「観戦記」カテゴリーアーカイブ

「この観戦記は対局者としては不満である」

観戦記を書く者として、自分自身への戒めも込めて。

将棋世界1987年12月号、内藤國雄九段の「自在流スラスラ上達塾」より。

 昔は新聞将棋の切り抜きを毎日欠かさずにされている人が多かった。

 中には全棋戦の切り抜きをする(勿論そのために沢山の新聞を購入する)プロ顔負けの熱心な人も少なくなかった。

 今は、そういう統計があるわけではないが切り抜きに精出す人はうんと減ってしまったのではないかという気がしてならない。

 情報は豊富になると有難味が薄れる。

 専門誌が増えたほか、テレビ、週刊新聞将棋、一般週刊誌の中野将棋記事等至る所に将棋情報がある。

「この頃は新聞を切り抜く時の胸のわくわくするような楽しみが薄くなりましたね」という声をよく耳にする。

 とはいえ毎朝掲載される新聞将棋には他には得られない独特の持ち味がある。

(中略)

 新聞の観戦記は、将棋を全くご存知ない方も意外と読んでいる。ご婦人の読者があるのもこの事を物語っている。

 そういう方は情景描写や対局風景の文章を楽しみ、戦いの内容や指し手のことは漠然と想像する。将棋を知らないという事が、かえって想像を自由にし活発にするという事もあるようである。

 色々な楽しみ方があるわけだが、私としては本誌の読者には対局者のつもりになって読むという事をお奨めしたい。これが読む楽しみを倍増させるし棋力向上にも役立つと思うからである。

 次に私の切り抜き帳から幾つか取材してみたい。

1図以下の指し手
△4四歩▲6四角△7三桂▲5五角
(2図)

 観戦記「(内藤の)▲5五角は一種の勝負手であることに違いない。△4四角と合わせるのは▲6四角でうるさいし△3三桂でも▲6四角で困る」

 この観戦記は対局者としては不満である。

 書いてほしいと思う事が書かれていなくて書いてはいけない事が書かれている。

 いけない事というのは△4四角に▲6四角がうるさいという所である。

”うるさい”とか”一局の将棋である”という表現は解説する方としてはまことに便利な言葉であるが、これは一種の逃げ口上であるからだ。

 この場合も”うるさい”と言われると何となくそんなものかという気にさせられるが具体的に読んでみると、はっきり間違っているという事がわかる。

 即ち1図以下△4四角▲6四角△2六角▲8二角成△同金▲6二飛△5二飛。これは先手角損で敗勢になっているといってよい。

 1図に戻って、対局者(先手番)のつもりで局面を見てほしい。▲5五角の所では▲7五歩△6三銀▲8六飛という風にもっていきたいとは思わないだろうか。

 それが私の前から描いていた構想であったが、いざとなってそれには落とし穴があることに気がついた。即ち1図で▲5五角の代わりに▲7五歩と打つと、以下△同銀▲7六歩△4四角▲5六飛△8六銀(参考1図)。

 △7五同銀と強く応じる手が△4四角のおかげで成立する。参考1図で▲同金は△7七角成で先手非勢に陥る。

 もし△4四角と打てなくすれば▲7五歩と叩く筋が成立する。▲5五角(1図)はその読みに立ったもので△4四角と合わせてくれれば▲同角△同歩で△4四角の筋が消える。

 当事者としてはその辺のアヤを書いてほしかった。少し棋力のある人なら▲5五角にどうして△4四角と打たないのだろうと不審に思われたに違いない。

(以下略)

* * * * *

「(内藤の)▲5五角は一種の勝負手であることに違いない。△4四角と合わせるのは▲6四角でうるさいし△3三桂でも▲6四角で困る」

これは確認不足というか、正しくない解説になってしまっている。

自分で(この変化はこうなのかな)と思っても、それが間違っていないかどうか、指した棋士に確認をするべきだと思う。

指した手の真意が正しく伝えられてなく、なおかつ狙ってはいない不利になる変化が書かれているのだから、どのような温厚な棋士でも、ムッとするはず。

「この観戦記は対局者としては不満である」と、穏やかな表現になっているが、本音としては、もっと厳しい言葉を使いたかったのではないだろうか。

 

「羽生四段のほうは、秀才タイプにありがちな老け顔といっていい。それにくらべると、森内四段は、まだ腕白小僧の面影を残している」

将棋世界1988年2月号、高橋呉郎さんの「新春お好み対局 谷川浩司王位-森内俊之四段 恐るべき少年の勝利」より。

将棋世界同じ号のグラビアより。撮影は中野英伴さん。

 いま、いちばん強い棋士はだれか― 将棋の神様がいたとしても、この質問には往生するにちがいない。

 なにしろ天王戦などは、決勝戦に残ったのが、森下卓五段と羽生善治四段である。羽生四段の準決勝の相手は、中原誠名人だった。森下五段も準々決勝で大山康晴十五世名人を負かしている。

 ついこのあいだまでは、20代のタイトル保持者が将棋界の次代をになうだろう、とだれもが予想していた。それもつかのま、こんどは羽生四段に代表される10代棋士が猛追してきた。

 この連中、まさに将棋界の「ベビー・ギャング」「恐るべき子どもたち」である。17歳の新人王・森内俊之四段も、その代表選手のひとりと目されている。

 過日、河口俊彦六段と雑談したおりに、森内評を聞いてみた。

「新人王戦をいっきに駆け登ったというのは、並の力じゃないです。羽生君と同じで、やっぱり終盤が強いですね。とにかくまちがえない。1分将棋になっても、小憎らしいほど落ち着いてますよ」

