谷川浩司竜王・名人(当時)「21歳の時よりも確実に強くなっているはずなのに、名人どころか挑戦者にもなれない。意識すればするほど遠ざかってしまう。これが名人位の重みなのだろうか」

十七世名人の資格を獲得した谷川浩司竜王・名人(当時)の思いが語られる。

将棋世界1997年8月号、谷川浩司竜王・名人の特別寄稿「責任の重さ」より。

名人復位を果たした翌朝、伊香保温泉の石段街で。将棋世界1998年8月号より、撮影は弦巻勝さん。

 5月30日、名人戦第5局2日目、夕食休憩。

 私は優勢を確信していた。

 このまま最善手を続ければ、数時間後には必ず名人になれると―。

 完全に楽観していた。3勝1敗でカド番に追い込んだものの、先手番のここで決めないと第6局以降が苦しくなる、との意識が強すぎたのと、夕休直前に指された△6六歩の真意が読めていなかったからである。

 再開後、羽生名人の繰り出す勝負手に動揺、腰が浮いてしまい悪手を連発。最後は形も作れなくなってしまった。

 △4四桂、△6七角、△3六桂。呆れた事に全て見落としていた。勝ち負けは仕方ないとして、時間を残して負けた事に悔いが残る。△4四桂と打たれた時に事の重大さに気付いていれば、▲7九玉や▲5八銀を深く検討したはずである。

 函館から帰っても、自己嫌悪の日々だった。対羽生戦、逆転負けのいつもの悪いパターンではないか。

 そして、6月11日、第6局2日目、夕食休憩。

 今度は、敗戦を覚悟していた。

 駒損は殆どないものの、大駒が押さえ込まれて指す手が全くない。ゆっくりと指されたら完封負けである。

 最終局は来週の水・木曜日か。もう流れが悪すぎるし、振り駒で後手番になったら指す戦法がない―。

 だが、再開直後、羽生名人が決めに出た▲6六角から流れが変わる。勝負とは判らないものである。

※ ※ ※

 21歳で名人位を獲得し、2年後に失ったものの、その3年後に返り咲く。この頃は、20代の内に永世名人の資格を得られる、と甘い事を考えていた。

 だが、あと1期に迫ってからが長かった。

 平成2年に失って以降、挑戦者決定戦で高橋九段と羽生棋聖に負けている。最終局で負けてプレーオフに進めなかったことも二度あった。

 21歳の時よりも確実に強くなっているはずなのに、名人どころか挑戦者にもなれない。意識すればするほど遠ざかってしまう。これが名人位の重みなのだろうか。

 だが、私にとっては昨年2月14日、王将を失って無冠になった事が、転機になった。2年半続いた、王将一つだけという中途半端な立場よりも、九段にもどってゼロからスタートする事で、本来の積極的な将棋がもどってきたのである。

 順位戦は初戦を落とした後、8連勝。この8局は内容的にも充実していた。

 昨年11月に竜王、そして6月に名人。1年前は不調で苦しんでいたと思うと全く夢のようである。

 ただ、昨年の竜王戦とは違って、今期の名人戦は、内容的には到底満足できるものではない。

 第5局、第6局に関しては冒頭に述べた通りだし、第1局は勝ちはしたものの、優勢な将棋を一時は負けにしている。第2局も、負けるのは仕方がないにしても、どうして48手目、△6二飛として意志を貫く事ができなかったかと思う。

 今回、永世名人の資格を得る事ができたのは非常に意義深いが、この内容では、永世名人の肩書に対して借りを作ってしまった。もっと強くならなければいけない。

 木村義雄十四世名人、大山康晴十五世名人、中原誠十六世名人。実力制に変わってからの三名は何れも「時代」を築いてこられた方である。

 大山名人は18期、中原名人は15期、木村名人は8期だが、名人に就いておられた期間は13年である。本当に輝かしい成績を残しておられる。

 残念ながら、私はまだ時代を築いていない。責任の重さに身の引き締まる思いだが、これから少しずつ、先輩の永世名人に追い付いてゆきたいと思っている。

 そしてもう一つ、十八世名人を簡単には誕生させない、という事も私の務めだと考えている。

 最後になりましたが、私が調子の良い時も悪い時も、変わらず応援をして下さったファンの方々に、熱く御礼を申し上げます。

 本当に有難うございました。

名人戦第6局。将棋世界1998年8月号より、撮影は弦巻勝さん。

名人戦第6局。将棋世界1998年8月号より、撮影は弦巻勝さん。

名人戦第6局。将棋世界1998年8月号より、撮影は弦巻勝さん。

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谷川浩司竜王(当時)の3勝1敗で迎えた名人戦第5局を振り返ってみたい。

「夕休直前に指された△6六歩の真意が読めていなかったからである」

羽生善治名人(当時)が△6六歩と指した局面は1図。

▲6六同歩△8五歩(▲同歩なら△同飛の十字飛車)と進むが、この順が谷川竜王の読みになかったという。

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「△4四桂、△6七角、△3六桂。呆れた事に全て見落としていた。勝ち負けは仕方ないとして、時間を残して負けた事に悔いが残る。△4四桂と打たれた時に事の重大さに気付いていれば、▲7九玉や▲5八銀を深く検討したはずである」

