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名局になりそこねた名勝負

将棋世界1981年1月号、加藤治郎名誉九段の「忘れえぬ観戦」より「未完成の一局」。

”忘れえぬ観戦”が編集部からの注文である。私は”観戦”にはこのうえなく恵まれた棋士の一人。歴代名人の木村、塚田、大山、升田、中原をはじめ、現代の棋界を代表するあらゆる棋士達の対戦を、ときには立会人、ときには観戦記者として、数え切れないほど数多く観戦している。

 従って、その中から一局だけ”忘れえぬ観戦”を撰ぶのは至難中の至難事である。

 ”さて、どれにしたら”と思い悩む日が幾日か続いた。が、ある日偶然手許にあった棋聖戦の古い切り抜き帳を眺めているうちにふと本局の大山、升田戦が目にとまった。

 あれから13年を経たいまでも、対局の情景が鮮明に浮かぶ、強烈な印象の一戦であり、両雄の数ある名勝負の中でも、稀に見る一大激闘譜である。私は瞬間これに決めた。

昭和42年11月8日、於・東京将棋会館
第13期棋聖戦・挑戦者決定準決勝
(持ち時間各6時間)
▲九段 升田幸三
△名人 大山康晴

▲7六歩△3四歩▲7五歩△8四歩▲6六歩△8五歩▲7七角△7二銀▲7八飛△8三銀▲9六歩△4二玉▲4八玉△3二玉▲3八玉△7四歩(1図)

火と火の戦い

 全将棋ファンを二分する両巨豪がまさか準決勝で顔を合わせるとは夢にも思わなかった。今期棋聖戦中、願ってもない好カードであり事実上の挑戦者決定戦ともいえよう。だが世の中は広大、別の見方をするものもある。

 本局の数日前、口の悪い新鋭棋士の某氏が”準決勝で大山、升田がぶつかってよかったですね。前期のように別々の組み合わせでは両人とも決勝まで残るかどうかわかりませんからね”と、冗談とも本気ともとれる言葉をはいた。(注=前期準決勝では、大山は高島五段、升田は中原六段にそれぞれ敗れて、決勝戦は新鋭同士の争いとなった。決勝戦では中原が勝って挑戦者となり、続く山田棋聖との五番勝負にも勝って、初の棋聖位に就いた)

 私はこの話を両人にした。両人ともぶすっとした顔で聞いていたが、やがて升田は”両人とも敗退したら強そうに見えて弱い。時代は変わったといわれるだろう”と、はっきり言った。時代が変わるかどうかは、大山、升田の勝者が挑戦者になるかどうか、続く挑戦五番勝負で、中原青年棋聖とどんな戦い方をするかにかかっている。

 さて、ムダ口をたたいているうちに、指し手は快調に進み、わずか10手前後で局面は早くも未知の世界へとびこんでしまった。

 いつもは升田の火、大山の水の戦いだが、本局はどうやら、火と火の戦いらしい。

 私の前述の告げ口で、両人とも怒っちゃったのかな。

 以上が、私の本局観戦記第1譜の観戦記である。

1図以下の指し手
▲8八角△7二飛▲7四歩△同銀▲6五歩△7五歩▲6八飛△6二飛▲2二角成△同銀▲5六角△5二角(2図)

新型の超急戦法

 両雄の将棋は戦型、戦略ともにスケール雄大、しかも一手一着が独創的で新鮮潑溂。そのうえ、宿命のライバル同士だけに、すさまじいばかりの闘魂が自ずと盤上に爆発する。ファンにはこれがたまらない魅力なのだ。

 本局、大山の居飛車は一般の定跡書にあるような平凡なものではなかった。いきなり右銀を飛頭にとびだす棒銀流の超急戦。いままでだれも試みなかった新型の超急戦法だった。

 大山は△7四歩(1図)と突きながら”この棋譜をだまって棋力鑑定にだしたら、係の先生から、両人とももう少し定跡書をご覧なさい、とたしなめられるだろ”と笑う。

 升田もすぐ”これが事実上の棋聖戦かな。だから読者にもおもしろく見せなきゃあ”と同じように笑う。笑いあってはいても、両雄の頭脳は猛烈な速さで回転、盤上の変化をくまなく読んでしまう。