 その森内四段が谷川浩司王位の胸を借りる。もちろん、初手合わせである。

 定刻1時の10分前、対局室に入ると、すでに森内四段は席についていた。私もこの少年とは今回が初対面だった。

 体格は並みより大きいけれど、スポーツマンタイプといった印象は受けない。ごくしぜんに伸び伸び育ったというところだろう。といって、のほほんとしているわけでもない。太くて濃い眉が、容貌に格好のアクセントをつけている。心もち突きだした唇のあたりに、利かぬ気の強さを読みとることもできる。

 ライバル・羽生四段のほうは、秀才タイプにありがちな”老け顔”といっていい。それにくらべると、森内四段は、まだ腕白小僧の面影を残している。

 ほどなく谷川王位入室。もともと所作はゆったりとしている人だが、17歳の少年を前にすると、また、いちだんと風格を感じさせる。

 あらかじめ先番は森内四段に決まっている。矢倉の注文に、ためらわずに谷川王位も乗った。

(中略)

 1図までは、相矢倉戦の最新標準型のひとつと思っていただきたい。

 谷川王位は昨年の夏に高橋道雄十段・棋王から、王位のタイトルを奪って、無冠を返上した。かつて史上最年少で名人位を制した男が、そのくらいで満足するはずもないけれど、ひとまず肩の荷をおろしたにちがいない。

 それまで、おそらく将棋界でいちばん悩んでいたのは、この青年ではなかったかと思う。昨年は唯一のタイトルである棋王も失って無冠をかこった。勝ち星は重ねても、勝負どころの一戦に弱い、という評も聞かれた。年に似合わず、いかに落ち着いた風格をみせようと、自らのふがいなさに苛立たないほうがおかしい。王位戦を前に、楽しみながら指したい、相矢倉は指さない、と語ったのも、言葉とは裏腹に、背水の決意を表したものと受け取れる。

 しかし、どうやら王位戦でなにかがふっきれたらしい。囲碁の趙治勲九段との対談でこういっている。

「今まで指し慣れていた戦法(矢倉)をやめて、他の戦法をやるのは、危険も大きいわけです。ま、そういうことがあるから、かえって勝たなければいけないという気持ちでなく、ゆとりを持って指せたのかもしれない。あまり得意戦法ばかりやっていると、『これで負けたらどうしようもない』と思ってしまいますから」(対談集『勝負の世界』より)

 今期は名人戦挑戦者の最短距離にいる。群雄割拠の将棋界を制する若手棋士がいるとしたら、やはり、この人以外には考えられない。

(中略)

「谷川将棋」といえば、速攻の代名詞みたいなものである。ところが、この将棋は、押さえ込み作戦をとっている。前譜で△9五譜と突き越してからは、好むと好まざるとにかかわらず、必然の成り行きということになるらしい。

 森内四段は▲1五歩から端を攻めた。じつはここでも両者の大局観はくいちがっていた。

 谷川王位は「端攻めしかないようでは、こちらがいいと思っていました」といっている。森内四段は口数がすくない。ようやく「なんとかなりそうな気がしました」と感想をもらすと、谷川王位は、しきりに首をかしげていた。

 このへんは、読みとか大局観とかいうより、将棋観そのもののちがいに通じるかもしれない。

3図以下の指し手
△同玉▲1五銀△同香▲同香△2二玉▲1八飛△1六歩▲同飛△2五金▲1二香成△3三玉▲1九飛△1六歩▲2一成香△2八銀▲1八飛△2九銀成(4図)

 森内四段は▲1五銀から、しゃにむに攻めつづける。

 ▲1二香成でシロウト目には端攻めが成功したようにみえるけれど、谷川王位は、飛車さえ抑えこんでしまえばいい、と読んでいる。

(中略)

 △2九銀成と桂を取った局面では、谷川王位は、うまく抑え込んだ、と思っていた。うまく飛車をいじめる順がまわってくれば、入玉も期待できる。

 森内四段は、すでに前譜から1分将棋にはいっていたが、巧みに攻めをつないだ。▲4六歩が攻めの急所。△4六同歩▲4五歩△同銀▲3七桂で谷川陣の一角が喰い破られた。

(中略)

 谷川王位の局後の感想によれば、「相手の駒が前に出てきましたからね。抑えこんだつもりが、思ったほどよくなかった。大局観が甘かったようです」

(中略)

 谷川王位は、勝ち目のない将棋をえんえんとつき合わされた格好になったが、いささかもわるびれずに指しつづけた。しかし、さすがに感想戦では、げんなりしたようにいった。

「ただ粘るだけの将棋になってしまいました。むりすれば、入玉くらいはできたかもしれませんが、大駒をぜんぶ取られて足りないでしょう」

 ▲4六金で投了。なんと森内四段は1分将棋で40手を指して、まったく乱れなかった。まさしく恐るべき少年である。

 振り返って、谷川王位は大局観こそあやまったが、これといって悪手を指したわけではない。それをほとんど危なげなく勝ちきった、森内四段の強さが、ひときわ光る一局だった。

将棋世界同じ号のグラビアより。撮影は中野英伴さん。

 この日、別室で芹沢博文九段が対局していた。まさか、これが最後の対局になろうとは、神も残酷なことをなさる。ふだんは、ほかの対局をよくのぞきにくる人なのに、この日にかぎって顔を見せなかった。1週間後に急逝して、二度と元気な顔を見ることができなくなった。

 芹沢さんは多彩な才能の持ち主として知られていたが、私は、将棋の話をするときの芹沢さんがいちばん好きだった。会えば、いつも飲んでバカ話をした。相当に酔っているときでも、たまたま私は将棋についての愚問を発すると、口調まであらためて、こちらが納得するまで語ってくれたものである。

