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三浦弘行五段(当時)が羽生善治七冠からタイトルを奪った日

将棋マガジン1996年10月号、中村修八段(当時)の第67期棋聖戦[羽生善治棋聖-三浦弘行五段]第5局観戦記「夢でも幻でもなく」より。

 羽生七冠王が誕生して以来、棋界の興味は次の一点に集中していた。

”誰が羽生を最初に倒すのか”

 その答えが第67期棋聖戦によってついに出された。2勝2敗のタイスコアで迎えた注目の第5局に、原田泰夫先生と共に立合いで呼ばれた事は幸運と言うしかない。それでは早速本局を振り返ってみたいと思う。

(中略)

 関係者一行は、29日新幹線と車を乗り継いで「高島屋」へと向かった。

 移動中、関係者と和やかに談笑する羽生棋聖はいつも通りのマイペースに見えたが、一方の三浦五段もタイトル戦の雰囲気を心から楽しんでいる様子で、ほぼ3時間笑顔を絶やさず対局場に入った。

”決戦”の第5局は振り駒にいぇ行われる。それまでここ一番では必ずといっていいほど振り駒の女神に微笑まれた羽生棋聖だが、今回は意外にも後手番。三浦五段は緊張からか、少し震えた指で飛車先の歩をつまみ、長い一日が始まった。

 ここで棋聖戦第4局までを振り返ってみたい。第1局は羽生棋聖の先手で相掛かり。途中、棋聖の勘違いがあったようで後手の三浦五段が一方的に攻める展開となり快勝。

 逆に2局目の角換わり棒銀、3局目の相矢倉は羽生棋聖が一方的に攻め切り完勝。ここまで来るとやはり防衛と思えたが、続く第4局は素晴らしい大熱戦だった。角換わり腰掛け銀から両者小ミスはあったものの、秒読みでの正確な指し手には驚かされる。この接戦をものにした三浦五段は大きな自信を得たことだろう。対する羽生棋聖には今までになかったような見落としが目立った。これは過労からくるものなのか、あるいは後輩の挑戦者が続き、読み筋の合わせにくさを感じているのかもしれない。そういえば前夜祭の時に「今期は年下としか指していないんですよ」と言っていたのを思い出した。

 三浦五段の作戦は飛車を深く引く前例の少ない力戦型。研究会などで仲間同士強くなろうとする傾向にある若手棋士の中で、一人だけで一日10時間の勉強を欠かさない三浦五段は異色の存在といえる。

 元々、戦法は選ばない棋風ではあるが、この大一番、天下の七冠王に対して定跡型ではなく、力で来いというのだから気持ちが良い。羽生棋聖も同型で応じ、私自身も期待の膨らむ序盤戦となった。

1図以下の指し手
▲3八銀△3四歩▲2七銀△3三角▲3六銀△2二銀▲6八玉△4二玉▲5八金△6二銀▲9六歩△9四歩▲1六歩△1四歩▲7六歩△8四飛▲6六角(2図)

 前例が少ないといっても後手の羽生棋聖にとっては2局ほど経験のある形で、先手の棒銀にも迷わず△3三角~△2二銀としっかりと受け止めた。ここで産経新聞の奥田記者から三浦五段のお腹の調子が良くないとのこと。この時期だけに一瞬嫌な気もしたが、驚くことはなくどうやら神経性のものらしい。第2局でもそうだったと聞く。何でも普段から対局の時には胃薬など欠かせないそうである。

 七冠王に対して、臆せず立ち向かう対局態度からして、かなりの強心臓かと思えたが、実際は繊細な心の持ち主のようである。薬を飲んで落ち着いたらしく、関係者一同も一安心。局面は難しい序盤戦が続いている。

2図以下の指し手
△同角▲同歩△5二金▲8八銀△6四歩▲7九玉△6三銀▲4五銀△3三銀▲7七銀△7四歩▲5六角(3図)

 ここ岩室温泉「高島屋」は対局場としても有名である。対局室から見える美しい竹林の庭園。そして女将さんをはじめ従業員の方々の行き届いたサービス。対局者にとってこれ以上のことはない。私自身もプライベートか、できれば対局者で是非一度と思わずにはいられなかった。

 2図で▲6六角と出て後手から角を交換させられたため、先手は2手得に成功した。但し、先手の▲4五銀も▲5六銀と戻れば手の損得はなくなる。羽生棋聖の△7四歩で、仮に△4四歩▲5六銀と進めば長い駒組みが続いていただろう。

 三浦五段の▲5六角は、勝てば勝因、負ければ敗因といわれてもおかしくない勝負手。この大一番を左右しかねない一手を僅か14分で指せる度胸が羨ましい。以下はこの角が働くかどうかが最大のポイントとなってきた。

3図以下の指し手
△7五歩▲同歩△6五歩▲同歩△7三桂▲6七金右△9五歩▲同歩△4九角(4図)

