「観戦記」カテゴリーアーカイブ

「塚田君、怖いんですよ。小さいころの話をすると……」

近代将棋1983年2月号、金井厚さんの第6回若獅子戦1回戦〔武市三郎四段-塚田泰明四段〕観戦記「武市がいたんじゃ俺は名人になれない」より。

 3階の事務室は閑散としていた。時刻は12時40分。ちょうどお昼どきである。手合課の小倉主任だけがひとり机に向かっていた。そこへ眼鏡をかけた一人の青年が近づいて来て言った。

「12月7日から14日まで対局つけないでください。期末試験なんです」

 青年の名は塚田泰明。青山学院高等部の2年生。学生でありながら棋士。四段。どちらも本業である。将棋のほうの成績は抜群で、本局の前まで21勝7敗。ことしになって長いこと勝率トップを続けていた。

「日曜日はいいだろ」

「いえ、勉強がありますから」

「一つぐらい不戦敗にしてくれよ」

 小倉主任はわざと不機嫌な顔を装って言った。

「いえ、絶対駄目です。勝率が関係してきますから」

「じゃ、内藤九段負かしてくれよ。そうすれば塚田君のいうことならなんでもきく」

 3日後に塚田は、全日本プロトーナメント戦で内藤王位との対戦が決まっていた。

「そんなにお忙しいんですか」

「でなかったら、東京へ来るわけないだろ」

「じゃ、がんばります」

「うん、がんばってくれよ」

「はい」

「頼むぞー、ガンバレヨー」

 小倉主任は塚田が去ったあとも、いつまでも声援を送っていた。勝ちまくるオイソガ氏にはいつも泣かされるのが手合係。とはいえ、まさかこんな密約があるとは内藤王位もしらない。とんだところにおもわぬ伏兵がいたものだ。手合係は中原前名人が負ければ手をたたいて喜び、大山王将がとりこぼせば祝杯をあげるのかもしれない。ま、これは冗談だが、互いの要望を聞き入れ、調整しながら年間2,000局もの手合をつけるのは大変な作業だろう。

 4階の対局室へ行くと、武市がすでに端座していた。今年度、9勝7敗。だが昇降級戦では、塚田とともに4連勝と絶好調。昇級候補同士の一戦だ。

「閉めてもいいですか」

 ふすまに手をかけたのは神田真由美女流1級。隣室では女流対局が2局。ともに中盤戦。塚田とは同門の中瀬奈津子女流初段の顔もあった。二人はベテランを相手にしていた。

(中略)

「きょうは塚田君の誕生日ですよ」

 と教えてくれたのは中瀬奈津子さん。18歳になった。が、まだ2年生。かれは1年をうらおもて経験。出席日数が足りなかったのが一因だが、「ことしはもっと危ない」という。対局のたびごと休まなければならず、勝てば勝つほど欠席が増えるという悪循環。なにごとも両立はむずかしい。だがこの日は学校の創立記念日でちょうどお休みだったのはさいわい。

「塚田君、怖いんですよ。小さいころの話をすると……」

 女流対局終了後、中瀬さんにインタビューを申し込むと、奈っちゃんは、両手の人差し指をこめかみのあたりでたてて、しかめ面をしてみせた。

「わたしも聞きたいわ」

 と神田さん。ちょうど居合わせた蛸島彰子女流名人とともに、階下のレストランへ。

「3つ違いなんです。妹の尚美が塚田君と同い年なんですが、4ヵ月早生まれなんですね。小さいときは妹とよく背比べしてました。”わたし何歳になったのよ””じゃ、背比べしょうって”」

 中瀬さんの父君、俊三氏はアマ四段。志木市の自宅を開放して、近在の子供たちに将棋を教えていた。”と金の会”は有名である。隣接の朝霞市在住の塚田が、初めて参加したのが小学4年の夏。

「さいしょ来たときはひと目かわいくない。将棋強かったからじゃないですか」

「いまかわいいね、素直でね」

 神田さんが首を突っ込む。

「……」

「あんまりいい男は強くならないんですってよ。みんな言ってますよ。谷川さんみたいなのがいいんですよ」

「塚田君っていい男?谷川さんいい顔してるじゃない」

「うーん、そうだけど」

「内藤さん、強いじゃない」

 どうも話が横道にそれますね。

―どっちが早いんですか。

「それが悔しいことに2ヵ月ちがいで兄弟子なんです」

 奈っちゃんはゲンコツを作ってテーブルをたたいた。コップが3メートルほど宙に浮く。

「あら、奈っちゃん、どちらを望むかっていうとね、妹弟子のほうがいいわよ。わたしもよく訊かれるんだけどね、中原さんとどちらが入門が早いんですかって。名人の姉弟子なんていったら、すごーく年上にみられるでしょ」

