現在では非合法だけれども当時は合法だった一局

近代将棋2005年3月号、鈴木宏彦さんの「将棋指し なくて七癖」より。

「父は健啖かつ食道楽だった」と木村義徳九段が父親の木村義雄十四世名人のことを書いている。

 義徳九段が食べ盛りの頃でも、木村名人は息子とほとんど同量を食べていたという。好物のとろろ飯を食べる時は茶碗を2つ用いたそうだ。かまずに飲み込んでしまうため、交代の茶碗がすぐにいるというわけだ。ソバを食う時も、「ソバは耳食と言って、かまずに食べるものだ」とおっしゃっていたという。よほど丈夫な胃袋をお持ちだったのだろう。

 ゴミハエ論争といえば、木村義雄と升田幸三の対戦では有名な話。

 昭和24年の「第2回全日本選手権」は上位12棋士の選抜戦で行われた。当時八段の升田は予選で土居市太郎八段と大山康晴八段を破り、決勝リーグ、木村名人、萩原淳八段との三つ巴戦に進んだ。その三つ巴戦の1局。金沢で行われた木村-升田戦の前夜祭で両対局者の火花が散ったのだ。

 会食をしながらウンチクを傾け出した木村名人。

「やっぱり豆腐は木綿ごしに限る。この歯ごたえがなくっちゃあ。江戸っ子は」

 升田が反論した。

「豆腐は昔から絹ごしが上等と決まっとる」

「君はまだ若い。物の味が分かるまい。そんなこたあ、田舎者の言うことだよ」と木村。

 ここから激しい論争が始まり、升田が、「えらそうなことばかり言うとるが、将棋は名人でも、その道の専門家から見りゃ、木村名人の知識なんかゴミみたいなもんだ」と言った。

「なにい、ゴミだって?名人がゴミなら君はなんだ」という木村に、「さあね、ゴミにたかるハエですか」と升田。

 これで升田が一本取ったように見えたが、最後に木村が鋭く一言、「君もえらそうなことばかり言ってないで、一度くらい名人挑戦者になったらどうだね」と投げつけて席を立った。

 前夜祭の席で両対局者がけんか腰でやり合う。今では考えられないことだが、これは木村、升田という英雄的なキャラクターに昭和20年代という時代が重なって実現したものだろう。

 右は升田が31歳、木村が44歳の時の話。この2年前の昭和22年の2人の対戦(夕刊三社主催の木村-升田三番棋戦第1局。当時の木村前名人と升田八段の対戦)ではもっとすごい話があったのを観戦記を担当した坂口安吾が書いている。

 1日制の対局。午後7時に夕食休憩になった。ここで新聞社の担当者が坂口安吾と升田に酒を勧め!2人に2合くらいずつ飲ませた。

 酒を飲まない木村前名人には安吾がゼドリンという覚醒剤(当時は眠気覚ましになるとして、これが堂々と市販されていた)を勧め、木村がそれを飲んで夕食休憩後の対局に臨む話も出てくる。

 これまた今では考えられないことだが、当時は酒や覚醒剤を飲んで対局に臨むことが不謹慎とは考えられなかったのである。

 さらに時代はさかのぼって、昭和14年。当時六段、20歳の升田が木村名人と初めて対戦した時の話。公開で行われた香落ち戦は終盤の波乱の末、升田が逆転勝ちしたのだが、対局中、升田は着物のたもとからミカンを取り出してムシャムシャといくつも平らげ、コーヒーが出れば名人より先に飲み、タバコも遠慮なく吸ったという。

 この升田の対局態度を見て、名人に対して失礼と非難した観客も多かったが、関西びいきの人々は、「升田、ミカン対局の勝利」と快哉を叫んだという。

 思うに、この初対面の時から木村の頭には、「升田イコール粗野な田舎者」という見出しがインプットされていたに違いない。10年後のゴミハエ論争は、起こるべくして起きたのである。

——–

「ゼドリン」は、この当時、武田薬品が発売していたアンフェタミン製剤の商標。

当時はアンフェタミンの副作用について世界的にまだ知られていなかったため、疲労抑制剤として販売されていた。(この1年後に一般向けの販売が禁止されている)

軍隊では、空軍のパイロットのような警戒態勢や注意力の持続が要求される任務につく際に、アンフェタミン製剤を与えられることが多かったという。

——–

闇市の闇米を拒否して食糧管理法に沿った配給食糧のみを食べ続け、栄養失調で亡くなった裁判官がいたほどの戦後の混乱した時代。

ヒロポン(大日本製薬)、ホスピタン(参天堂製薬)、アゴチン(富山化学工業)など20社を超える製薬会社が当時の言葉で言う「除倦覚醒剤」を販売していた。

これらの薬は、一時的に疲労倦怠感を除き、活力が増大したように脳に錯覚させるだけで、薬が切れたときは何倍もの疲労感に襲われる傾向があった。また、その乱用により精神面、肉体面での崩壊につながる非常に危険な薬だった。

日本では世界に先がける形で、覚せい剤取締法が昭和26年に制定されている。

——–

昭和22年の、木村義雄前名人(当時)がゼドリンを飲んで、升田幸三八段(当時)が酒を飲んだこの一局は、木村前名人が勝っている。

ゼドリンはドーピングのようなもの。たしかに、酒を飲んだ方が絶対に負けそうな感じがする。

——–

坂口安吾が木村義雄前名人にゼドリンを勧めた時のことなどは、青空文庫で読むことができる。

昭和22年の対局の2年後の名人戦でも坂口安吾は木村義雄十四世名人にゼドリンを勧めているが、木村名人は大人の断り方をしているようだ。

坂口安吾「勝負師」(青空文庫)