将棋世界2002年10月号、河口俊彦七段の「新・対局日誌」より。
夏といえば高校野球。将棋界の夏は、かつては「将棋まつり」だったが、今は竜王戦である。七月から八月にかけて、本戦から挑戦者決定戦に至る、いちばんおもしろい戦いが見られる。
この日戦われているのは、準々決勝の三局。
(中略)
今の若手有望株といえば、木村六段、松尾五段、宮田四段だが、三羽烏はそれぞれ各組トーナメントを勝ち進んでくれたものの、本戦パラマス戦に入って、次々と同士討ちとなり、勝ち残ったのが松尾五段。藤井九段との対戦は、現在の若手レベルを計れる好取組だ。
と思っていたら序盤巧者の藤井九段に、序盤の終わりころに技を決められ、松雄五段が勝てない流れになっている。
図は、何気ない局面だが、藤井九段は狙っていた。
図以下の指し手
▲8四歩△同歩▲5三角成△同金▲6五桂。
一つ▲8四歩と付き捨てておいてから、▲5三角成と切る。いきなりの強襲だが、▲6五桂と跳んですでに先手有利。
上図で、△4三金は▲3二銀だし(△4二飛▲4三銀成△同飛▲3四金)、△5二金引は、▲8四飛△8三歩▲5四飛と暴れられて処置なしだ。結局金を逃げられず、△5一飛▲5三桂成と金を取られてしまった。
多分松尾五段はうっかりしていたのだろう。△8二玉のところで気付いていれば、指し方はいくらでもあった。昨今の若手棋士は、こういったミスはめったにやらない。緊張しすぎていたのか、珍しいことである。
そうして夜戦に入ってからの話になるが、好取組が多いので控室も賑わっている。昼間のうちは、丸山九段が軽井沢に住まいを移したとかが、話題になっていた。親しい深浦七段も初めて聞いたそうで、天才の考えは、さっぱりわからない、ということになった。自然環境が気に入ったんでしょうかね。わからないといえば、軽井沢に移ったのは、長野県知事選に出るため、という説が出て、みんな笑っていたが、そのジョークのどこがおもしろいのかな。私はポカンとしていた。
(以下略)
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松尾五段(当時)の見落としがあったとはいえ、藤井九段の攻撃は、五手一組の「次の一手」のような見事さだ。
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丸山九段は超暑がりといわれているので、軽井沢に住むようになったのは、気候の問題が大きかったのだと思う。
丸山九段は、現在は軽井沢には住んでいない。