 蛸島さんのあんな真剣な目つきははじめてだった。

「そうか。将来のことを考えれば妹弟子のほうがいいか」

 奈っちゃんは額に手を当て、頬杖をついた。目が虚ろである。

 あーあ、インタビュアー失格だな。

 対局場へ戻ろう。

(中略)

 奈っちゃんも知らない、塚田の学生生活は友人に語ってもらうのが一番。中等部の1年のときから現在も同級生という立花君は、「数学は強いけど、英語は弱いって言ってましたね、彼は。ことしも危ないんじゃないですか。勉強は一生懸命やってるみたいですよ。たまに試験が終わってから飲みにいくときがあります。あの人もお酒が好きなもんですから、それにお金持ちですから資金源になるんですよ。ガールフレンドは結構たくさんいるみたいですよ」

 と語る。担任の波多江幸枝教諭は英語の先生だ。(小倉主任じゃないけど、ガンバレヨ)高校生といえども、少々のお酒はいまどき珍しくない。対局で休むのはしかたがないが、それ以外に欠席はない。まじめな青年だ。もっとも小学生時分はもっと優等生だった。

(中略)

「挑戦者決定戦ですか?」

 神谷四段が入室し、一言いい置いて、すぐ退散した。二人は笑顔で見送っている。本局の勝者が次に神谷とぶつかるのだ。

「塚田とやりたい」

 神谷はそう言っていたが、はたしてどうなるか。

(以下略)

* * * * *

このほぼ2年後、中瀬奈津子女流初段(藤森奈津子女流四段)とアマ強豪の藤森保さんが結婚して、さらに2年半後、藤森哲也五段が生まれている。

藤森哲也五段は塚田泰明九段門下。

「中瀬さんの父君、俊三氏はアマ四段。志木市の自宅を開放して、近在の子供たちに将棋を教えていた。”と金の会”は有名である。隣接の朝霞市在住の塚田が、初めて参加したのが小学4年の夏」

のような歴史があっての塚田泰明九段門。

「さいしょ来たときはひと目かわいくない。将棋強かったからじゃないですか」

「あんまりいい男は強くならないんですってよ。みんな言ってますよ。谷川さんみたいなのがいいんですよ」

のような中瀬奈津子女流初段の会話が面白い。

* * * * *

中瀬奈津子女流初段と藤森保さんの結婚披露宴(近代将棋1984年11月号)
近代将棋1984年11月号グラビア、撮影は弦巻勝さん。

「将棋に美は必要だが、勝負に美は必要ない」

近代将棋1982年4月号、弦巻勝さんの第5回若獅子戦〔田中寅彦五段-中村修四段戦〕観戦記「目のまわる王様」より。

 本誌編集部より観戦記を書いてみないかと依頼を受けた。私は一応写真を撮ることによって生計を立てている、将棋大好きカメラマンである。現像液も使用せずに紙の上に文字を浮き出させることは得意でない。しかし、最初から最後まで誰はばかることなく一局の将棋を真近で見ることができる。こんないい話はない。カメラとペンを持って将棋の本山へ参上した。

 棋界は混み合っていて、プロ棋士になるのは大変なこと、アマチュアの中で少し強いくらいではとてもプロの四段にはなれない。宝くじに当たるようなわけにはゆかないのだ。ましてや八段になれるのはごく一部にすぎない。四段になると将棋の世界は一人前。しかし今日の対局者は二人共一人前と思っていない。八段になって一人前と考えている二人である。読者の皆さんは、観戦記は読まずにぜひ棋譜だけは並べてほしい。

(中略)

