将棋マガジン1990年8月号、鈴木輝彦七段(当時)のIBM杯昇級者激突戦「二〇〇一年将棋の旅」より。
一回戦の感想戦を終えると、私は対戦相手の羽生竜王と観戦記担当の先崎四段を食事にさそった。
勝負がすむと一杯飲みたくなるのが常だ。これも、人それぞれで面白い。結果はともかく、まっ直ぐ帰る人もいるし(お酒を一滴もやらない人も多い)、兄弟子の青野八段の様に勝った時は付き合うが、負けた時はそのまま帰る人もいる。石田八段はその逆で、勝つと「体が大切ですから」とかいって直ぐに帰るが、負けた時は夜が明けても飲んでいる。
勝組と負組に分かれるのも面白い現象だ。終わってからも将棋の話はしたくないので、自分を含めて負組の時は「もう、将棋の話はやめましょうね」とあらかじめ念を押しておく。皆負けた事は早く忘れたいのだ。
一時間ぐらい、ビールも程よく入って、棋界の事や世間話でワイワイやっていると、隅の方で「5五角か~」と言っている。皆が振り向くと、勝った時には帰る先生だ。今日は言わない約束だったが、聞けば、自分の敗着の局面が浮かんでくる。確かな事実を思い出してしんみりしてくる。そんな時、「店をかえよう」と助けだしてくれるのが勝浦九段だ。
対戦相手が居る時は、相手を選ばないとひどい目に遭う。「3三角ね、あの手はいい手だったね」と褒められると、忘れたい事だったが、つい、「そうなんです、あの手は苦心の一手だったんですよ」と言ってしまうと、「好手で困ったんだが、それも僕の読み筋でね、次の一手でまいったでしょう」と、一日に三回負かしにくる。こんな時は次の日は必ず二日酔いになる。
三人で、連盟近くの鮨屋に入ると非公式戦ながら、飛ぶ鳥を落とす若者に勝てた事も手伝ってビールがおいしい。二人は十九歳だが、話が合って楽しい。羽生君も先崎君の事は買っていて、「僕の百倍は本を読んでます」なんて言うと「僕に九対一(もちろん先崎が九)で代筆させてよ」と関係ない事をしゃべっている。
二軒目のスナックで二人はバックギャモンを始めた。私はよく分からないまま見ていたが、途中で、これで”ちんちろりん”をしないかと提案すると、先輩の意見は大切で直ぐに三人で始まった。小さなコインが賭けられていたが、羽生竜王の親で、これが最後と言った時に、二人で一番大きなコインを賭けた。固唾を呑むとはこんな時の事を言うのだろう。色川武大先生の小説では、確か一を三つ出す結末だった様な気がした。こんな時に人は人の運を見るのだろう。三人が見つめたサイの目はコロコロと転がって、何と、三人が三人共通して尊敬する先生の名前になった。
(中略)
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チンチロリンは、サイコロ3個と丼を用いて行われる。
子が場にコマを張り、親から順にサイコロを振っていき、その出た目で勝ち負けを決める。
一・二・三が出た時は、振った人の無条件の負けとなり、倍額を支払わなければならない。
羽生竜王の振ったサイの目を見て嬉しさのあまり、先崎四段は踊りだし、羽生竜王は しばし呆然としていたという。
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サイコロで思い出すのはサイコロキャラメル。
キャラメルの中でも特に美味しかったという記憶がある。
明治製菓から発売されたのが1927年。実に85年の歴史を持つお菓子だ。
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ところで、加藤一二三九段の大好物と言われる明治の板チョコレート。
「ミルクチョコレート」として発売が開始されたのは1926年のことだった。
現在では”ミルチ”という愛称になっているようだ。
ミルチヒストリーのバックに流れる聞きなれた曲は、いずみたく作曲の明治チョコレート・テーマ。
CMでは、野口五郎、中山美穂、中森明菜、上原多香子、桑田佳祐、香取慎吾、小泉今日子、広末涼子などによって歌われているが、最初に歌ったのがザ・タイガース。
沢田研二、岸部一徳などがメンバーだったグループサウンズだ。