中原新名人が誕生する年の名人戦対局場

飛び飛びで、「中原誠十六世名人にとって最も印象に残るタイトル戦」である、1972年の名人戦の模様をブログで書いているが、今日は当時の名人戦の対局場について。

対局場は主催新聞社が決定するので、タイトル戦ごとに新聞社の個性が出る。

当時の名人戦は朝日新聞。

第1局 東京「羽澤ガーデン

当時は名人戦といえば羽沢ガーデン。泣く子も黙る羽沢ガーデン。2005年に営業終了。

第2局 宝塚「七福荘

割烹旅館。1995年の阪神淡路大震災の被害を受け廃業。

第3局 湯河原「石亭

高級旅館。やわらかな泉質の温泉と旬の懐石料理。伝説の1975年の中原誠名人と大内延介八段の名人戦第8局が行われたのも「石亭」。

第4局 箱根「花月園ホテル

ここも高級旅館。2つの大浴場と4つの貸切個室風呂で温泉三昧。

第5局 東京「福田屋

紀尾井町の高級料亭。北大路魯山人の「美」と「味」の調和。麻生総理は2月にここで食事をしたということだ。

お昼のミニ懐石(18,900円)の模様が、こちらのブログで中継されている

紀尾井町「福田屋」お昼のミニ懐石

第6局 東京「ふくでん」

福田屋の別館。福田(ふくだ)を福田(ふくでん)に読み替えた店名と推測される。

升田九段の”天来の妙手”△3五銀で有名な、1971年の名人戦第3局、大山康晴名人-升田幸三九段戦の対局場が「ふくでん」。升田式石田流の名局誕生の地。

第7局 東京「羽沢ガーデン」

数々のドラマが生まれた羽沢ガーデン。

1982年の升田幸三九段-小池重明アマ名人の角落ち戦の対局も、羽沢ガーデンだった。

今年の名人戦対局場については、また後日、レポートしてみたい。

第1局 東京「椿山荘」

第2局 熊本「熊本城」

第3局 広島「福寿会館」

第4局 和歌山「金剛峰寺」

第5局 秋田「秋田キャッスルホテル」

第6局 京都「東本願寺 渉成園」

第7局 愛知「ホテルフォレスタ」