プロフィル

 田中寅彦五段 昭和三十二年四月二十九日生れ、四十七年高柳敏夫八段に六級で入門。

 中村修四段 昭和十七年十一月七日生れ、五十一年佐伯昌優七段にやはり六級で入門。今日は対局が多く、この将棋の他に十局もあり、雑誌でよく見る棋士の顔が動いている。本局は将棋連盟五階の香月の間で午後一時ピッタリに駒が振られた。田中さんの先手で7六歩、田中「最後だからうるめてくれ……」、中村「いやあ……」これは本棋戦は年齢制限があり、田中さんはこの棋戦、今期かぎりの対局なのである。田中さん「若獅子戦は優勝しやすいはずなのになぜできないのかなあ。弱いのかなあ……」。中村さんは風邪気味で、二、三日前ようやく熱がさがったという状態。彼は風邪をひいていなくともあまりしゃべらぬ人だから、時々口は動かすのだが音としては出てこない。あめ玉をなめている。中村さんの6四歩でやぐら中飛車が映る。

(中略)

消えた十五分

 田中さんの5七銀の時におかしなことに気がついた。対局は一時ジャストに始まった。私の時計は一時二十分、チェスクロックの両者の消費時間を見ると、中村さんが三十分、田中さんが五分、あわせて三十五分、十五分はどこに行ったのか……。記録係は萩原徹也さん十六歳、高校一年生で長谷部七段門下、昨年十月の入会で今回が四回目の記録係とのこと。聞いてみた。「これはチェスクロックの故障ですね」、いたって簡単、どうということはないらしい。他のチェスクロックに換えればいい。田中さんの了解を得て田中使用時間五分、中村十五分と新しいチェスクロックにセットして再開された。ドイツ製のかなりしっかりしたチェスクロックに見えたが、中村さん側の針が元気が良すぎたわけである。

(中略)

天王山の位

 香月の間はこの一局だけなのでとても静か光もとてもきれいな部屋で新しいチェスクロックの音が今度はゆるやかに聞こえる。

 局面は中村さんの6四歩からやぐら対やぐら中飛車の局面になったが普通は中村さん側の飛車が頑張って銀をくり出し急戦で5五をおさえて、中飛車側有利と入門書に出ている。しかし本局は田中さんの歩が5五にいて、しかも銀が二枚で頑張っている。これは素人目にも田中さん側を持って指したいと思う。局後田中さんに聞いてみると、「この局面はどの棋士が見ても私の方を持つ」と語ってくれた。

(中略)

目線

 一時に開始されて現在二時半、チェスクロッキを睨みながら中村さんブランディーを飲むようにチビリチビリと茶を……。7筋のあたりをしばらく眺めて、あめ玉を口に入れたかと思ったら、5一玉、眺めていた所と動かした所との目線が違う。田中さんは自分の銀が駒台に乗ったことに満足そう。中村さんだって7四に銀を使わされてはいい訳ない。しかしここに銀を打たないと田中さんの角に好きなように暴れられる。

(中略)

問題の局面

 それでも田中さんは「おもしろく行くか」と、8四の歩に噛み付いた。7五歩で角がひっこみがつかなくなった。田中さんは口をとがらせてヒューと溜息で角を吹く。このあたりは局後一番研究されたところ、ハッキリした答えはその場で出なかったが、田中さんは良いと思い、中村さんは悪いと思っていることは一致した。田中さんの4五歩で本格的な決戦になった。しかしこの4五歩は疑問手らしい、中村さんに1三角と覗かれ王様を睨まれた。4図から5図に至る間に問題の手があったらしい。局後いろいろ聞いたり、テープレコーダーでも取ったりしたが、家に帰ってきたら皆忘れてしまった。テープにはいろいろパチパチ音がしているがどこの局面を言っているのか指しているのかさっぱり分からない。4五歩で指し手は沢山あるが、5三歩、6三玉、5五銀打、5三金、5四銀、同金、5五歩、5三金、5四銀、同金、5五歩、5三金、5四銀、同金、同歩、とか5五銀打、6三銀左、5四歩、6一玉、4五歩、1三角、4四歩、7二玉、4五銀、4六歩打、4八飛、3三桂、3四銀、5四銀、5二歩、8一飛、7三角成、同金、5四銀、4七歩成、同飛、5六角打、4九飛、3四角、6六桂、5八銀、いろいろあるらしい。いずれにしてもプロはずいぶん沢山の手を読むものである。驚いた。

