今では考えられないような、でも30年近く前なら大いにあった話。
近代将棋1998年7月号、泉正樹七段「21世紀の初段をめざせ」より。
以前、他誌で講座を任されているとき「膨張する独身棋士貴族」なるくだらない記事を載せたが、あれから約4年で「続々詰み上がる独身棋士族」という具合に状況は大きく一変してしまった。
20代の既婚者が皆無とは異常であったが、その反動であろうかこぞって幸福者が誕生。
およそ3年間で20名近くもの数ですから、いやはや、なんとも凄いハイペースです。
事の発端はやはり、”羽生七冠王の婚約”で、芸能人並に取りざたされたそのフィーバーぶりで他の棋士へもおハチが回ってきたのかもしれない。
棋士がモテるようになったかはさておき、立派な職業として一般の人にも理解されはじめてきた。初対面の女性や酒場のママなどに職業を聞かれても「将棋棋士です」で、すむようになったし、中には「エーーあの公文式の羽生さんと同じお仕事、すご~い」と、えらく感動されるようにもなりました。
これが一昔前なら「エッ、何それ、しょうぎっておじいさん達がやるゲームでしょう。ダッサーイ」あからさまに毛嫌いされていました。
もう15年以上前になるでしょうか。
後輩の富岡、北島、豊川らとナンパ遊びに出かけていましたが、うまくいきそうなところなのに私がうっかり「実は俺たち将棋のプロなんだぜ!」と、大失言。
すると彼女たちは突然用事を思い出したように「あっ、そろそろ行かなくちゃ、ネ」「そうね、これで失礼するわ」「じゃあネ、バイビー」と口々に言ってあっさり遠ざかって行くのであった。
富岡君からは「泉さん、あれほど将棋のことは出しちゃダメだって言ったじゃないですか」と叱られ、北島君からは「そうですよ、棋士だなんて言ったら嫌われるに決まっていますよ」と責められ、さらに豊川君からは「女の子に将棋の話したってわかる訳ないっスね……」と、厳しくダメを押される始末。
野獣が二十代前半の頃は将棋と聞くと、こういうように理由もなく敬遠されていたのです。当時から見れば将棋界に”追っかけギャル”なるものが現れようとは想像を絶することだったのです。
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泉正樹七段の結婚は、この文章を書いた数年後のことになる。
奥菜恵さんに似た美人女医が奥様になる。