広島の親分(2章-2)

次男の正明はテキヤから離れ博打打ちとなっていたので、高木さんを二代目にしたのだ。 

映画では、この部分はデフォルメして描かれている。

テキヤなのに博徒のようなことをやっている大友勝利(村上正明のモデル)を叱る大友長次(村上組長のモデル)は「博徒である村岡組(岡組)の領分を荒らすようなことをするな」というが、それに対し大友勝利は。 

「なにが博打打ちかいや。村岡が持っちょるホテルが何を売っちょるの。淫売じゃないの。言うならあれら○○○の汁で飯食うちょるんど。のぅ、おやっさん、神農道(テキヤ)じゃろうと博打打ちじゃろうとよ、わしらうまいもん食うてよう、マブいスケ抱くために生まれてきとるんじゃないの。それも銭がなきゃできゃせんので。ほいじゃけん銭に体はろう言うんが、何処が悪いの。おぅ」の!」

と「仁義なき戦い」屈指の名台詞で応じる。 

確かに、岡組は博徒系といいながら新興勢力であったため、様々な商売に手を出していたらしい。 

これで切れた大友組長は、次男の勝利を破門し、後は倉光俊男(高木さんのモデル、中村錦司が演じた)に継がせると宣言する。 

大友勝利は博徒大友組を結成し、その後村岡組と全面戦争に入っていく。

映画では、テキヤ大友連合会は村岡組とは敵対関係にならない設定となっている。 

話を昭和27年からの岡組と村上組の抗争に戻す。 

この年、広島競輪場が完成し、広島市は岡組に警備を依頼。村上組は予想屋の元締めをしており、場内利権をめぐり対立中だった。

抗争が形となってあらわれる発端は、 11月4日、村上組組員が駅前の食堂のコックと喧嘩をし刺してしまったことに始まる。

コックは知り合いの岡組組員に助けを求める。

11月6日、理髪店にいた村上正明は、岡組に撃たれ、腹部貫通の重症を負う。 

この後、両組の激烈な抗争が展開される。双方で11人の死者がでた。 

これらのことを重くみた国会では、昭和28年2月4日の第015回国会法務委員会で広島抗争のことを取り上げている。

以下、議事録の要約

(小木専門員からの説明)。「原爆第一号を受けました広島は、その後世界平和の発祥地として発足して来たのであります。ところがこの広島が、今や暴力と恐怖の町に化し去ろうとしているのであります。(中略)現在両暴力団の勢力はどうかと申しますと、岡組は岡敏夫、四十歳。これを親分として、子分、身内が約百名、それから、村上組は、高木達夫、三十一歳を親分として、子分が約五十名と言われております。(以下略)」 

この法務委員会の直後から、逮捕者が急増し、岡組11人、村上組17人が検挙された。組員数は岡組100名、村上組 50名であったため、村上組にとっての打撃が大きかった。

村上組は衰退し、岡組は名実ともに広島一の暴力団となった。

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