見えない部分

 十二年程前、私がある週刊誌の専属で写真を撮っていたころ銀座のソニービルでおもしろい催し物をやっていた。某フィルムメーカーの企画でテレビゲームを利用したものだと思うが、大きな画面に動物が左右から、走ったり飛んだりして出てくる。それを五メートル程手前にセットしてあるカメラですばやくとらえる。(繁華街のゲームセンターにあるような備えつけの銃で動物を撃ちおとすのに似ている)、うまく確実に撮れると点数が出るしかけ、同行の編集者は十点満点の四点。私にもやれと勧める。プロとしての自負のある私は四点以下ならどうしようと気乗りしないままやるだけやってみた。満点が出た。どうやらプロとしての面目を保てた。近くの珈琲店で”たとえ九点取れたとしても一点差が実は大きな差”と言い胸を張ってコーヒーを飲みほした。プロのカメラマンはまず第一にミスをする権利がないということである。最低限度の技術はもちろんのこと、責任のもてる写真を撮らねばならない。プロになってから私の技術が進歩したとは思えぬが何かが変わってきていると思っている。棋士を考えてみた場合、アマチュアと大きな差がある。その差は勝負に対する鍛えといっても過言でない。アマチュアは何らかの仕事に携わっている。ほかの時間に将棋を楽しんでいるのが一般的である。一方、プロは奨励会を経てきている。この奨励会が勝負を教えていると思う。もちろんこの間に将棋の技術的なオブジェを積み重ねて強くなっているのであろうが、多くはここで勝負を学んでいる。例えば月二回しかない対局をじいーっと待ち、このチャンスに飛びつく、そして勝負。

逆転か

 5七歩でいよいよ中村さんの反撃、加藤一二三九段のようにベルトに手をかけセキをするが風邪でやっているのでなんだか迫力がない。両者残り時間三十分。4三金にはビックリした。田中さんの飛車にどうぞ成れるものなら成りなさいという手。私はこういう手を考えつくのが不思議でならない。このあたりから中村さん、なんとなく駒に元気が出てきて、やぐら中飛車の飛車が張り出した。端っこの角も働いている。それでも素人目には中村さんの王様の方が薄いから中村さんが負けるかなと思っていた。少し前まで田中さんが相手の顔を手があくと睨んでいたのをやめたのが気にはなっているのだが……。

 最後は龍を銀でとると、8五桂、9八玉、8八金打、同金、同歩成、同玉、8七金打で1三の角が睨んでいて逃げられない。中村さんの8五銀出が格好よくきまった。

本局を観戦して

 この将棋を顧みると、序盤中村さんの作戦負である。Aクラスとの将棋であれば、ポイントをそのまま持って行かれ、押し切られ負けであろう。ものの二十数手で不利になるのは勉強不足もあるのではないか……。田中さんは序盤巧みに指していたにもかかわらず楽観からくる疑問手であらた勝負をふいにしている。勝負に対する甘さ以外のなにものでもない。将棋に勝ったが勝負に負けたわけだ。将棋に美は必要だが、勝負に美は必要ない、形振りかまわず勝ってこそ美しい。負けたけどいい将棋だ、などとは達観した棋士の言。若手のトーナメントプロが負けたけど美しかったなどはない。以上アマチュアの戯言と聞き流してほしい。最後に局後丁寧に教えてくれた両先生に感謝し、ペンをおきます。

* * * * *

写真家・弦巻勝さんが若かった頃の観戦記。

辛口だけれども棋士に対する愛情がこもっている。

「将棋に美は必要だが、勝負に美は必要ない」

格好いい言葉だ。

失恋後の神谷広志四段(当時)

近代将棋1983年1月号、金井厚さんの第6期若獅子戦〔堀口弘治四段-神谷広志四段〕観戦記「失恋後の神谷」より。

「順位戦の前の晩は眠れない。悶々として、四時間ぐらい眼が冴えている。若獅子戦ですか?ゆうべはぐっすり眠りました」

 神谷がいった。寛厚の長者、N記者は怒らない。

「きょう来なかったらどうなるの。不戦敗になるの。やってみようかと思ったんですけど……」

 性極めて温柔にして、順良な、N記者はけっして怒らない。

「近将なんてたかだか?万部でしょ。若獅子戦なんて勝ったってしょうがない」

 N記者が、むむ、といった。

「え、本当に○万部も出てるんですか」

「今晩の夕食はありません」

 N記者が静かにいった。

「えっ、あ、いや、これは優勝を狙ってるんです。必死で戦いました」

 局後の会話だ。

 淳良な好青年、神谷広志、二十一歳。対するは、「何年後も、何十年後もつき合いたい」という友人のひとり、堀口弘治。同じく二十一歳。両者は誕生日もひとつきとちがわない。

