羽生善治棋王(当時)「うーん渋い」

昨日は羽生善治棋王(当時)の大ポカを取り上げたが、今日はその自戦記。

将棋世界1991年7月号、羽生善治棋王の連載自戦記〔第4期竜王戦 南芳一王将戦〕「盲点」より。

 4月は将棋界の開幕。

 一年の始まりで、全ての棋士が気分を一新して新しいシーズンを迎えます。

 私にとって本局は開幕第2戦。

 1年間を充実して過ごす為にはスタートが肝心です。

 そういう意味では本局は重要です。

 対戦相手は南芳一王将、改めて紹介する必要はないでしょう。大変な強敵です。

 本局は棋王戦が終わってしばらくしての感じですから、私にとっては棋王戦第5局という雰囲気で、ここで勝たなければ意味は無いんだと思い、大阪へ向かいました。

(中略)

相矢倉

 戦型は南先生が最も得意とする相矢倉になりました。

 先手番における相矢倉採用率は恐らく棋士の中ではNo.1と思われます。

 そして、1図はプロの相矢倉の実戦では最近、一番多い形です。

 この形はかなり前からあるのですが、いまだに結論が出ていません。

 それなりに改良、工夫はされているのですが、昔の形に戻りつつあったり、面白いものです。

 私はもし振り駒で後手番になったら絶対1図になると思っていたので、まずは予定通りの進行です。南先生もそのようだったので対局開始からものすごい早指しで1図になりました。

 ちなみにこここまでの消費時間は南先生1分、私は4分。

 しかし、ここから先は突然スローペースになってお互いに持ち時間をほとんど使い切ることになるのです。

羽生南5

1図以下の指し手
▲1六歩△8五歩▲3八飛△7三銀▲5七銀△8四銀▲6五歩△4二角▲6六銀右△7三桂▲4六角△4五歩(2図)

骨格を決める一手

 相矢倉はこのあたりからの一手一手がとても難しい。

 特に後手番は無造作に指すとすぐに作戦負けになりそうです。

 ▲3八飛とするのが最近の流行、柔軟性があってこの後相手の出かたしだいで自分のかたちを決めていくのが特徴です。

 後手の方は6二銀をどのように使うかが、焦点。△5三銀なら受け身、△7三銀なら攻撃的、あるいは6二銀のままにして雀刺しという作戦もあります。

 本局は1図で▲1六歩だったので、積極的に棒銀で行くkおとにしました。

 つまり、6、7、8筋を主戦場にしてしまって▲1六歩を価値のない一手にしてしまおうという狙いです。

 2図の△4五歩もその意思を継承した手ですが、ちょっと突っ張り過ぎだったかもしれません。

 △6二飛ぐらいで無難だったか。

羽生南6

2図以下の指し手
▲同桂△4四銀▲2八角△8六歩▲同歩△6四歩▲同 歩△6二飛▲5五歩(3図)
 

(中略)

羽生南7

3図以下の指し手
△6四角▲6五歩△3一角▲1七角△6五桂▲5四歩△5二歩▲4六歩△1二玉(4図)

苦しまぎれ

 3図で△5五同歩、△6四飛、△6四角の3通りの手が考えられますが、△同歩は▲5三歩で、△6四飛は▲4六歩△6五歩▲5七銀△7五歩▲1七角でいずれも自信がなかったので、本譜を選んだのですが、やはり苦戦です。

 特に△5二歩は辛い手で、よほど△5四金としたいのですが、そうすると一本道で一手負けになりそうです。

 南先生の将棋はそれほど派手な手は出ないのですが、着実にポイントを稼いできて勝利に結びつけるタイプだと私は思うのですが、▲4六歩というのはそれがよく表れています。

 こう指されると私の指し手が難しい。攻撃するとその反動がきつ過ぎるのです。

 △1二玉は苦心の一手と言うよりは苦しまぎれの一手。

 場合によっては△2二角と活用しようということです。

羽生南8

4図以下の指し手
▲1五歩△7五歩▲6八銀△8五歩▲1四歩△同歩▲1三歩△同玉▲2六角△2二玉▲5六金△8六歩▲6五銀△8五銀(5図)

銀の活用

 ▲1五歩は実に落ち着いた一手、とても困りました。

 △7五歩、▲6八銀と実に渋い応酬が続きます。

 △8五歩の局面で夕食休憩、まだ駒の損得はないものの、8四の遊び駒、▲5四歩と△5二歩の利かされ、手番を握られているという悪条件を考えると形勢は絶望的に思えてきました。