 羽生棋聖の△7五歩に突然の大長考。▲1五歩を中心に読んでいたそうだが、以下△同歩▲1二歩△同香▲3四銀△同銀▲同角△4九角▲2四歩△3三金で難解な形勢といえる。

 飛車の横利きが通ってみると、4五銀は動けず、困ったようだが△4四歩には▲3四銀と前に進めるため追い返される心配はない。もっとも△4四歩に▲3六銀と引く一手の局面になれば間違いなく後手が勝つ。

 端を突き捨てたところで夕食休憩。△9七歩ぐらいかと見ていたら、ぼんやりと△4九角。

 どちらの角に軍配が上がるのか。

4図以下の指し手
▲4六歩△4四歩▲3四銀△同銀▲同角△6五桂▲6六銀△9八歩▲同香△7六銀(5図)

 三浦五段の▲4六歩をみて膠着状態が続くかと思えば一転して羽生棋聖は動いた。△4四歩は相手の攻め駒を呼び込むだけに怖い手である。

 しかし、七冠王の貫禄からか、5図の△7六銀まで進んでみると、”肉を切らせて骨を断つ”好手に思え、羽生優勢という空気が控え室全体を包んでいった。

5図以下の指し手
▲同金△同角成▲6四歩(6図)

 局面は一気に終盤戦に流れ込んだ。

 控え室のモニターで指し手を見ている面々にも自然と力が入ってくる。5図の△7六銀に平凡な▲同金△同角成▲6七銀では、以下△8七馬▲8五歩△同飛▲7六銀打△8八金▲同金△同馬▲同飛△6九金で寄りとなる。

 防衛濃厚という雰囲気の中、突然大きな打ち上げ花火の音が飛び込んで来た。何でも町の夏祭りと重なったらしく、こればかりは七冠王でも止めることはできない。対局室への影響が心配されたが、旅館側もこの日のために防音窓に変えてくれたそうで対局者には聞こえなかったらしい。

 花火以上に驚いたのは6図の▲6四歩。銀取りを放置して絶妙のタイミングで打たれたこの一手に羽生棋聖はしびれたのである。

6図以下の指し手
△7七歩▲同桂△6四銀▲6七銀△7七桂成▲同金△同馬▲同銀△6五桂▲8六銀△5七桂成▲7六桂△4三金打▲同角成△同金左▲6八歩△7七歩▲8九銀△6七成桂▲同歩△3九角(7図)

 6図の▲6四歩に対して△同銀には▲6七銀と打ち、以下△8七馬▲同金△同飛成▲5二角成△同玉▲9六角と強引に王手竜取りを掛けて先手良し。後手陣は飛車に弱い陣形なのだ。また、▲6四歩に△6六馬と銀を取り合う手は、▲6三歩成△同金▲5二銀が詰めろとなりやはり先手がいい。

 ▲6四歩の切り返しを境にして控え室の空気も変わり始めてきた。研究すればするほど三浦良しの変化が出てくるからである。戻って△9八歩~△7六銀と攻めたところでは、△4五歩と角取りに突き、以下▲6四歩△同飛▲4五角△8六歩▲同歩△8七歩などと複雑に指すべきだったらしい。

 本局も羽生棋聖らしからぬ見落としが出てしまった。しかし、将棋は三浦有利でも勝負はこれからだ。ましてや、相手は羽生である。

 見落としのショックで自滅する人間にはタイトルは取れない。本局でも羽生は苦しみながら最善手を見つけてきた。

 後手の銀取りに構わず△7七歩。以下▲6三歩成は△7八歩成▲同飛△8七馬▲5二と△3三玉で後手の勝ち。

 ぎりぎりの利かしを入れて△6四銀と手を戻す。先手有利に見えるが差は少ない。三浦五段待望の▲7六桂に△4三金打がしぶとい一着で形勢はハッキリしない。後手△4三同金左のところで形良く△同金右と取ると▲8四桂△6七桂成▲8二飛の王手で負けてしまう。

 いつの間にか控え室は東京からの各新聞記者の方々でいっぱいになっていた。皆の関心は一点に集中している。▲8九銀と受けたところで、ついに三浦五段は1分将棋となった。

 続いて羽生棋聖も△3九角(7図)で秒読みが始まった。

7図以下の指し手
▲2三飛成△5七角成▲6八金△7八銀▲同銀△同歩成▲同玉△8九銀▲7七玉△7五銀▲8四桂△8六銀▲同歩△7六歩▲8七玉△8四馬▲3四桂(投了図)  
まで、105手で三浦五段の勝ち

 羽生棋聖にとって最大のチャンスは7図の△3九角で△6六歩と打つ手だった。以下▲同歩なら本譜の様に進めて▲6八金に△6七銀が利く。

 また、△6六歩に対して攻防に利く▲5六角には、以下△5七角▲6八桂△6七歩成▲同角△6六角成▲2三角成△3三金でこれも後手が面白い変化だった。

 本譜は▲6八金と受けられて少し足りない形である。途中、△8九銀にうっかり▲6九玉と引くと△8六飛と切られ、▲同歩は△7八銀打で詰み。▲5七金にも△7六飛で逆転模様だが、三浦五段は間違えることなく▲7七玉と立ち勝負は終わった。

