読む 升田幸三実力制第四代名人「饅頭屋の息子で、おとなしい子だったが、将棋はなかなかしっかりしていた。うん、才能があった」 将棋マガジン1987年8月号、福本和生さんの「名棋士を語る 桐山清澄棋王の巻」より。「奈良の吉野川の上流に下市町という静かな所があって、そこに避暑に出かけましてね。芝居の”義経千本桜”の舞台になった所で、名物の鮎ずしを食べながらのんびりして... 2019.04.11 読む
読む 豊島将之二冠を育てた土井春左右指導棋士七段の昔話 近代将棋1985年2月号、能智映さんの「呑んで書く 書いて呑む」より。「関西将棋会館」―昔の北畠時代から通っているだけに、いっぱいなつかしい顔がある。いろいろ会いたい。 対局室は5,4階だが、日頃お世話になっている3階の事務局の方々にも「ご... 2019.04.10 読む
読む 「中原VS米長、激闘の歴史を追う」 将棋マガジン1987年6月号、二上達也九段の第45期名人戦特集「中原VS米長、激闘の歴史を追う =帰ってきた米中決戦=」より。 当てごととふんどしは向こうからはずれると言うが、丸っきり予想がはずれてもなるほどだし、当ればやっぱりである。勝負... 2019.04.09 読む
読む 羽生善治四段(当時)への質問コーナー 将棋マガジン1987年7月号、ページ下の羽生善治四段(当時)への質問コーナーより。Q1.学校と将棋の両立の利点と短所A1.「利点=規則正しい生活ができる。短所=自由な時間が少ない」Q2.将棋も学校もない休日の過ごし方A2.「?」Q3.今一番... 2019.04.08 読む
読む 木村義雄十四世名人「酒が好きで、女が好きで、バクチが好きなら、最低でも八段になれる」 将棋マガジン1987年2月号、木村義雄十四世名人追悼「木村名人の想い出」より。大山康晴十五世名人 一番最初に教えていただいたのは昭和17年、私が五段の時でした。 中部日本新聞社の主催で、三重県の湯ノ山温泉で対戦しました。手合いは香落ち。 そ... 2019.04.07 読む