 芹沢さんは確固たる将棋観を自分の言葉で的確に表現しうる、唯一の将棋評論家だった、と私は思っている。あそらく、とうぶん芹沢さんみたいな人は出てきそうもない。

 森内四段の将棋をどう評するか、ぜひ聞きたかったのだが、いまは、かなわぬ願いになってしまった。

* * * * *

森内俊之四段(当時)がデビューしたその年に新人王戦で優勝。将棋世界誌上企画で谷川浩司王位(当時)とのお好み対局が組まれた。

* * * * *

「ついこのあいだまでは、20代のタイトル保持者が将棋界の次代をになうだろう、とだれもが予想していた。それもつかのま、こんどは羽生四段に代表される10代棋士が猛追してきた」

これが、この時代のスピード感。

将棋界というものができて以来、将棋界が初めて経験することだったに違いない。

* * * * *

「羽生四段のほうは、秀才タイプにありがちな”老け顔”といっていい。それにくらべると、森内四段は、まだ腕白小僧の面影を残している」

老け顔とは、老けた顔という意味とも違って、若いのに落ち着いた顔あるいは大成した顔、という意味になり、古くは中原誠十六世名人が若い頃、同じように言われていた。

歳をとっても変わらない顔と同義でもある。

* * * * *

「体格は並みより大きいけれど、スポーツマンタイプといった印象は受けない。ごくしぜんに伸び伸び育ったというところだろう。といって、のほほんとしているわけでもない」

この表現は絶妙だと思う。

とはいえ、スポーツマンタイプといった印象は受けないと言われながらも、森内四段は、巨人の清原和博選手、中日の強打者だった宇野勝選手に似ていると言われていた時期があった。

 

羽生善治四段(当時)と大山康晴十五世名人の初めての対局

大山康晴十五世名人と羽生善治四段(当時)の初対局。

将棋世界1988年1月号グラビアより。撮影は中野英伴さん。

この対局は、将棋世界新春お好み対局として企画されたもので、持ち時間は各90分、将棋世界1988年1月号での観戦記は小説家の井上光晴さんが書いている。

井上光晴さんの観戦記「羽生天才少年の敗北」の出だしは、

 羽生善治四段は普通の四段のように敗れた。大山康晴十五世名人の貫禄勝ちという月次な表現は避けて、私なりの分析を試みてみたい。

 正直にいうと、羽生天才少年の「劇的な勝利」を前提にして、私は二つの書きだしを用意していた。

 その一篇は、超能力と天才の境界を自由な足どりで駆け廻る少年を、内外の文学から抜き出し、いまひとつはドイツの作家、シュテファン・ツヴァイクの作品から、『チェスの話』のあらましと構造を紹介する手筈であった。

 全集版に付された大久保和郎の解説によると、「『チェスの話』はツヴァイクがナチ時代を小説に取り上げた唯一の作品である」と記されており、この中篇のストーリイをなぞること自体が、世紀末の現在、饐えた繁栄を誇る日本社会と棋士たちの関係を、裏面からあぶりだす可能性を秘めているからである。

(以下略)

と、非常に小説家らしいアプローチをされている。

実際には羽生善治四段(当時)が敗れたので、中盤から通常の観戦記モードになっているが、最後は次のように結ばれている。

 此処で私は日頃の思いを述べてみよう。将棋とは何か、という本質についてである。如何に天才とはいえ、17才の少年が、これ以上ない技術と体験の持主と、時代の頂点に立つ名人実力者と対等に戦えるのか。

 文学や思想の世界には絶対にあり得ない出来事を、可能にする技術とは果して何か。何かのインタビューで大山康晴は、天才群といっても結局残るのは一人だろう、という意味のことを述べていたが、それはそうだとして、思想をともなわずにすむ技術のすばらしさと表裏一体をなすもろさの質を、どんなふうに解釈すればよいのか。大きな勝負を目撃するたびに、私などは何時もそれを考えてしまうのである。

 そこがまた将棋の魅力なのだが、世界の嵐に身を投げかける巨大な構想を含みながら、新しい戦略と戦術を編みつづける棋士を待望するのは、矢張り幻想の領域であろうか。

* * * * *

小説家ならでは、あるいは井上光晴さんならではの発想だと思う。

このような雰囲気が好きな方とそうではない方に大きくわかれると思う。

* * * * *

本局は、大山康晴十五世名人の四間飛車に対し、羽生善治四段が急戦の構え。(以下、青字は井上光晴さんの観戦記より)

 大山は常用の振り飛車。4二に振る時、観戦記者に対するサービスからか。私の方を向いて「今、アマチュアで振り飛車やる人、少ないらしいですね」という。「そうですね」と答えればいいものを、その時私は少年四段に対する大山の内面をなおあれこれと憶測していたので、「はあ、なるほど」などと、頓珍漢な返事をしていまう。

* * * * *

羽生四段は棒銀に構えて攻撃を開始した。

2図以下の指し手
△5四歩▲1六歩△1四歩▲4六歩△2二飛▲3七銀△6四歩▲2六銀△3二飛▲3八飛△6三金▲3五歩△2二角▲3四歩△同銀▲3三歩△同飛▲4四角△4三銀▲3三角成△同角▲6六歩△3四歩▲7七桂△7四歩▲6七金直△6五歩(3図)

 大山十五世名人は座に戻ると、▲7七桂と▲6七金直にそれとわかるように、ゆっくりと目を閉じた。「はふっ」というふうにきこえる口中の呟き。間合いをはかるような手つきで、おもむろに指された手は△6五歩(3図)。これが絶妙の一手だったのである。

