団鬼六さんの燻し銀の文章

団鬼六さんの随筆は非常に面白いものが多いが、今回はややシリアスな路線を。

近代将棋2000年5月号より、団鬼六さんの「鬼六面白談義 陥落の季節」より。

酔っぱらって読んだら涙が出てくるような、燻し銀の文章。

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中原誠永世十段が降級した。私は最近、将棋離れしてしまっているので将棋界の一寸やそっとの事には何を聞いたって驚かないが中原、A級陥落の報には少なからず驚いた。

しかも、これ、三月二日の深夜、テレビの衛星放送を見て知った。偶然、チャンネルをひねったとことが、対加藤戦で中原さんが投了した瞬間であった。

投了後の放心した中原さんと違って加藤九段は例によってカチャカチャした態度でほんの数分、感想戦をやっただけ、すぐに腰を上げて対局場から出て行った。中原さんの心痛を見るに忍びず早々に姿を消した感じだった。

中原さんは腰を落としたままで報道陣の質問攻めにあっていた。こうなれば悪びれずマスコミの質問に答えようとする哀しい落ち着きが中原さんの全身に漂っていた。

(中略)

中原さん自身、前期あたりから自分にジワジワと危険が迫っている事を察知していた筈だ。こりゃ何とかせぬといかんと気にはしていても人間、死ぬ時が来るまでは自分の死が信じられなかったようなものだろう。

―遂に行く道とはかねて聞きしかと昨日、今日とは思わざりしを―

在原業平の歌を中原さんはしみじみと思い知ったのではないか。加藤九段に敗れた直後、毎日新聞の担当者に虚脱した表情で力なく答えていた中原さんの脳裡には業平のその歌がふとよぎったのではないかと思われる。

それにしても最終戦に加藤九段に敗退するとは、何か中原さんと加藤九段の間には妙な因縁が感じられる。十八歳で八段となり、二十歳でA級優勝して大山名人に挑戦した時の加藤さんは神武以来の天才といわれた。しかし、この神武以来の天才は大山名人に一蹴された翌年にA級からB級に転落、その後、何度もA級へ昇ったり、B級へ転げ落ちたりをくり返している。天才も二十歳を過ぎればただの人、の諺通りの人、という事で、将棋ファンも大して騒ぎ立てなかった。

中原さんが名人を襲名した翌年、加藤さんが名人位に挑戦して来た。この時、加藤さんの名人戦登場は昭和三十五年、大山名人に挑んだ時から数えて十三年目に当たり、いわば、新鋭とベテランの名人戦で世間は沸いたが何しろ、中原名人(25歳)はこの時最盛期だといえる。戦いは矢倉シリーズとなって、三局までは意地が伴って途中まで同型であったという。

加藤八段の四連敗、加藤さんは先手を持っても後手を持っても中原さんに突き放されてしまったわけで相当なショックを受けた。

それから十年後の名人戦に加藤九段が久しぶりに挑戦権を握り、中原名人に挑んだ。この名人戦、持将棋一回、千日手指し直しが二回、七番勝負が十番勝負になるという混沌とした名人戦になり、4-3で加藤九段が辛勝という結果になる。初めて加藤さんは名人を手中におさめる事になったのだ。加藤さんは二十歳で大山名人に挑戦して話題になったが名人位を手中におさめるまでには二十二年の歳月を要した事になる。その間、A級からB級に転げ落ちたり、B級からA級に這い上がったり、波乱に富んだ将棋人生を送り、そっして、二十二年ぶりにようやくつかんだ名人位を次の挑戦者となった谷川浩司八段にあっさりと明渡す事になる。将棋の悲哀をもっとも深く体験しているのは加藤さんかも知れない。一年で名人位を奪い取られた加藤九段はそれから四年後の平成元年にまたBクラスへ転落、そして四年後の平成五年にはAクラスへ復帰している。まるで不死鳥を感じさせるのだ。

本年、加藤九段は六十歳、神武以来の天才といわれていた当時にくらべると際立つ華のある棋士とはいえなくなったが、A級、最年長者である加藤九段はやっぱり天才である。

その加藤九段が今期のA級順位戦最終局において中原さんを倒し、自分のAクラス残留を決め、中原さんをAクラスから放遂した。第二十七期名人戦で二十五歳の中原さんに挑戦して四連敗の無残な敗北を喫した時の加藤八段は三十三歳、第四十期の名人戦で三十三歳の中原名人と接戦の上、名人位を奪取した時の加藤さんは四十二歳、今期の順位戦で五十二歳の中原永世名人をB級へ蹴落とした時の加藤九段は六十歳。人生の明暗を分けたこの両者の激闘の年齢的な比重が何か悲哀感を漂わせているような気がする。

相手を殺らねば自分が殺られる――順位戦の闘争心理というものはそこにあると思うのだが、中原十六世名人をB級に突き落として感想戦から逃れるように早々と腰を上げた加藤九段にどのような感情が走ったのかわからない。哀憐もあったように思うし、同情もあったように思う。あんたも俺みたいにたまにB級のメシを喰うのも必要だ、と内心、ほくそえんでいたかも知れぬ、と想像も出来るのだが、こういう場合、勝者は敗者に向って感傷を持ってはならぬというのが棋士の仁義なのだろう。棋士が可哀想に思えたなら突っ放すより方法がないのだ。

(以下略)

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中原誠十六世名人と加藤一二三九段……。団鬼六さんにしか書けない文章だと思う。

近代将棋の同じ号には、「最年少棋士、誕生」と、渡辺明新四段誕生のニュースが載っている。