将棋界的には、超豪華なハシゴ。
近代将棋1998年6月号、中井広恵女流五段(当時)の「棋士たちのトレンディドラマ」より。
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先日、羽生四冠王の新居でティーパーティーが開かれ、棋士仲間や羽生家のご近所の方々30名程が集まった。
世田谷の一等地に建つ洋風の白亜の豪邸でどちらかというと理恵さんのイメージにピッタリというお宅だ。
(中略)
この日の手料理は、ほとんどが理恵さんの手料理。
「昨日、寝ずに妻が作りました」
とテレる四冠王だが、本当にどれも美味しいものばかり。
飲み物も多種多様でビールは当然”キリンビール”。日本酒は”羽生”というラベルが付いている地方のお酒。
そして、羽生さんが生まれた年に作られたという、とっておきの赤ワインを出してきてくれた。
「こんな大事なワイン、飲んじゃっていいのかなぁ…」
と言いながらも、皆どんな味がするのか興味津々でワインを見つめる。
「まぁ、遠慮せずにどうぞ、どうぞ」
と勧めてくれる羽生さんに、
「それじゃあ、少しだけいただきます」
と手を出したのは、最近ワインにうるさい佐藤康光八段だった。
コルクに当てられたオープナーを持つ手が緊張して震えている。
そういえば、以前佐藤八段がワインを開けようとしてうまくいかず、側にいた中村八段が見かねて助け舟を出そうとしたが「いえ、自分で開けます」と意固地になって渡さなかったことがあった。
今回も横で心配そうに中村八段が見つめている。シチュエーションは全く同じ。
年代もののワインということで、だいぶコルクがやわらかくなっている筈だ。
「やっちゃん、大丈夫? 開けられる!?」
心配になり、聞いてみた。
しばらくの沈黙のあと、
「……中村さん、お願いします」
ワインは中村八段の手元へと移り、いよいよ栓が抜かれることになった。ところがである。思った通り途中でコルクが崩れてしまい、1/3くらいが瓶の口に残ってしまったのだ。
”それ見たことか…”という佐藤八段の顔。苦笑する中村八段の横で謝る中村夫人。
問題は残ったコルクをどうするかだ。無理をすると粉々になって、コルク漬けワインになってしまう。
「見てられない」とばかりに、側にあったおでんの串3本を持ち、ワインの口へ突き刺した人がいた。
「あっ!!……トドメ刺しちゃった」
コルクは見事ワインの中へ。理恵夫人に茶漉しを出してもらい、漉しながらグラスへついだが、やはり細かい屑が残ってしまう。
すごく酸味があって、深い味がしたのは、コルクのせいではないだろう。
宴たけなわとなり、森内八段と植山・中井夫妻は一緒に引き上げ、車を拾うことにした。
すると、森内八段が、
「せっかくですから、家に寄ってお茶でも飲んでいって下さい。すぐ近くなんですよ。このままお帰ししては申し訳ないので」。
それではお言葉に甘えてと、寄せてもらうことにした。
森内八段が我が家に遊びに来てくれることはしょっちゅうだが、我々が彼の家に招いてもらうのは、引越してから初めてである。
車を降りて彼のマンションの前までやって来た。と、今度は、
「ちょっと10分程待っていただけますか」
と言うのだ。
「はあ!? ここで10分も何やってっていうの?」
主人が目をまん丸くする。
「ちょっと家の中がたて込んでるんですよ。何ならその辺でお茶でも飲んでいて下さい」
「お茶って、森内邸でご馳走してくれるんじゃなかったの?『お茶でも飲んでいて下さい』っていうのは、勝手に飲んでいって下さいっていうことだったわけ!?」
まだ肌寒さが残る中、主人と私を玄関へ残し、森内八段は階段を駆け上がっていった。
それから暫くして、彼が走って降りてきた。
「森ちゃん、30分も待っちゃったよ」
「いえ、10分です。ちゃんと計ってましたから」
羽生邸、森内邸を梯子するなんて、ラッキーな一日だった。
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ネットで調べてみると、1970年(羽生名人の生まれた年)産のワインは、ボルドーは良質なワインが多くできた年で、ブルゴーニュは収穫量は多めであったもののブドウは未熟なものが多く、優れた生産者のみにおいて優れたワインが造り出されたということらしい。
ちなみに、現在の1970年産ワインの価格は、23,800円~358,000円。
1970年産は1998年当時の28年前のワイン、ということで、現在から28年前の1982年産のワインの価格を見てみると、13,800円~388,000円。
どちらにしても、すごいワインだったのだと思う。