村山聖六段(当時)の悔し涙と郷田真隆王位(当時)

将棋世界1993年5月号、池田弘志さんの「郷田王位がゆく ヨコハマ西口将棋クラブを訪ねる」より。

 2月第3日曜日、午後1時。郷田王位は「ヨコハマ西口将棋クラブ」へ足を向けた。その数日前にC2で9連勝し、単独C1への昇級を決めたばかりである。

 昇級が決まるこの一番、郷田王位も普通でいられなかった。剱持松二八段に作戦負け。またたく間に形勢を損じ、投了寸前の局面に追い込まれたが、剣持八段に土壇場で大失着が出て逆転。「トン死をくらった」と剣持八段は苦虫をつぶしたような顔。郷田王位は、「見損じがあって、勝ちを拾いました」と説明。両者のコメント、矛盾しているようだが、どちらも本当だろう。同じ盾の表と裏を語っているに違いない。

(中略)

 王将戦で、谷川浩司王将に4連敗した村山聖六段が悔し涙に泣き崩れた。師匠の森信雄六段も困りはてたという・・・。その話は、打ち上げのさいに郷田王位、将棋世界編集者、カメラマン、筆者の「郷田カルテット」の酒のサカナになった。

 当初、筆者は”涙”に奇異な感じを受けた。が、日本人はそのテの”涙”に弱いから、なにやら感動した。全員しばし悲愴感に包まれて沈黙・・・その雰囲気が煮詰まり、ひとつの疑問に形を変えていく・・・そういえば谷川棋聖に3連敗したけど、郷ちゃんは泣かなかったね・・・。

 「悔しくなかったの」誰やらが理不尽な質問をぶつけたから、静かなる男、郷ちゃんも慌てた。早口で弁解がましく「いや、ぼくだって悔しかったですよ、そりゃもう」と、言ったものである。

 ま、今期もいろいろありましたね。

横浜・福富町のバーChryslerにて。将棋世界同じ号より、撮影は弦巻勝さん。


郷田真隆王位(当時)は、この直前に、棋聖戦で0勝3敗1持将棋で谷川浩司棋聖に敗れていた。

村山聖六段(当時)は、王将戦で4局中3局が終盤で勝ち筋を見逃す負け方となり、0勝4敗で谷川王将の壁を破ることができなかった。

感想戦で村山六段は「実力が足りませんでした。弱すぎます」と語っている。

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「郷田王位がゆく」のカメラマンは弦巻勝さん。

郷田王位もそれまで、幾度にも渡る挑戦者決定戦での敗北、前年のタイトル初挑戦である棋聖戦での敗北など、心の中で涙することはたくさんあった。

「悔しくなかったの」の突っ込みは、弦巻さんがいかにも言いそうなジョークだ。

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人それぞれ、悔しさの表現のしかたは千差万別。

将棋の場合は、相手に対する悔しさではなく自分に対する悔しさが100%なので、なおさらのこと。

命の持ち時間が限られていた村山聖六段。なおかつタイトル初挑戦。

村山聖六段は、この後の順位戦最終戦で勝ち、B級2組からB級1組への昇級を決めている。