 羽生はこの手に気付いていなかったのか、青白い耳たぶの辺りに、小刻みに顫える血管が感じられる。▲同歩なら△6六歩▲同銀△4四角打で後手の思う壺だ。

 それで▲3七銀はやむを得ないが、▲7七桂、▲6七金直と受けておきながら、△6五歩を取れないのでは、先手の作戦負けは明らかであり、「これから先手に勝つチャンスはなかった」とは、感想戦での大山の御託宣であった。

 うっかりしていたといういい方はむろん勝負の世界には通用しない。しかし、みよ、大山将棋の一閃を。深手を自らにいいきかせるためか、羽生は一礼して中座し、大山は分厚い手を茶碗にのばした。

* * * * *

3図以下の指し手
▲3七銀△6六歩▲同銀△6五歩▲5七銀△7三桂▲3九飛△2二角打(4図)

 羽生四段の陣営はこれから先、みるみるうちに崩壊して行く。59手目の▲3九飛は、△8五桂▲同桂のとき△9九角成を防ぐ粘りだ。だがその粘りもまた△2二角打の名手によって甲斐なき砦と化してしまう。△6六歩と△8五桂を見合いにされて、羽生の表情にある種のむなしさが生まれた。

4図以下の指し手
▲6九飛△8五桂▲同桂△8八角成▲6八玉△8四歩▲5九玉△8五歩▲4八玉△5二銀(5図)

 大山はすかさず△8五桂。▲同桂△8八角成▲6八玉△8四歩▲5九玉△8五歩と進み、▲4八玉に対する△5二銀(5図)が勝ちを逃さない一手であった。通俗的ないい方をするなら、大山流とでもいうべきか。馬が動いたときの▲4二飛の味を消しているのだ。▲5九玉から▲4八玉と粘りに粘る構えをみせた羽生も△5二銀をみてがっくりきたろう。左肩を幾分ゆすり気味に▲7五歩と指す指先に、すでに戦意はなかった。

5図以下の指し手
▲7五歩△6六桂▲同銀△同歩▲6八金引△6七歩成▲同金直△7八銀▲3九飛△6七銀成▲同金△7八馬▲5七金△5五歩▲6七銀△5六歩▲7八銀△5七歩成▲同玉△8八角成▲6七銀△6六歩▲5五角△7三銀▲6六角△同馬▲同銀△7六金▲6七歩△5六歩▲同玉△5八角▲5九桂△6九角成▲5五歩△5八馬▲3二角△6六金▲同歩△5七金▲4五玉△2五馬▲2八銀△5六銀(投了図)
まで、114手で大山十五世名人の勝ち

 

* * * * *

将棋世界1988年1月号グラビアより。撮影は中野英伴さん。
キャプションには「立ち去り難く戦いの跡を見る羽生。この敗戦は明日の糧となるだろう」と書かれている。

* * * * *

この観戦記で引用されている河口俊彦六段(当時)の週刊新潮1987年10月29日号での談話が、当時の羽生四段の活躍ぶりを端的に表している。

「現在の将棋界のベストスリーは、中原名人、米長九段、谷川九段の3人でしょう。羽生は四段になってから、この三強と2、3番ずつ、計7、8番対局していますが、1番も負けていない。むろん、ハンディなしの平手でですよ。最近でも将棋雑誌で”新人賞羽生、タイトルホルダーに挑戦”という企画がありました。将棋界には名人をはじめ7つのタイトルがあり、5人のタイトル保持者がいるわけですが、その5人との勝負は羽生君の4勝1敗。実際には”タイトル保持者が羽生少年に挑戦”という感じでしたね」

お好み対局とはいえ、破竹の勢いの羽生四段に圧勝するのだから、大山十五世名人の凄さは想像を絶している。

 

中原誠名人に圧勝した羽生善治四段(当時)

将棋世界1987年10月号、鈴木宏彦さんの「新人賞・羽生、タイトルホルダーに挑戦・最終局〔羽生善治四段-中原誠名人〕観戦記「羽生、名人も吹っとばして終了!」より。

将棋世界同じ号のグラビアより。撮影は中野英伴さん。

「負けました」

 午後3時32分、中原名人が投了を告げた。手数91手、目前には図の局面があった。羽生の圧勝、名人の惨敗である。

「銀逃げなくちゃいけなかったかね。しかし悪いね。桂得くらいじゃ合わないんだ。結構、大変かとも思ったけど…。▲2二歩の利かし、大きかったね」

 動揺を見せまいとするのか、名人の口から次々と言葉が出る。羽生は別に変わった様子もなく「ええ」とか「そうですね」とか適当に合わせている。まったくたまげた少年だ。

(中略)

「新人賞・羽生、タイトルホルダーに挑戦!」この企画は6月号から始まった。

 羽生の挑戦を受ける上位陣は、中村、桐山、高橋、福崎、中原の5人。米長と谷川の名前が入っていないのが残念だが、企画スタート時点でタイトルを持っていないのだから仕方ない。とにかく現在選びうる最高の上位陣である。

 編集部では当初、羽生が1勝でもしてくれればいいと考えていたそうだ。ずいぶん弱気なものだが、まあそれが常識的な見方ともいえるだろう。しかし、羽生はそんな編集部の予想をあざ笑うかのように勝ちまくった。羽生の実力は過去の常識でとらえられるようなものではなかったのだ。

 それにしてもプロ棋士になって、まだ2年足らずの少年がタイトルホルダーに対し4勝1敗とは、快挙を通り越して事件である。

 不思議なのは、これだけのことが起こりながら、棋士仲間やマスコミの反応がまったく冷静なことだが、これはみんな羽生がタイトルホルダーに勝つことなど当然と思っているためか、それとも本誌の宣伝や演出がよほど下手なためか、そのどちらかだろう。

