「観戦記」カテゴリーアーカイブ

羽生善治竜王(当時)「アッ!そうか」

将棋マガジン1990年7月号、先崎学四段(当時)の第2回IBM杯順位戦昇級者激突戦「参加することに意義がある」より。

IBM杯昇級者激突戦での羽生善治竜王(当時)。将棋マガジン1990年7月号、撮影は中野英伴さん。

12:10 朝が弱いぼくにしては珍しく早く連盟に来た。4月は旅行つづきだったので、連盟に来ると、ホッとする。エレベータに張ってあるポスターがはがれかかっていたりして、こういうところが、非常に将棋連盟らしく、ぼくは、そんな雰囲気が好きだ。

 今日は、順位戦の抽選が行われるらしく、朝からなにやら騒がしい。なんでも今年からコンピュータを使って抽選するらしく、5分くらいで表が出来るらしい。たったの5分間で1年が決まるのは味気ないが、それはそれで良いことであろう。

(中略)

 小野-屋敷戦が終わって少したつと羽生が投了した。鈴木は、対局中の沈黙がうそのように、躁状態になり、「ぼくの方には、悪手がないね。あるとすれば、序盤で端歩を突いた(△1四歩)手でしょう」

 と喋りまくる。

 羽生も人が良いので、笑って聞いている。宴たけなわになると、鈴木節はますます好調になり、

「どうです、深く読んでいるでしょう。なかなか並のプロではここまで読めないよ」

 などと言いだした。快勝してご機嫌である。それにしてもノッテル人の言うことは違う。

 ところが―検討も、もうそろそろ終わりかというとき、誰かが、9図で桂を打ったら、と言った。

 瞬間、羽生が「アッ!そうか」と叫んだ。

 9図では▲6七桂という手があった。これに対し、角を逃げるのでは、▲7二飛打でそれまで。角筋がそれてはひどい。かといってほかに手がない。ということは羽生が勝ちだった……。

 おかしい、のである。振り返るとたしかに鈴木には、悪手というべきものがない。それでいて逆転しているとは―将棋は難しい。

 それと、羽生が、こんな簡単な手をのがしたのもおかしい。不調か?

 思えば羽生は、四段に昇ったときから、周囲(取り巻き)に、強くなるように、スターになるように、育てられて来た。

 それが、竜王になり、羽生自身が一つの権威になった今、今まで味方だった人間は敵になり、彼が、さらに強くなろうとするのを邪魔するであろう。そのとき、彼が毅然とした態度をとれるかどうかに、彼の将来がかかっていると思う。

 最後に汚点はあったものの、本局は鈴木の会心譜だった。だが、これは、羽生が鈴木の力を引き出すような指し方(戦型)を選んだためであり、本番(順位戦)ならこうはなるまい。

 本番は、もうすぐ始まる。1年間また血みどろの戦いが繰り広げられることだろう。

 最後に、このIBM杯にふさわしい言葉を一つ。

「参加することに意義がある」

IBM杯昇級者激突戦での鈴木輝彦七段(当時)。将棋マガジン1990年7月号、撮影は中野英伴さん。

* * * * *

IBM杯順位戦昇級者激突戦という、順位戦での昇級者9名によるトーナメント戦が行われていた時期があった。

そういう意味でも、「参加することに意義がある」には深い意味が込められている。

* * * * *

「連盟に来ると、ホッとする。エレベータに張ってあるポスターがはがれかかっていたりして、こういうところが、非常に将棋連盟らしく、ぼくは、そんな雰囲気が好きだ」

このような気持ちは本当によくわかる。

* * * * *

細かい分析はしていないので断定はできないが、「アッ!そうか」は羽生善治九段の感想戦における口ぐせの一つかもしれない。

もっと驚いた時に、「アアッー、飛車!」と言っている事例もある。これは口ぐせではないと思う。

羽生善治四冠(当時)が「アアッー、飛車!」と驚いた村山聖七段(当時)指摘の一手

* * * * *

「思えば羽生は、四段に昇ったときから、周囲(取り巻き)に、強くなるように、スターになるように、育てられて来た。それが、竜王になり、羽生自身が一つの権威になった今、今まで味方だった人間は敵になり、彼が、さらに強くなろうとするのを邪魔するであろう。そのとき、彼が毅然とした態度をとれるかどうかに、彼の将来がかかっていると思う」