 新型の将棋は地図も磁石盤も持たずに未踏の深山を踏破するようなもの。しかも、最長7分の快速でふっとばしている。両雄ならではできない芸当である。

 升田が角交換から筋違い角を5六に放って次の▲6四歩を狙えば、大山も5二に筋違い角を打ってこれを受ける。

 局面が棒銀から相筋違い角に変わるとともに、攻守もいつの間にかその所を変えながら超急戦局も一時的に小康状態にはいった。

2図以下の指し手
▲7八銀△3三銀▲7七銀△4二金▲2八玉△5四歩▲3八銀△4四歩▲6六銀△2二玉▲4六歩△5一金▲7八飛△7二飛(3図)

異国人同士の会話

 ▲7八銀以下は第二次駒組み期。

 升田は▲2八玉と寄せながら”大山君と予選でこんなに早く顔を合わせるとはめずらしいね”と、つぶやく。大山はすぐ”タイトル戦では初めてでしょうね”と、答える。大山対升田戦は本局が151戦目。過去の戦績は大山84勝(不戦1)。升田65勝。持将棋1。公式戦の最多対戦の新記録である。これは、両雄がここ20数年間、他の棋士に比べとび抜けて強かったからにほかならない。

 若い頃の両雄はタイトル戦の挑戦権を争って戦った。当時の目標は木村名人であり、塚田名人(故、名誉十段)だった。木村が引退し、塚田が後退したあとは、タイトルの争奪戦に終始した。なるほど、こんな風にみてくると、タイトル戦でこれほど早く(といっても準決勝だが)顔を合わせたのは、あとにも先にもこれが初めてのようである。

 なお、両雄は対局中直接話し合うことは滅多にない。前述の会話も実は観戦子が間にはいっている。この点、両雄は言葉の通じない異国人同士のようなもので、間に通訳が入らなければ会談ができないのである。

3図以下の指し手
▲6四歩△同歩▲7五銀△6五銀▲4七角△4五歩▲同歩△4六歩▲5八角△5五歩▲6七角△4一金寄▲5八金左△3五歩▲7九歩(4図)

名人芸、升田の角使い

 昔から天才は角使いがうまいと言われている。現棋界でも角使いの名人は升田で、金は大山、飛車は大野八段(故、九段)との定評がある。(いまなら桂は中原名人と続くところだが、当時はそれほど有名ではなかった)。

 これから始まる、升田の角使いに注目されたい。

 升田はまず▲6四歩と戦端を開き、△同歩と取らせて▲7五銀と歩を取り返しながら、銀に銀を体当たりさせる。△7五同銀なら▲8三角成で升田優勢。

 大山はこれを嫌って△6五銀とかわしながら角当たりの逆先をとる。

 升田が▲4七角とかわせば、大山はさらに△4五歩▲同歩△4六歩で敵角を5八に撃退、続いて△5五歩と突き、次の△5六歩をねらう。△5六歩▲同歩△同銀と敵銀に進撃されては升田陣は壊滅する。

 升田陣危うし。が、升田は▲6七角とのぞき、敵銀の進撃をぴたりと止めてしまう。やはり升田の角使いは名人芸である。

 局後、大山も”▲6七角があるとすれば△4六歩は指し過ぎ。だまって△5五歩が本手でした”と、好手▲6七角を認めながら△4六歩を悔やむ。

 升田の▲6七角で大山の反撃が止まり、局面は△4一金以下またしても緩やかな流れにかわる。と、みられたとき、升田は突如長考に沈んでから▲7九歩の奇手を放つ。

4図以下の指し手
△3二金上▲6四銀△7八飛成▲同角△2五角▲5五銀△5八角成▲同金△4七金▲同銀△同歩成▲同金△4九飛▲3八金△7九飛成(5図)