 この対局の前、河口俊彦六段と話した時、河口六段は「負けた方が傷つかぬ対局など面白くない」ということをおっしゃっていた。「オレならこの勝負、一番手直りの指し込みでやらせたかった」というのが河口六段の説である。そこまではやれぬとしても、勝った方には幾らかの賞金を出すとか、そのくらいのことがあってもよかったと思う。中原-羽生という注目の対決にカメラマンが一人しか来ないというのは寂しかった。

 とまあ、そんなことには関係なく、羽生は名人に勝った。王将にも棋聖にも十段にも王座にも勝った。タイトルホルダーに五番勝負で4勝1敗。この数字、公式記録には残らぬが、羽生の棋士人生には大きな勲章として残ることだろう。何年か先、羽生がタイトル戦のひのき舞台を踏んだ時、この勲章は必ず物を言ってくるに違いない。

(中略)

 この羽生-中原戦が行われる前、羽生が福崎に勝って五番勝負を3勝1敗とした時に、それまでの4人と二上九段(羽生の師匠)に話を伺った。質問の内容は①に羽生将棋をどう見るか、②に中原-羽生戦の予想である。

中村「先日、三重の将棋祭りで彼と指しましてね、3度目の対戦で初めてゆるめてもらいまして非常に嬉しかった。若いせいか、とにかく攻守ともに非常にしつこい将棋ですよね。もうタイトルホルダーと互角?それはどうかなあ。対等の立場でやればまた違ってくるかもしれません。ボクだって王将戦でやる時は勝ちますよ。まあ、今年は挑戦してこれないから安心してそう言える(笑)。五番勝負は最初から羽生君の3勝2敗と予想してたから最終戦は名人の勝ち。ただ上位で勝つ人の予想を間違えました」

桐山「ボクは一方的にやられましたからあまり言うことも…。まあ攻めはきついし素質は大したもんですよ。対局態度は静かで落ち着いていて、谷川さんの若いころと似てますね。中原-羽生戦ですか。一番勝負だから分からんけど、常識的には名人の勝ちでしょう」

高橋「羽生君のことですか?出場させてもらってこんなこと言うのはなんだけど、羽生君、羽生君と周りがちやほやしすぎだと思う。同じ将棋世界で羽生君はタイトルホルダーと指してるけど、他の四段はA級に”角”落とされて指したりしているでしょう。あれじゃ他の四段が気の毒ですよ。ボクだってやらしてもらえるものならA級と十番勝負でも二十番勝負でもやりたい。今は周りが意識的に羽生君を強くしているような気がしますね。別に羽生君本人が悪いわけじゃありませんけど。羽生君の将棋?一番指しただけで人を評するようなことはできません」

福崎「完璧に指されて負けたという印象しかありませんわ。堂々としててなんとなく近よりがたい気品はかつての谷川さんと似てるような気がします。とにかくこれだけの結果見せられたら何も言えませんわ。中原-羽生戦ですか?そりゃどっちが勝ってもおかしくないんじゃないですか」

二上「(3勝1敗という結果は)夢中になってやってますからね。持ち時間とか勢いとか、相手がやりにくいとか、勝負についている面がありますよ。中原さんの四段時代と羽生君の今を比べると、棋風の違いもあるだろうけど、中原さんの方が内容的に安定していました。羽生君の将棋はまだ荒っぽいし無理も感じます。しかしいずれにしても5年か10年に一人という存在ではあると思いますね。奨励会時代に2局指したけど、急所での手の見え方は昔から抜群だった。今のクラスをうまく抜ければ、あとはトントン行くでしょう。最終局は中原さんも複雑な心境でしょうね。一度、鳥取でやられているし『今度はお父さんも強いというところを見せてやろう』と思っているはずですよ。しかし勝負はどうかな、羽生君が勝つ可能性も十分ある、そんな気がしますね」

 4人の対局者、そして師匠の二上九段、各人各様の反応である。中でも高橋王位の意見には、なるほどそういう見方もあるのかと感心した。そういえばこの対局の数日前、羽生がライバルと認めている佐藤康光四段が編集部から、角落ち戦の対局を依頼され「角落ちですか?」と露骨にイヤそうな顔をしていたのを思い出す。佐藤四段の気持ちは確かによく分かる。

 しかし、筆者だってそうだが、周りの人間だって、羽生四段だけを特別扱いして強くしてやろうなんて気持ちは持っていないはずだ。確かにマスコミはいつだって新しいヒーローの出現を待ち望んでいるが、それは羽生四段でなくとも、村山四段だって佐藤四段だって誰でも構わないのである。ただ、今現在は現実に羽生四段が抜群の成績を上げているからそれに注目するのが当然、というだけのことなのである。

(中略)

 中原名人は昭和40年、18歳で四段になったが、41年の順位戦初参加以来、ノンストップでA級入りという快記録を持っている。名人の四段時代の成績は39勝9敗(.813)。以下五段時代47勝8敗(.855),六段時代43勝12敗(.782)と続く。抜群に強い新鋭だったことは言うまでもない。(羽生のこの時点での通算成績は62勝18敗、勝率.775)

 この対局の前、中原名人にも羽生将棋に対する感想を伺っている。

中原「羽生君には一度お好みでやられてますからね。今度はしっかり指しますよ。もちろん強いことは間違いない。同じ16歳の時を比べたらボクより強いね。しかし四段の頃なら同じくらいでしょう。ボクはすぐ昇段したし、やっぱり順位戦が急所だからね。タイトル?いずれ当然取るでしょう。しかし、やはり八段になってからが本当の勝負ですよ」

