"村山聖"

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谷川浩司九段「そんなことはありません。森さんでよかったんですよ」

将棋世界1999年3月号、「両親が語る・我が子、村山聖の思い出(前編)」より。インタビュー/構成は大崎善生編集長(当時)。 父 どれだけ将棋に熱中していたんでしょうか。ほとんど初心者しか相手のいない療養所のなかで、本だけをたよりに勉強してい...
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谷川浩司竜王(当時)「あの、人なつこい笑顔を見る事はもうできない。そして、胃が痛くなるような終盤のねじり合いを彼と戦う事もできないのである」

将棋世界1998年10月号、谷川浩司竜王(当時)の村山聖九段追悼文「もう二度と……」より。  棋士は誰でも、「名人」に対して特別な思いを抱いているが、村山君ほど名人になりたいという気持ちが強かった棋士は居なかったのではないか、と今改めて思う...
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先崎学六段(当時)「無神論者の僕だが、あの状態で、あれだけの将棋を指す奴を、将棋の神様が見捨てる訳がない。本心からそう思えてならなかった」

将棋世界1997年9月号、先崎学六段(当時)の「先崎学の気楽にいこう」より。  大阪で偶然に、村山-丸山の順位戦を観る機会に恵まれた。  村山聖は、王将リーグで羽生と戦った頃の村山に、あるいは終盤は村山に訊けといわれた頃の村山に戻れるかとい...
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森信雄六段(当時)「淋しいなあ」

将棋世界1999年8月号、大崎善生編集長(当時)の「編集部日記」より。 6月5日(土)  久し振りに大阪に遊びに行く。森信さん宅に二泊。理事を退任した森さんはのんびりムードで理事になる前の森さんに戻った。「これからは口に気をつけんでもええね...
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試練の控え室

将棋世界1999年10月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。  夜になると、佐藤名人をはじめとして、熱心な棋士が続々とあらわれた。この暑いときに偉いものだ。  やがて、継ぎ盤が用意され、名人と中座四段が向かい合った。それを先崎七...