先崎学八段と行方尚史八段は同じ青森県出身で3歳違い。
この二人の酒場での関係が面白い。
将棋世界1998年1月号、河口俊彦七段「新・対局日誌」より。
(太字が河口七段の文章)
夏の終わりの頃のこと。タイトル戦が終わり、みんなが酒を飲んだりして遊んでいる席で、ちょっとした事が起こった。
酔った行方五段が「ひどいヘボをやった。先崎レベルの将棋になってしまった」とボヤいた。大きな将棋に負けたのを悔やんでいたのだろう。聞いた話なのでこの通りだったかどうかは知らない。とにかく先崎六段がカチンとくることを言った。
それを聞きつけた先崎君は「もう一度言ってみろ!言ったら灰皿を投げるぞ」とやり返した。すると行方君は、「先崎レベルの将棋になってしまった」。しらっとくり返した。灰皿が飛んだことは言うまでもない。
河口七段は、破滅型と言えないまでも優等生型でない天才なら言ったりやったりしそうなことだと、この話を聞いた時、嬉しくなったという。
その二、三ヵ月後に先崎-行方戦が行われる。
対局室は普通ではない雰囲気。
重苦しい空気から逃れるためか、先崎君はひっきりなしに控室へ来る。すると誰かがニヤリとして、「灰皿取ってよ」ととなりに言ったりする。先崎君はたまらず「あまり煽らないで下さいよ」。苦笑して出て行った。
この対局は行方五段が勝つ。
淡々とした小一時間くらいの感想戦終了後、河口七段は先崎六段を引き留め、対局が終わって帰りそびれていた神谷六段に声をかけ、帰ろうと階段に向っている行方五段を引き戻して、酒を飲みに誘った。
さすがに最初は気まずかった。しかし料理を頼んだり、ビールが入ったりしているうちに口がほぐれだした。神谷君や私が「もう一回言ってみろ」とか「反論はしないのか」など冗談を言っていると、先崎、行方両君もいつもの毒舌が出はじめた。
午前2時に二軒目へ。
地下の核シェルターみたいなバーに入ったころは、議論をしていて先崎君と行方君がたがいに同意を求め合う事さえあった。見事な先輩ぶりを見せていた神谷君に二人のほこ先が向い、励ましやら批判を言いはじめた。酒を飲んでの話だから、どってことはないが、見ていて、先崎、行方の二人が親友のように見えて来た。
これで、将棋会館で両君が顔を合わせたとき、互いに眼をそらし合う、といった事もないだろう。将棋界は、遠慮なく面と向って物を言い合うことが少なすぎるのだ。
河口七段は疲れて4時に帰ったが、3人は朝8時まで飲んでいたらしい。
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将棋世界2008年4月号、先崎学八段「千駄ヶ谷市場」より。
(太字が先崎八段の文章)
今月はA級順位戦ラス前特集である。
決戦の一週間前、飲み屋で行方にばったり会った。珍しくしょぼくれている。話を聞くと、王座戦で田中寅に完敗したらしい。
彼は弱いのに好き、という酒である。この夜もぐいぐい飲み、次第にろれつが回らなくなりだした。だらしない飲み方で、典型的なヤケ酒である。
しばらく付き合っているうちにだんだん腹が立ってきた、お前、今の自分の状況分かっているのかよ。
アッと思う間もなく口が出た。
「お前、まだ二番勝てば助かるんだろ」
「……」
本当は残り二勝しても助からないかもしれないが、そんな景気の悪いことを言っても仕方がない。
「お前、今すぐ帰って、順位戦まで酒、やめろよ。今すぐ帰れ」
そう言って、私はトイレに立った。青臭いことを言って恥ずかしくなったのかもしれない。
トイレから帰ると、行方の姿はなかった。本当に帰ったのだ。
「千駄ヶ谷市場」では先崎八段が行方八段 を心情的に応援して書いている。
行方八段は敗れて降級が決まるが、先崎八段の文章が泣かせる。
日付が変わり、三十分ほどして行方投了。藤井は行方を気遣うように、いつにも増してぼそぼそと駒を進める。人が離れてゆく。残酷さを演出するように、敗者から人が離れてゆく。ガランとした部屋で感想戦はいつまでも続く。まるで感想戦を続けているうちは負けではないとでもいうが如くに。喧嘩に負けた子どものような眼で行方は黙って駒を動かす。藤井もそれに付き合う。私はもう盤上の変化に眼をやることもなく、自分が降級した日のことや、一週間前の酒場での情景などを想い出している。