 再開後、端を突き捨ててから▲2六角でしたが、単に▲2六角の方が良さそうです。

 もっとも南先生はそこで△2四歩が嫌だったそうですが。うーん渋い。私には思いもつかない手です。

 本譜は△2二玉で一安心。そして、5図の△8五銀で一人前の攻撃形になったので、少しは難しくなったのではと思いました。

羽生南9

5図以下の指し手
▲1二歩△同香▲1三歩△同香▲2五桂△7六銀▲1三桂成△同桂▲1四香△6五銀▲1三香成△同玉▲1四歩(6図)

どこへ

 南先生はいよいよ▲1二歩から攻め合いを目指してきました。

 私の方も端は3一角の為、受けたいのですが、その余裕はないので、目をつぶって△7六銀からの攻め合いです。

 これも手抜きで本譜は攻め合いになりましたが、1回▲同銀もありそう。しかし、善悪は微妙な所です。

 本譜は超難解の終盤戦の始まりです。

 6図で玉をどこへ逃げて良いのか解りません。

 時間は刻々と無くなってきますし、正確に読まなくてはいけない。序盤ならAという手とBという手どちらも一局の将棋ということもありますが、終盤の場合はその選択が勝敗に直結しますから、最善は常に一つしかないという感じです。

羽生南10  

6図以下の指し手
△2四玉▲3七桂△2五桂▲6五金△3七桂成▲1五銀△2五玉▲4四角△8七銀(7図)

きわどい攻防

 6図で△2二玉は▲6五金△同飛▲4四角で負けなので、△同玉か△2四玉なのですが、△同玉は▲1八飛△2五玉▲2八桂でどうも受けにくい。

 よって△2四玉なのですが▲3七桂が当然とはいえ厳しい追撃。△2五桂が盤上この一手のしのぎです。

 他の受けは▲6五金でだいたい必至となります。

 本譜は▲6五金△3七桂成とできるのが△2五桂の効果です。

 ▲1五銀△2五玉の時に▲4四角がうまそうに見えて実は悪手。

 ここは▲3七飛として△6五飛▲4四角△8七銀▲7九玉△7八銀成▲同玉△8七金▲6九玉△7八金打▲5八玉△6八飛成▲4七玉△5八銀▲3八玉△5九銀不成▲2九玉となってきわどいながらも先手勝ちというのが感想戦での結論でした。

羽生南11

 ▲4四角は△6五飛▲3七飛となれば変化図と同じなのですが、△8七銀という手が生じたのです。

 この手でついに逆転です。

羽生南12

7図以下の指し手
▲同金△同歩成▲同玉△4四金▲2六銀△1六玉▲1七銀打△2七玉▲3七飛△1八玉▲3九飛(8図)

やっと

 △8七銀▲同金△同歩成と清算してから△4四金とすれば△6九角以下の詰めろになります。

 単に△4四金だと▲3七飛△8七銀▲同金△同歩成の時に▲同飛と取られてしまいます。

 ▲8七同玉と限定させる為の△8七銀だったのです。

 しかし、その反面銀を早く渡したので、△4四金の時に自玉は危険なのですが、本譜は△1八玉までどうにかしのいでいるようです。

 そして、△6九角を消して▲3九飛。苦しい将棋だったけれどもようやく勝ちになったと思いました。

羽生南13

 8図以下の指し手
△2七桂▲2九銀(投了図)  
 まで、111手で南王将の勝ち。

 魔がさした

 8図で△7六角とすれば簡単に即詰みだったのに……。

 後の事は思い出したくはありません。

 何ともお粗末な一局でした。

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羽生善治棋王(当時)は、この対局のほぼ1ヵ月前に、南芳一王将(当時)から棋王位を奪取しており、羽生棋王が「棋王戦第5局という雰囲気」と書いているのもそういった背景があったことから来ている。

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羽生棋王にとっては悪夢のような錯覚。

苦しい局面が続いて、直前の逆転を経て、ようやく勝ちを確信した途端の悪手。

将棋は、頭金を打つまでは安心ができない競技なのだということを痛感させられる一局だ。

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「後の事は思い出したくはありません」という一戦をあえて自戦記に選んだ羽生棋王。

このような姿勢こそが、強さの根源の一つなのだと思う。