 一回戦の第四局である。

昭和57年10月29日 東京・将棋会館
(持ち時間、各2時間)
▲四段 堀口弘治
△四段 神谷広志

▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩▲7七銀△4二銀▲5六歩△5四歩▲4八銀△5二飛(1図)

矢倉撲滅運動

「いつもいつも二十五手目まで同じというような将棋は見ているひとに失礼ですよ。情けない。申し訳ない。気持ちがわるくなる。ひとの指した手でしょ」

 神谷は”矢倉撲滅運動”の推進者。

「どこかに棋譜が載る場合は変った将棋を心掛けている」

 ショーマンだ。

「そういってるけど、結構(矢倉も)やってるという噂もある。居飛車党で矢倉知らないと駄目なんです。先手を持ったとき矢倉をやらないというひとは多いけど、後手番のとき無理やり避けると変な将棋になっちゃう。神谷はあんまりひとの将棋を見ないんじゃないかな、野性児で」

 と語るのは青野照市七段。神谷の兄弟子である。

「大駒落ち、香落ちをずいぶん教えた。平手は一、二局しか指していない。静岡の広津先生の自宅教室で、奨励会に入る前から一級ぐらいまでですね。型にはまった将棋は好きじゃないみたい。ふしぎな将棋」

「兄弟子には平均的に教えていただきました。理論的なことは青野さんに、実戦的なことは鈴木さん(輝彦六段)に。菊地さん(常夫五段)からは”軽さ”を会得しました。米長将棋が好きでよく並べます。あとは大橋宗英(一七五ハ-一八〇九年)。厚く厚く指すところがこのうえなく好きです。宗英は宗歩より強いと思う。宗歩はいまの将棋界にきても名人になれないと思うが、宗英はなっちゃう。柳雪も強いですけどね」

 勉強しているのはまちがいない。宗英は九世名人。明治、大正時代までロングセラーを続けた『将棋歩式』の作者だ。

 本局は神谷名付けて曰く「陽動振り飛車」。

1図以下の指し手
▲5七銀△7二銀▲6六歩△6四歩▲7五歩△5三銀▲5八金右△8三銀▲7六銀△7二飛▲6七金(2図)

温厚篤実な師匠

「ぼくは特別影響を受けたというようなひとはいません。しいていうなら奨励会仲間でしょうか。同期に中村五段がいます。振り飛車はほとんどやりません。居飛車党です」

 と堀口。かれは東京調布市の生れだが、現在は府中市在住。両親は幼いとき離婚し、母一人子ひとりで育った。将棋は小学生のころ覚え、家の近くの府中支部で腕を研き、五十一年、中学三年の夏、アマ名人戦の東京都下代表となったが予選で敗退。

「こういう子がいるんですけど、プロとしてどうでしょうか、っていわれてね、府中支部の御林支部長に。ぼくは弟子を持ったこともないし、将棋クラブを経営しているわけでもないので、勉強もむずかしい。師匠としての責任を果たせそうにもないからっていったんですが、御林さんとも古いつき合いなもんですからね………まあ、(奨励会の試験を)受かったら考えましょうということで……」

 と語るのは加藤博二八段。謹厚な人格者として知られ、篤実な人柄は棋界一の評判もある。現在の師匠だ。

「かれの指したのを見たこともないし、四段になって日も浅いしね、詳しくは知らないんだけど、ほかのひとの印象を聞くと、終盤に自信を持っているらしい。反面、序盤があまり得意じゃないみたい」

 ともいう。

 神谷は浜松市出身。両親と姉の四人家族。四段になってから上京し、現在は東京狛江市在住。

(中略)

2図以下の指し手
△7四歩▲同歩△同銀▲7五歩△同銀▲同銀△同飛▲8二銀△7三桂▲9一銀成△7六歩▲6八金上△6五桂(3図)

