観戦記者の池崎和記さんが亡くなられた。
池崎さんは棋士をはじめとする将棋界関係者からの信望が厚かった。
私が池崎さんにお会いしたのは10年ほど前に将棋ペンクラブ関西交流会へ行ったときのこと。
その頃、池崎さんは将棋ペンクラブの幹事で関西交流会の世話役をされていた。
私が関西交流会へ行ったのは三度だが、三回とも前の晩、東京から行った幹事との飲み会で楽しい話を聞かせていただいた。
関西交流会で、私が生まれてはじめてやったペア将棋のペアが池崎さんだった。
読みが非常に合って、快勝した記憶がある。
池崎さんにはもっと長生きをしてほしかった。残念だ。
後日紹介しようと思っていたのだが、池崎さんの書いた記事の中から。
近代将棋1998年1月号「普段着の棋士たち 関西編」より、内藤國雄九段のエピソード。
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夜、家で原稿を書いていたら淡路九段から電話があって、アルコールの誘い。内藤九段、脇七段も一緒のこと。
私は原稿締め切りが翌日に迫っていて、とても抜け出せる状態ではなかったが、淡路さんに「内藤先生が池崎さんと飲みたいんですって。奥さんも一緒にどうですか、って」と言われたら、原稿はどうでもいいや、という気になってきた。いいかげんなものだ。
で、「これからすぐいきます」。ただし妻には声をかけなかった。アルコールが入ると夫の悪口を言うクセがあるので、うかつに人前に出せないのだ。
指定の店にいくと座はかなり盛り上がっていた。
「あれっ、奥さんは来なかったの?まあいいか、どんどん注文して」と内藤先生。
聞くと、この日、内藤-脇の棋聖戦があって(あとでこっそり脇さんに結果を聞いたら、短手数で脇さんが勝ったとか)、三人ともすでに一軒目の店で相当飲んできたらしい。
内藤九段との酒席は楽しい。プロ棋界の裏話がいっぱい聞けるからで、この日もオモロイ話がいくつも出てきた。淡路さんが笑って「話が面白過ぎて、池崎さんも原稿には書けんでしょう」。残念ながら、そのとおりである。面白い話とは、すなわち盤外のキワドイ話であって、それは辛辣な人物評を含むものであるから、私もここで不用意に暴露するわけにはいかない。
「きょうの話で活字にできるのは一つもないですねェ(笑い)。僕が将棋界とサヨナラするときがきたら全部書いちゃいますけどね」と言ったら淡路さんに苦笑いされた。
原稿のことをすっかり忘れて雑談に夢中になっていたら、サラリーマンふうの人が私たちのところへやってきて「将棋の内藤さんですよね」。
内藤九段が「そうです。近くに将棋会館があるんですよ」と言うと、その人(将棋ファンかどうかは不明)はひどく感激した様子。しばらくして自分のテーブルに戻っていったが、こちらが気になるのか、しきりに視線を向けてくる。
「しゃあないなァ」。内藤九段はそう言って店の人から油性のペンを借り、目の前にあった取り皿にさらさらと自作の詰将棋を書き始めた。
サラリーマンにプレゼントしようというのである。皿に文字を書きだしたのを見て、店の女性が「あっ、それは困ります」と走り寄ってきたが、淡路さんが「お皿の分も勘定につけといて下さい」と言ったら、すぐ引き上げていった。
こうして見ず知らずのサラリーマンは、自分から頼んだわけでもないのに、内藤九段から直々に詰将棋入り皿(もちろん署名入り)をもらえることになったのだ。いいなあ。
色紙ではなく、たまたま目の前にあった道具を使って、サラリとサービスするところがいかにも内藤九段らしい。将棋と同じで、こういうところも「自在流」なのだ。