炬口勝弘さん逝去

写真家の炬口勝弘さんが5月10日、化膿性胆管炎のため亡くなられた。享年73歳。

訃報 炬口勝弘氏(日本将棋連盟)

炬口さんは、将棋世界、近代将棋、週刊将棋などで多くの棋士を撮影し、またフォトエッセイも多く書かれていた。

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近代将棋1989年1月号、炬口勝弘さんのフォトエッセイ「撮れなかったもの、書けなかったこと」より。副題は「アマ強豪烈伝」拾遺。

 あたらしき背広など着て
 旅をせむ
 しかし今年も思ひ過ぎたる (啄木)

 将棋は『悲しき玩具』である。新人類にとっては、単なるお遊び、ちょっと面白い頭脳ゲームでしかないかも知れないが、啄木にとって、歌がそうであったように、年輩者にとっては、将棋は『悲しき玩具』だ。

 人は、実生活ではほとんど夢かなわず、不本意な生を生きている。成功や勝利の美酒に酔えるのはごく一部の人だけだ。

”敗北”の苦い自己認識が基底にあって、だからこそ一尺四方の盤上に、人は燃え、慰みや愉しみを得ようとする。

 芝居の魅力に取り憑かれた人は、「役者と乞食は三日やったらやめられない」とか「女の腰巻きと幕の中に、いったん入ったら抜け出せない」などと言うが、将棋というのも、その魔性に取り憑かれると容易に抜け出せなくなる摩訶不思議な遊技だ。

 他誌のことで恐縮だが、つい最近まで、全国のアマ強豪、30人を、3年間にわたって追い続けた。職場や自宅にまで突撃取材して、写真と文章で、その実像に迫る企画であった。

 彼らを将棋にのめり込ませ、駆り立てたものは一体なんだったか?”日本一”の座につかせたものは?技術面よりも、むしろ精神の在処にいたく興味をそそられての”インタヴュー・ノンフィクション”であった。

取材は楽しかった。毎回、会いたい人に会いに行くのだから、楽しくない訳がない。人はその道に依って賢しというが、トップを究めた人の片言隻語に感得するところが少なくなかった。

 例外もあったが、ほとんどの人が、快く会ってくれ、気安く話に応じてくれた。その”将棋人生”はどなたも波瀾万丈、ドラマチックであった。

 ある意味では有名なプロ棋士よりも面白かった。有名人にドラマがないというのではない。むしろはるかに劇的である人もいるが、何度も語られ公開されているうちに風化し、陳腐化しがちだ。また立場上、建前しか語れず、人間らしいほころびを見せることが少ない。

 とはいえ書けないこと、撮れないものも少なからずあった。フィクションならばと、切歯扼腕したことも何度かあった。プライベートな面に、ズカズカ土足で入り込むことはできない。職場でも研究所などでは、企業秘密からカメラはオフリミット。事実の持つ強みが、同時に”弱さ”であること、”限界”であることを痛感させられもした。

 ある強豪の寝室のベッドサイドには、ロリータの雑誌や写真集が置かれていたが、ついに撮ることも書くことも出来なかった。

 また別の強豪は、インタヴューの時点では将棋にのめり込んだ動機を「メカケの子と蔑まれたのが悔しく、よし!日本一になって見返してやろう、しかも学校も中卒だから、何か頭を使うことで……」と語ってくれ、雑誌連載時には、そのまま発表したのだったが、単行本になるのなら、子供や親戚、職場での手前もあるので削除して欲しい―との手紙が後日届いた。

 新聞の記事表記基準では、いま”めかけ、二号、情婦”などは、差別、不快用語として廃されている。ちなみに”めかけ”は”愛人”と直す。もとより他人のプライバシーを侵害することは許されないが、その言葉の響きがなくなり、まして全面削除ともなれば、気の抜けたビール同然、感動も薄れてしまう。難しさをつくづく感じさせられた。

 ”真剣”という言葉も、ある人にとってはタブーであった。強豪ともなれば、遮けて通れない、”上達のための必要悪”だが、公務員の場合には、お遊び程度の”賭け”にもひどく神経質になる。退職して時効のはずが、やはり気を遣う。詫状も何通か書いた。

 かと思うと、まったく逆に、ある真剣師のことを書いたら「奇麗ごとすぎる。褒めすぎだ。実体はもっと生臭く、凄惨だ。人を見る目がまるで無い!」とかつての仲間だった人からお叱りを受けたこともあった。

 といってその辺を突っ込んで書けば、「元奨励会とかのくすぶったような人間を書いてもしょうがないだろう」というプロから批判。「大多数のサラリーマンの読者は、仕事で疲れている。アマ強豪のような重く暗い生き方、しんどい生き方は、きょうび受けない。もっと軽く明るく楽しいものでなければ」という新聞記者からの批判を受ける。

 軽薄短小時代には不向きなのか!? 途中で逡巡したこともあったが、かえってムキになって健全娯楽、精神修養的将棋道を撃つ気になって続けたようなとこともある。

 思えば将棋が何よりも好きで、それ以上に、将棋に憑かれた人がもっと好きだったから続けられたようなものだと思う。

 烈伝などと、ちょっと気恥ずかしいが、登場願った30人のお蔭で、少なくとも昭和のアマ棋界についての貴重な証言、資料集になっているという自負はある。宣伝めいて恐縮ならが、近く上梓の運びとなった。

 大幅に補筆、加筆した。写真も新たに差し替えた。会心譜も、それぞれの想い出、解説入りで追加した。故人の加賀敬治の章には、遺族の方からの感動的な想い出話も付け加えることができた。

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「アマ強豪烈伝」は日本アマチュア将棋連盟から1989年に出版された本で、現在では入手が難しそうだ。

将棋 アマ強豪烈伝 (棋書ミシュラン!)

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私が炬口勝弘さんにお会いしたのは、数年前の将棋ペンクラブ大賞贈呈式2次会でのこと。せっかく持ってきた貴重な酒を階段で落として瓶が割れてしまい、とても残念そうにされていたのを思い出す。

炬口さんの写真で、私が特に印象に残っているのは、羽生善治名人の高校の入学式での写真。大勢の中にいる羽生少年の一瞬の表情をとらえた素晴らしい写真だ。(近代将棋1989年6月号掲載)

写真: 羽生少年、高校入学式のスナ...

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写真家を音楽に例えると、故・中野英伴さんがクラシック、弦巻勝さんがロック、炬口勝弘さんはフォークソングのような感じがする。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

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