疑問手対好手

 升田の▲7九歩は次に▲6四銀の決戦をねらった一着。あらかじめ飛車交換後の△7九飛打ちを消した渋い好手である。

 升田は▲7九歩と打ちながら、無言のまま大山の額のあたりをぎょろりとにらむ。相手の手応え、心の動揺をたしかめる得意のゼスチャーである。

 大山は真新しいハンカチをひざの上にひろげ、扇子を片手に悠然と熟考にはいる。ハタ目には全然動揺の色は感じられなかった。

 だが、形勢はこのあたりから徐々に升田に有利となっていった。

 局後、大山は「△3五歩は5二角をさばく意。が、角がいなくなったあと自陣を薄くするので疑問。△3五歩では△4三角から△5二飛-△5六歩の攻めをねらうべきだった」という。

 形勢の差は疑問手△3五歩と好手▲7九歩の差であるらしい。

 大山が11分で△3二金上と自陣を強化しながら決戦に備えれば、升田は再検討の7分でぐいっとばかり力をこめて▲6四銀とでる。

 いよいよ、乗るかそるかの大決戦の幕は切って落とされた。

 大山が飛車交換から△2五角と大さばきにでれば、升田は▲5五銀と歩を払いながら敵の攻めを催促する。一見、いかにもゆっくりした手にみえるが、次に▲4四歩の攻めと▲4六銀の受けとをみた攻防手。こんな落ち着いた手が指せるのも敵の△7九飛を消している▲7九歩のおかげである。

 4六歩を失っては万事休す。大山の△5八角成から△7九飛成までは絶対の攻めである。

5図以下の指し手
▲7二飛△7六歩▲6七角打△6九銀▲5六角△同銀▲同角△5八銀不成▲4四歩△4七銀不成▲同角△6八竜(6図)

優勢、升田ごきげん

 大山の△7九飛成に、升田は頭上高々と飛車を振り上げてから盤も割れよとばかり▲7二飛と打ちおろす。ノータイム指しと、いままで聞いたことのないような大きな駒音。形勢われに有利とみての会心の一着らしい。

 苦吟12分、大山は△7六歩と打って敵飛の利きを止める。角取りの先だ。この手で△6九銀では▲4四歩△7八竜▲同飛成△同銀不成▲6二飛△6八飛▲4三角以下、寄せ合い大山の一手負けとなる。

 升田は”目にもの見せん”と言いながら、ハデな手つきで▲6七角と打ち、角に角をつなぐ。単に角の受けというより、次の▲4四歩-▲4三歩成-▲2三角成の寄せをねらった攻防兼備の角打ちである。

 升田はこの角打ちもさきの▲7二飛と同様にお気に入りの手らしく”攻防綾なす将棋じゃな。こりゃ久し振りで名局ができた”と至極ごきげんである。

 大山の△6九銀から△5八銀不成までは大体一筋道。

 ここで升田は”いいさばきだね。お互いに”と言いながら▲4四歩と突く。▲4四歩は待望久しかった急所の攻め。次に▲4三銀と打つことができれば、大山の玉はほとんど受けなしとなる。どうやら”お互いさま”の言葉は、▲4四歩で勝ちとみた升田の大山へのお世辞らしい。

 大山は△4七銀不成▲同角と金銀を交換してから△6八竜と引く。

 △6八竜は敵の▲6五角出を消しながら△4八金(一手スキ)の寄せをねらった局面随一の勝負手。

 さあ、どちらが早いか、戦局は一手を争う寄せ合いの終盤戦へと突入した。

6図以下の指し手
▲6九歩△6一竜▲7六飛成△4五金▲4六銀打△4四金▲同銀△同銀▲4五歩△3三銀(7図)

