読む 羽生善治前竜王(当時)「カナダ、ヨーロッパなどがいいかな。フランクフルトへもまた行きたいと思っています」 将棋マガジン1991年5月号、羽生善治前竜王(当時)の「懸賞 次の一手」より。 順位戦がひと区切りつく4月頃、たいがいの棋士はその時期に旅行をするようです。 私は昨年オーストラリアに行ってきましたが、今年はまだ予定も立てていません。 よく一... 2020.01.23 読む
読む 先崎学五段(当時)「竜王を獲ったときより、うれしそうな顔をしている」 将棋マガジン1991年6月号、高橋呉郎さんの「形のメモ帳:羽生善治 独り立ちの勲章」より。 いま考えると、四、五段時代の羽生は、将棋の常識を変えかねない一面をもっていた。序盤の作戦勝ちとか、中盤、指しやすそうだとかの常識が、この少年には通用... 2020.01.19 読む
読む 大山康晴十五世名人「次に何があるんかね。110番(警察)117番(時報)119番(救急)と目標をつくってきたが」 将棋世界1991年4月号、井口昭夫さんの「名人の譜 大山康晴」より。 優勝回数が119回になったとき、大山は「次に何があるんかね。110番(警察)117番(時報)119番(救急)と目標をつくってきたが」とつぶやいた。 その大山が次に目標とし... 2020.01.13 読む
読む 米長邦雄少年「では師匠にお聞きしますが、高校へ行かなければ、将棋が本当に強くなるのでしょうか?」 将棋世界1991年4月号、米長邦雄王将(当時)の「我が師の恩」より。 私が内弟子をしていた頃、一番上の兄貴が、時々遊びに来ては、「お前は勉強しろよ」と学校の成績が落ちていないかをいつも心配するのだった。母親のかわりに見に来ていたらしい。普通... 2020.01.10 読む
読む 米長邦雄王将(当時)「芹沢さんから聞いた話だが、口のきき方の悪い芹沢さんに対して、師匠はナイフを投げつけたことがあった」 将棋世界1991年4月号、米長邦雄王将(当時)の「我が師の恩」より。 内弟子生活3年間、この間のことは、詳しく書くことはできない。 かつて先輩の芹沢博文九段と話をした時に、「お前とは将棋の話、酒の話、ギャンブルの話、女の話、人生諸々、あらゆ... 2020.01.09 読む