42人の棋士が語る故・村山聖九段

今日は、村山聖九段の十七回忌の日にあたる。

別冊宝島440号(1999年4月刊行)「将棋これも一局読本」より、「故村山聖九段とはどんな男、棋士だったか」。

 今回の「現役棋士100人に聞きました」アンケートでは、特別に、平成10年に亡くなった村山聖九段についての設問をもうけてみた。有効回答数は42通。そのすべてをここに掲載させていただく(順不同)。読んでみると、故村山聖九段の人柄が浮かび上がり、それぞれの棋士の「思い」が伝わってきて感慨深い。

米長邦雄 純。幼少より腎機能に弱点があり、つねに死と向い合っていた男。

大内延介 将棋の虫。

青野照市 ともかく才能のあった棋士、そして最後まで勝つことに執念を燃やした男だった。彼が将棋に対するときは、病気をまったく意識しなかったはず。病気を少しでも意識すれば、早く勝とうとして無理な手が出るが、彼にはまったくそういう感じがなかった。ゆえに、病気でなかったらタイトルがとれたとか、名人になっていたなどの表現は、私としては理解できないし、そう思わない。彼に失礼であると思っている。

田丸昇 意外といい声で、ハイトーンだった。10年前、彼が奨励会員のころ、私が局後の感想戦で検討していたとき、彼からある読み筋を指摘されてびっくりし、いったい誰かと思わず顔をまじまじと見た。

伊藤果 何局か対局はしましたが、実際にほとんど会話らしい会話をしたことはなく、よくわかりません。亡くなる1年ほど前に、ぼくの自宅へボウリングの帰りに立ち寄ってくれたことがあります。そのときの彼は明るく、よく飲み、よく笑い、好青年といった印象でした。

田中寅彦 将棋に命をかけた棋士。

大野八一雄 死を覚悟して勝負していた人間にかなうはずがない(生き方として)。よく食事に行った。盤を離れたら人なつっこいかわいい先生だった。

高橋道雄 才。

鈴木輝彦 麻雀や酒の席で何度か一緒しました。生命の時間と戦っている苦労を見せませんでした。人間として、本物だったと思います。淋しがり屋の一面も心に残っています。

神谷広志 よく言われる終盤力より、序盤における抜け目のなさが印象に残っている。

福崎文吾 くったくのない人で(有森浩三さんのよう)、非常にほがらか、また、ユーモアのセンスが抜群で、まことに正直な人間だった。(とても優しい)師匠の森信雄さんが理事に立候補したとき、これ以上ないほど村山さんは、選挙協力を惜しまなかった(森理事、トップ当選)。また、将棋に関しては、羽生善治さんに比肩する鬼才の持ち主。

浦野真彦 彼が、吉田拓郎の「ペニーレーンでバーボンを」が好きだったと知って、なるほどな、と思いました。

真部一男 硬骨漢。現実的な面もあったが、何といっても将棋の表現力が独創的だった。

小林健二 惜しい男……。

日浦市郎 将棋に対する情熱は人一倍大きかった。

島朗 借りを作るのが嫌いな、いさぎよい男。彼と真剣勝負が何局か指せて、幸せだと思う。

屋敷伸之 将棋が強かった。

森下卓 名人になるという意志を死ぬまでつらぬいたすごい男だと思う。

長沼洋 彼が少年のころ書いていた文で、一緒に病院にいた友達が死んだときのことが書かれていた。病院で彼は死のこと、生きることについて、よく考え、修行されていたんだと思う。それが時間を大切にする努力に結びつき、強くなったと思う。A級に行くっていうのはすごいことで、その点はうらやましい。

櫛田陽一 私とは奨励会の同期であり、また一緒に遊んだ仲間であり、とても残念である。

神崎健二 四段へ昇段した日が同じ(1986年11月5日)だったことや、関西将棋会館棋士室で毎日のように顔を合わせていたこともありあまりにもいろんなことを思い出す。自分の残り時間が少ないことを、17歳で四段になった前後から、強く自覚していたのだろうと思う。将棋年鑑(に載っている棋譜)を一冊全部並べてしまうと言って、棋士室の棚にマイ年鑑をキープして並べてしまったり、難しい長手数の詰将棋もよく解いていた。「執念」「根性」「集中力」がケタ違いだった。だが、高段棋士の将棋を控え室で研究中のときにも、ボケとツッコミを演じて笑わせたりする楽しいキャラクターでもあった。大手術の直前の不安そうな表情、休場を決めたときの周囲の反応を心配していた顔は、忘れられない。同じ時代に、同じ時を過ごせたことは、私にとってもかけがいのない財産。

中田功 盤上に己のすべてをぶつけた男。

飯塚祐紀 村山さんの将棋は筋が通っていて好きでした。早すぎる死を残念に思います。

三浦弘行 棋士は職業上、どうしても性格に癖があるのが普通ですが、村山さんにはそういったものが感じられず、プロ棋士のほとんどの方に愛されていたと思います。

行方尚史 最高の将棋指しの一人だった。彼に恥ずかしくない将棋を指して、僕は生きていかなくてはならない。

勝又清和 将棋に命をささげたホンモノの勝負師でした。

真田圭一 今という一瞬に生命を燃やせる人だったと思う。決して弱音を吐かず、人の痛みや苦しみを人一倍思いやる性格だったと思う。

北島忠雄 心の綺麗な人。

松本佳介 飯をおごってもらったときぐらいしか話をしたことはありませんが、とても気さくな人だと思いました。

木村一基 いい人だった、としか言いようがありません。

鈴木大介 とにかく将棋にまじめな方で、将棋に関しては普段の人柄とは別人でとても厳しかった。

谷川治恵 将棋のプロとして、素晴らしい棋士だった。

鹿野圭生 身体にいいことはなんでもするが、身体に悪いこともなんでもする、意地っぱりな性格だったと思う。

山田久美 あまりお話する機会がありませんでしたが、たいへん気を使い、やさしい方だったと思います。NHKの解説で放送後、何人ものファンの方から「わかりやすくておもしろい解説」「声がすごくキレイ!!」との声を聞きました。

高橋和 心優しい先生でした。

木村さゆり わからない。

中倉宏美 遠い存在なのに、お話しするとすごく近くに感じられるような不思議な方でした。

中倉彰子 お話ししたことはありませんでしたが、将棋に対する思い入れは相当なものだったのではないかなぁと思いました。

碓井涼子 いつも、桂の間で棋譜を並べていた。

本田小百合 一度お話ししてみたい方でした。とても残念です。

大庭美夏 同い年なので、とてもショックでした。駅でスポーツ新聞を読んでいて、食べてたあんぱんを落としてしまいました。お話しする機会がなかったのが残念です。

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将棋世界1998年10月号では、森信雄六段、谷川浩司竜王、佐藤康光名人、羽生善治四冠、米長邦雄永世棋聖、郷田真隆棋聖、先崎学六段、増田裕司四段、山崎隆之四段(タイトル・段位は当時)が追悼文を、連載を担当している複数の棋士も村山聖九段について記事内で書いている。

大崎善生編集長(当時)の編集部日記は、後の「聖の青春」の一節そのもの。

また、「聖の青春」を読んでみよう。

 

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