無念、名局を逸す

 升田は”ははあ、敵は粘ろうというのだな”と、つぶやきながら少考3分で▲6九歩と打ち、△6一竜に▲7六飛成と成りかえる。

 ▲6九歩は自陣のキズを消した堅実な着手。無論これでも手数は多少長引くが升田の優位は不動と思われた。ところが、▲6九歩は失着であり、6図では升田に早く、かつ鮮やかな勝ち方があったのである。

 ▲6九歩では▲4三銀が正着。▲4三銀に△4八金なら▲3二銀成△同金▲同飛成△同玉▲6五角以下明らかに升田の一手勝ちだった。▲6五角は敵竜の利きに角をとびだす妙手。①△4一玉なら▲5二銀以下即詰み。②△6五同竜なら▲4三金△2二玉▲4八金まで、升田の玉は二手スキ、大山の玉は必至となり、いずれも先手必勝。

 右の順は、対局中はもとより局後の感想戦のときも、両対局者はじめ盤側のだれひとりとして気がつかなかった。

 ところが、升田が家に帰り床についたとたんに気づき、それを翌朝早く拙宅に電話で知らせてくれたのである。

 いつもの升田なら一瞬で発見できる順。体調が不順(当日は風邪ひきで高熱だった)だったか、あるいは魔がさしたというほかはないであろう。

 仮に▲4三銀で升田が勝っていたら本局は近来の名局と絶賛されたに違いない。早い勝ちと名局をともに逃す。升田にとってはまことに惜しい逸機だった。

 危機を脱した大山はすかさず△4五金以下自陣を立て直してしまう。

 苦戦の将棋を”勝負勝負”と相手に息もつかせず迫ってゆく呼吸といい、容易に決め手を与えぬ強靭な二枚腰のねばりといい、大山の強さ、とくに苦戦のときの強さには舌をまかざるをえない。

7図以下の指し手
▲7三歩△6七角▲7九竜△6六竜▲6八歩△8九角成▲同竜△4六竜▲4八銀△5五桂▲8三角成△5八銀▲5九金△4七銀打▲5八金△同銀不成▲5六銀△4九金▲5五銀△4八竜▲同金△同金▲1六歩△4七銀不成▲同馬△同金▲3八銀△4六歩▲同銀△同金▲5五角△4五金▲3四桂△1二玉▲4二桂成△同銀▲6四角△4六桂▲4七歩△3八桂成▲同玉△4六歩▲同歩△7四角▲4七桂△5八銀▲4八金△4七銀不成▲同金△5八銀▲4八銀△2六桂▲同歩△2七銀▲同玉△4七銀不成(投了図)
 まで、150手で大山名人の勝ち

最近稀な名勝負

 升田は勝機と同時に名局の誕生を逸した。このため戦局は長期戦の色が濃くなった。が、形勢は依然升田が勝勢である。それは持歩の数が4対1の大差だからである。

 ところが7図あたりから升田は急にペースを乱してしまう。

 ▲7三歩は不急の攻めで正着は自陣補強の▲5八銀。だが、大勢に影響するほどのことはなかった。

 ひどかったのは△6七角▲7九竜△6六竜と進んだときの▲6八歩である。

 升田「▲6八歩は大ポカ。結果は銀桂と角の二枚替えのうえ、味方の竜がそっぽへいってしまったのだからひどすぎる。▲6八歩では▲5六銀△4九角成▲6八歩△4八銀▲同金△同馬▲3八金△4七馬▲同銀で優勢だった」

 不急の攻めにつづいて大ポカを出す。やはり、升田の心のすみには”相手は二枚腰、戦いを長引かせては面倒”と、いった焦りがあったのだろう。そして、その焦りは大ポカで落胆に変わり、ここでまた▲4八銀の失着がでてしまった。▲4八銀は▲4八金打が正着。これなら大山の△5五桂から△5八銀の攻めがなく、勝敗は不明のまま長い戦いが続けられたはずである。

 大山の△5五桂以下は、食いついたら離れぬスッポン攻めだ。しかも、このスッポン攻めは、大山のお家芸の一つだけに相手にとってはまことに始末が悪い。升田もかなり頑強に抵抗したが結局は空しかった。

