中野英伴さん

昨日は「第18回大山康晴賞」の授賞式が行われた。

受賞者の一人が、写真家の中野英伴さん。

将棋界、棋士の魅力、棋士の頭脳と精神が生み出す知的世界の創造性の美しさを、将棋を知らない人達にも魅力的に伝えている、として大山賞の受賞となった。

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将棋世界に掲載された数多くのタイトル戦の写真は中野英伴さんによって撮影されている。

修羅場の対局場に入っても、対局者が全く気にならないような、そこに居合わせたことすら感じさせない立ち振る舞い。

中野英伴さんが写真で表現した数々の勝負や棋士たち。

一方、中野英伴さんが感じていること、考えていることが文章になっている機会は少ない。

その、数少ない中野英伴さんの「言葉」をお届けしたい。

将棋ペンクラブ会報2008年春号の巻頭対談より。

中野英伴さんと、作家で将棋ペンクラブ会長(当時)の高田宏さんの対談。

「棋神」好調

高田 「棋神」の出版おめでとうございます。これには中野さんの33年が詰まっています。しかも評判がよろしいそうですね。

中野 はい、朝日新聞の書評欄に載ってから急激に伸びたと聞いています。当初は3千部の予定だったのですが、西日本新聞が7百部買って下さるということで4千部になりました。

高田 これだけの豪華本で4千部というのは珍しいですね。

中野 将棋連盟でも、たいへん結構な部数をお引き受け下さいました。

高田 なかなかいい装丁ですね。

中野 出版元が私のいろいろな注文を受け入れてくれました。

高田 写真はどなたが選ばれたんですか。

中野 「将棋世界」で長年レイアウトを担当していた、土方芳枝さんという女性デザイナーです。この方が全部やってくれました。そうでなければ、なかなか選べるものではありません。

高田 中野さんご本人が選ぶと、5年かかっても選ぶことができなかったかもしれませんね。それぞれの写真に愛着があるから選びきれないでしょう。

中野 そうですね。「将棋世界」の仕事では、モノクロ写真は撮った中から30枚くらい選び、キャビネに伸ばしたのを納めていましたから、その段階で私の目を通っている。ですからその中のものであれば使ってもいいと。

高田 でもすごい枚数でしょう。タイトル戦はだいたいお撮りになったんですか。

中野 はじめの頃は僕一人がやっていた時代もありますし、ほとんど行っていましたね。15年前からは多少は選んで撮るようになりました。はじめの頃は中原・米長時代で、10年目くらいからは羽生時代、その間が谷川時代です。そういうことで中原・米長時代のいい所は全部写しきったと思います。それが僕としてはなによりです。

高田 始めて33年になられるんですね。

中野 今もやっていますから、そのように年数が経ったとは思っておりませんけれど。

高田 タイトル戦一局写し終えたら相当体力を使うのではないですか。

中野 そうですね、帰って2日くらい休まないと。若い頃はそういうことはありませんでしたが。モノクロの時代はタイトル戦を撮って翌朝の一番電車で帰ってきて、それから現像し、そして引き伸ばし、夕方に納めるという手順でした。

中野流の真髄

高田 売れ行き良好というのは、この写真集の持っている力だと思います。どの一枚をとっても力があります。一枚の棋士の写真の中に膨大なドラマがあって。

中野 それは、棋士の方の並々ならぬ力があってのことですから、そういう意味ではいい被写体をいただいているわけです。

高田 撮られるのはほとんどタイトル戦ですね。

中野 そうです。タイトル戦は、トーナメントやリーグ戦を勝ち上がっての最終決戦ですからね。

高田 いってみれば、みんな神様なんだ。しかし、それを写真にきちんと撮るというのは並々ではないですよ。誰が撮っても撮れるものではない。この本の中で米長会長が前書きを書いておられてます。

〔写真というものは対局者の顔に向けることが多いから、当然被写体である対局者は時として氣になる時もあるのだが、英伴さんは一度も氣に障ったことがなかった〕

〔中野英伴さんは、そこに居合わせたことすら感じさせない立ち振る舞いをすることができる人である〕

 将棋のこと写真のことよくご覧になってのずいぶんと長い、前書きです。お義理の前書きではありませんね。

 そしてなによりこの本の節目ごとに置かれている大崎善生さんの文章が素晴らしい。大崎さんの文章の中でも光っているのではないでしょうか。気合が入ったのだと思います。その中で控室の隅でカメラをかかえ目を瞑っている英伴さんを書いておられる。この姿は僕も拝見したことがあるのですが、カメラをかかえ目を瞑っているという文章が、タイトル戦の棋士たちを撮ってこられた中野英伴さんの真髄をとらえていると思いました。ほかにも「暗室の作業は感想戦」とか、どれもこれも納得という感じです。