これは、嫌がらせなどをして邪魔をするのではなく、今まで気を遣って遊びなどには誘わなかった人たちが、どんどん将棋以外の面白いこと(例えば、飲む・打つ・買う)を誘ってくるようになる、という意味だと解釈した。

そのような誘いをいかに毅然と断ることができるかどうか。

解釈として当たっているかもしれないし、当たっていないかもしれない。

* * * * *

この羽生善治竜王-鈴木輝彦七段戦(タイトル・段位は当時)が終わった後の模様については、鈴木輝彦七段が翌月の将棋マガジンに書いている。

踊る先崎四段(当時)

 

「尊敬する棋士は米長邦雄三冠王。スケールの大きなところが好きで、あこがれます。ただこれは将棋のことだけで、米長先生のなにからなにまで好き、ということではありません」

近代将棋1985年1月号、今福栄さんのアマ・プロ勝ち抜き戦〔小林宏四段-小林庸俊都名人〕観戦記「若武者の一騎討ち、アマが制す」より。

 さて、この企画の魅力はもちろん、プロ若手棋士とアマ強豪の平手戦の白熱にあるのだが、もうひとつ刺激的な仕掛けがある。それは10人勝ち抜き者に、賞金50万円が贈られるということだ。

 プロ、アマ問わず、励みになることは必定で、最近のアマチュアスポーツ界は、冠大会の是非や、大金をつかむアマ選手の出現など、アマチュアリズムの根源を問い直す論議がかまびすしいが、将棋界も、ひとつの大きな流れの中に、さおさしていこうというのだろう。コトの可否、善悪はここで論議するつもりはない。

 ただ、将棋が勝負を賭けるゲームで、それもかなり緊迫した格闘技の性格を持つ以上、刺激的な仕掛けが、より蠱惑的な内実に繋がっていくということは避けられないことだろう。

 前置きはともかく、この企画の第1戦は、奇しくも、アマプロ同姓の対決となった。

 小林宏新四段、21歳。

 昭和53年10月、6級で真部一男七段に入門。16歳になる直前に6級で入会というのだから、かなり遅いプロ志望といえるだろう。6級から5年9ヵ月で四段に抜ける、これは、とびぬけて早いということもないが、まず順調な出世である。

 身長178センチ、登山が趣味ということで、細身ながらしなやかな肉体のハンサムボーイだ。

 尊敬する棋士は米長邦雄三冠王。

「尊敬する棋士は米長邦雄三冠王。スケールの大きなところが好きで、あこがれます。ただこれは将棋のことだけで、米長先生のなにからなにまで好き、ということではありません」

 明快である。もう少し聞こうと思ったが、それはやめた。

 新四段になって公式戦の成績は3勝2敗。可もなし不可もなしというところだが、本人はやや不満であろうか。さしあたっての目標は五段。

「四段でも何年か指せば五段になれるようですが」

 と少し意地悪く問うと、

「そういう五段ではありません」

 ときっぱり。口調にちょっと攻撃的なところがあって愉快である。性分がサッパリしているのだろう。

 酒も結構いける。

「真部先生に連れられて」

 飲みにも行くようだが、彼と二人だと、さすがに真部七段だけもてる、というわけにもいかないだろう。

 父君は大学教授。

 今は親元から独立して一人暮らし。

「まだ仕送りしてもらっているのか」

 と立ち入ったことを聞くと、

「仕送りを受けるくらいなら一人住まいはしません」

 といくぶん、ムッとしたような顔で答えた。

 ライバルは富岡英作三段。

「彼と指すと燃える」

 私生活ではたいへん仲がいいらしい。

(中略)

 小林都名人、ともかく寡黙である。ほとんど口を開かない。かといって狷介であるという風ではない。どこか人なつっこいところがある。酒は飲まないが、酒席にもつきあってくれる。友人の一人はこういった。

「じっと黙っていて、モソモソッと、ときおり発する言葉が凄い。深傷を負って、2、3日足腰の立たなくなった奴が何人もいる。おそろしい話だ。がおもしろい男です」

 私は、一目で好青年だと思った。

(中略)

 勝った小林都名人、

「小林プロは『将棋世界』の田尻隆司アマ名人との一戦(昭和59年12月号)で、きびしい自己批判をされておられました。どんな人かなと思っていたのですが、さわやかな人柄で、指せてよかったと思います。これからも、プロに胸を借りる意味で、一戦一戦たたかいます」

