読む 一葉の写真 将棋マガジン1986年4月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」に次の写真が掲載されている(撮影は弦巻勝さん)。羽生善治四段(当時)初対局の日の昼食休憩時の写真。「昼食休憩時の羽生四段(右)。左は元天才?の先崎初段」とキャプショ... 2019.01.25 読む
読む 「もう投げるから羽生君を呼んできてよ」 将棋マガジン1986年4月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。1月31日 新四段・羽生の前評判はすごい。今日がデビュー戦だが、毎日グラフ、フォーカスが取り上げたのだからたいしたものだ。フォーカス誌に書いてあった。「天才は... 2019.01.24 読む
読む 大山康晴十五世名人「ただ、今、七つのタイトルを六人で分け合っていますよね。これは、おもしろいかもしれんけれど、あまり好ましい傾向ではないと思いますよ」 将棋マガジン1986年10月号、「大山十五世名人、米長将棋を語る」より。最近の米長将棋大山 全体的に見て、米長さんの調子が、自分でつけたかどうか知らないが”泥沼流”という将棋とは、ちょっと離れてますよね。 今、どっちかと言うと”清流のアユ”... 2019.01.23 読む
読む 一人取り残された大山康晴十五世名人がやっていたこと 将棋マガジン1986年2月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。 升田、大山の全盛時代、二人の対決で升田が勝ったりすると、升田の取りまきが大勢来て感想戦に口をはさみ、升田にお追従を言ってから、「さあ祝杯だ」などと叫びながら... 2019.01.22 読む
観戦記 「行儀のよい将棋指しやがって、ちっとも解説するところあらへん」 将棋マガジン1986年10月号、「思い出のアルバム 追悼!!高島一岐代九段」より。 高島八段は、当時「日本一の攻め将棋」という異名を奉られたほどの強烈無比な「攻めの人」。 一方、大山名人は自他ともに許す「日本一の受け将棋」であり、強靭無類の... 2019.01.21 観戦記