広島の親分(3章-1)

1998年9月13日「麻雀・喫茶よしみ」
 広島に着いた湯川博士さんと私は、高木達夫さん(広島の愛棋家、アマ七段、元テキヤの大親分)の住まいへ向かった。
入り口は喫茶店のドア。「麻雀・喫茶よしみ」とある。
「暴力団排除の店」というステッカーを貼っている。
 湯川さんはドアを開け中へ入っていく。私も後ろからついていった。
「やあ、高木さん、お久し振りです」
「おう、待っとったよ」
高木達夫さんだ。
 湯川さんの著書「一手劇場」で高木さんの写真は見ていた。写真の高木さんはダブルの背広に蝶ネクタイ姿だったが、目の前の高木さんは白いポロシャツを着ている。
「今は雀荘やっとってな、わしは雀荘のオヤジなんよ」
 2階と地下1階が雀荘で1階が喫茶店。高木さんは1階のソファに座って店番をやっている。
  高木さんの横には二人の男性がいる。
「この二人は、わしの将棋仲間での。わしは田舎者じゃけん、東京から取材に来たお客さんに粗相があってはいかん思うて来てもろうたんよ」
「よぉ来んさった。Mと申します。よろしゅうお願い申し上げます」
Mさんは50台後半で丸顔のガッチリしたタイプ。昔は広島県のアマ将棋大会で優勝したこともあるらしい。もう一人は20台前半の好青年。
「どうも、湯川博士です。こちらは私の取材の助手でカメラマン役の森君です。将棋ペンクラブの幹事をやっています」
 この頃、私はまだ幹事ではなかったのだが、湯川さんの「どうせ今年の12月には幹事になるからいいんだよ、その方が変な誤解も生まないし」というアドバイスにより、自宅住所・電話番号と将棋ペンクラブ幹事の肩書きを記した名刺をこの日のために作っていた。
この名刺はいまだに97枚残っている。
「ホテル取っとるから、取材の前にチェックインしてきんさい。Mらが一緒に行くけん」
歩いて1分の地元電鉄系ホテル。綺麗で雰囲気の良いホテルだ。
「お待ち致しておりました」
フロント係はもの凄く綺麗な女性。チェックインを済ませてルームキーを受け取るときに「お部屋のご料金はいただいておりますので」。
湯川さんも私も、日曜日だしどこでもホテルは空いているだろうと特に宿泊の予約はしていなかったのだが、どのような展開になっても宿泊費は自分たちで払うことを前提にしていた。
湯川さんがMさんに「これじゃ申し訳ないですよ。私達が支払いますから」と言うとMさんは「高木さんに叱られますんでのう」という返事。これ以上は何も言えなくなる。
部屋に荷物を置き、すぐに1Fロビーへ降りる。部屋には「広島焼き出前します」という貼り紙があった。