 こういう、忍者のごとく気配を消して、あるいは熊撃ちのマタギのごとく気配を消して、それは自分が木となり石となるということなんですよね。これは一種のすごい武術のようなものだと思います。いつ頃からご自分の気配を消すこと成功されたのでしょう。

中野 いつからということではないのですが、いつの間にか身についてきたという感じです。最初からではありませんでした。木村伊兵衛について、木村と一緒に写すことが多かったというのがありまして、そこで身のこなしかたとか気持ちの入れよう、引きようというのが見事だと思いました。

高田 やはり木村伊兵衛は達人なんですね。

中野 身のこなしと同時にカメラの扱いが肉体化されている、自分の手や指のような肉体の一部になっているところを目の当たりに見まして、それがそもそのの始めだと思います。

高田 大崎さんが書いている「控室の隅でカメラをかかえ目を瞑っている中野英伴」というのは、肉体の一部だからカメラをテーブルの上に置いたりしない。置いたりしたら、手を切って置くようなものなんだ。それは木村伊兵衛譲りですね。

中野 そうですね、これはそういう機会がないと、なかなか自分だけでは悟れるものではないし、身につくものではないと思います。もちろん、天才的に写真がうまい人とかいますが、いいものを見て、いい環境にあって育ってこないと、なかなか難しいと思います。

高田 感性だけでドキッとするような写真をものにする人もいますが、平均点は低いのではないですか。

中野 そうですね。

高田 時々満塁ホームランを打つけれど大抵は三振している。木村伊兵衛譲りはホームラン50本、打率4割、そういう感じだと思います。

中野 そう言っていただけると、思い当たるというか、自然にそういうものを目指してきたという感じがします。一回対局場に入ったら、1枚か2枚はいい写真を撮りたいと思うんですよ。いいものを沢山撮ろうと欲をかいても、そういうものではないですね。そんなに多く撮る必要はない。それよりも確実性のほうが大切だと思います。

高田 ヒットを打てる球が来なければ見送る、ヒットを打てる球が来たら打つ。

中野 ヒットを打つような場面というのは意外と多くないんです。ですから、そこへ行くまでに雰囲気的な写真を撮っておくとか、そこにいても迷惑にならないような、そういう状態にしておく事が、対局場の中にいるときには必要だと思うんです。

高田 本当に今だと感じて撮る時に、その状態が継続していれば撮れるんでしょうね。

中野 そうですね。それで、いい状態というのは本当にすぐわかるんです。そうすると、こっちが心構えをして、気持ちの態勢と体の態勢と、道具の扱いの態勢を整えていれば、それに間に合うんですよ。それを長年やっているとひとつの気配でわかるんです。

高田 前兆のようなものですね。今だというときに行っても、むこうが先に進んでいて。

中野 遅いです。見て写したんじゃ遅いと思うんです。ですから予測をどれだけできるかと。舞台の場合には台詞なり音響効果なりがありますから撮りやすいんです。筋を知っていればわかる予測がつくんです。将棋は具体的な予測の立てようがないです。そうすると、その棋士の体なり気持ち内で何か発散しているものがあるのですが、「けわい」といいますね、僕は「気配」というよりも好きな言葉なのですが、そこにこだわっています。将棋は予測ではなく「けわい」ですね。

高田 これはマタギ(山の猟師)だわ。盤面から雰囲気を察することはありますか。

中野 僕は将棋をよく知りませんから、盤面のことは控室にいて、皆さんの話の中で大体はつかむことになります。こちらで考えていることと相手の気配の接点というのは現れる場合もありますし、全然そうでない場合もありますから、全然ない場合には撮らずに出てくるということがたまにはあります。たまにはありますが、仕事でなんとか撮らないと様にならないので、逃げの写真を撮る場合もあります。

撮りやすい棋士

高田 大長考のときは撮りやすいですか。

中野 僕としては中盤の大長考の時の写真というのは落ち着きがあって好きです。長考の姿のいい人とそうではない人がいますが、米長さんが名人戦に初挑戦したときの姿は、よかったです。最初に将棋を写したのは大内さんが名人初挑戦のときでした。大内さんの長考のすごい姿を見て、被写体の凄さと被写体の気精に招かれるんですね、そういう時にいい写真が撮れる。