 投了図以降は△5一玉には▲8一飛の王手馬取りまで。また、△同金には▲4三銀△同金▲3二飛以下の簡単な詰みとなる。

 約1時間の感想戦の後、場所を移して新棋聖の共同インタビューが始まった。そしてその後、異例ともいえる敗者へのインタビューも同じく行われた。

 これまで圧倒的な強さで隙を見せることなく勝ち続けてきた羽生六冠王だが、今回少しイメージが変わって来た。何れにせよ羽生六冠王の正念場はここからである。休みなく続く防衛戦をどう戦って行くのか興味は尽きない。(傍観者になってはいけないが)

 話は前日に戻るが、前夜祭を終え、対局者が8時過ぎに自室に戻った後、二次会にておいしい日本酒をたくさん頂いた。そろそろ寝ようかと思った12時過ぎ廊下に出ると、そこに三浦君が立っていた。「冷房の音が気になって」係の人と部屋へ行ってみると、換気扇の音らしく、これも止めようがない。そこで布団を大広間から継ぎの間に移動させて何とか眠れたという。

 対局終了後、新棋聖を囲んで麻雀を少ししたが、彼は「昨日はすみません。寝ぼけていたみたいです」と言う。「こちらも酔っていたので朝あれは夢かと思ったよ」と言いながら私は同時に思った。今回、羽生が負けたという事実は夢でも幻でもなく、私にとって忘れられない出来事になるだろうと。

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1996年7月30日が、三浦弘行棋聖誕生の日。

当時はひねり飛車が多く指されていたので、1図のように飛車先交換後、2八まで飛車を引く例は少なかった。

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6図の▲6四歩が絵に描いたような絶妙手。

今ならコンピュータソフトが考えたような手と言われてしまうのだろうか。

それではあまりにもつまらない世の中だ。

棋士同士、お互いの信頼感だけは持ち続けていてほしいと思う。

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今日、2月13日は三浦弘行九段の誕生日で、2月14日は羽生善治七冠誕生の日。

そして今日は、三浦九段の復帰第一戦となる竜王戦1組、羽生善治三冠-三浦弘行九段戦が行われる。

ニコ生の解説は、今日取り上げた観戦記の筆者でもある中村修九段。

前回も書いたことだが、勝敗を超越した素晴らしいドラマが生まれるような気がしてならない。

 

 

大山康晴十五世名人「あんたたち、麻雀強いでしょ、お酒も相当やるんじゃない?」

将棋世界1981年9月号、能智映さんの第22期王位戦〔中原誠王位-大山康晴王将〕第1局観戦記「終盤の大逆転劇」より。

 大山は昨夜の麻雀の話をしながら駒を進める。得意の四間飛車だ。中原の9六歩に端を受けずに7一玉。ここで手が止まった。熟慮31分、意を決して9五歩と詰める。以後中原陣は俗にいう四枚高美濃に、大山陣は高美濃(1図)になっていく。

 ふらっと大山が控え室に現れたとき、タイミングよくテレビ局から「どんな駒組みですか?」の問い合わせの電話。私が「銀冠」と答えると、「いや、高美濃ですよ」と大山。

「西と東では表現が違うんですよ。シルコとゼンザイみたいにね」に、みなわかったような、わからぬような顔をしてうなずく。

 板谷進八段は繁華街の西武デパートの前で大盤解説だ。ちょっと見に行ったが、猛烈に暑い。しかも丑の日とあって隣でウナギの蒲焼きの大売り出しをやっている。その煙が風の具合で大盤の前を漂う。それでもやり過ごすのが板谷流。「1年分のウナギの匂いをかいじゃったよ」と満足げだからおかしい。

 時々、控え室に現れる大山、ホテルの担当者二人をつかまえて「あんたたち、麻雀強いでしょ、お酒も相当やるんじゃない?」と真顔で聞いている。その二人の名札を見ると「北村」「芹沢」と書いてあった。偶然なのだが、変な取り合わせだ。

 夕食後は、誰がいい出したか妙な麻雀遊び。中原は仲間に入り、大山はニコニコ笑って見ている。10時すぎに二人は消えた。

(以下略)

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タイトル戦一日目、昨日の麻雀の話をしながら指している大山康晴十五世名人の姿がいかにも昭和で嬉しい。

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昔の関西では銀冠のことを高美濃と読んでいたとすると、高美濃は普通に美濃囲いと呼ばれていたのだと思う。つまり、片美濃も銀美濃もダイヤモンド美濃もすべて「美濃囲い」。

3八に銀、4九に金、2八に玉(7二に銀、6一に金、8二に玉)があればとにかく美濃囲い。

この辺のざっくりとした感覚が、古き良き時代の振り飛車の感覚そのものなのだろう。

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「美空」「五木」のような名札なら「あんたたち、歌うまいでしょ」と言われても通じると思うが、「北村」「芹沢」の名札で「あんたたち、麻雀強いでしょ、お酒も相当やるんじゃない?」と突然言われればポカンとするしかなかっただろう。

しかし、このようなところが大山流の人心掌握術のとっかかりのようにも思える。

 