「順位戦が急所」「八段になってからが勝負」この二つの言葉は、そっくりそのまま若手のタイトルホルダー達にも向けられているような気がする。

 名人は羽生の才能と力を認めた上で、「早く同じ土俵に上がって来い」と言っているわけだ。

 名人の作戦は中飛車。振り飛車もたまにやる名人だが、中ではこの中飛車が圧倒的に多い。近いところでは昨年暮の王将戦挑戦者決定戦(塚田泰明七段戦)でもこれをやっている。血気にはやる若手用の作戦なのだろうか。

1図以下の指し手
▲5七金△9四歩▲9六歩△8二玉▲4六金△3二飛▲5五歩△同歩▲同金△5四歩▲5六金△7二金▲4六歩△4二飛▲5七銀右△6四歩▲7九金△3二金(2図)

 中原ファンの読者なら、15年前の中原新名人誕生の一局が中原名人の中飛車だったことはご存知だろう。あの時、先手の大山名人が採った作戦が4六金戦法。その4六金戦法を大山より47歳も若い羽生が使って、今また中原名人に向かっていく、まさに”時代は巡る”である。

 4六金戦法に対する中飛車の指し方はいろいろあるが、名人の選んだのは恐らく一番穏やかな順。

(中略)

 中原名人・39歳。羽生四段・16歳。この年齢差について名人は「さすがにちょっとやりにくい」と言っている。名人の長男の淳一君はちょっとした子供将棋大会に出るほどの将棋ファンだが、実は羽生四段は小学校5年生の時にある将棋大会に出て、淳一君と対戦したという経歴を持っている。名人から見れば、息子さんのライバルだった少年が、たった6年後には自分の対戦相手として名乗りを上げてきたことになる。確かにあまりいい気持ちはしないだろう。

2図以下の指し手
▲1六歩△1四歩▲3七桂△4一飛▲6六銀△6三銀▲4五歩(3図)

 ▲3七桂に△4一飛と満を持され、これで先手からは仕掛けがない。いきなり▲4五歩は△同歩▲3三角成△同桂で攻めにも何にもならない。

 仕掛けが無理とすれば急戦調に構えた先手が困るはずなのだが、羽生は昼食休憩をはさむ13分の長考(急所で休憩にする要領のよさ!)で、不思議な順をひねり出した。まず▲6六銀でわざわざ自分の角道を止め、それから▲4五歩と仕掛けて行ったのだ。▲6六銀の意味は、あとで分かってくる。

3図以下の指し手
△同歩▲同桂△4四角▲5五歩△6二角▲2四歩△同歩▲同飛△2三歩▲2七飛△4四歩(4図)

 △4五同歩に▲同桂!この上なく単純だが、度胸のいる攻め方である。この桂を跳んでしまうと、先手は遅かれ早かれ桂損になる。その桂損を、4筋5筋に厚みを築くことによってカバーしようというのが羽生の構想なのだ。

 ▲4五同桂に名人が△4二角でなく△4四角としたのは、本譜のように角を△6二角と引くため。△6二角に▲5四歩なら△同銀左として、これは振り飛車の理想的なさばけ形だ。

 ここで羽生がどうするかと見ているとなんと、じっと飛車先の歩交換である。

 △4四歩の桂殺しが見えている局面で飛車先の歩交換とは、さすがの名人も「驚いた」そうである。が、羽生の主張は「△4四歩と打たせれば後手の飛車先も重くなるから、そこで攻めて行けると思った。▲2四歩以下は最も有効な一手パス」となる。

 結果的に見て、ここで飛車先の歩を交換したのは絶好の順になった。局面はここから、羽生の思い描いていた通りの展開になる。

4図以下の指し手
▲5四歩△同銀左▲5五銀△4三銀▲5四歩△5二歩▲2二歩△同金▲6六歩(5図)

 4図から、名人がなかなか桂を取らないのを不思議に思う方もいらっしゃるだろう。が、後手としても4五の桂はそう気楽には取れないのである。

 ▲5四歩にすぐ△4五歩なら先手はじっと▲5五銀と出て、次に▲4四歩△5四銀左▲同銀△同銀▲4三銀を狙う。これが意外にうるさいのだ。羽生が▲4五歩と仕掛ける前に▲6六銀と上がったのは、他でもない、この▲5五銀を狙っていたのである。

 名人は▲5四歩に△同銀左と応じ、▲5五銀にも△4三銀とかわして、徹底して受けに回る。▲5四歩に△5二歩と受けたところでは、名人は「まだ十分楽しみがある」と思っていたそうである。

 だが、ここではすでに羽生の攻めが手になっていた。▲2二歩△同金▲6六歩。これがまた絶妙のコンビネーション。

5図以下の指し手
△5四銀右▲6五歩△同歩▲6四歩△5一角▲7七桂△4五銀▲同金△同歩▲6五桂(6図)

 ▲6六歩は後手陣の急所を突いた。この筋を攻められると、後手は6二の角がお荷物になってくるのである。

 5図で△4五歩なら▲6五歩△同歩▲6四歩△7四銀▲7五歩△8五銀▲6五金で先手がいい。

 △5四銀右は攻めてくる相手に駒を渡す手で、できればやりたくないのだが、事ここに至っては後手も攻め合わなければジリ貧になってしまう。

 ▲6四歩に△5一角としたのはつらい手だが△6二歩の受けを作った意味。羽生はここで▲7七桂とじっと力をためる。名人は△4五銀でようやく桂得を果たしたが、▲6五桂とさばかれ、自陣の悪形は覆うべくもない。