これが俺の将棋だ

 堀口は月一回、小野修一四段の自宅で開かれる研究会に参加。主なメンバーはほかに大島映二四段、室岡克彦四段、中村修五段といったところ。そのうちの一人、大島は、「どちらかというと王様固める将棋が好きみたいですね、堀口君は」という。主催者の小野四段に、そのへんのところを突っ込んで訊いてみた。

「終盤が強いのは確かです。力が強いっていうのか、いい面と悪い面があるんですが、ゴリゴリしてるんですね。誤解招くといけないんですけど、アマチュアっぽい強さ、手(狙い)自体が直線的なんですね。王様固めてバーンといっちゃう」

「要するに、ただ囲って負けたくない。神谷みたく”これが俺の将棋だ”っていうところはないですね」

 と語るのは、前述の青野七段。研究会は昔も今も花ざかりで、森雞二八段や田丸昇七段も主催している。「小田急線研究会」などというのもある。きっと関西にもたくさんあるにちがいない。

 さて、局面。神谷は積極的に撃って出た。▲8二銀は二枚落ちの下手みたいな指し方だが、「一歩損してこのまま収まったら終わり」(両者)だから打つ一手。

(中略)

3図以下の指し手
▲4六銀△7七銀▲同桂△同歩成▲同金上△同桂成▲同角△同飛成▲同金△3九角▲9八飛△6六角上▲同金△同角成(4図)

百万円賭けますか

 最近(といっても数ヶ月前)神谷が失恋したのは有名な話。その後日談。

「君はね、自分で相手を見つけるのは無理なんだから、将棋を一生懸命やってだね、勝てばそのうちまわりのひとがいい人みつけてくれるから…」

 青野先生が真剣(?!)に論した。

「そんな軟弱なことはいたしません」

 神谷は言った。

「そんなに私がもてないっていうんなら、一年以内に結婚して女房を連れて来ますから、青野さん、百万円賭けますか」

 諸事賢明な兄弟子が、このときばかりは一瞬迷ったとか。かなり心が揺れ動いたにちがいない。若手で一番もてるのは飯野健二五段だという話だ。地方へ出かけた折、ある歌手に間違えられ、いくらちがうといっても聞きいれてもらえず、サインをして帰ってきたという逸話の持ち主。あの真部一男七段でさえ、いつだったか寿司屋で、「飯野君と飲みにいくとおもしろくないんだよな。向こうばっかり持ててね」コップ酒をぐいぐい煽っていたのを思い出す。二人とも妻帯者だ。独身だからもてるとはかぎらない。神谷君、天の配剤だよ。(かくいう筆者も独身。青野七段が将棋を一生懸命やっている理由も明白となった)

4図以下の指し手
▲9二飛△5二金右▲6九香△5六馬▲4五桂△9二馬▲同成銀△7七桂▲7三角△4二玉▲2二角

(中略)

答えを見るのはいや

 堀口にもおもしろいエピソードがある。

「ひとつの詰将棋を五年半も考えてたっていう噂だよ」

 ニュース・ソースは有野芳人四段。本人に確かめてみると、

「本当です。五年半どころか十年ぐらい考えてたように思います。もちろん四六時中ってわけではありませんが。最初に見たのが小学校六年のときですから……ええ、解けなくて、答えを見るのがいやだったんですね。十一手詰なんですが、盲点にはいっちゃったんですね。『詰将棋パラダイス』(一九七二年四月号)に載っていた作品です。結構むずかしいと思いますよ」

 という話だ。下図がその詰将棋。

(中略)

6図以下の指し手
▲5八玉△5五桂▲6六銀△6四角▲5五銀左△同歩▲6四香△6五金▲5四桂△3三玉▲5五馬△同金▲同銀△7六銀(投了図)  
 まで、88手で神谷四段の勝ち

二十二歳の別れ

 神谷は△6五金と打ってようやく、「勝ちだな」と思った。この場面では、堀口も負けを覚悟していたにちがいない。△7六銀を見て、即座に投了。

「変わった将棋が指せて満足です。今日のような誰も指したことのない将棋を指しているときがいちばん気分爽快」

 と神谷。失恋後のかれは実力を発揮し、本局に勝って、今年度十八勝九敗。そのなかには加藤名人を破った金星も含まれている。

 その晩かれは将棋会館近くのレストランで祝杯をあげ、田丸七段の案内でそこからさほど遠くない会員制のバーを回り、新宿に赴いた。もちろんN記者も一緒。

 三軒目のスナックで、かれは、「歌はダメ、歌はダメ、歌の下手なのは脇謙二(四段)と一緒。うまいのは西川慶二(四段)」と叫びながら、それでもマイクを拒否しなかった。そして朗々と歌いあげたのが、「二十二歳の別れ」。