 △4七銀不成に、升田は”これまで”と、はっきり言って駒を投じ、大山は深く頭を下げて礼を返した。

 終了は午後5時18分。両雄ともかなりの早指しだったが、最近本局ほどスピードとスリルを満喫し、絢爛華麗な戦いに終始した将棋は稀だった。やはり当代を代表する、超ヘビー級の対戦はすばらしい。

注=この期、大山は決勝戦で二上八段(現九段)を降し挑戦者となったが、続く中原青年棋聖(当時六段、21歳)との挑戦五番勝負に1-3で敗れ、棋聖位の奪還に失敗した。

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升田幸三九段が「大山君と予選でこんなに早く顔を合わせるとはめずらしいね」と話すと、すかさず「タイトル戦では初めてでしょうね」と大山康晴名人。

この会話が二人同士ではなく、観戦記者である加藤治郎名誉九段に向けられているわけで、とても可笑しい。

さすがに感想戦では直接二人が会話をすることになるのだが、やはり本当はこの二人は仲が良かったのではないかと思えるほど。

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この一局、大山-升田戦の醍醐味、振り飛車らしい捌きと指し回し、を120%味わえる素晴らしい将棋。

お時間のある方は、ぜひ盤に並べてみてください。

 

 

一手指すごとに対局者が何かしゃべっていた時代

将棋世界2001年6月号、河口俊彦七段(当時)の「新・対局日誌」より。

 特別対局室では、田中(寅)九段対森内八段戦。これは王座戦の本戦だ。田中九段は和服であらわれた。茶系の紬で、着物は着たことがないのでわからないが、きっと高価な物なのだろう。いや値段なんて考えちゃあいけない。和服で対局する、その心意気を感じ取らなければならぬ。

 田中九段の将棋は、かならず序盤に趣向を凝らす。まるで、義務と思っているかのようだ。この日も、序盤早々に普通はありえない手が指された。

 11図は、先手が▲6八玉と上がったところをチャンスと見て、後手が△5五歩と突いたところ。特にどうということのない局面で、並の棋士なら、▲5五同歩と取り、△同角か△同飛、いずれでも▲7八玉と寄ってから、後のことを考える。田中将棋は、そういった平凡をもっとも嫌う。局面がすこしでも動いた瞬間、技をかける。

11図以下の指し手
▲5七銀△5六歩▲同銀△5四銀▲5五歩△同銀▲同銀△同飛▲7八玉△5一飛▲2四歩△同歩▲同角△2三歩▲6八角△7三桂▲2五銀(12図)

 ガツンと▲5七銀と上がる。こう指せば、△5六歩の取り込みから△5四銀と来るに決まっていて、5六の銀が怪しくなる。

 繰り返すようだが、6八玉の形でこう指す人はいないだろう。

 ここで昼休み。再開後しばらく考え、▲5五歩と打った。

 ▲4六歩と退路を作るなどは田中の辞書にない。

 ▲5五歩を打つとき「損をしまいとして損しちゃうんだな」とか田中九段が呟いた。私はたまたまこの場面を見ていたので正確ではないが、そんな意味だった。

 森内八段も、もしかしたらと覚悟していたろうが、実際に指されたときは、エッ!?という顔で苦笑した。

 昔はこういう場面が多かった。大山名人は無口な方だったが、それでもかなりおしゃべりだった。最近、大山対山田道美戦を調べているのだが、名人戦の観戦記を読むと、ほとんど一手指すごとに何かしゃべっている。ひどいときは、投了前に感想戦を始め、大山名人が敗着を指摘していたりする。

 それを観戦記者はボーツキ(盤側にいつづけること)で見ていて、克明に記録している。指さずに見ているのは、対局以上に大変だと思うが、なにかしゃべってくれればおもしろかろう。そうして、常に第三者がいると、おかしなことも起こる。

