広い東京でただひとり、泣いているよな夜がくる

深夜、この文章を読んで泣いた。

将棋マガジン1994年2月号、内藤國雄九段の「追悼文 棋聖、森安秀光でございます」より。

「森安さんのボトルが開けたばかりで残っているんです。供養に是非飲みに来て下さい」という電話があった。

 その店には、よそで飲んだあと最後に彼が一人でよく立ち寄ったという。

 森安君にとっては、ここが我儘が言えて一番心休まる場所であったようだ。

「飲んで滅茶苦茶いわはるときもありますが、まるで悪意のない人でしたから、私は安心していました」と語るママに、心暖まるものを私は感じた。森安君を理解するにはやさしい抱擁力が必要で、これは若い女には無理である。

「そうそう、森安さんは一人でいつもこの歌をうたってはりました」。曲名を聞いて私は意外の念に打たれた。一度もこの歌が好きだということを彼から聞かされてなかったからである。

 かつて私が「若い頃は東京での対局に負けると特に辛かった。そんな夜はレインコートの襟を立て、安酒を飲み歩きながらよくこの歌をうたった」と彼に洩らしたことがある。

 ”広い東京でただひとり 泣いているよな夜がくる・・・”という、森進一の「ひとり酒場で」という歌である。

 自分のレパートリーになかったこの歌をここでいつも一人で歌っていたとは、夢にも思わなかった。内藤も辛いときはこれをうたっているんだという思いが、彼を慰めたのであろうか。

「それでは故人をしのんでその歌をやってみましょう ―」 一杯機嫌で歌いはじめたが、いろんな感傷が胸をよぎり、途中で喉がつまった。聞いていたママが泣き出した。

(以下略)

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森安秀光九段、享年44歳。

内藤九段は森安九段を非常に可愛がっていた。

内藤九段にしか書けない名文だ。

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『ひとり酒場で』は1968年7月に発売された曲。

初めて聴いたが、メロディに悲壮感はそれほどない。

歌詞から推測するに、銀座のクラブの女性と恋仲になったものの別れることになって、その女性のことを感傷的に思い出しながら銀座のクラブで一人酒を飲む、といった内容。

歌詞

銀座の女性を将棋の勝ち星に置き換えると、将棋に負けてしまった夜に歌う歌としてピッタリとくるが、これはこじつけ過ぎになるだろう。

内藤九段が東京で負けた時の心情は、後の歌詞に関係なく、初めの「広い東京でただひとり、泣いているよな夜がくる」に集約されていたのだと思う。

当然、森安九段も同じ思いだったはずだ。

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一人で行って心休まる店。

若い頃は六本木の酒場であったり銀座の酒場であったものが、店がなくなったりして、歳をとっていくごとにそのような店は少なくなるものだ。

私にとって唯一残っていた中野の酒場は2年半前になくなってしまった。

別れ

新しい店を見つけるのは非常に困難だと思うし、無理して見つけようとも思ってはいない。

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そういえば、今から10年前になるのだろう。

亡くなった中野のママとお店のお客さん数人と、閉店後にカラオケボックスに行った時のこと。

私は、太田裕美「ドール」を歌った。

作詞:松本隆、作曲:筒美京平という最強コンビの曲。

ところが、画面の歌詞を見ているうちに、歌いながら様々な感傷が胸をよぎり、途中で何度も喉がつまってしまった。

一番のサビ、「苗字も変えずに暮らした部屋で 涙で 瞳が青く染まった」が初めの喉の詰まり。

二番、 「都会に生きてるセルロイド やっぱりあなたもセルロイド」で二度目の喉の詰まり。

ラスト間近の、「何にも知らずに乗せられたのが 不幸の船だと気づいて泣いた」では涙が出てきて歌えなくなった。

今日の最後は、懺悔になってしまった・・・