 青ちゃん、いまからでも遅くはない、賭けは受けるべきだよ。

* * * * *

N記者は昨年亡くなられた中野隆義さん。

若獅子戦は近代将棋が主催していた若手棋士の棋戦。

* * * * *

「順位戦の前の晩は眠れない。悶々として、四時間ぐらい眼が冴えている。若獅子戦ですか?ゆうべはぐっすり眠りました」

順位戦は大事だから前の晩は眠れなくなるけれども、若獅子戦は全然気にならない、という意味。

抜き身の日本刀のような神谷広志四段(当時)。

当時は順位戦とそれ以外の棋戦という概念が強く、順位戦の在籍クラスに他の棋戦の対局料も連動していた。

* * * * *

神谷四段の矢倉撲滅運動。

「いつもいつも25手目まで同じというような将棋は見ている人に失礼ですよ。情けない。申し訳ない。気持ちがわるくなる。人の指した手でしょ」は神谷四段の心意気。

矢倉に向かう3手目▲7七銀は悪手だとして、▲7七銀をとがめる順を研究していたりもした。

本局は、まさにそのような展開。

3図から4図に至る手順も荒々しくて、ファンが喜びそうな流れだ。

* * * * *

「そんなに私がもてないっていうんなら、一年以内に結婚して女房を連れて来ますから、青野さん、百万円賭けますか」

1年以内かどうかは調査ができていないが、神谷八段はこれから2年後には結婚をしている。

有言実行の中でも結婚は最も難しいことの一つだが、これを成し遂げるのだからすごい。

青野照市八段(当時)の結婚

 

升田式石田流の気になる変化と対策

将棋世界2005年11月号、山岸浩史さんの瀬川晶司氏プロ編入試験六番勝負第3局観戦記「プロの時間 アマの時間」より。

初手からの指し手
▲7六歩△3四歩▲7五歩△8八角成▲同飛△4五角▲7六角△4二玉▲3八銀(1図)

 タイトル戦よりも多い報道陣のフラッシュの放列が去るや、今度は盤上に閃光が走った。久保3手目、▲7五歩!

 早石田は久保のレパートリーの一つではあるが、彼は私の取材に「先手なら四間飛車」と答えていたのだ。局後にそのことを言うと久保は悪びれずもせずに言う。

「盤の前に座ると第六感が働いたんです。そもそも銀河戦(久保先手)で▲7五歩とすべきでした。早指しなら力戦に持ち込んだほうがプロは有利なんですから。それを玉の薄い藤井システムにするなんて、瀬川さんをなめていました」

 一方、瀬川さんは「久保先手なら四間飛車、それも意地を張ってまた藤井システム」と予想していた。プロとアマの勝負への意識の違いを垣間見た気がした。

 とはいえ早石田も瀬川さんの想定範囲内ではあった。持ち時間も十分にある。すぐに△8八角成が用意の対策で、▲同銀に△4二玉▲7八飛△4五角の予定。先に△6二玉では▲6六歩から石田流本組(久保の得意形)をめざされるのだ。

 だが、久保は▲8八同飛!見たこともない手だと思ったが、じつは実戦例が一局ある。前期の銀河戦、ほかでもない▲久保-△豊川六段戦である。

 瀬川さんはその将棋を知らなかったが、▲8八同飛の局面は「指してみたい将棋」のひとつとして想定していた。本譜のように△4五角▲7六角△4二玉のとき▲3八金の一手とみて、先手が美濃に囲えなくなるから面白いと思っていたのだ。▲3八銀では△5四角から角交換になったあと△2八角の傷が残る。久保-豊川戦も△4二玉まで本譜と同様に進み、そこで久保は▲3八金と指した。

「早指しだから読まずに金を上がりましたが、▲3八銀も成立するのではないか、とそのときから思っていたんです」

 はたして6分で久保▲3八銀(1図)。試験将棋で、新手が出た。

1図以下の指し手
△5四角▲7八飛△4四歩▲1六歩△6二銀▲4八玉△3二玉▲3九玉(2図)

