだけ局面が単純化していたのだろう。さすがの中原もどうしようもなかった。

 3図以降も、羽生は緩みなく寄せの網を絞り、見事に大敵を仕留めた。

(中略)

 中原がきっぱりと「負けました」と駒台に手をかけた瞬間、期せずして副調整室では拍手が沸き起こった。

 両者のここまでの健闘を讃えると同時に、それは新しいスター誕生への祝福でもあった。

 NHK杯には歴代優勝者の名が刻まれているが、すでに満杯で、来年は台座をひとつ継ぎ足すという。その新しい台座に刻まれる文字は「第38回優勝者 羽生善治」である。

 打ち上げの席、羽生の師匠・二上九段のあいさつがふるっていた。

「中原さん、ありがとう。羽生君 おめでとう」。

将棋世界同じ号のグラビアより。打ち上げの席で師匠の二上達也九段と。撮影は炬口勝弘さん。

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NHK杯戦で11回の優勝を果たしている羽生善治名誉NHK杯選手権者の、初めてのNHK杯戦優勝の時の模様。

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中原誠十六世名人を相手に、ひねり飛車で圧勝。

1図からの▲6五歩△同歩▲6四歩の後の▲5五歩がなかなか気が付きにくい手。

この手のおかげで、2図からの石田流らしい捌きが展開される。

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「マムシのと金、じゃなく、ハブのと金だから、それ以上だろう」

と金に付けられる形容詞は古来より”マムシの”だが、たしかに”ハブの”は斬新な感じがする。

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マムシとハブ、どちらが恐いか調べてみた。

マムシ(ニホンマムシ)は全長40 ~65cm、ハブは全長100 ~220cm。

毒性はマムシの方がハブよりも強いが、体が小さいため、マムシに噛まれた時に注入される毒量はハブよりも少ない。

結果として、ハブに噛まれた時の方がマムシに噛まれた時よりも重症であることが多いという。

なおかつ、ハブはマムシに比べ非常に攻撃性が強い性質であるらしい。

つまり、両方とも十分過ぎるほど恐さに違いないとしても、より恐怖度が高いのはハブのようだ。

そういう意味でも、「マムシのと金、じゃなく、ハブのと金だから、それ以上だろう」は正鵠を得ていることになる。

 

「先崎君、この間、中原名人のボトルを飲んで”大山が飲みました”ってマジックで書いたのよ」

近代将棋1989年11月号、木屋太二さんの第12回若獅子戦準決勝〔先崎学四段-羽生善治六段〕観戦記「横歩取りの世界」より。

 対局室に入ると感想戦が始まっていた。桐谷広人五段と小倉久史四段の勝ち抜き戦。この棋戦は持ち時間が各1時間だから、昼過ぎには終わる。

 検討の輪の中に羽生と先崎もいた。ドッと笑い声が起こる。先崎が独特な感覚で「こうやったらどうですか」と奇手をいい、それを受けて桐谷が得意の早口で「そうそう、そう指せば私が優勢だったんだけど、気が変わってこうやっちゃったんですね。このあと私に見落としがあって」とまくしたてる。解説が妙に論理的なのがおかしい。それが集まった棋士たちの笑いを誘う。

 先崎は検討の主役になって口を出し、羽生は観客になってよく笑った。家でテレビのコミックショーを見ている時もこんなふうに屈託がないのだろうか。ふと、そんなことを思う。

 勝負している時とそうでない時の羽生はまったくちがう。ことに終盤は別人だ。

 対局開始の午後1時が近づいた。羽生が検討の輪を抜け出し、先崎も腰を上げた。今、もっとも強い棋士と評判の羽生、きょうも、あの妖気を盤上盤外に振りまくか。

(中略)

 羽生の振り歩先で記録の田村3級が駒を振ると、歩が2枚、とが3枚。先崎が先手をつかんだ。

先崎「おねがいします」

羽生「おねがいしまーす」

 羽生ののばした声が終わると同時に先崎▲7六歩。羽生もすぐに△3四歩と応じて、以下飛先を突く進行に。横歩取らせは羽生が時折り見せる作戦だ。ただし△2三歩はめずらしい。

羽生「いつもは△8六歩▲同歩△同飛▲3四飛から空中戦にして指す。△2三歩と打つ横歩取りはこれが初めてです」

 勝者が決勝へ進むという、いってみれば大一番。その大一番に初体験の戦法で挑む。ふつうなら矢倉とか四間飛車とか自分の一番得意とする戦法でぶつかるものだが、羽生の場合はちがう。横歩取りに限らず、矢倉のスズメ刺し、角換わり棒銀、ひねり飛車etcと何でも指しこなす。この間は四間飛車も指していた。

 谷川名人が「羽生君はレパートリーが広い」と感心していたが、考えてみるとこれもすごいことだ。オールラウンドプレーヤーなのは、将棋は戦型がすべてじゃない、要は終盤力と羽生が思っているからだ。そして、そのとおり羽生は勝ってみせる。ここが鬼才の鬼才たるゆえんだ。

 先崎の▲3四飛は気合の一手だった。あとで聞いた話では「昔から横歩を取って勝ったためしなし」とのこと。きょうはどうしてその気になったのか。”気合”としかいい表せないところが将棋というゲームの不思議さだ。

 先崎もレパートリーの広さでは羽生に負けていない。特に谷川名人相手に見せた初手▲3六歩にはテレビ将棋のファンがやんやの喝采を送った。いかにも米長九段の弟子らしい茶目っ気と才気が先崎にはある。

「先崎君、この間、中原名人のボトルを飲んで”大山が飲みました”ってマジックで書いたのよ。あのいたずらごころが彼の面白いところねェ」

 新宿二丁目の将棋酒場”あり”の耀子ママがおかしそうに話していたのを思い出す。ともかく盤上は二人のチャレンジ精神で横歩取りに。羽生△2五角。長い指先にぐぐっと力がこもっている。

