丸山新手のあけぼの

3月のA級順位戦最終局で繰り出された丸山新手”冷えピタ”の萌芽の頃。

近代将棋2003年5月号、本田小百合女流初段(当時)の「本田小百合の棋界突撃レポート 棋王戦の舞台裏」より。

 散策から帰ると棋王戦主催の共同通信の担当者である橘さんが、両対局者の昼食の注文を聞いて帰ってきたところでした。

 そこで、橘さんにタイトル戦の開催の苦労話やエピソードなどをお聞きすることにした。

「お二人の今日の昼食はなんですか」

「丸山さんは、うな重にオレンジジュースとフルーツ。羽生さんは、豚肉とキムチのあんかけ石焼ご飯でした」

「一度では覚えきれない長い名前ですね(笑)。お二人とも食欲旺盛ですね」

(中略)

「1局目は金沢市での開催だったのですが、羽生さんら一行は飛行機で金沢入りしましたが、丸山さんは軽井沢に住んでいますので軽井沢から高崎経由の新幹線での移動でした。私が高崎駅で待ち合わせして同行したのですが、金沢は大雪注意報が出ているほどの悪天候、軽井沢も雪のはずですが高崎駅のホームで丸山さんに会ったときはびっくりしました。コートも着ずにスーツ姿でしたからね(笑)」

「さすがお父さんが雪国出身なので寒さには強いのでしょうか」

「普段もコートはほとんど着たことがないようです。1、2局ともに対局室の天井の照明が暑いということで、前日に調整してもらったのですが、当日、対局中に丸山さんはしきりにセンスで頭を扇いでいました。羽生さんは、少し寒いくらいだといっていたのに(笑)。丸山さんは対局中にモニターテレビ用のカメラを見ながら頭の上をパタパタとやって<何とかしてくれ>といった表情を見せるので部屋に行って温度を下げたりしましたが、あまり下げると羽生さんが<寒い>というかもしれませんしね」

(以下略)

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この文章を読むと、丸山新手はいつ出現しても不思議ではなかったということがわかる。