 

行方尚史六段(当時)「なんだか余計ひどくなっちゃったっす」

将棋世界2001年9月号、椎名龍一さんの第20回早指し新鋭戦決勝〔深浦康市六段-行方尚史六段〕観戦記「胸を打った投了シーン」より。

「決勝戦の観戦記を書く」という立場からすると、主役は優勝した深浦でなければならない。一歩譲っても両対局者を五分に見て、傍観者としての立場を貫かねばならないところであろう。

 ところが僕はその王道を踏み外し、今回はどうも行方を中心とした観戦記を書いてしまいそうなのだ。これが混乱と悩みを引き起こしている原因なのだが、この日の行方があまりにもオモシロかったので、とりあえずその路線で書いてしまおうと心に決めた。決めたのだ。

 まず、控え室に現れた行方を見て「ハッ」としてしまった。日頃愛用しているコンタクトレンズではなく、ラグビーボールを二つ並べたような、鼈甲色のフレームの眼鏡を着用してきたからだ。

 パッと見た目には縄文時代に作られた土偶のような雰囲気なのである。

 この眼鏡着用には訳があった。実はこの対局の前々日に、行方は「暑苦しい」という理由により髪の毛を自分でカットする、という冒険に出ていたのだが、右と左の長さを揃えているうちにいつの間にやら短く切り過ぎてしまったのだそうだ。しかもガタガタに…。このヘアースタイルでのテレビ出演はまずいと思い、対局日の午前中に床屋へ駆け込んで整髪してもらったそうなのだが、「それが新入りの人に当たっちゃったみたいで、なんだか余計ひどくなっちゃったっす」と行方。派手な眼鏡は髪型に視聴者の目を向けさせないためのカムフラージュというわけである。

 深浦はいつも掛けているフレームレスの落ち着いた雰囲気の眼鏡。行方の眼鏡を「サイケな前衛ミュージシャン風」とすれば、深浦の眼鏡は「オーケストラのバイオリニスト風」という感じでとても対照的だ。その眼鏡のレンズを対局開始10分前にティッシュペーパーで念入りに磨き、気合いを入れた深浦だった。

(以下略)

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将棋世界のこの号のグラビアに、行方尚史六段(当時)の当日の写真が載っている。

中野伴水さん撮影の写真の一部

たしかに、行方六段には見えない。

メガネの影響がかなり大きいのではないかと思う。

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髪型が大きく変わっているけれども、それ以外は変わっていないケースも見てみたい。

この写真は、1989年の週刊将棋に載ったもの。

この時の羽生善治三冠は、何かの理由でスポーツ刈りにしたあと髪の毛が伸びた状態。

髪の毛は著しくイメージと違うが、どう見ても羽生三冠の若い頃だ。

こうやって考えると、変装をするなら、髪型を変えるよりもメガネに工夫を凝らした方が効果的、という結論が導き出されるように思える。

 

 

名局になりそこねた名勝負

将棋世界1981年1月号、加藤治郎名誉九段の「忘れえぬ観戦」より「未完成の一局」。

”忘れえぬ観戦”が編集部からの注文である。私は”観戦”にはこのうえなく恵まれた棋士の一人。歴代名人の木村、塚田、大山、升田、中原をはじめ、現代の棋界を代表するあらゆる棋士達の対戦を、ときには立会人、ときには観戦記者として、数え切れないほど数多く観戦している。

 従って、その中から一局だけ”忘れえぬ観戦”を撰ぶのは至難中の至難事である。

 ”さて、どれにしたら”と思い悩む日が幾日か続いた。が、ある日偶然手許にあった棋聖戦の古い切り抜き帳を眺めているうちにふと本局の大山、升田戦が目にとまった。

 あれから13年を経たいまでも、対局の情景が鮮明に浮かぶ、強烈な印象の一戦であり、両雄の数ある名勝負の中でも、稀に見る一大激闘譜である。私は瞬間これに決めた。

昭和42年11月8日、於・東京将棋会館
第13期棋聖戦・挑戦者決定準決勝
(持ち時間各6時間)
▲九段 升田幸三
△名人 大山康晴

▲7六歩△3四歩▲7五歩△8四歩▲6六歩△8五歩▲7七角△7二銀▲7八飛△8三銀▲9六歩△4二玉▲4八玉△3二玉▲3八玉△7四歩(1図)

火と火の戦い

 全将棋ファンを二分する両巨豪がまさか準決勝で顔を合わせるとは夢にも思わなかった。今期棋聖戦中、願ってもない好カードであり事実上の挑戦者決定戦ともいえよう。だが世の中は広大、別の見方をするものもある。

 本局の数日前、口の悪い新鋭棋士の某氏が”準決勝で大山、升田がぶつかってよかったですね。前期のように別々の組み合わせでは両人とも決勝まで残るかどうかわかりませんからね”と、冗談とも本気ともとれる言葉をはいた。(注=前期準決勝では、大山は高島五段、升田は中原六段にそれぞれ敗れて、決勝戦は新鋭同士の争いとなった。決勝戦では中原が勝って挑戦者となり、続く山田棋聖との五番勝負にも勝って、初の棋聖位に就いた)