 2図までに△2八角が成立するかが、本局の一つのポイントだった。

 たとえば△4四歩のところで△7六角▲同飛△2八角はどうか。簡単に香が取れそうだが、▲5五角△3三桂▲7四歩△同歩▲8二角成△同銀▲1八飛で角が殺される。以下△3九角打とつなぐ粘りには▲3六歩が▲3七銀をみて好防で、後手がまずい。△4四歩はこの変化の▲5五角を消したものだ。

 次の△6二銀も欠かせないところ。瀬川さんは△3二玉のところで△7六角~△2八角を決行するつもりだった。今度は▲1七香と逃げる手があるが、美濃に囲わせない得は大きい。だが、香車は逃げないのだ。△2八角以下、▲4六飛△1九角成▲4四飛△4三香▲同飛成△同玉▲4六香△3二玉▲4一香成△同玉▲4三角というすごい変化で、先手優勢になるのである。瀬川さんがこの罠を見破り、自重したのはさすがというべきだろう。だが、△2八角といけないのではそもそも△4五角と打つ作戦が空振りしたことになる。新手▲3八銀の成否は今後の研究次第だろうが、久保がおそらくこの展開を想定して選んだ早石田は功を奏したといえる。

 形勢にこそまだ差はないが、瀬川さんは△4四歩以下の3手で40分近くを消費してしまったからである。

(以下略)

* * * * *

升田式石田流、▲8八同飛ではなく▲8八同銀の状態で同じような心配が発生する。

個人的には今まではA図から▲1七香としていたが、勝率は悪かった。

▲5五角△3三桂▲7四歩△同歩▲8二角成△同銀▲1八飛があれば世界は変わる。

しかし、▲7四歩に△6二銀とされた場合は、▲7三歩成△同銀▲同飛成△同桂▲同角成となるのだろうか。

どちらにしても乱戦だ。

升田式石田流ファンには避けては通れない変化。

 

清水市代女流王位(当時)「今は胃腸(いちよ)の調子が悪いので…」

将棋世界2004年12月号、野村隆さんの第15期女流王位戦五番勝負〔清水市代女流王位-矢内理絵子女流四段〕第2局観戦記「急転直下の結末」より。

 投了寸前の局面から清水が大逆転。またしても矢内は好局を落としてしまった。逆に見れば第1局に続き清水の精神力が光る一局だった。

 日本酒が好きだと言う清水は普段、局後の打ち上げでは1合ほど飲むこともあるそうだが「今は胃腸(いちよ)の調子が悪いので…」とこの日はノンアルコール。

 打ち上げ後のカラオケの席には途中から矢内も顔を見せて、ちあきなおみの「喝采」、中島みゆきの「ひとり上手」などをハスキーボイスで熱唱。「ジャズシンガー向きの声だ」と関係者のあいだで評判だった。

(以下略)

* * * * *

「胃腸(いちよ)の調子が悪いので」は、なかなか思いつかない鋭い手筋だが、清水市代女流六段ならどのような時にも使えるネタだ。

* * * * *

ちあきなおみさんの「喝采」は、1972年の日本レコード大賞受賞曲で、矢内理絵子女流四段(当時)が生まれる8年前の曲。

対局場は有馬温泉、矢内女流四段の選曲が渋い。

* * * * *

ちあきなおみさんは、1992年に夫の郷鍈治さんが亡くなってから、芸能活動を休止している。

* * * * *

1978年だったか1979年、東京・広尾(住所は南麻布)に、結婚したばかりのちあきなおみさんと郷鍈治さんが経営する喫茶店ができた。

大学へ通う時の最寄り駅の至近距離にあったので、二度ほど一人で入った記憶がある。

郷鍈治さんは宍戸錠さんの弟で、格好の良い悪役が似合う俳優だった。

郷鍈治さんがマスターをしており、やはり、初めて入った時は(あ、テレビで見た通りの顔だ)と思ったものだった。

* * * * *

芸能人も棋士も、初めて会った時は、意識しなくても深層心理で(あ、テレビで見た通りの顔だ)と思っているもの。

初めて生で見た時に、テレビで見るよりもずっと実物のほうが格好いいと思うケースもあり、個人的にはその代表例が、1984年の歌手の岩崎宏美さん、2003年の佐藤康光九段、2005年の中井広恵女流六段だった。