(以下略)

近代将棋同じ号掲載の写真。

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「先崎の▲3四飛は気合の一手だった。あとで聞いた話では『昔から横歩を取って勝ったためしなし』とのこと」

この時の横歩取りは、先手の飛先の歩交換後、後手が△2三歩と打ち、先手が▲3四飛と横歩を取る展開。

△8八角成▲同銀△2五角▲3二飛成と進んでいる。

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「きょうはどうしてその気になったのか。”気合”としかいい表せないところが将棋というゲームの不思議さだ」

棋士は気合い負けを嫌う。

取ってみろと言われて横歩を取らないのは、ある意味では典型的な気合い負けと言っても良いだろう。

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「先崎君、この間、中原名人のボトルを飲んで”大山が飲みました”ってマジックで書いたのよ。あのいたずらごころが彼の面白いところねェ」

新宿二丁目にあった酒場「あり」。

先崎学四段(当時)は、「あり」では師匠の米長邦雄九段のボトルを飲むことが多かったという。

中原誠十六世名人のボトルを飲んだということは、中原門下の小倉久史四段(当時)と一緒に飲んでいた可能性が高い。

「大山が飲みました」はなかなかの傑作だ。

ボトルと師弟関係

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先崎学八段(当時)と佐藤康光棋聖(当時)の間でのボトルに関するエピソードもある。

佐藤康光棋聖(当時)「先崎はダメですからね、先崎は」

 

「この観戦記は対局者としては不満である」

観戦記を書く者として、自分自身への戒めも込めて。

将棋世界1987年12月号、内藤國雄九段の「自在流スラスラ上達塾」より。

 昔は新聞将棋の切り抜きを毎日欠かさずにされている人が多かった。

 中には全棋戦の切り抜きをする(勿論そのために沢山の新聞を購入する)プロ顔負けの熱心な人も少なくなかった。

 今は、そういう統計があるわけではないが切り抜きに精出す人はうんと減ってしまったのではないかという気がしてならない。

 情報は豊富になると有難味が薄れる。

 専門誌が増えたほか、テレビ、週刊新聞将棋、一般週刊誌の中野将棋記事等至る所に将棋情報がある。

「この頃は新聞を切り抜く時の胸のわくわくするような楽しみが薄くなりましたね」という声をよく耳にする。

 とはいえ毎朝掲載される新聞将棋には他には得られない独特の持ち味がある。

(中略)

 新聞の観戦記は、将棋を全くご存知ない方も意外と読んでいる。ご婦人の読者があるのもこの事を物語っている。

 そういう方は情景描写や対局風景の文章を楽しみ、戦いの内容や指し手のことは漠然と想像する。将棋を知らないという事が、かえって想像を自由にし活発にするという事もあるようである。

 色々な楽しみ方があるわけだが、私としては本誌の読者には対局者のつもりになって読むという事をお奨めしたい。これが読む楽しみを倍増させるし棋力向上にも役立つと思うからである。

 次に私の切り抜き帳から幾つか取材してみたい。

1図以下の指し手
△4四歩▲6四角△7三桂▲5五角
(2図)

 観戦記「(内藤の)▲5五角は一種の勝負手であることに違いない。△4四角と合わせるのは▲6四角でうるさいし△3三桂でも▲6四角で困る」

 この観戦記は対局者としては不満である。

 書いてほしいと思う事が書かれていなくて書いてはいけない事が書かれている。

 いけない事というのは△4四角に▲6四角がうるさいという所である。

”うるさい”とか”一局の将棋である”という表現は解説する方としてはまことに便利な言葉であるが、これは一種の逃げ口上であるからだ。

 この場合も”うるさい”と言われると何となくそんなものかという気にさせられるが具体的に読んでみると、はっきり間違っているという事がわかる。

 即ち1図以下△4四角▲6四角△2六角▲8二角成△同金▲6二飛△5二飛。これは先手角損で敗勢になっているといってよい。

 1図に戻って、対局者(先手番)のつもりで局面を見てほしい。▲5五角の所では▲7五歩△6三銀▲8六飛という風にもっていきたいとは思わないだろうか。

 それが私の前から描いていた構想であったが、いざとなってそれには落とし穴があることに気がついた。即ち1図で▲5五角の代わりに▲7五歩と打つと、以下△同銀▲7六歩△4四角▲5六飛△8六銀(参考1図)。

 △7五同銀と強く応じる手が△4四角のおかげで成立する。参考1図で▲同金は△7七角成で先手非勢に陥る。

 もし△4四角と打てなくすれば▲7五歩と叩く筋が成立する。▲5五角(1図)はその読みに立ったもので△4四角と合わせてくれれば▲同角△同歩で△4四角の筋が消える。

 当事者としてはその辺のアヤを書いてほしかった。少し棋力のある人なら▲5五角にどうして△4四角と打たないのだろうと不審に思われたに違いない。

(以下略)

* * * * *

「(内藤の)▲5五角は一種の勝負手であることに違いない。△4四角と合わせるのは▲6四角でうるさいし△3三桂でも▲6四角で困る」

これは確認不足というか、正しくない解説になってしまっている。

自分で(この変化はこうなのかな)と思っても、それが間違っていないかどうか、指した棋士に確認をするべきだと思う。

指した手の真意が正しく伝えられてなく、なおかつ狙ってはいない不利になる変化が書かれているのだから、どのような温厚な棋士でも、ムッとするはず。

「この観戦記は対局者としては不満である」と、穏やかな表現になっているが、本音としては、もっと厳しい言葉を使いたかったのではないだろうか。