 私はこの話を両人にした。両人ともぶすっとした顔で聞いていたが、やがて升田は”両人とも敗退したら強そうに見えて弱い。時代は変わったといわれるだろう”と、はっきり言った。時代が変わるかどうかは、大山、升田の勝者が挑戦者になるかどうか、続く挑戦五番勝負で、中原青年棋聖とどんな戦い方をするかにかかっている。

 さて、ムダ口をたたいているうちに、指し手は快調に進み、わずか10手前後で局面は早くも未知の世界へとびこんでしまった。

 いつもは升田の火、大山の水の戦いだが、本局はどうやら、火と火の戦いらしい。

 私の前述の告げ口で、両人とも怒っちゃったのかな。

 以上が、私の本局観戦記第1譜の観戦記である。

1図以下の指し手
▲8八角△7二飛▲7四歩△同銀▲6五歩△7五歩▲6八飛△6二飛▲2二角成△同銀▲5六角△5二角(2図)

新型の超急戦法

 両雄の将棋は戦型、戦略ともにスケール雄大、しかも一手一着が独創的で新鮮潑溂。そのうえ、宿命のライバル同士だけに、すさまじいばかりの闘魂が自ずと盤上に爆発する。ファンにはこれがたまらない魅力なのだ。

 本局、大山の居飛車は一般の定跡書にあるような平凡なものではなかった。いきなり右銀を飛頭にとびだす棒銀流の超急戦。いままでだれも試みなかった新型の超急戦法だった。

 大山は△7四歩(1図)と突きながら”この棋譜をだまって棋力鑑定にだしたら、係の先生から、両人とももう少し定跡書をご覧なさい、とたしなめられるだろ”と笑う。

 升田もすぐ”これが事実上の棋聖戦かな。だから読者にもおもしろく見せなきゃあ”と同じように笑う。笑いあってはいても、両雄の頭脳は猛烈な速さで回転、盤上の変化をくまなく読んでしまう。

 新型の将棋は地図も磁石盤も持たずに未踏の深山を踏破するようなもの。しかも、最長7分の快速でふっとばしている。両雄ならではできない芸当である。

 升田が角交換から筋違い角を5六に放って次の▲6四歩を狙えば、大山も5二に筋違い角を打ってこれを受ける。

 局面が棒銀から相筋違い角に変わるとともに、攻守もいつの間にかその所を変えながら超急戦局も一時的に小康状態にはいった。

2図以下の指し手
▲7八銀△3三銀▲7七銀△4二金▲2八玉△5四歩▲3八銀△4四歩▲6六銀△2二玉▲4六歩△5一金▲7八飛△7二飛(3図)

異国人同士の会話

 ▲7八銀以下は第二次駒組み期。

 升田は▲2八玉と寄せながら”大山君と予選でこんなに早く顔を合わせるとはめずらしいね”と、つぶやく。大山はすぐ”タイトル戦では初めてでしょうね”と、答える。大山対升田戦は本局が151戦目。過去の戦績は大山84勝(不戦1)。升田65勝。持将棋1。公式戦の最多対戦の新記録である。これは、両雄がここ20数年間、他の棋士に比べとび抜けて強かったからにほかならない。

 若い頃の両雄はタイトル戦の挑戦権を争って戦った。当時の目標は木村名人であり、塚田名人(故、名誉十段)だった。木村が引退し、塚田が後退したあとは、タイトルの争奪戦に終始した。なるほど、こんな風にみてくると、タイトル戦でこれほど早く(といっても準決勝だが)顔を合わせたのは、あとにも先にもこれが初めてのようである。

 なお、両雄は対局中直接話し合うことは滅多にない。前述の会話も実は観戦子が間にはいっている。この点、両雄は言葉の通じない異国人同士のようなもので、間に通訳が入らなければ会談ができないのである。

3図以下の指し手
▲6四歩△同歩▲7五銀△6五銀▲4七角△4五歩▲同歩△4六歩▲5八角△5五歩▲6七角△4一金寄▲5八金左△3五歩▲7九歩(4図)

名人芸、升田の角使い

 昔から天才は角使いがうまいと言われている。現棋界でも角使いの名人は升田で、金は大山、飛車は大野八段(故、九段)との定評がある。(いまなら桂は中原名人と続くところだが、当時はそれほど有名ではなかった)。

 これから始まる、升田の角使いに注目されたい。

 升田はまず▲6四歩と戦端を開き、△同歩と取らせて▲7五銀と歩を取り返しながら、銀に銀を体当たりさせる。△7五同銀なら▲8三角成で升田優勢。

 大山はこれを嫌って△6五銀とかわしながら角当たりの逆先をとる。

 升田が▲4七角とかわせば、大山はさらに△4五歩▲同歩△4六歩で敵角を5八に撃退、続いて△5五歩と突き、次の△5六歩をねらう。△5六歩▲同歩△同銀と敵銀に進撃されては升田陣は壊滅する。