6図以下の指し手
△6二歩▲4四歩△同銀▲同銀△5六金▲8九玉△6六桂▲5七銀打(7図)

「将棋も強いが、精神力もけた違い」。この日の羽生の対局姿を見ていて、改めてそう思った。対局中、名人を前にして萎縮するとかとか、そんな様子はてんでないのである。

 一手指すたびに相手をにらみつけるクセはいつも通りだし、あぐらもかく。下を向いて隠しながらだけど、あくびすらする。ライバルで友人の佐藤四段や森内四段らと研究会で対局している時と全く様子が変わらないのだ。

 日本人は本来、プレッシャーには弱い人種のはずなのだが、羽生の世代はもう人種が違う。そんな気さえしてくる。

 △6二歩に▲4四歩。△3二銀と引けば▲5四銀△3三角▲6三銀打△6一金▲5七飛で先手勝勢。名人は△4四同銀と歩を取り▲同銀に△5六金と打って最後の望みをつなぐ。

 だが、羽生の反応の鋭いこと!すごい駒音を立てて▲8九玉と早逃げし、名人の△6六桂にまたもすごい駒音で▲5七銀と打つ。銀を打った羽生、名人の顔を何度もにらむ。5回、6回、7回、8回…。

7図以下の指し手
△同金▲同飛△2四角▲5二飛成△4四飛▲6三歩成△同歩▲6六角(投了図)  
 まで、91手で羽生四段の勝ち。

 7図は羽生のハードパンチが名人のあごにクリーンヒットした図である。名人は14分考えたが、結局何も手はなかった。

 △5七同金▲同飛と進み、これで次の▲5二飛成が必至である。4図の1手前、▲2七飛と引いた手がこんな形で生きてくるのだから恐ろしいものである。もちろん羽生だってこんなところまで呼んでいるはずはないが、前に指した手が自然に生きてくるところが、今の羽生の勢いなのだろう。

 ▲6三歩成△同歩に▲6六角と桂を取られたところで名人投了。シーンは冒頭へと続く。

羽生「全5局、あっという間に終わってしまった感じですね。自分では2勝できればいいと思っていたから4勝1敗は完全に予想外。内容的にも全局よく指せて満足しています。自信にも勉強にもなったし、この結果をこれからの公式戦に結びつけたいと思ってます」

 この企画、終わってみれば羽生の強さばかりが目立つという結果になったようである。タイトルホルダー達が雪辱に燃える再戦を今度は是非同じ土俵の上でやってみせてもらいたいと思う。

* * * * *

それにしても、オーソドックス中飛車党の方が見たら絶望してしまうような羽生善治四段(当時)の勝ち方。

編集部は1勝、羽生四段は2勝できればいいと思っていた「新人賞・羽生、タイトルホルダーに挑戦」、結果は羽生四段の4勝1敗(1敗は対 高橋道雄王位戦)となった。

持ち時間は各2時間の対局。

* * * * *

「タイトルホルダーに五番勝負で4勝1敗。この数字、公式記録には残らぬが、羽生の棋士人生には大きな勲章として残ることだろう」

たしかに勲章ではあるが、この時点では、その後、羽生四段が七冠、永世七冠、国民栄誉賞、さまざまな記録の更新など、もっと大きな勲章を得ることは、誰も想像をできていなかったわけで、逆に言えば、それほど羽生九段の実績は言葉で言い表せないくらい凄いということになる。

* * * * *

多くの人が中原-羽生戦のタイトル戦を待ち望んでいたが、残念ながら一度も両者の組み合わせにはならなかった。

 

羽生善治四段(当時)の「タイトルホルダーに挑戦」

将棋世界1987年7月号、池崎和記さんの「新人賞・羽生、タイトルホルダーに挑戦・第2局〔羽生善治四段-桐山清澄棋聖〕観戦記「羽生、『棋聖』も圧倒!」より。

将棋世界同じ号グラビアより。撮影は炬口勝弘さん。

 16歳のスーパールーキー羽生の実力がタイトルホルダーにどれだけ通用するかお手並み拝見―というわけで始まった本企画。

 いざフタを開けてみると初戦(対中村王将戦)は羽生の圧勝。体調が悪かったとはいえ、不出来の内容に王将が「手合い違いでした」と嘆いたという、ウソのようなホントの話も残っている。

(中略)

 5月5日。子供の日の関西将棋会館。

 羽生はこの日、新幹線で大阪入り。前日は千葉そごうデパートの将棋まつりに出席したという。

(中略)

 午後1時、羽生の先番でスタート。

 △8四歩と指してから桐山棋聖が「前局はどうでした」と聞く。本誌6月号がまだ出ていなかったので、棋聖は第1局の結果を知らなかったのである。羽生勝ちを伝えると、棋聖は「ホホーッ」と小さな声でつぶやき、驚いたような、感心したような、複雑な表情をみせた。

(中略)

 祭日なので、ほかに対局はない。3階の控え室に行くと、数人の奨励会員が棋譜を並べたり、練習将棋を指したりしている。みんな羽生と同じ10代の少年たちだ。修行中の身だから、日々勉強。ゴールデンウィークも、彼らには何の意味もない。

 なかの一人が言う。

「いいなぁ羽生先生は。タイトルホルダーに教えてもらえて……」

 心底うらやましそうだ。強くなる最良の方法は上位者と指すことだと体験的に知っているから、こんな言葉が出てくる。

 礼儀正しい少年たちを見ていると「早く四段になってほしい」といつも思う。四段になれば、対戦相手はみんな上位者になる。名人とだって平手で指す機会も与えられる。だから四段になるのは早ければ早いほどいいのである。