△4四桂は2図の局面。

米長邦雄九段は近代将棋で△4四桂について、

この桂は、私がもう一回生まれ直しても打てない桂です。だいたい読む気がしない。こんなばかな桂打ちはこの世の中にありえないものです。読者のみなさん、この局面をよくご覧になってください。この△4四桂がどれほどばかな桂であるか、考える気すら起こらない。ところが『羽生の頭脳』は、△6六歩に突き捨てからこの△4四桂と、私の棋力、能力を超えてある勝ちパターンを描いていたのです。いよいよハイライトの局面になりました。谷川は自分の勝利を信じているから一本道です。羽生もまた罠にはまっているということをひそかに期しているから、これも一本道です。

と述べている。

2図以下の指し手
▲6五角△8六歩▲8三歩△6二飛▲3四歩△6五飛▲同歩△6七角(3図)

△6七角が痛打。

3図以下の指し手
▲同金△8七歩成▲7九玉△4七角成(4図)

ここで▲5八銀と受けたので、△3六桂(5図)が跳ねてきた。

4図で▲5八角と合い駒をしておけば、△3六桂には▲同銀と防げていた。

5図となっては後手勝勢。

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「私は優勢を確信していた。このまま最善手を続ければ、数時間後には必ず名人になれると」

さまざまな棋士の自戦記で書かれていることだが、優勢な局面で、目の前の対局以外のことが頭に浮かんでくると、逆転負けをしてしまうことが多いようだ。

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そして、谷川竜王が名人位を獲得した第6局。

谷川竜王が、序盤から強烈な攻撃を見せた。

1図以下、▲8六同銀に△8八歩。

▲同金なら△6六歩▲同銀△6五歩▲7七銀右△8六飛▲同銀△8八角成を狙っている。

本譜は△8八歩に▲7七桂。

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この後、羽生名人の指し回しが見事で、先手優勢に。

「そして、6月11日、第6局2日目、夕食休憩。今度は、敗戦を覚悟していた。駒損は殆どないものの、大駒が押さえ込まれて指す手が全くない。ゆっくりと指されたら完封負けである」

夕食休憩時の局面が2図。

「だが、再開直後、羽生名人が決めに出た▲6六角から流れが変わる。勝負とは判らないものである」

谷川竜王は、ここで「じっと▲8六歩と突かれる手が一番困ると思いました」と語っている。

2図以下の指し手
▲6六角△3四飛▲6三歩成△同金▲2二角成△同玉▲4五角(3図)

▲4五角(3図)の飛金両取りで決まったかに見えたが、谷川竜王はそれを上回る対策を用意していた。

3図以下の指し手
△3九角▲3八飛△7五角成▲同歩△6四飛▲6五歩△5四金(4図)

見ていて惚れ惚れするほどの強手の連発。

4図以下の指し手
▲6四歩△4五金▲同銀△2七角▲2八飛△4五角成▲2四歩△同歩▲6三歩成△6六歩▲同金△6五歩▲5五金△6七銀(5図)

△6七銀(5図)を▲同玉と取ると、△6六銀とされて寄り筋に入ってしまう。

本譜は▲8九玉△2三馬と進み、谷川竜王にとっては「かなり苦しい将棋が面白くなったので、どんどん勝負手を連発していける局面です」とコメントしている。

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「21歳の時よりも確実に強くなっているはずなのに、名人どころか挑戦者にもなれない。意識すればするほど遠ざかってしまう。これが名人位の重みなのだろうか」

上の世代には中原誠十六世名人、米長邦雄永世棋聖、下の世代には羽生世代の棋士。

谷川竜王・名人の戦ってきた軌跡と苦悩が率直に語られている。

「だが、私にとっては昨年2月14日、王将を失って無冠になった事が、転機になった。2年半続いた、王将一つだけという中途半端な立場よりも、九段にもどってゼロからスタートする事で、本来の積極的な将棋がもどってきたのである」

谷川竜王・名人から見ると内容的に不満は残ったものの、第6局の序盤の攻撃、逆転に向けての勝負手の連発など、まさに谷川流の積極果敢な将棋を実感することができる。

そして、何より、怒涛の勢いで竜王位、名人位を奪取したのだから、積極的な将棋が実績・結果に反結びついている。

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「今回、永世名人の資格を得る事ができたのは非常に意義深いが、この内容では、永世名人の肩書に対して借りを作ってしまった。もっと強くならなければいけない」

「残念ながら、私はまだ時代を築いていない。責任の重さに身の引き締まる思いだが、これから少しずつ、先輩の永世名人に追い付いてゆきたいと思っている」

「そしてもう一つ、十八世名人を簡単には誕生させない、という事も私の務めだと考えている」

谷川九段の名言は数多いが、これらの言葉も歴史に残る名言だと思う。

 

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