 升田陣危うし。が、升田は▲6七角とのぞき、敵銀の進撃をぴたりと止めてしまう。やはり升田の角使いは名人芸である。

 局後、大山も”▲6七角があるとすれば△4六歩は指し過ぎ。だまって△5五歩が本手でした”と、好手▲6七角を認めながら△4六歩を悔やむ。

 升田の▲6七角で大山の反撃が止まり、局面は△4一金以下またしても緩やかな流れにかわる。と、みられたとき、升田は突如長考に沈んでから▲7九歩の奇手を放つ。

4図以下の指し手
△3二金上▲6四銀△7八飛成▲同角△2五角▲5五銀△5八角成▲同金△4七金▲同銀△同歩成▲同金△4九飛▲3八金△7九飛成(5図)

疑問手対好手

 升田の▲7九歩は次に▲6四銀の決戦をねらった一着。あらかじめ飛車交換後の△7九飛打ちを消した渋い好手である。

 升田は▲7九歩と打ちながら、無言のまま大山の額のあたりをぎょろりとにらむ。相手の手応え、心の動揺をたしかめる得意のゼスチャーである。

 大山は真新しいハンカチをひざの上にひろげ、扇子を片手に悠然と熟考にはいる。ハタ目には全然動揺の色は感じられなかった。

 だが、形勢はこのあたりから徐々に升田に有利となっていった。

 局後、大山は「△3五歩は5二角をさばく意。が、角がいなくなったあと自陣を薄くするので疑問。△3五歩では△4三角から△5二飛-△5六歩の攻めをねらうべきだった」という。

 形勢の差は疑問手△3五歩と好手▲7九歩の差であるらしい。

 大山が11分で△3二金上と自陣を強化しながら決戦に備えれば、升田は再検討の7分でぐいっとばかり力をこめて▲6四銀とでる。

 いよいよ、乗るかそるかの大決戦の幕は切って落とされた。

 大山が飛車交換から△2五角と大さばきにでれば、升田は▲5五銀と歩を払いながら敵の攻めを催促する。一見、いかにもゆっくりした手にみえるが、次に▲4四歩の攻めと▲4六銀の受けとをみた攻防手。こんな落ち着いた手が指せるのも敵の△7九飛を消している▲7九歩のおかげである。

 4六歩を失っては万事休す。大山の△5八角成から△7九飛成までは絶対の攻めである。

5図以下の指し手
▲7二飛△7六歩▲6七角打△6九銀▲5六角△同銀▲同角△5八銀不成▲4四歩△4七銀不成▲同角△6八竜(6図)

優勢、升田ごきげん

 大山の△7九飛成に、升田は頭上高々と飛車を振り上げてから盤も割れよとばかり▲7二飛と打ちおろす。ノータイム指しと、いままで聞いたことのないような大きな駒音。形勢われに有利とみての会心の一着らしい。

 苦吟12分、大山は△7六歩と打って敵飛の利きを止める。角取りの先だ。この手で△6九銀では▲4四歩△7八竜▲同飛成△同銀不成▲6二飛△6八飛▲4三角以下、寄せ合い大山の一手負けとなる。

 升田は”目にもの見せん”と言いながら、ハデな手つきで▲6七角と打ち、角に角をつなぐ。単に角の受けというより、次の▲4四歩-▲4三歩成-▲2三角成の寄せをねらった攻防兼備の角打ちである。

 升田はこの角打ちもさきの▲7二飛と同様にお気に入りの手らしく”攻防綾なす将棋じゃな。こりゃ久し振りで名局ができた”と至極ごきげんである。

 大山の△6九銀から△5八銀不成までは大体一筋道。

 ここで升田は”いいさばきだね。お互いに”と言いながら▲4四歩と突く。▲4四歩は待望久しかった急所の攻め。次に▲4三銀と打つことができれば、大山の玉はほとんど受けなしとなる。どうやら”お互いさま”の言葉は、▲4四歩で勝ちとみた升田の大山へのお世辞らしい。

 大山は△4七銀不成▲同角と金銀を交換してから△6八竜と引く。

 △6八竜は敵の▲6五角出を消しながら△4八金(一手スキ)の寄せをねらった局面随一の勝負手。

 さあ、どちらが早いか、戦局は一手を争う寄せ合いの終盤戦へと突入した。

6図以下の指し手
▲6九歩△6一竜▲7六飛成△4五金▲4六銀打△4四金▲同銀△同銀▲4五歩△3三銀(7図)

無念、名局を逸す

 升田は”ははあ、敵は粘ろうというのだな”と、つぶやきながら少考3分で▲6九歩と打ち、△6一竜に▲7六飛成と成りかえる。

 ▲6九歩は自陣のキズを消した堅実な着手。無論これでも手数は多少長引くが升田の優位は不動と思われた。ところが、▲6九歩は失着であり、6図では升田に早く、かつ鮮やかな勝ち方があったのである。

 ▲6九歩では▲4三銀が正着。▲4三銀に△4八金なら▲3二銀成△同金▲同飛成△同玉▲6五角以下明らかに升田の一手勝ちだった。▲6五角は敵竜の利きに角をとびだす妙手。①△4一玉なら▲5二銀以下即詰み。②△6五同竜なら▲4三金△2二玉▲4八金まで、升田の玉は二手スキ、大山の玉は必至となり、いずれも先手必勝。

