10年振りに開けたダンボールに、色川武大さんの「怪しい来客簿 (文春文庫)」が入っていた。12年前に買ってそのままになっていた本だ。
どういうふうに面白かったかをうまく説明できないのだが、読んでみると非常に面白かった。
「怪しい来客簿」の本筋とは直接的な関係はない話の中に、興味深い一節がある。
昭和6年の神楽坂の常設露店の風景。
常設露店は、縁日の露店とは違い、一年中常に同じ場所で商いをしている。
色川さんは神楽坂に住んでいたので昭和10年頃からの神楽坂には詳しいが、「露店研究」(昭和6年刊)という本に、昭和6年当時の神楽坂の露店が一店残らず記録されているという。
当時は、神楽坂の左右両側にびっちりと露店があった。
現在の大久保通り方面から神楽坂下(飯田橋駅のほう)に向って、
右側が、がまぐち、文房具、古道具、ネクタイ、ミカン、ナベ類、古道具、白布、キャラメル、古本、表札、切り抜き、眼鏡、古本、地図、ミカン、メタル、メリヤス、古本、額、眼鏡、風船ホオズキ、古道具、寿司、焼き鳥、おでん、おもちゃ、南京豆、寿司、古道具、半衿、ドラ焼、鉗と鋸、唐辛子、焼物、足袋、文房具、化粧品、シャツ、印判、ブラッシュ、石膏細工、ハモニカ、メリヤス、古本、茶碗、鞄、玩具、煎餅、古本、大理石、さびない針、万年筆、人形、熊公焼、花、種子、ブラッシュ、古本、ペン字教本、鉛筆、文房具、万年筆、額、足袋、ミカン、古本、古本、シャツ、帽子洗い、焼物、植木、植木、寿司。
左側が、茶碗、金物、眼鏡、枕、下駄、柱掛け、ブラッシュ、金物、アルバム、腕ゴム、スリッパ、雑貨、絆創膏、ガラス、メリヤス、雑貨、モダンペン、がまぐち、雑貨、櫛、口絵、玩具、下駄、古本、台、スリッパ、化粧品、古本、万年筆、金魚、草花、鼻緒、ツツジの枝、メリヤス、エプロン、草履、羽織紐、バナナ、八百屋、刺繍、音譜、屏風、メモリー、マッチペーパー、下駄、ミカン、古本、呼鈴、反物、文房具、紙、片布、ゴム紐、肺量器、古本、八百屋、新聞、古本、犬の玩具、櫛、納豆、箱、マーク、ブラッシュ、手品、焼鳥、将棋、箱、植木、植木、盆石。
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食べ物店が意外と少ない。常設なので、縁日の屋台の定番である、電気飴(綿あめ)、ドンドン焼き(お好み焼き)、ベッコウ飴細工、金太郎飴、カルメ焼、焼きそば、今川焼き、針金細工などの店はない。
江戸時代からの伝統とはいえ、露店の寿司屋があるところが、今の感覚からすると不思議な気持ちがする。
バナナは当時高価だったので1店しかないのはわかるが、ミカンを売る店が多かったのも気になるところ。
「熊公焼」は当時の神楽坂の名物で、鐘馗さまのような髭を生やしたおじさんが売っていた焼きあんこ巻き。往年の文士の随筆によく登場したという。
1970年代からの神楽坂の名物に不二家のペコちゃん焼きがあるが、その数十年前の神楽坂名物に同じようなコンセプトの食べ物があったということは、とても興味深い。
神楽坂には薬の露店は載っていないものの、色川武大さんによると、薬売りのタンカは次のようなものだったらしい。
「鰻と梅干を一緒に食べたら大変だぞ、胃袋が梅酢色に染まってタラタラと腐っちまう……」
「天ぷらを喰ったあと、スイカを喰った人がいる。このあいだ、その人は、喰って、便所へ駆けこんだのが最後だった。大きな音がして、胃と腸が破裂しちまったね……」
食当たり予防の本や薬を売っていた。
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メタル、ブラッシュ、モダンペン、メモリーは、調べてみたがどういう商品かはわからない。
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ところで、本題の将棋。
大久保通り方面から神楽坂下に向って、左側のかなり先のほうに将棋の露店が位置していた。
もっとわかりやすく言うなら、JR飯田橋駅西口改札を出て、右に曲がって、少し真っ直ぐ行くと神楽坂の入り口。
そこから見て、右側の先4軒目に将棋の露店があったということになる。
現在でいうと、まさしくペコちゃん焼きの不二家か、甘味処の「紀の善」のある場所。
大道詰将棋をやったり指南書を売ったりしていたのであろうか。
省線電車の飯田橋駅で降りて神楽坂へ向かい、右側を見ると、盆石屋があって植木屋が二軒並んで、その先が将棋の露店。
将棋の露店の向こうでは焼鳥を焼いていて、その先では手品。
最高に風情がありそうだ。