 大山名人は盤外作戦の名人でもあったが、観戦記者もうまく利用した。山田の手番になると、観戦者と世間話をはじめる。山田九段は耳ざわりでならない。我慢できなくなり、二日目の夕食休みのとき、自室で観戦記者の茶氏に「大山さんがしゃべりだしたら席を外してくれ」と頼む。茶さんも困ったろうが、昔の記者は根性があって「観戦記者は観るのが仕事だから」とつっぱねる。この二人は因縁があって、第2局の茶さんの観戦記を見た山田九段は「私が粗野に描かれている」と怒り「観戦記を断る」と朝日に申し入れた。朝日も引き下がらず山田九段と茶氏が話し合って、いちおうの合意が成り、再び第5局で観戦記を担当することになったのである。

 そういった間柄の二人が、勝負所で密談したところが、将棋界の話らしい。みんな、それぞれのところで勝負していたのだ。今は、順位戦の最終戦の降級が決まるような場面になると、対局室に入るのを尻込みするような人もいる。

 横道にそれたが、一歩損して銀交換の結果はどうだったか。

「2筋の歩を交換しておけば、後手に手がないと思った」が田中説。一方、森内八段は、はっきり言わないが、指せると思っていただろう。ただ▲2五銀と打ってからは、田中ペースの戦いになった。

(以下略)

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たしかに、観戦記者との世間話は、かなりの盤外作戦になりそうだ。

もちろん、立会人との雑談という手筋もある。

それにしても、相手の投了前に相手の敗着を指摘する大山康晴十五世名人は凄い。

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観戦記者の茶氏は、朝日新聞記者の本田静哉さん。

「アルプス越えて買物に―ヨーロッパ31カ国ドライブ旅行 」、「スペイン―観光と歴史の旅 」、「オーナードライバー」、「名探偵入門」などの著書がある。

山田道美八段(当時)が問題とした茶氏の観戦記は1965年の第24期名人戦第2局のもの。

山田八段は、近代将棋1965年8月号の「名人戦を終わって―敗軍の将、兵を語る」で思いを語っているが、第2局の観戦記についての批判は収まっていない。

この二つの作品は、後藤元気さんの『将棋観戦記コレクション』に収録されている。

茶氏の観戦記は、対局光景が活き活きと描かれており、とても面白い。故・山田道美九段にもこのような面があったのかと、山田九段の今まで知らなかった魅力に触れることができた、という気持ちにもなった。

ところが、山田道美八段は、「ボクがひどく粗野に書かれていて、まるで大山名人をおどしたりすかしたりしながら戦っている印象を受ける」、「同じセリフでもできるだけどぎつく書こうとするふしが見られる。(中略)海が汚かったら、汚いと書くのも結構だが、沼やドブのごとく描かれては困るのだ」と書いている。

なかなか難しく、そして悩ましい問題。

 

 

 

森内俊之八段(当時)「駒を裏返す時間を倹約している」

将棋世界2001年7月号、東公平さんの第19回全日本プロ将棋トーナメント〔谷川浩司九段-森内俊之八段〕決勝五番勝負第5局観戦記「火と燃えた熱海決戦」より。

「将棋は筋書きのないドラマだ」と改めて痛感した五番勝負だった。森内2勝の後の第3局は、大逆転で谷川に勝ちが転がり込み、第4局も谷川が勝って、フルセットの第5局にもつれ込んだ。

(中略)

7図以下の指し手
△8二桂▲4四角成△8八銀不成▲同馬引△7八飛不成▲同馬△5五角▲8八銀△7九銀▲7七銀打△8八銀不成▲同銀△7九銀▲7七銀打(8図)

 △8二桂で森内は残り3分。▲4四角成の粘りに、1分使って△8八銀不成。次の△7八飛不成にもちゃんと意味がある。「駒を裏返す時間を倹約している」と森内は言う。1秒でも2秒でも、森内にとっては無駄な時間なのだ。

 この例に限らず、彼は非常に正直で律儀な人柄であり、かつ繊細な神経を持っている。あえて言わせていただくが、この長所が災いして、親友でライバルの羽生五冠(彼は図太い勝負師だ!)に実績で差をつけられているのだと思う。今の実力に図太さが加わったなら、やがて森内は将棋界のトップに立つだろう。

