羽生善治棋王(当時)のジャンジャン横丁(後編)

大田学さんは、通天閣囲碁将棋センターの師範として、希望する人に一局500円で指導対局を行っていた。

81歳とは思えない若さ、お洒落な服装と雰囲気。

大田さんは、とても感じがよくて、華がある。

こういう人に将棋を負けても腹が立たないだろう。

真剣師として必要な要素かもしれない。

湯川さんと大田さんは30分ほど昔話をしていた。

大田さんは非常に魅力あふれる人だった。

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階段を上って地上に出る。階段で上下白い背広を着た初老の男性や、かなり派手なロングドレスを身にまとった中年女性とすれ違う。

通天閣囲碁将棋センターではなく、通天閣歌謡劇場のお客さんだ。

ファンの歌手に渡すのだろう。手には花束を持っていた。

新世界は演歌が似合う街なのかもしれない。

新世界では、真剣師の大田さんが、最も東京に近い雰囲気を持っていた。

→Youtube 通天閣歌謡劇場

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「早いけど、そろそろメシ食おうか」湯川さんが言った。そういえばもうお昼近い。

周辺の店のメニューを見て驚いた。うどん160円、串カツ100円、日本酒1合160円(2合頼むと1合サービス!)。

遠くを眺めると「ポルノ映画3本立て上映中!!」という映画館の看板も見える。

「普通の店がいいよな、普通の店が。この店かあっちの店がいいよな」

「そうですね。じゃあ、あっちの中華料理店にしましょう」

中華料理店に入った。席に着いて、ふと前を見ると、席の前に大きなテレビがあって女子プロレスを中継している。

入った店は中華料理店といいながら、刺身定食、うどん、カレー、ハンバーグ、焼き魚、とんかつ、味噌ラーメン、けんちん汁など、何でもありのメニューだった。

湯川さんは「牛鍋ご飯抜き」と「きつねうどん」を頼んだ。私の注文も聞かずに店の人は去っていく。

私は「カツカレー」にしようか「ミックスフライ定食」にしようか迷っていた。

他の席を見て、中華メニューには誰も見向きもしていないことに気がつく。

せっかく新世界に来たのだから、どこにでもあるメニューではないものを食べてみようという気持ちも起きてくる。

私は悩んだ末に決めた。「豚てんぷら定食」に。

店の人に注文を頼もうとする。

「すみませーん」

「はいはい、ちょっとお待ちを」

店の人は物を持って通り過ぎていく。その間に、入ってきたばかりのお客さんが、「ラーメン定食っ!」「はいっ」、「野菜炒めっ!」「はいっ」と頼んでいる。

店の人が戻ってくる。

私が、「すみません」と再び言うと、

「はいはい、ちょっとお待ちを」

と、通り過ぎていく。

また、新しく来たお客さんが、「煮込みーっ!」「はいっ」、「鯖味噌定食っ!」「はいっ」。

そうか、「すみません」が余計なんだ。

が、その後も注文する一瞬のタイミングを逃してしまい、「豚てんぷら定食」を頼むことができたのは5分後のことだった。

テレビの画面も、アイドル系女子プロレスラーが流血で負けて、リングにはアジャ・コングが登場していた。

「この辺はやっぱりテンポが違うんだよな」

「やはり、東京住まいの東北人のテンポでは、うまく注文できないのかもしれませんね」

「豚てんぷら定食」は、まずまずの美味しさだった。

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店を出たあと、ジャンジャン横丁へ向かう。

ここは通天閣の周りよりももっと濃い雰囲気が漂っている。

道幅の狭いアーケード街なのだが、香港の裏町にいるような感じにさせられる。

串かつ屋、寿司屋、居酒屋、衣料品店、喫茶店、組事務所など、さまざまな店がある。将棋道場は二軒もある。(現在はフェスティバルゲートができて、当時よりもかなり明るい感じに変わっている)

Youtube ジャンジャン横丁 いろいろなお店

ジャンジャン横丁を更に突き進み、頭のつっかえそうなガードを超えると、やはりアーケードの違う商店街となる。基本的な雰囲気は変わらない。

横道に入ると、女剣劇などをやっている古風な劇場がある(オーエス劇場)。

ここも派手なロングドレスを着た初老の女性が切符売り場に並んでいる。

「劇場の隣、ここが大田さんの定宿なんだ。萩の家」

「簡易旅館には見えないですね」

「簡易旅館でもピンキリあって、ここはピンだな」

湯川さんの話に納得しているうちに、少し広い通りへと出た。

木造二階建ての同じような形をした家が何軒も並んでいる。

「これが飛田新地さ」

私は驚いた。どの家(登録上は料亭)も玄関に、フランス人形のようなドレスを着た若い女性と、遣り手婆(やりてばばあ)と呼ばれる年配の女性が座っており、遣り手婆が「兄さん、ええ娘おるよ」と声をかけてくる。

以前、本で読んだ飛田新地の印象とはまったく違う。

私は、いま目の前にいる遣り手婆のような女性ばかりがいる所が飛田新地だと思っていたのだが、フランス人形のようなドレスを着た女性は、どの店を見ても十分に美しい子たちばかりだ。

飛田新地は碁盤の目の通りになっており、どの通りも左右に「料亭」が並んでいる。

「江戸時代がそのまま残っているような所だよな」

「い、いやー、すごいですね」

「あっ、もうこんな時間だ。将棋ペンクラブ交流会に行かなきゃ」

そこから私達は関西将棋会館のある福島へと向かった。

新世界、ジャンジャン横丁、飛田新地。いずれもサプライズの豊富な場所だった。

新今宮駅から環状線に乗った私は、以前よりも大阪が好きになっていることに気がついた。

(なお、私はその翌年以降も何度か、新世界、ジャンジャン横丁、飛田新地を散策することがあったが、飛田新地の店に上がったことは一度もない。念のため)

Youtube 飛田新地

SHINGO☆西成 PV 飛田新地

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羽生善治棋王(当時)が、

 ジャンジャン横丁にも初めて行きましたが、ちょっと東京にはない雰囲気の所でした。昼間から飲み屋がやっていましたし、天ぷらを揚げて売っていたりして。

 でも、楽しかったですね。

と書いているが、1992年のことだから、私が初めて行った時よりももっとディープな時代だったわけで、羽生善治棋王(当時)も、相当なカルチャーショックがあったのではないかと思う。

「でも、楽しかったですね」は私も同感だ。

関西に住んでいる人でもあまり行かないと言われている新世界・ジャンジャン横丁。

飛田新地は別としても、面白いスポットだと思う。