雨に泣いている

芥川賞を受賞した朝吹真理子さんは、将棋とチェスが趣味。

3月1日発売の週刊朝日では、羽生善治名人と対談を行っている。

週刊朝日立ち読み(公式)

朝吹真理子さんは、加藤一二三九段が、昼用のうな重の代金、夜用のうな重の代金を、すぐに取り出せるように別々にスーツにしまっている、ということまでもご存知だ。

ところで、朝吹真理子さんの大叔母がシャンソン歌手の石井好子さん(1922年8月4日 – 2010年7月17日 )。

石井好子さんと聞くと、思い出すことがある…

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大学3年の春休み、私は好きだった女子大生に振られた。

場所は日比谷のビルの地下2階にあったオムレツ料理店。

食事代は全部私が持つつもりだったが、割り勘にさせられた。

とにかく呆然。

一人になったあと、無性に歩きたくなった。当時住んでいた恵比寿まで歩いて帰ろうと思った。

私には、ショックなことがあると無性に歩きたくなる習性があった。

途中、霞ヶ関の手前で急に雨が降り始めた。

「振られた日に雨に打たれるのも、それらしくていいじゃないか」と思ったのだが、雨は更に強くなる。

仕方がないのでタクシーに乗った。地下鉄に乗るなどという気分では全くなかった。

近所の酒屋が開いていた。

それまで、部屋で飲んだことは一度もなかったのだが、「振られた日に部屋で酒を飲むのも、それらしくていいじゃないか」と思い、酒屋でサントリーのオールドを買った。

酒屋から家まで3分、豪雨の中を雨に打たれて家へ帰った。

酒を飲みたい気分ではなかったが、飲まなければならないと思った。

ラジオからは大好きな曲が流れてくるが、それも空しい。

飲んでいるうちに眠ってしまった。

午前3時頃、気持ちが悪くなって起き出してトイレへ行った。 3回位吐いた。ほとんどは液体だったが、黒い物体も出てきた。

レストランで食べたエスカルゴだった。

「エスカルゴは消化に悪い食べ物なんだな」と、酔った頭で冷静に思った。

とともに、エスカルゴを食べていた頃は、まだ振られることを知る前だったのだと思い、急に切なくなった。

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この、日比谷のビルの地下2階にあったオムレツ料理店こそが、石井好子さんが経営する店だった。

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明けて翌日は、悲しいくらいの快晴。

午後3時から下井草で家庭教師のある日だった。

大ショックは続いている。

ショックなことがあると無性に歩きたくなる習性を持っていた私は、恵比寿から下井草まで歩いて行ってみようと考えた。

午前10時に家を出て、渋谷、原宿、代々木と歩き新宿には12時頃到着。

新宿のPePeには「春のバザール」の大きな垂れ幕がかかっていた。

垂れ幕で微笑んでいる写真の女性は、昨日の彼女に似ている…

歩こうという気持ちが一気に失せてしまった。

その後、どうやって2時間以上の時間をつぶしたのかは覚えていない。

春が疎ましく感じられた。

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2000年の将棋ペンクラブ大賞観戦記部門佳作は、土佐浩司七段の「長い道」だった。

早指し選手権戦・決勝戦で、森内俊之八段(当時)に勝った時の自戦記。

トボトボと歩いた日

五年前、順位戦最終戦に負けた私は「降級してしまった」と思った。3勝7敗という成績。終局後はだれも声を掛けてくれず、もはやこれまでと観念せざるを得ない状況だったのだ…

午前二時過ぎ、私は千駄ヶ谷から当時住んでいた大宮の自宅へ向って歩き始めた。三十キロ近い道のりだったが、なぜか歩いて帰りたくなった。

時折、猛スピードで車が追い越していく真夜中の幹線道路は、孤独な気持ちにシンクロナイズして、観客がだれもいない映画の中の俳優になったような錯覚を私におこさせた。

自宅へたどり着いたのは朝八時近く。歩いてきたことを知った妻にはえらくあきれられたが、もっとあきれたのは私自身だった。

実は競争相手も次々に敗れており、奇跡的に降級を免れていたのだ。終局後、だれかが「助かりましたよ」と一声を掛けてくれればトボトボと三十キロも歩いたりなんてことはしなかったのに…

(以下略)

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学生の失恋と順位戦を同列にしてはバチが当たるが、歩きたくなる気持ちに関しては同じなのかもしれない。

土佐浩司七段は、一昨日の順位戦でC級1組への降級が決まった。

敗れた相手は、奨励会時代以来長くの付き合いがあったであろう青野照市九段。

「天才」、「日本一強い四段」などと称された土佐浩司七段。

来期の復活を期待したい。

それにしても、順位戦最終局は厳しい日なのだと、あらためて感じさせられる。

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バトルロイヤル風間さんのブログでの将棋ミュージアム似顔絵第16弾は、米長邦雄永世棋聖。

泥沼流・米長邦雄。