 右の順は、対局中はもとより局後の感想戦のときも、両対局者はじめ盤側のだれひとりとして気がつかなかった。

 ところが、升田が家に帰り床についたとたんに気づき、それを翌朝早く拙宅に電話で知らせてくれたのである。

 いつもの升田なら一瞬で発見できる順。体調が不順(当日は風邪ひきで高熱だった)だったか、あるいは魔がさしたというほかはないであろう。

 仮に▲4三銀で升田が勝っていたら本局は近来の名局と絶賛されたに違いない。早い勝ちと名局をともに逃す。升田にとってはまことに惜しい逸機だった。

 危機を脱した大山はすかさず△4五金以下自陣を立て直してしまう。

 苦戦の将棋を”勝負勝負”と相手に息もつかせず迫ってゆく呼吸といい、容易に決め手を与えぬ強靭な二枚腰のねばりといい、大山の強さ、とくに苦戦のときの強さには舌をまかざるをえない。

7図以下の指し手
▲7三歩△6七角▲7九竜△6六竜▲6八歩△8九角成▲同竜△4六竜▲4八銀△5五桂▲8三角成△5八銀▲5九金△4七銀打▲5八金△同銀不成▲5六銀△4九金▲5五銀△4八竜▲同金△同金▲1六歩△4七銀不成▲同馬△同金▲3八銀△4六歩▲同銀△同金▲5五角△4五金▲3四桂△1二玉▲4二桂成△同銀▲6四角△4六桂▲4七歩△3八桂成▲同玉△4六歩▲同歩△7四角▲4七桂△5八銀▲4八金△4七銀不成▲同金△5八銀▲4八銀△2六桂▲同歩△2七銀▲同玉△4七銀不成(投了図)
 まで、150手で大山名人の勝ち

最近稀な名勝負

 升田は勝機と同時に名局の誕生を逸した。このため戦局は長期戦の色が濃くなった。が、形勢は依然升田が勝勢である。それは持歩の数が4対1の大差だからである。

 ところが7図あたりから升田は急にペースを乱してしまう。

 ▲7三歩は不急の攻めで正着は自陣補強の▲5八銀。だが、大勢に影響するほどのことはなかった。

 ひどかったのは△6七角▲7九竜△6六竜と進んだときの▲6八歩である。

 升田「▲6八歩は大ポカ。結果は銀桂と角の二枚替えのうえ、味方の竜がそっぽへいってしまったのだからひどすぎる。▲6八歩では▲5六銀△4九角成▲6八歩△4八銀▲同金△同馬▲3八金△4七馬▲同銀で優勢だった」

 不急の攻めにつづいて大ポカを出す。やはり、升田の心のすみには”相手は二枚腰、戦いを長引かせては面倒”と、いった焦りがあったのだろう。そして、その焦りは大ポカで落胆に変わり、ここでまた▲4八銀の失着がでてしまった。▲4八銀は▲4八金打が正着。これなら大山の△5五桂から△5八銀の攻めがなく、勝敗は不明のまま長い戦いが続けられたはずである。

 大山の△5五桂以下は、食いついたら離れぬスッポン攻めだ。しかも、このスッポン攻めは、大山のお家芸の一つだけに相手にとってはまことに始末が悪い。升田もかなり頑強に抵抗したが結局は空しかった。

 △4七銀不成に、升田は”これまで”と、はっきり言って駒を投じ、大山は深く頭を下げて礼を返した。

 終了は午後5時18分。両雄ともかなりの早指しだったが、最近本局ほどスピードとスリルを満喫し、絢爛華麗な戦いに終始した将棋は稀だった。やはり当代を代表する、超ヘビー級の対戦はすばらしい。

注=この期、大山は決勝戦で二上八段(現九段)を降し挑戦者となったが、続く中原青年棋聖(当時六段、21歳)との挑戦五番勝負に1-3で敗れ、棋聖位の奪還に失敗した。

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升田幸三九段が「大山君と予選でこんなに早く顔を合わせるとはめずらしいね」と話すと、すかさず「タイトル戦では初めてでしょうね」と大山康晴名人。

この会話が二人同士ではなく、観戦記者である加藤治郎名誉九段に向けられているわけで、とても可笑しい。

さすがに感想戦では直接二人が会話をすることになるのだが、やはり本当はこの二人は仲が良かったのではないかと思えるほど。

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この一局、大山-升田戦の醍醐味、振り飛車らしい捌きと指し回し、を120%味わえる素晴らしい将棋。

お時間のある方は、ぜひ盤に並べてみてください。

 

 

一手指すごとに対局者が何かしゃべっていた時代

将棋世界2001年6月号、河口俊彦七段(当時)の「新・対局日誌」より。

 特別対局室では、田中(寅)九段対森内八段戦。これは王座戦の本戦だ。田中九段は和服であらわれた。茶系の紬で、着物は着たことがないのでわからないが、きっと高価な物なのだろう。いや値段なんて考えちゃあいけない。和服で対局する、その心意気を感じ取らなければならぬ。