 2枚飛車に2枚馬で対抗した谷川だったが、次第に差を広げられた。残りをしっかり2分余していた森内は、的確に寄せの網を絞って行った。▲8八銀に△7九銀から、再度の△7九銀を見ていた私は、千日手になるのかと思ったが、森内の慎重な時間稼ぎに過ぎない。

8図以下の指し手
△6八金▲6九馬△同金▲5八飛△6七角▲5五飛△8八銀不成▲同銀△8九角成▲同玉△7七桂(投了図)  
 まで、144手で森内八段の勝ち

 二人の闘志は地中のマグマのように静かに燃えていたが、△6八金が決め手で、熱い戦いはようやく終わった。「詰みが見えて、やっと勝てたと思いました」と森内は言った。投了図以下の詰みはやさしく、最終手は△8三玉になる。

 森内が2度目の優勝を果たし、「最後の全日本プロ」は終了した。優勝賞金は1,740万円だが、19回のうち優勝7回を誇る「全日本プロの谷川」を相手に、ツキのなさをも克服したこの熱戦シリーズで森内の得た自信は、金銭には代え難い貴重な財産になるだろう。

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全日本プロ将棋トーナメントは、この翌期から「朝日オープン将棋選手権」と改称される。(朝日杯将棋オープン戦の前身)。

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森内俊之八段(当時)が2連勝後の2連敗を経て迎えた最終局の最終盤、持ち時間残り3分。

駒を裏返す時間の倹約、同一手順をもう一度繰り返す間の読みの確認、という非常に慎重な指し方で、勝利を確実なものとした。

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この翌年、森内八段は丸山忠久名人(当時)を破り、初の名人位を獲得する。

東公平さんの「今の実力に図太さが加わったなら、やがて森内は将棋界のトップに立つだろう」という予言は、見事に当たっている。

 

 

「誰にも好かれようったって駄目ですよ。御贔屓があるでしょう。とっとと白状しちゃいなさいな」

将棋世界2001年5月号、歌劇俳優の宮本聡之さんの第27期女流名人位戦〔中井広恵女流名人-斎田晴子女流三段〕第5局観戦記「青天のもと、華二輪」より。

 早い展開の序盤が過ぎると、一転して進行が遅くなる。対局室は静寂の時が流れる。まるで大音量で演奏してきたオーケストラが、瞬間止まるゲネラル・パウゼのように、その場にいる者すべてが息を飲み、次の音を待望する。俗人には、ただの休みとうつるその時は、光速で回転する思考や思念で埋め尽くされ、宇宙へも拡がる目に見えぬ空間である。

(中略)

 たまに対局を見に来ると、必ず聞かれる事がある。

「今日は誰の応援ですか?」

「いや別に誰という訳では…」

「そんな隠さなくてもいいじゃないですか」

「いや隠すとかじゃなくて、本当に皆さん頑張ってほしいんです」

「誰にも好かれようったって駄目ですよ。御贔屓があるでしょう。とっとと白状しちゃいなさいな」

「じゃあ結婚式で歌わせて戴いたので森下さんを…」

「ほーらやっぱり!じゃ、相手の佐藤さんに言っときます」

「い、いや、佐藤さんもいつも駒音コンサートにヴァイオリンで出て戴いてるので…」慌てて訴えるのだが、既に相手の姿は対局室へ。

 今回にしてもどちらの応援という訳ではないのだが…。棋士はどうしても白黒つけないとオイヤなようだ。

(以下略)

——–

この時、佐藤康光九段-森下卓八段(当時)戦が行われていたのだろう。

また、宮本聡之さんさんに「今日は誰の応援ですか?」と聞いた棋士も対局中で、たまたま控え室に顔を出していたと思われる。

「ほーらやっぱり!じゃ、相手の佐藤さんに言っときます」という台詞が絶妙だ。

実際には、対局中の佐藤康光九段に「佐藤君、宮本さんって森下君のファンなんだね。今も森下君の応援ということで控え室に来られているよ。駒音コンサートに何回も出ている君との対局の日に」と話しかけることはあり得ないわけだが、気にはなってしまう。

