先崎学五段(当時)「さっき郷田に電話したんだけど、今から出てこいって言っても出てこねえんだよ。ヒドイ奴だ!」

将棋世界1992年8月号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時 大阪」より。

 「驚いたねえ」そう言って笑いながら先崎が歩き回っている。午後7時の再開から数分後の出来事だった。

 何があったんだろうと、対局室を覗きに行くとすでに駒が片付けられている。難解な勝負だったし、そんなに早く終わるはずはない。

 すぐにピンと来た。あ、千日手か!

 1図が夕休前の局面。▲7二馬の飛車取りに対しては畠山(成)は再開後ノータイムで△6四飛。以下▲8二馬△6一飛▲7二馬△6四飛の手順が繰り返されて千日手に至る。

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 ともに打開する気もなく淡々と進められていた。やはり順位戦の初戦、勝つと負けるでは上がるか降級点かぐらいの極端な差を感じて戦っているはず。絶対に負けたくないのだ。それが千日手を甘受する気持ちになる。しかし・・・もう一度1図を見てほしい。あっさりした形に見えるが、先手陣の2九歩は決して誤植ではない。これだけでも熱戦の跡がうかがえるのだ。

 6月16日、火曜日、C級2組順位戦の開幕の日、関西将棋会館では10局が戦われた。さすがに誰も朝から言葉を発せず、あの伊藤(博)ですら盤の前から離れようとしない。伊藤は話したそうな表情をするだけで、首を振りながら「あかん、あかん、今日は気合が入ってるんや。話しかけんといてや」。それを聞いて、伊藤と戦っている桐谷が「いつも対局室25時を見ていると、伊藤先生が面白い事を喋っているシーンが登場するのに・・・そうですか、そういう事ですか」などと呟く。

 「そんな気合入れんのも、1局目だけやで」と言うと「そやろなあ。僕もそう思うけど・・・あ、あかんあかん。話しかけたらあかんちゅうとんのに」

 少し伊藤らしさが戻ってきたが、やはり部屋には重苦しい空気が流れていた。

(中略)

 千日手指し直しで注目の一番、畠山(成)四段-先崎五段戦はどうなったのだろうか。観に行くと畠山が一方的に攻めまくっている。棋士室でも「この攻めを受け切るのは難しい」と検討陣。2図は先崎が飛車取りに△5四金と打った局面だが、ここからの畠山の決め技をご覧あれ。

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2図以下の指し手

▲5四同飛△同歩▲3三金△同桂▲同歩成△同銀▲3四歩△4四銀▲3三金△3一玉▲2四歩 (3図)

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 スジに入るとはまさにこういう攻めを言うのである。駒をたくさん持って受け切ろうとしても、受ける場所もなく辛い投了形が待っている。かくして先崎の夢も辛い出だしとなった。

 すべての対局が終わり、将棋会館を出たのが午前3時。ハラが減ったので豊川とメシを食おうかと牛丼の吉野家に入った。しばらく食べているとガラスの向こうからドンドン音がする。覗くと先崎と本間が赤い顔で立っていた。

 そのまま二人の酔っ払いは店に入って来て「さっき郷田に電話したんだけど、今から出てこいって言っても出てこねえんだよ。ヒドイ奴だ!」と先崎が吠えている。本間は「ほかにも10人ぐらい電話したけど、誰も来うへん。ヒドイ!」

 真夜中に電話するほうがヒドイと思うが・・・きっとこの後も飲み明かしたんやろなあ。

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「おもろうて やがて悲しき 順位戦」という言葉がピッタリくるようなこないような、そんな順位戦初戦の直後の深夜。

この日、豊川孝弘四段(当時)と郷田真隆四段(当時)は勝って、先崎学五段(当時)と本間博四段(当時)と神吉宏充五段(当時)は敗れている。

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先崎学五段(当時)の「さっき郷田に電話したんだけど、今から出てこいって言っても出てこねえんだよ。ヒドイ奴だ!」。

たしかに気持ちはわかるのだが、この日の郷田真隆四段は東京での対局だった。