高田 棋士本人も知らない姿がね。長考というのはどんどん集中力が研ぎ澄まされる、そういう時間なんでしょうね。棋士は知らない、自分がそういうものを発していることを。ある意味、無我の境地ですね。

中野 僕は名人戦から入ったというのは幸せでしたね。大内さんにしても米長さんにしても挑戦するまで苦労していますものね。後輩の中原さんに超えられて、そこに追いついてくるという苦労というものが、その時によくわかりました。はじめたころは、全局行っていましたからね。そのあと名人戦が毎日に移って、挑戦者は森(けい二)さんです。当時の将棋世界の編集長の清水考晏さんは、編集に勝負を賭ける人でした。全局やってなにか含みがあったのだと思うのですが、すぐ写真集にしたんですね。それは僕にとってありがたかったです。

高田 ところで、お答えが難しいことをお聞きしますが、撮りづらいのはどういうタイプの棋士ですか。

中野 基本的に撮りにくいというのはないですね。要するにその棋士に合わせるより仕方がないわけで、合わせ方の方法論が違うわけです。確かに撮りにくい棋士もいますし、そういう棋士にはそれなりの撮るツボがあるんでしょう。表情が出ないとか姿勢が変わらないとか。変化のない棋士には、選択肢の少ない中からつくっていかなければなりませんんから、大変といえば大変です。

高田 料理の材料に文句を言っても仕方がないから、料理の腕でさばかなければならない。

中野 そうですね。人に対することもありますし、対局室の条件、狭いとか暗いとか、その中の条件でやるより仕方がありません。暗いといっても写らないことはないんですよ。

高田 カメラは全部手持ちですね。息をぐっと止めた状態になるわけですね。

中野 そうですね、呼吸というか、写真では脇を絞めて呼吸を止めて撮る、基本はそれなんですが、長い間やってきて自然に身につくものだと思います。

高田 肩の力が抜けて、自然体で、しかもどんなに伸ばしてもボケない写真を撮れる。

中野 こちらが動きながら撮るということもよくあります。構えていて向こうに合わせながら撮る、シャッターチャンスのタイミング、それと同時に構図構成をつくるには、どうしてもそういうふうにしなければならないときがあります。

高田 大変だろうと思うのは、もうちょっと被写体に寄りたいと思っても、あるライン以上は踏み込めない結界があるわけでしょう。

中野 あまり近づきすぎても相手に失礼ですし。この写真集でもトリミングはしていない。トリミングするとレンズの味を崩すんですね。本当のものではなくなります。

高田 レンズに見えたままが写真になるんですね。そうすると撮りやすいというのは、その裏返ですか。

中野 そうですね、おおむね皆さん撮りやすいですよ。特に撮りやすいのは米長さんとか羽生さんですね。

高田 普段タイトル戦にあらわれない棋士や若手が挑戦した場合はどうですか。

中野 場に慣れないとか落ち着かないとか、そういうものが目によくつくわけです。裏返せばそれが新鮮さにもつながるわけですが。やはりこちらも誠意を持って、変なところは撮らない、この気持ちが一番大切だと思うんです。変なところを撮っても仕方がない。相手も嫌な思いをするし、撮った本人も嫌な気持ちになる。

高田 ゴシップ写真じゃないんだから。

中野 そうなんです。そういうことにならないよう、絶えず心がけていなければならないですね。

高田 前夜祭とか打ち上げの際、棋士との個人的なお付き合いはなるべくしないようになさっているんですか。

中野 僕はしないようにしています。それから打ち上げの時に写真も撮らないようにしています。感想戦までが被写体です。僕はそういうふうに割り切ってやってきたのと、それを許してくれた編集部に感謝しています。自分としては棋士の仕事と人を大切に考えてそれを読者の方に伝えたいとの思いがはっきりしていますから。

高田 表舞台からおりた楽屋は撮らない。

中野 僕の姿勢としては十分だと思うんです。なるべき純粋にいきたいと思っているんです。

高田 カラーはお撮りにならないんですか。

中野 カラーも撮っています。今はほとんどカラーです。今、「将棋世界」に3ページもらっていますが、これはモノクロ」です。僕のモノクロを評価してくださる方が結構多いものですから、そういう要求がきました。将棋にはモノクロが似合うというお考えの方が多くて。今の連載も1年半になりますが、これを続けて、連盟に棋士のそういう姿を残そうという考えのようです。