 と言葉少なにしゃべってくれたが、よく聞いてみると、まだまだ勝つ気でいることがわかる。いい気合いだ。

 小林プロは、少しつらそうだったけれど、明るく酒を飲んで、明るくふるまっていた。これからの勝負の人生で、何かをつかんだ、そんな風にも見てとれた。

(中略)

 尚、記録は中田功二段。感想戦で、急所にピシピシと発言。礼儀をわきまえて臆するところなく、気持ちがよかった。

* * * * *

小林宏四段(当時)が清々しい。

師匠の故・真部一男九段は「率直発言派の小林」ということで可愛がっていた。

非常に明快かつ明解だ。

* * * * *

「尊敬する棋士は米長邦雄三冠王。スケールの大きなところが好きで、あこがれます。ただこれは将棋のことだけで、米長先生のなにからなにまで好き、ということではありません」

尊敬するけれども何から何まで好きということではない、と言うと、歴史上の人物では織田信長が思い浮かぶ。

* * * * *

一方の小林庸俊都名人(当時)に対する「じっと黙っていて、モソモソッと、ときおり発する言葉が凄い。深傷を負って、2、3日足腰の立たなくなった奴が何人もいる。おそろしい話だ。がおもしろい男です」という友人の評。

どのような事例があったのか、結構気になる。

* * * * *

最後に出てくる中田功二段(当時)がいい感じだ。

* * * * *

郷田真隆五段(当時)「小林宏五段は、私の好きな先輩のひとりです」

 

中野サンプラザの研究会

近代将棋1986年3月号、井出洋介さんの「井出洋介の勝負の目」より。

 ちょっと原稿を書くのが遅れたお陰で、棋界の最新ニュースを聞くことができた。

 ”ヒロベエ”こと中井広恵ちゃんが、林葉直子ちゃんを破って新名人になったという。

 女流王将戦のほうで、これまで二度、直子ちゃんの軍門に下っていた広恵ちゃんだが、今回初挑戦の名人戦は、戦う前から、かなり自信のある発言もしていた。

 マージャン界では”謳うと勝てない”というジンクスがあり、戦う前には相手をあまり刺激しない方が良いとされている。まあ、相手が三人のマージャンと一人の将棋では多少違うかもしれないが、それでも、宣言通りに勝つというのはたいしたものだ。

 中井広恵ちゃんと初めて会ったのは、たしか3年前(58年)の11月だった。

 このコラムの原稿を渡すために、編集部のNさんと銀座の喫茶店で待ち合わせをしていたら、そこに”定例会”のメンバー、植山四段と広恵ちゃんがいたのである。(広恵ちゃんは佐瀬門下で、植山四段の妹デシになる)

 当時は14歳の中学2年生で、現在よりもかなりふっくらしていた。一緒にメシを食いに行ったが、肉をおいしそうによく食べていたのが印象に残っている。

 量は忘れたが、たしかワインも口にしていたようで、14歳なのにいいのかな、と思った記憶もある。

 それから何度かお見かけしているが、会うたびにスマートに、きれいになってゆく。

 しかも将棋のほうは奨励会でもまれながらどんどん強くなって、まだ16歳だというのに、ついに女流棋士の最高峰に到達したわけである。

 盤を離れれば普通の女の子でも、さすがに勝負師。対局の際に見せる表情は厳しい。先月号の本誌グラビアで、名人戦第1局に先勝した直後、にっこり笑う広恵ちゃんと、対照的に盤上を見すえている直子ちゃん。

近代将棋1986年2月号グラビアより

その反対に、フライデーに出ていた第3局(直子ちゃんの勝ち)の後の写真では、広恵ちゃんの表情に口惜しさがにじみ出ている。

 今後、しばらくは、この二人を中心に10代の女流棋士たちの華麗な戦いが続くのだろうが、やはり、若い女性がやる気になる将棋がうらやましい。

 残念ながら、女子中学・高校生のマージャン・ファンには、まず、お目にかかれない。

 なにはともあれ、広恵ちゃん、おめでとう。

 今度”名人同士”でお祝いしましょう。

* * * * *

将棋マガジン1986年11月号、大崎善生さんの観戦記「広恵、本気の三番勝負! 第1局 中学生名人 川上猛戦」より。

 昨年、アマ名人戦の取材で、中野サンプラザに行ったとき、広恵ちゃんがむくつけき奨励会員達らと研究会に参加しているのを見た。将棋を指している彼らの横の方では、大勢の女の子達がヘッドホンでジュークボックスに聞き入っていた。むさい男達に交じって、黙々とわけのわかんないことをしている広恵ちゃんを見て、彼女達はどう思っただろう。