 田中九段の将棋は、かならず序盤に趣向を凝らす。まるで、義務と思っているかのようだ。この日も、序盤早々に普通はありえない手が指された。

 11図は、先手が▲6八玉と上がったところをチャンスと見て、後手が△5五歩と突いたところ。特にどうということのない局面で、並の棋士なら、▲5五同歩と取り、△同角か△同飛、いずれでも▲7八玉と寄ってから、後のことを考える。田中将棋は、そういった平凡をもっとも嫌う。局面がすこしでも動いた瞬間、技をかける。

11図以下の指し手
▲5七銀△5六歩▲同銀△5四銀▲5五歩△同銀▲同銀△同飛▲7八玉△5一飛▲2四歩△同歩▲同角△2三歩▲6八角△7三桂▲2五銀(12図)

 ガツンと▲5七銀と上がる。こう指せば、△5六歩の取り込みから△5四銀と来るに決まっていて、5六の銀が怪しくなる。

 繰り返すようだが、6八玉の形でこう指す人はいないだろう。

 ここで昼休み。再開後しばらく考え、▲5五歩と打った。

 ▲4六歩と退路を作るなどは田中の辞書にない。

 ▲5五歩を打つとき「損をしまいとして損しちゃうんだな」とか田中九段が呟いた。私はたまたまこの場面を見ていたので正確ではないが、そんな意味だった。

 森内八段も、もしかしたらと覚悟していたろうが、実際に指されたときは、エッ!?という顔で苦笑した。

 昔はこういう場面が多かった。大山名人は無口な方だったが、それでもかなりおしゃべりだった。最近、大山対山田道美戦を調べているのだが、名人戦の観戦記を読むと、ほとんど一手指すごとに何かしゃべっている。ひどいときは、投了前に感想戦を始め、大山名人が敗着を指摘していたりする。

 それを観戦記者はボーツキ(盤側にいつづけること)で見ていて、克明に記録している。指さずに見ているのは、対局以上に大変だと思うが、なにかしゃべってくれればおもしろかろう。そうして、常に第三者がいると、おかしなことも起こる。

 大山名人は盤外作戦の名人でもあったが、観戦記者もうまく利用した。山田の手番になると、観戦者と世間話をはじめる。山田九段は耳ざわりでならない。我慢できなくなり、二日目の夕食休みのとき、自室で観戦記者の茶氏に「大山さんがしゃべりだしたら席を外してくれ」と頼む。茶さんも困ったろうが、昔の記者は根性があって「観戦記者は観るのが仕事だから」とつっぱねる。この二人は因縁があって、第2局の茶さんの観戦記を見た山田九段は「私が粗野に描かれている」と怒り「観戦記を断る」と朝日に申し入れた。朝日も引き下がらず山田九段と茶氏が話し合って、いちおうの合意が成り、再び第5局で観戦記を担当することになったのである。

 そういった間柄の二人が、勝負所で密談したところが、将棋界の話らしい。みんな、それぞれのところで勝負していたのだ。今は、順位戦の最終戦の降級が決まるような場面になると、対局室に入るのを尻込みするような人もいる。

 横道にそれたが、一歩損して銀交換の結果はどうだったか。

「2筋の歩を交換しておけば、後手に手がないと思った」が田中説。一方、森内八段は、はっきり言わないが、指せると思っていただろう。ただ▲2五銀と打ってからは、田中ペースの戦いになった。

(以下略)

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たしかに、観戦記者との世間話は、かなりの盤外作戦になりそうだ。

もちろん、立会人との雑談という手筋もある。

それにしても、相手の投了前に相手の敗着を指摘する大山康晴十五世名人は凄い。

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観戦記者の茶氏は、朝日新聞記者の本田静哉さん。

「アルプス越えて買物に―ヨーロッパ31カ国ドライブ旅行 」、「スペイン―観光と歴史の旅 」、「オーナードライバー」、「名探偵入門」などの著書がある。

山田道美八段(当時)が問題とした茶氏の観戦記は1965年の第24期名人戦第2局のもの。

山田八段は、近代将棋1965年8月号の「名人戦を終わって―敗軍の将、兵を語る」で思いを語っているが、第2局の観戦記についての批判は収まっていない。

この二つの作品は、後藤元気さんの『将棋観戦記コレクション』に収録されている。

茶氏の観戦記は、対局光景が活き活きと描かれており、とても面白い。故・山田道美九段にもこのような面があったのかと、山田九段の今まで知らなかった魅力に触れることができた、という気持ちにもなった。

ところが、山田道美八段は、「ボクがひどく粗野に書かれていて、まるで大山名人をおどしたりすかしたりしながら戦っている印象を受ける」、「同じセリフでもできるだけどぎつく書こうとするふしが見られる。(中略)海が汚かったら、汚いと書くのも結構だが、沼やドブのごとく描かれては困るのだ」と書いている。

なかなか難しく、そして悩ましい問題。