棋士のエピソード

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真部一男七段(当時)が坊主頭になった理由

将棋世界1984年3月号、信濃桂さんの「東京だより」より。 年末から年始にかけてヨーロッパ旅行をしたという大内八段。聞けば交響楽団に同行したとかで、ユニークといおうか、こんな旅はちょっとない。本誌に登場したこともある小林研一郎氏が名古屋市民...
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H三段(当時)の証言

近代将棋1989年10月号、池崎和記さんの「福島村日記」より。某月某日 日本海旅行から帰ってきたばかりの東六段と関西将棋会館でバッタリ。「どうでした」と聞くと「よかったですよ。料理もうまかったし」。「南さんも旅行に行ったらしいですね。久美浜...
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羽生善治五段(当時)「大山先生や中原先生と対局する時でも、緊張したことは全くありません」

将棋世界1989年2月号、青島たつひこさん(鈴木宏彦さん)の「駒ゴマスクランブル」より。 偶然というか、ひょんなことから、というか、島竜王、羽生五段の二人とラジオの座談会番組に出ることになった。”将棋界の若手はなぜこんなに強いのか”というの...
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現在では非合法だけれども当時は合法だった一局

近代将棋2005年3月号、鈴木宏彦さんの「将棋指し なくて七癖」より。「父は健啖かつ食道楽だった」と木村義徳九段が父親の木村義雄十四世名人のことを書いている。 義徳九段が食べ盛りの頃でも、木村名人は息子とほとんど同量を食べていたという。好物...
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大山康晴十五世名人「明日の朝はうなぎがいいね」

近代将棋2005年2月号、鈴木宏彦さんの「将棋指し なくて七癖」より。 強い棋士はよく食べる。これを常識にしたのは、ご存知、故・大山康晴十五世名人だ。食にまつわる大山のエピソードは数多い。 昭和40年の王将戦。山田道美八段の挑戦を受けた大山...