宮本さんに聞いた棋士は誰なのだろう。会話の雰囲気から考えると先崎学八段(当時)のようにも想像できるが。

 

 

先崎学八段(当時)「羽生は死んだような顔をしている」

将棋世界2000年11月号、高林譲二さんの第41期王位戦七番勝負〔羽生善治王位-谷川浩司九段〕第6局観戦記「もつれて最終決着へ」より。

 神戸の有馬温泉で開幕してから2ヵ月たった。猛暑の中を名古屋、北海道、九州、四国と転戦して、はや9月中旬。夕刻ともなれば、秋の虫が歌いだす季節だ。

「将棋・夏の陣」というのが王位戦の主催新聞が特集でしばしば使うキャッチ・フレーズだが、勝負がもつれて第6局、第7局となれば、すでに秋の入口。いかにも七番勝負は長丁場だ。

 今期は久びさもつれた。開幕局からすべて先手番が勝って、両者、白星は一間トビ。悪い将棋でも最後は先手番が勝つという不思議な展開になっている。

 さきの棋聖戦では同じメンバーで後手番が勝ち続けた。面白いことが続くもおのだ。

 あちこちで書かれていることだが、羽生善治王位と谷川浩司九段の対局スケジュールがすさまじい。特に羽生は王位戦の後半と王座戦の前半が重なり、中国遠征も二度ある。七番勝負がもつれてくれば、疲労との戦いにもなるだろう。

(中略)

 立会人は元王位の森雞二九段と、大盤解説などタイトル戦に同行することはあっても立会人としては初めてという先崎学八段。その先崎、1ヵ月くらい禁酒していたというが、前の日に鈴木大介六段の家で朝まで飲んでしまって、顔色まったく冴えず、前夜の会食ではウーロン茶をがぶのみしていた。

(中略)

 気になるのは羽生の対局姿。朝は弱いタイプと見受けるが、それを抜きにしても眼鏡を外して目もとに手をあてる仕草が目立ち、疲れが目に見えて外に出ている。

「羽生は死んだような顔をしている」

と先崎は自分のことをさしおいて、そういう。因みに先崎は二日酔いを越え、三日酔いのような顔色だ。

(中略)

 羽生にしては珍しく不出来な将棋になってしまった。逆に谷川にとっては久びさの会心譜だ。このところ勝っても負けても逆転という将棋が目立ち、光速流が発揮できていなかった。

(中略)

「受けてもキリがないので」と、羽生△4五飛。形作りだ。▲7三銀不成で投了。71手は今シリーズ最短だった。

(中略)

 この将棋も先手番が勝った。しかしそんなことより、最終決着へ進んだインパクトの方が大きい。同じ顔合わせで前期は羽生の4連勝決着。谷川は料理に手をつけないまま退席したようなものだった。

 勝ち負けは結果として、今期は競り合いにしようというのが谷川のテーマであり、実際にそういう展開になった。羽生と谷川の戦いを続けて7局見られるのだから、ファンとしてもこれ以上のことはない。羽生はとにかく、歴戦の疲れをどう取り除くかだ。

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年度対局数の新記録を更新したのがこの年度の羽生善治三冠で、1年で89局。この記録はいまだに破られていない。

このような対局数になるのは勝ちが多いからで、89局の勝敗は68勝21敗(0.764)という高い勝率。

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とはいえ、この観戦記で書かれているように、さすがの羽生善治三冠でもこれほど対局数が多く、かつ対局が重なれば疲れが出てしまうこともあるわけで、それほど過酷な状況だったということになる。

二日酔いや三日酔いは何も手を施さなくても時間が解決してくれるが、疲れは忙しければ解消できないのが辛いところだ。