1996年 窪田義行四段

今日は棋王戦挑戦者決定トーナメントの事実上の準決勝にあたる、渡辺明竜王-窪田義行六段戦が行われる。

棋士別成績一覧によると、二人の対戦成績は、渡辺竜王から見て2勝1敗。(2001年○、2002年○、2005年●)

5年ぶりの戦いということになる。

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今日は、窪田義行六段の14年前の自戦記から。

当時の窪田四段らしさがよく出ている。窪田ワールド的な表現が面白い。

NHK将棋講座1996年6月号、窪田義行四段の自戦記「雌伏と妖刀」より。(塚田泰明八段-窪田義行四段戦)

読者の皆さん、こんにちは。四段の窪田です。

新年3日、私は24歳の厄除けと、不調だった95年度の9か月間のゲン直しをもくろみ下宿から程近い西新井大師へ赴きました、賑わいに心躍らせつつ厄除けその他、祈願を済ませ、定跡どおり(?)おみくじなどを引くことに。

金くじの数字・30番に(個人的理由で)引っ掛かるものを感じながら、くじ箱の当該の棚から出した紙片を見てみますと…

「この春まで、雌伏の時と思って過ごして行こう」即座に(笑)そう誓いを立て、暇つぶしがてら、その拠りどころとすべきグッズを物色。

(中略)

対局当日、地下鉄車中でつぶやきにも似た想いが脳裡をよぎりました。「対局後、午後から何をしようか…」。それこそ鬼が笑いそうならちもない考えですが、おそらくプレッシャーの影響。「こうもプレッシャーのかかる相手と状況ならば、なお堂々と対局せねばなるまい」そう気合いを入れ直すことに。

代々木公園駅からNHK放送センターへ。小学生名人戦以来、実に12年ぶりなのですが、胸にともるは感慨より気概。

塚田八段や解説役のわが賢兄・森下八段ほか皆さんとしばらく歓談した後、スタジオへ移動。入念なリハーサルを済ませて11時すぎに対局開始となりました。

(中略)

さて本譜、私の四間飛車に、塚田先生の▲5七銀右型に進展しましたが、この銀が右か(急戦)左(居飛穴その他持久戦)どちらを目指すか、予断を許さないところです。

(中略)

すると先手角が天翔ける飛鳥のごとく5五へ。

photo_2 (2)

(中略)

もっとも排除した分を補うだけの新しいものを捕まえているのかは自信がありません。鼎(かなえ)は空であろうと貴いが、水が枯れた水瓶は、かほどの値打ちもない。そんな水瓶のごとき焦燥なのかもしれませんが…

(中略)

このへんで双方、持ち時間を使い果たし、いよいよ山場が近づいてきました。

飛寄りに△2八とが普通ですが、▲15角と再び飛鳥のごとく跳躍され、今度こそ受けがなくなります。△2七銀は本筋とは言えないのですが、現代振り飛車の常道のような妙な思いこみに後押しされ、自信を持っての着手となりました。

photo_3

以下、▲2六飛△2八銀不成▲7七角△8二玉と渋めの応酬になりましたが、この4手は有利に働いたようです。

(中略)

局後、塚田先生や別室の森下先生は「△2七銀は予想外だった」旨おっしゃっていましたが、そんなこんなで考えるとこの銀、今は亡き恩師花村九段に、か程連なる「妖刀」とでも称すべき一着であったのやも…

(中略)

かくして、NHK杯であまりにも大きい一歩を記すことができたのですが、この大殊勲をどう受け止めるか迷っています。

己を揺らさぬための、心の礎の一つとなることは間違いないでしょうが…

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良い意味での大時代的な表現が窪田六段の文章の特徴だ。

△2七銀は、敵陣に放った受けの手ともいうべきか。

まさに窪田ワールド。

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この頃の窪田四段の将棋をもう一局。

この年のNHK杯戦予選から、対・椎橋金司五段戦。

(同じ号の湯川博士さんの誌上実況中継 NHK杯戦予選」より)

窪田(先)-椎橋は、はじめ窪田が駒得の展開で楽勝かと見えたが、椎橋が挽回し、図では窪田が苦戦。

photo_4 (1)

馬を逃げたのでは△4九香成で崩壊。かと言って、馬を渡したあとの△5八歩が見えてるだけに、受けがないかと思われた。

図から▲4四同馬△同歩▲3九金打(これが若手らしい勝負手!)

以下、△5八歩▲6三桂成△5九歩成▲4八金直△6七角▲4七銀打!

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再度の金銀連打で窪田陣は、木造平屋が鉄筋2階建てに建て替わった。

窪田の頑張りに中年の椎橋は疲れてきたか、少しずつ差が縮まり、ついに窪田が勝った。

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この一局も、まさに窪田流の世界。

窪田六段については、昨年のこのブログで「窪田義行六段の持ち味」という記事を書いているが、今回の棋王戦で窪田ファンが更に増えていくことだろう。

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