高田 連盟の財産としてアーカイブを蓄積していくんですね。

中野 1日制の対局の夕方4時から6時くらいに2、3回ちょっとの時間を、了解をとって撮らせていただいている。普通(朝、昼休み、終了後)だと真剣なところがなかなか残らないです。有り難いことです。この話が出て、皆様のご理解が深まったということはあると思います。

木村伊兵衛門下

高田 中野さんは今日もそうですが、撮影も背広とネクタイでしょう。表舞台である対局室を撮るときは背広にネクタイを通してらっしゃるんですね。

中野 それは最初から通してやっています。棋士は正装でなさっていますから、それに対する礼儀というか。

高田 世の中一般のカメラマンに対するイメージというと、背広にネクタイではないですよね。逆にいえばカメラマンとして珍しい服装をしてらっしゃるんだなという印象があるんです。今日の話を伺っていて、必然的に正装でいらっしゃるということがよくわかりました。

中野 将棋連盟の仕事をしていますので、自分の気持ちとしては将棋連盟職員と同じ服装をするということなんです。あまり目だないような服装にはしていますが。

高田 中野さんの写真の持っている品格とも関係があるんだろうなと、写真集を拝見しながら思っていました。

中野 仕事をしていて、人様に迷惑をかけてはいけないということは非常にあります。写真を撮るということは迷惑がかかる場合が多いわけですから。

高田 そうですね、将棋に限らず。貧困地帯の飢えた子供たちを勝手に撮ったり、それでピューリッアー賞をとっても問題ですよね。

中野 こちらの態度として忍ぶ心がないといけないです。それと世の中でも認める師匠についているものですから、師匠に迷惑をかけてはいけないということもあります。人としての礼を大事にしたいです。

高田 木村伊兵衛門下になられたきっかけは。

中野 普通なら弟子になれるような腕前でもなかったし、可能性もなかったのですが、間に入ってくれる人がいまして。その方は前進座の河原崎長十郎さんですが、おかげで弟子になることができました。

高田 河原崎長十郎さんとは何かのご縁で。

中野 その当時、最初に修行に入ったところが坂本万七写真研究所というところだったのですが、坂本万七さんは武者小路実篤主宰の「新しき村」出身で、当時は国立博物館の仕事や仏像や古美術品、もう一つは新劇の舞台写真をやっていた人です。築地小劇場の最初から撮っていました。そういうところへ入ったものですから、その人の教えに影響を受けまして、それで舞台写真をやるようになったんです。最初は仏像や古美術品の写真をやりたいと思っていました。人間を撮るというのは難しすぎて、自分にはできないと思っていました。

高田 そうすると仏像を撮っておられたら、木村伊兵衛ではなく土門拳のほうに行っていたかもしれない。

中野 そうですね。坂本のところで前進座の仕事をやっていて僕が独立するときに前進座の仕事をまわして下さった。

高田 そこで河原崎さんとお会いになって、木村伊兵衛につながる。

中野 そうです。人様の恩で次から次へ生きてこられて感謝しています。木村のところへ行ったときに、坂本が木村に、中野をよろしくと言ってくださったのもとても感謝しています。

高田 なるほど、人の縁とはそういうものですね。もっとも、中野さんがそういう人たちから嫌われていたらそういう話にはならないわけで、可愛がられる才能がおありになるんでしょうね。話は飛びますが、お若いときに俳句をなさっていらっしゃいますが、これは結核の療養中のときのことですか。

中野 それが療養前でして、母が浅草の生まれで、久保田万太郎の小学校の後輩にあたるんです。そういうことがありまして母は万太郎について俳句をやっていたんですね。戦後すぐに万太郎は結社を作って、母もそこに入ったわけですが、その頃、僕は中学生で見よう見まねでやっていました。療養中には俳句に助けられました。

高田 療養はどれくらいされました。

中野 自宅療養2年と療養所に5年いました。そして療養所の中で写真をおぼえたんです。ちょうど療養所の中に写真の好きな人がいまして、アマチュアだけどプロ指向の人でしたが、その人が手ほどきをしてくれました。

高田 最初のカメラは何ですか。

中野 ベビーパールという機種をその人から借りて使っていました。その後、リコーフレックスが出て、そちらになりました。

高田 その時代のカメラは大変高価で手が出ませんでしたよ。

中野 全部その人のものを使いました。親分肌で人のいい人でした。

高田 今お使いのカメラは。

中野 ニコンF4です。舞台を写していたころはライカです。ライカにする前はニコンでしたが、シャッターチャンスが遅いと木村から言われたんです。一眼レフは60分の1秒遅いらしいんですね。木村からライカを買えと言われました。昭和38年くらいでしたが、月給が1万円代の時代にカメラが20万円でした。それで木村が、お金を貸してやるから買えと言われました。そこまで言われると無理やり算段して買いましたよ。それが、うまくなるかならないかの瀬戸際のときでしたから。買ったら木村はとても喜んでくれて、浅草の植木市に行ったりしてライカの使い方を直伝してくれました。

