勝浦修九段シリーズ第2回。
近代将棋1998年1月号、中井広恵女流五段の「棋士たちのトレンディドラマ」より。
主人の親友の大野六段と私の三人で高田馬場で会うことになった。
馬場は中学を卒業してから四年間一人暮らしをしていた懐かしい街。相変わらず学生達がうるさい。
用事を済ませ、さあ何をして遊ぼうかということになった。すると、大野六段が、
「運試しにパチンコでもするか」
と言い出した。
主人と大野六段は20年来のお付き合いで、私も12歳の頃から妹のように可愛がってもらっているが、彼がパチンコをやろうというのを初めて聞いた。
珍しいことだから、少しだけやるかということになり、駅の近くの店へ入った。
30分ほどしてフィーバーしたので二人の所へ行くと、その後ろにもう一人知った顔の人が座っている。
私に気づき、『どうも』とニコッと笑った紳士は何と勝浦先生だった。
勝浦先生といえば、知る人ぞ知るパチンコ研究家で、尋ねると、いろいろなデータを楽しそうに話してくださるそうだ。
先生も馬場にお住まいになっていて、そこのお店はホームグラウンドなのだそうだ。
ああいう所で知り合いに会うと、何とも言えぬ気恥ずかしい気持ちになる。勝浦先生の方も、まさかこのメンバーに会うとは思ってもいなかっただろう。
これも何かの縁と、夕食に誘っていただいた。そこも勝浦先生行きつけのお寿司屋さんで、壁には先生の詰将棋が飾ってある。とても良い作品だ。
「何でも好きなものを頼んでいいからね」
パチンコは一人負けだったのに、何て優しい先生なのだろう。
だんだんお酒が入ってきて、普段寡黙な先生が饒舌になる。
そういえば、今年の夏、稚内で王位戦が行われた時の立会人が勝浦先生だったが、その打ち上げの席でも最後には司会者のマイクを取り上げて喋ってらしたものねえ。
「あの機種は、私の経験ではある目が出るとかなりの確率でフィーバーするんだよ。これは企業秘密なんだけどね」
秘密と言われると、聞きたくなるのが人の常、でも秘密と言いながらどんどん喋ってくれるから面白い。
主人は横で真剣に聞いている。近いうち絶対にまたパチンコに行くに違いない。
そのうちに、いつの間にか将棋の話になっていた。
棋士はお酒を飲んでいても必ず将棋の話を始めるのだ。
「大野君、君は人はいいんだけど、俺に負けるようじゃダメだね」
九月に全日本プロトーナメントで二人が対局したそうなのだが、途中大野六段にひどい見落としがあって勝浦先生が勝たれたらしい。
「先生、そう言われても僕は何と返事をすればいいんですか。ハイ、そうですね…という訳にもいかないでしょ」
「ハハハ、でもあれはなかなか優秀な戦法でしょ」
「ええ、でも先生と宮田さん(七段)の将棋には驚きましたよ。隣で屋敷-大野戦をやってて、途中まで全く同じ将棋を僕とも屋敷君とも指してるんですから。あの時、先生と目が合って思わず笑っちゃいましたよね」
「ああ、宮田君が席を外した時、『同じになるとは限らないからねぇ』って笑って、でも全く同じに進んじゃったからねぇ」
「やっぱりプロは考えても同じように指すものなんですねぇ」
「それだけあの戦法が優秀だということなんだよ。あたり前だよ、あれは俺の工夫なんだから。俺は並の九段じゃないんだよ。600勝した九段なんだ。昔はカミソリと言われてたんだからね」
「先生。さっきと言ってる事が全然違いますよ」
本当に楽しい先生だ。
突然、主人が、『あっ、そうか、やっと詰んだよ』と大声を出した。壁の詰将棋に悩んでいたらしい。どおりで無口だったわけだ。
それじゃあ、これはどうだ?と違う詰将棋を出して下さった。あの中原永世十段が解くのに30分かかったという難問だ。
一見簡単に解けそうだが、盲点になる手があって、棋士が長考してしまうのだ。
「まだ解けそうもないから、もう一本お銚子貰おうかな…」
私たちが悩んでいるのが実に愉快らしい。そして、パチンコの話と同じで、答えを言いたくて言いたくて仕方がないのだ。
何とか答えを言われる前に詰ましたが、なるほど、浮かびにくい妙手があって、素晴らしい詰将棋だ。
結局、皆で勝浦先生にご馳走になってしまった。パチンコをする前に『今日は勝った人が夕食をご馳走しよう』ということになっていたのに、大負けの勝浦先生に出していただいて……、本当にご馳走様でした!!
翌日、主人が勝浦先生の企業秘密の法則をたよりにパチンコ屋へのり込んでいったが、その目が出ても一向に揃う気配がなく、
「あの情報はあてにならん」
とブツブツ言っていた。
先生、また新しい情報を教えてあげて下さい。
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寿司屋での「何でも好きなものを頼んでいいからね」は、非常に格好いい言葉だ。
焼肉店やラーメン屋やお好み焼き店で言っても全然迫力は出ない。
寿司屋だからの言葉。奥が深い。