原田泰夫九段(5)

2005年2月26~27日、将棋ペンクラブ、世界に将棋を広める会共催で「原田先生を偲ぶ会」が開催された。会場は神奈川県三浦「マホロバマインズ三浦」。2月にもかかわらず、春らしい陽気の日だった

原田榮子夫人、原田ご夫妻のお孫さん(遺墨展のお孫さん)、原田九段の愛弟子・鈴木環那二級(当時)をお招きし、将棋ペンクラブ会員、世界に将棋を広める会会員も多数参加し、賑やかな会となった。

原田九段に代わって、将棋ペンクラブ3代目名誉会長となる二上達也九段、世界に将棋を広める会会長の眞田尚裕氏より榮子夫人へ感謝状贈呈。とても良い雰囲気の宴会だった。

ここで、私は懺悔をしなければならない。

当時17歳だった鈴木環那二級に、占いと称して、右手につけたタバコの灰が左手に移れば「3年以内に幸せなことがある!」というような手品をやった。手品なので当然、灰は右手から左手に移ったように見える。

「ええー、うそー。3年以内に幸せになれるんですか?」

鈴木環那二級は嬉しそうに素直に聞いてくる。

しかし、手品とは明かさずに「私が京都の滝に3年打たれて身に付けた占い。これほどの量の灰が左手に移るのなら3年以内とはいわず2年以内に幸せなことがありますよ」と酔っ払いながら言った。

故・灘蓮照九段は京都の滝に打たれていたが、私は当然、どこの滝にも打たれていない、いい加減。

その半年後、鈴木環那一級は、屋敷伸之九段とNHK将棋講座に出演することとなり人気上昇、3年経った今では勝率も高く、大盤解説やイベントでも引っ張りだこになっている。

私のインチキ占いが当たったわけではない。

鈴木環那初段の今までの努力と精進が実を結んだものだ。

原田九段は生前「毎月、千葉から可愛い女の子が家に通ってきて、原田と熱心に将棋を指すんですよ」と話されていた。

それが鈴木環那初段だ。

原田九段の指導将棋を沢山受け、原田九段のDNAも受け継いでいる鈴木環那初段、今後も期待したい。