昔気質の投了

近代将棋2000年11月号、鈴木宏彦さんの連載「プロ将棋はこう見ろ」より。

先日の「魔の夕食休憩前」とは、趣きの異なる夕食休憩前のドラマ。

図は平成元年の棋王戦。青野照市八段と先崎学四段(段位は当時)の対戦である。図の少し前に先手の先崎にミスが出て、形勢が傾いた。

photo_2 (6)

ここは後手優勢である。ただ、先手陣は固いし、これからまだ一波乱ということも十分にありえそう。

図の局面で午後6時10分になり、記録の川上猛2級(現五段)が声をかけた。

「夕食休憩になりました」

青野は「はい」と答えて立ち上がろうとしたが、相手の先崎がそれを止めて言ったのだ。

「金を立たれたら投げますよ」

青野は一瞬驚いたような顔をしたが、「投げるの?それなら指すよ」と言って、△3三金と指し、そこで先崎の投了になった。

自分のミスを悔やんでいた先崎としてはこの悪い局面を前に、休憩に入る気になれなかったのだろう。

最近はめったに見られないが、昔のベテラン棋士にはあきらめのいい人も多く、「こうやられたら投げるよ」というのは投了前の合図として時々あったそうである。

—–

(図の▲2二桂成までは▲2二成桂までの誤りと、今、気がついた)

島朗九段や滝誠一郎七段、古くは丸田祐三九段の投げっぷりが良いと言われている。

—–

鈴木宏彦さんのこの回の記事では、当時の棋士の食事注文についても言及している。

勝負の最中に食事を取るというのは日本人的な発想であって、インターナショナルチェスや中国象棋の大会では、そうした習慣はあまりないらしい。

日本の囲碁の対局には、やはり同じように、昼食休憩と夕食休憩がある。ただし、将棋と囲碁の対局では、微妙に食事の取り方が違う。

将棋の棋士が対局中でもしっかり食べるのにたいして、囲碁の棋士は昼は軽くうどんやそばを食べ、夜は抜きというパターンが多い。

囲碁でも、最近の若手には夕食を取る棋士もいるようだが、たいていの棋士は、「神経を使う対局中に食事をする気にはならない」と言う。

一方、将棋の棋士は、「食べないと体が持たない」と言う。囲碁の勝負は神経を使い、将棋は体力を使うということなのだろうか?

将棋の棋士にはユニークな注文をする棋士も結構いる。

米長永世棋聖は「なべ焼きうどんと温かいお茶の缶五本」を定食?にしている。真夏でもそうだ。

加藤一二三九段は天ぷら定食、うな重、上寿司のローテーションを数年単位で繰り返している。

若手の木村一基五段は塾生の注文に「いつもの」と答える。内容を聞いたら、「アンパン2個と梅アメ」だった。

女流棋士は以前、食事の注文を取ってもらえなかったが(控室が手狭で、食事を取る適当な部屋がなかったのだ)、最近、女流棋士の専用室ができたので、そこで食事を取る棋士も出てきた。ただし、女流棋戦は持ち時間が短いこともあって、食事を取る女流棋士は少数派である。

男性棋戦の場合は持ち時間が長いこともあって、昼食休憩の時間は比較的気楽だ。対局中でも、テレビを見たり、雑用を片付けたりしている棋士が結構いる。会長時代の大山康晴十五世名人はその時間帯に会合を開いたり、会長としての雑務をこなすのが常だった。

しかし、これが夕食休憩になるとがらりとその雰囲気が変わる。ほとんどの場合、夕食休憩イコール終盤の勝負どころである。控室で食事を取っていても、みんな口を利くこともない。黙々と食事を取ったあと、すぐに将棋盤の前に戻って深刻な顔で考え込んでいる。

ただ、数年前に持ち時間4時間の対局の夕食休憩がなくなってから、夕食休憩に入る将棋はかなり少なくなった。昔は夕食休憩にからむドラマがいろいろあったが、今後はそうしたドラマも、あまり見られなくなるのかもしれない。

—–

「ルースチャーハン」という、その一帯では超名物な夕食出前メニューがあった。青椒肉絲(チンジャオロース)がかかったチャーハンだ。

チャーハンの上に青椒肉絲と麻婆豆腐が半々に乗っている「半がけ」というメニューもあった。

職場で食べるルースチャーハンは非常に美味しく感じるのだが、店へ行って食べるルースチャーハンは、やや美味しい程度だった。

平成に入り、情報セキュリティの面などから出前禁止のビルが増えたが、出前の味は、絶対に捨て難い。

店へ入って親子丼を食べたいとは思わないが、出前なら親子丼を食べてみたいと思う。

千駄ヶ谷・福島の将棋会館への出前は、未来永劫続けてほしいものだ。