 夕暮れ時のせいもあってか、広恵ちゃんの姿はなんとも淋しく映ったものだ。

 そして、今年のアマ名人戦。やはり広恵ちゃんはサンプラの研究会に参加していた。

 中学生名人を撃退した広恵ちゃんの第2関門は、菱田正泰元アマ名人に決まった。ちょっときつい手合いだが、広恵ちゃんに何の躊躇もない。

 これから広恵ちゃんがどのように戦っていくか楽しみでならない。ほんとうに可愛く、そして、少しだけたのもしくなってきた。

* * * * *

井出洋介さんは1985年第16期麻雀名人戦で優勝、名人位を獲得している。

* * * * *

「このコラムの原稿を渡すために、編集部のNさんと銀座の喫茶店で待ち合わせをしていたら、そこに”定例会”のメンバー、植山四段と広恵ちゃんがいたのである。(広恵ちゃんは佐瀬門下で、植山四段の妹デシになる)」

Nさんは故・中野隆義さん。井出さんとの交友は亡くなるまで続いた。

また、井出さんには将棋ペンクラブ会報に「パイコマ交遊録」を連載していただいている。

* * * * *

中井広恵女流六段と植山悦行七段が結婚するのは1989年(平成元年11月11日)のことなので、結婚をする3年前の話になる。

* * * * *

14歳でワインとは、なかなかの豪傑だ。

* * * * *

昔、中野サンプラザの中ほどの階に、1日500円で将棋や囲碁などができる娯楽室のようなコーナーがあった。

たしかに、入り口にはジュークボックスがあった。

会社の先輩とここで対局をして、その後に飲みに行くということが何度かあった。

娯楽室では、10代に見える少年たち8~10人がよく将棋を指していた。

その熱心な雰囲気から、奨励会員であることがすぐにわかった。

平成初期の頃のこと。

今になってみると、全員の顔を覚えておけば良かったと思うわけだが、後の祭りだ。

 

「将棋界のマッチ」

近代将棋1986年4月号、池崎和記さんの第9回若獅子戦〔阿部隆四段-浦野真彦四段〕観戦記「大型新人、阿部四段登場」より。

 関東の羽生善治四段(15歳)と並んで、将来の名人候補の呼び声の高い阿部隆四段(18歳)の登場だ。昨年6月に四段になったので今期順位戦には参加できなかったが、この4月からスタートする第45期順位戦(C2組)では期待通りの活躍を見せてくれると思う。

 関西が生んだ久々の大型新人。もちろん本誌初登場である。関西棋界では”強気のアベ”と喧伝されている。こと将棋に関しては一歩も譲らないと聞いたことがある。

「阿部クンは、言っただけのことはちゃんとやってるからエライよ」

 と、ある先輩棋士。”強気”は(こう言われるのを本人は気にしているようだが)自信の表れなのだから、もっと胸を張った方がいい。第一、阿部はそれを支える人一倍のものを持っている。その名は「努力」。何てったってまだ若いのだ。花が開くのはこれからだ。

 対戦するのは”将棋界のマッチ”こと浦野真彦四段(21歳)。写真でもおわかりのように、棋士ではめずらしいハンサム・ボーイ。

 この人は”詰将棋の名手”としても有名で、最近『杖将棋パラダイス』(2月号)に115手の煙り詰(作品名「雪姫」)を発表した。

 浦野が詰将棋の世界に入ったのは4年前、奨励会二段の時である。将棋が全然勝てず、そこから逃れるようにして古今の名作詰将棋を解き出したのがきっかけだったという。煙り詰(盤上39枚の駒が手順を追うごとに消えていき、最後には玉と攻め方の駒2枚だけになる)といえば、伊藤看寿の図巧九十八番が有名だが、現代作家の中にも傑作は多い。