(中略)

「私は、羽生名人説を引っ込めようかと考えている」

 と河口六段がNHKの将棋講座5月号に書いている。羽生以後に、村山聖四段、佐藤康光四段、森内俊之四段ら、終盤が「大山、米長の強さとは違う、機械のような正確さがある」若手が控えているとし、こう結論する。

「(羽生は)名人候補に違いないが、懸念されるのは、今、名前の出た諸君に追い越されることである。まったく、あの天才羽生を抜こうかという者が何人もいるのだから、恐ろしい時代になったものである」

 似たような話を最近、島六段から聞いた。六段は、羽生を筆頭とする強豪少年たちの台頭に脅威を感じているらしい。

「インベーダーみたいに次から次へと出てくる。子供アレルギーになっちゃいました。うっかり”子供カード”を引こうものなら地獄。もうボクたちに未来はありません」

 24歳の六段がこう言うのである。

(中略)

 飛先交換腰掛け銀の対抗型。もともとは昭和20年代に大流行したといわれるクラシックな戦法だが、その後、中原名人や米長九段、内藤九段、谷川九段らによって指し継がれ、現在に至っている。

 角と角が向き合っているので、互いに爆弾を抱えているようなもの。中盤を素通りして一気に終盤になだれこむ激しさをもっているので、スピード将棋愛好者でなければ指しこなせない。一手のミスが即負けにつながる恐れがあり、スリルがある代わりに極度の緊張を強いられるから「精神衛生に悪い戦法」といえなくもない。

羽生「公式戦ではあまり経験はありませんが、練習将棋ではよくやっています」

 羽生は居飛車のオールラウンドプレーヤー。多彩な戦法に挑戦しているのは、たぶん自信の表れだろう。強い人はどんな戦法でも自分のものにしてしまう。

(中略)

 何の雑誌かは忘れたけれど、以前、羽生の部屋がグラビアで紹介されたことがある。新四段になった直後だと思う。整然とした室内に、大きな天体望遠鏡があったのが印象に残っている。

 天文学者と産婦人科医は常人とは違った人生観を持っている―というのは私の持論だけど、まあそんなことはどうでもよい。天体望遠鏡は「夢見る少年」が所有するものだ。高校生と天体望遠鏡の組み合わせがおかしくて「見かけによらずロマンチストなんだな」と感心した記憶があるが、あとで本人から「あれは撮影用で……」と聞かされてガッカリしたことがある。小学時代の遺物だったようだ。

(中略)

 羽生将棋は「終盤が強い」というのが定説になっているが、どうもそれだけではないようだ。実際に羽生と対局したことのある棋士たちに、羽生将棋の印象を聞いてみた。

中村王将「バランスがいい将棋」

島六段「洗練された将棋。勝負に辛い」

森信五段「粘りがある」

谷川九段「私は非公式戦も含めて2連敗しているので、批評する資格がない」

桐山棋聖「名人候補の可能性を秘めているが、これから実績をどう作っていくかが問題」(棋聖は本局が初手合い)

(中略)

 棋聖の△4六銀は一瞬ハッとさせる手。▲同玉と取らせて△4八飛で王手金取り。△7八飛左成で7四の飛車にヒモがついたが、▲7七歩と打たれて万事休す。

 棋聖は1分考えて「これはないですね」と言った。

(以下略)

* * * * *

1987年の将棋大賞新人賞を受賞した羽生四段の「新人賞・羽生、タイトルホルダーに挑戦」が将棋世界1987年6月号から始まっている。

羽生四段が時のタイトルホルダー全員と対局するというもので、

第1局 対 中村修王将・・・羽生四段の勝ち
第2局 対 桐山清澄棋聖・・・羽生四段の勝ち
第3局 対 高橋道雄王位・棋王
第4局 対 福崎文吾十段
第5局 対 中原誠名人

のスケジュール。

* * * * *

「私は、羽生名人説を引っ込めようかと考えている」と河口俊彦六段(当時)が言うほど、村山聖四段、佐藤康光四段、森内俊之四段の躍進ぶりが目立っていたということ。

まだ、同世代の郷田真隆九段、藤井猛九段、丸山忠久九段が四段になる前の話だから、これから河口六段はもっともっと驚くことになる。

* * * * *

「(羽生は)名人候補に違いないが、懸念されるのは、今、名前の出た諸君に追い越されることである。まったく、あの天才羽生を抜こうかという者が何人もいるのだから、恐ろしい時代になったものである」

この同世代の切磋琢磨が、それぞれを(意識はしなくても)お互いに高めあうことになり、将棋界が大きく変わることになる。

* * * * *

「整然とした室内に、大きな天体望遠鏡があったのが印象に残っている」

その写真は、次に記事の後半で見ることができる。

羽生善治四段(当時)インタビュー(後編)

たしかに、言われてみると、部屋のこの場所に突然 天体望遠鏡があるのは不自然といえば不自然だ。

* * * * *

将棋世界同じ号、小泉勝巳編集長(当時)の編集後記より。

 桐山-羽生戦で羽生四段と同行の折、その人柄の良さ、「透明感」とでもいうのでしょうか。短い時間の中で感じました。我が身の16歳はどうだったのか、今となってはその記憶は遠い彼方です。

将棋世界同じ号グラビアより。撮影は炬口勝弘さん。

* * * * *

早朝東京発→13時から関西将棋会館で対局→夕刻大阪発だったという。

写真は新大阪駅らしくはないので、夕刻の福島駅だと思う。

羽生善治九段の「人柄の良さ」「透明感」は、生まれた時から持っているものなのだろう。