観戦記

前夜祭がカラオケ大会となった名人戦

将棋マガジン1984年6月号、毎日新聞の加古明光さんの第42期名人戦七番勝負第1局観戦記「谷川名人先勝!4六銀からの急攻でだるま流を粉砕」より。「森安さんが出て来たらいいなあと冗談を言ったことがあるんです。気心は知っているし、互いに相手の実...
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愛すべき金易二郎名誉九段

将棋マガジン1984年1月号、清水孝晏さんの「思い出の棋士たち」より。金易二郎名誉九段 昭和34年の秋、湯河原での対局(高島一岐代-二上達也・九段挑戦者決定戦)が早くおわったので帰り支度をしていると金先生も一緒にというので連れ立って駅にきて...
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「もしかしたら先生は優勝するつもりで来られたのですか」

将棋マガジン1984年3月号、日本将棋連盟囲碁部幹事の大野八一雄四段(当時)の「年の瀬は駒持つ指で石を打ち」より。 12月23日、東京・市ヶ谷の日本棋院で「日本将棋連盟囲碁部忘年囲碁大会」という長くて舌を噛みそうな会(参加資格は連盟関係者に...
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摂生、養生と無縁の棋士

将棋マガジン1984年4月号、川口篤さん(河口俊彦五段・当時)の「対局日誌」より。 将棋関係の記事に、バカな理事とか、クソったれ奴とか、くだらん理事どもめが、といった過激な活字がおどり、水面下にもさまざまな不満がうずまいて、なにやら物情騒然...
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「森さんは死ねっ!死ねッ!ていっていたけど負けたら、死んだ!死んだ!とわめいていました」

将棋マガジン1984年4月号、川口篤さん(河口俊彦五段・当時)の「対局日誌」より。 神谷が婚約したと聞いていたので、たしかめたら「本当です」という。それじゃお祝いをしようと大島と三人で会館を出た。(中略) まず近くの焼肉屋から始まり、そこを...