「駒場和夫さんの『父帰る』を見て感動しまして…。これがケムリを作り始めた動機です。実は『雪姫』の他にももうひとつ完成作品があるのですが、まだ発表していません。『雪姫』は2作目。完成に3年かかりました」

 と浦野。『雪姫』の評価が出るのはこれからだが、夢の中で余詰の研究をしたことがあるというから驚く。作品名の由来は?と聞くと「雪が少しずつとけていくイメージから」という返事。詰将棋にもいろんなジャンルがあるが、浦野が取り組んでいるのは長編である。詰棋界では”構想モノ”と呼ばれている。

「生涯で、たった一作でいいんです。歴史に残るようなケムリを作りたい」

 『雪姫』は、その夢を実現するための大いなる第一歩といえるかもしれない。

(中略)

 いま、関西若手棋士の間で静かなるブームとなっているのが、トランプとマージャンと囲碁。トランプは奨励会員を中心に大流行。マージャンは浦野、森五段など。囲碁は最近はやり出し、脇六段や児玉六段が筆頭株主。

 ギャンブルといってもたわいないもの(レートはきわめて低い)で、むしろゲームそのものを楽しむ方に重きをおいている。たとえばマージャンだが、リーチ一発もなければ、カンウラもヨコもない健全ルール。ギャンブル性を極力排除しているのが特長で、この新ルールを確立したのが浦野と森である(この2人は同じ詰キストとあって仲がいい)。読みと読みの勝負になるから、こうなると棋士は強い。旧ルールで威勢のよかった某連盟職員氏などは惨敗の連続で「もう棋士の先生方とはマージャンはしません!」と引退宣言をした、と最近聞いた。

 プロになって間もない阿部は、奨励会員相手のトランプ組だ。大貧民ゲームが好きと聞いているが「ページワンとかナポレオンはルールが複雑で覚えきれないから、できない」という説がある。しかし、これで良し。面白すぎるゲームは、本業(将棋)の妨げになるから深入りしてはいけない。

(中略)

 浦野と阿部は、私の師匠(駒落ち将棋)である。両センセイに正式に”弟子”と認めてもらったわけじゃないけれど、私は勝手に決め込んでいる。

 以前、阿部に関西将棋会館の道場で飛車落ちを教えてもらったことがあり、その時、阿部の教え上手に感服した。指導将棋では異例の、1時間ぐらいの感想戦だった。「ここはこう」「こう指せば上手が困りますね」とか一手一手の解説が実にていねい。”強気の阿部”とはほど遠いやさしい指導だった。プロには厳しく、アマにはやさしく―これが阿部の信条なのだと思った。この時から私は、阿部のファンになった。

 浦野センセイは、まったく正反対。個人的に親しいせいもあるが、センセイは実にキビシイ。「二枚落ちでも相当キツイんじゃないですか?」などと脅しをかけてくるから、こちらは戦々恐々。二枚落ちの戦績は…これは私(アマ三段格)名誉のために書かないことにしよう(センセイはいま「次は四枚落ちに追い込んでやる!」と息まいています)。

(中略)

 観戦記者は、あんまり盤側にヘバリついてはいけないというのが、対局室での暗黙のルールである。横でウロウロしていたら対局者が読みに集中できないからだ。

 観戦記は一種のルポルタージュ。ならば、棋士の一挙手一投足を最後まで観察するのが本筋、という人がいるが、私はそうは思わない。プロゴルフの、グリーン上のギャラリーのマナーと同じで、傍観者の何気ない動きが棋士の読みを狂わすことがあってはいけないのである。

 もうひとつ。これは他でも書いたのだが「観戦記を女性が担当すれば棋譜がゆがんでくるだろう」というのが私の考えである。ゆがむ、というのは決して悪く、という意味ではもちろんない。たとえばの話。本局を菊池桃子チャンが観戦すれば、阿部クンは「平常心」で駒を動かすことができるだろうか。ちなみに阿部クンはモモコの大ファンで、彼の定期入れには彼女のブロマイドが2枚(!)入っている。

(中略)

 関西に、その名も「関西新聞」という日刊紙がある。将棋連盟関西本部所属の奨励会員たちの熱戦譜が、自戦記スタイルで毎日掲載されているのだが、これが抜群に面白い。彼らの本音が生き生きと書かれているからだ。