高田 今、プロの方もデジカメとフィルムを両方お使いなんでしょう。

中野 僕はずっとフィルムでやっています。フィルムを生産しない時代になってしまったら、デジカメを使うことになるのでしょうが、今のところはフィルムで続けるつもりです。

将棋へのきっかけ

高田 棋士の写真は、どういうきっかけで撮るようになったのですか。

中野 朝日ソノラマから話がきっかけです。当時「アサヒカメラ」の編集長をやっていた人がソノラマの部長になって、それで連絡がきました。この人はアサヒカメラで木村番の記者でした。清水考晏さんとはその中で親しくなって、最初は写真の話でした。彼も写真が好きでした。アマチュアのクラブに入っていて相当なものでした。

 最初のときは大内さんに会って、とっても気さくな人だと思いました。次の日、中原さんと会ったら、これがまたそのままの人で、蕎麦をご馳走になりました。二人とも人当たりが良くて、はじめは気難しい人だったらどうしようと思っていたのですが、杞憂でした。

 名人戦では一局目から、こちらも気分が乗りまして、最初からいい写真が撮れているんです。それまではカメラマンが毎年交替だったのですが、良かったので次の年もやってくれということになりました。

高田 将棋の神様が中野さんにくっついた。中野さんは多分あまり将棋はお強くないと思うのですが、それがかえって良かったのではないかと思います。変に強いと盤面ばかりが気になって、こういう局面だからシャッターチャンスだなと、逆に妙な色気が出るかもしれない。

中野 それは何人もの棋士の方からも言われますね。あまりわかっている人だとやりづらいと。先日、大内さんと出版元の東京新聞出版局長と3人で会ったときも同じ話が出まして、出版局長は学生将棋からの人で強いらしいのですが、前は大内さんに習っていて今は豊川さんに習っている。出版の話の出所は大内さんと出版局長の仲がいいということからきているのでしょうね。この企画が始まってしばらくしてから、米長会長が乗り気になって下さったことも大きかったですね。

キャプションなし

高田 写真集にキャプション(説明文)を入れなかったのはどなたのアイデアですか。

中野 デザイナーの土方さんの意見を尊重しました。僕も同じ意見でした。写真そのものをみてほしいということです。キャプションを入れると、どうしてもそちらに目が向かいますから。本つくりについては全ての意見を出版側は通してくれました。

高田 説明調のつくりをしていないから、大崎さんの文章も活きていますね。大崎さんとは深いお付き合いなんですか。

中野 彼が将棋マガジンのデスク時代から、合わせて13年一緒に仕事をしています。それで結構、僕の好きなようにやらせてくれました。

高田 大崎さんは最良の読者ですね。

中野 そうですね、大崎さんはカメラマンの僕を信用していたのと、デザイナーの土方さんも信用していて、ご自分のやった「将棋世界」が活きたと思っておられるのだと思います。これは有り難いことです。

高田 大崎さんにはすっと引き受けてもらったんですか。

中野 依頼は出版元からです。大崎さんは東京新聞にコラムを書いていまして、東京新聞からの推薦です。土方さんの起用は大崎さんと僕との共同意見です。そうしないと、この本はできなかったですね。

高田 いろんな方の息が合って、傑作が出来たのですね。今日は貴重なお話をありがとうございました。

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中野英伴さんの写真集「棋神」は、2008年の将棋ペンクラブ大賞文芸部門大賞を受賞している。

棋神―中野英伴写真集棋神―中野英伴写真集
価格:¥ 2,800(税込)
発売日:2007-10-24

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この対談のテープ起こしを担当した私は、間近でお二人の話を聞いていた。

とても素晴らしい対談だった。

「控室の隅でカメラをかかえ目を瞑っている中野英伴」、この形容を聞いただけで鳥肌が立つほど感動した。

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木村 伊兵衛(1901年12月12日-1974年5月31日)は戦前・戦後を通じて活躍した日本を代表する著名な写真家の一人。

報道・宣伝写真やストリートスナップ、ポートレート、舞台写真などさまざまなジャンルにおいて数多くの傑作を残しており、特に同時代を生きた写真家、土門拳とはリアリズム写真において双璧をなす。

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