 その中で、最近とくに目を引いたのが藤原直哉君(三段)の自戦記。自戦記を銘打ってあるものの、棋譜の解説はほとんどなく、プロ棋士になるために、もがき、苦しみ、戦っている奨励会員たちの日常が、さりげなく、しかも抑制の効いた乾いた文体で見事に活写されている。さりげなく、というのはあくまで藤原君のレトリックによるもので、したたかに計算された文章であることがわかる。私は藤原君を知らないけれど、とてもナイーブな感性をもった青年なのだろう。読後、サリンジャーの一連の作品を思い出したほどである。ここに紹介できないのが残念だが、奨励会にこれほど文才のある人がいるとは思いもしなかった。藤原君よ観戦記者にならないか。

 おーっと。また脱線してしまった。

(以下略)

* * * * *

近藤真彦さんが飛ぶ鳥を落とす勢いの頃だったので、真彦といえばマッチ。

写真を見ると、観戦記に書かれているとおり、浦野真彦四段(当時)がジャニーズ事務所に所属していても不思議ではない雰囲気を放っている。

* * * * *

煙り詰「雪姫」は、浦野四段が村山聖三段(当時)に検討(余詰めがないかなど)を頼んでいる。

村山聖四段(当時)「いまはちょっとまずいです。反対側から行きましょう」

* * * * *

「観戦記者は、あんまり盤側にヘバリついてはいけないというのが、対局室での暗黙のルールである。横でウロウロしていたら対局者が読みに集中できないからだ」

盤側にずっといたら、手の良し悪しなどが感想戦までわからないということになるし、控え室での検討も聞くことができないし、ずっと座っているのも大変だし、更には池崎さんが書いているとおり「何気ない動きが棋士の読みを狂わすことがあってはいけない」ということも気をつけなければならない。

観戦記者が盤側に張り付きっぱなしではない理由はこのようにいろいろとある。

* * * * *

藤原直哉七段の書く文章は自戦記も随筆も非常に面白く、奨励会時代からその才能が発揮されていたことがわかる。

藤原七段の自戦記→五つ星の自戦記

藤原七段の随筆→藤原直哉五段(当時)「奥さん、一緒にラーメンの汁をすすりませんか」

中原誠十段「すぐ指さなくてもいいんでしょ。9時10分まで考えるかもしれませんよ」

近代将棋1985年3月号、読売新聞の山田史生さんの第23期十段戦〔中原誠十段-米長邦雄三冠〕第7局観戦記「米長、十段位をも制す」より。

 1日目夕刻というのに進行は遅い。中原が36手目を考慮中、5時半の封じ手時間がきた。

 立会人の花村九段が「封じ手の時間です」と告げたが、この表現は少し適切ではなく、正確には「5時半になりましたので、次の指し手は封じていただきます」というべきだろうか。繊細な中原十段だけに、すぐこの言葉に反応して「すぐ指さなくてもいいんでしょ。9時10分まで考えるかもしれませんよ」とニヤリ。

 この9時10分という意味がすぐにわかった読者は、ものすごいほどの将棋通といえるのだが、何人ぐらいいらっしゃるものだろうか。

 第16期の十段戦は中原と加藤一二三の対決、昭和53年1月9日に最終第7局が戦われたが、封じ手番となった加藤は、延々3時間12分考え、夜9時10分にやっと封じ手を行ったのであった。このことを指しているのだが、中原にしても、正確な時間をよく覚えているものだ。

 しかしこの言葉は中原の冗談。5時38分には封じて1日目は終了。夜は会食のあと、碁を打ったり、テレビを見たりで過ごす。

(以下略)

* * * * *

第16期十段戦第7局、封じ手までの3時間12分の長考の間、中原誠十六世名人は律儀に席を外すこともなく、正座して封じ手を待ち続けていたという。

加藤一二三九段の格闘技のようなタイトル戦

「中原にしても、正確な時間をよく覚えているものだ」と書かれているが、片方の当事者、なおかつ待っていたほうなので、時間を覚えているのは自然なことのような感じがする。

* * * * *

あまりに高度な冗談はごく僅かの人にしか通じないわけだが、「すぐ指さなくてもいいんでしょ。9時10分まで考えるかもしれませんよ」も同じ十段戦だから(読売新聞の山田さんは少なくとも知っている)言えた冗談なのかもしれない。