20年前の棋士気質

IBM杯順位戦昇級者激突戦という、文字通り順位戦での昇級者9名によるトーナメント戦が行われていた時期があった。

将棋マガジン1990年7月号、先崎学四段(当時)の第2回IBM杯順位戦昇級者激突戦「参加するこちに意義がある」より。

 五月号の「将棋世界」に「棋士は一様に偽悪的だ」と書いたところ、鈴木輝彦七段に「同感である」と褒められた。この、棋士偽悪者説は、昔からのぼくの持論であり、棋士の性格の一大特徴だと思っている。例えば、世間の人と同じような意見を真面目に言うと、鼻で笑われ、馬鹿にされるような雰囲気がある。恋愛映画などを見て「感動した」などと言おうものなら大変。たちまち冷たい視線が飛んで来る。棋士は感動という言葉が大の苦手なのだ。

 順位戦にしても、話題になるのは降級の話ばかりで、昇級に関した話はほとんど出ない。だからといって皆昇級争いに無関心なわけではないのだが、なにか、人が幸せになる話をするのは恥ずかしい、というような意識があってわざと避けるのである。

 そういうところが、ぼくにいわせると、非常に偽悪的である。あるいは、精神的職業病といったところだろうか―。

 だから、今日のIBM杯にしても「幸せな奴を九人も集めてやる棋戦なんて、オレには関係ねえや。勝手にやってくれ」という意見が多いのは無理もない。間違って「好調者同士なので、見ごたえがある」などと言おうものなら、とたんに異端者あつかいである。

 というわけで、この棋戦、プロ筋の注目は、あまり集めないのである。

 だが、仲間のシラケムードをよそに、盤上では、良質の熱戦が多かった。好調者は伸び伸び指すのだからそれも当然であろう。

(以下略)

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将棋世界1996年4月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

(羽生七冠王誕生の前日)

 一方、この日は王将戦第四局の一日目で、TV中継があった。勝負が決まるわけでもない第一日からとは・・・。羽生効果は恐ろしい。

 ただ、将棋会館内は、どんな戦型になった?という程度の関心しかなく、羽生六冠王が三十八度の熱を出した、と聞いても、不運に同情するとか、辛いだろうに、と言う人はいなかった。頭が痛かろうが、腹が痛かろうが、集中力が失われようが、いずれ六冠王が勝つだろうし、もし第四局で負けても、七冠王誕生が遅れるだけ、楽しみが先に延びてかえっておもしろい。そんな雰囲気だった。

 そもそも順位戦を戦っている当人達はそれどころでない、ということもある。

(以下略)

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偽悪・・・わざと悪を装うこと。

「電車の中でお年寄りに席を譲ったり、雨の中、捨てられた子犬を抱いていることもあるのに、表向きは突っ張っている不良女子高生」というのが、偽悪的の典型的な姿と言えるだろう。

昭和の頃は、大映ドラマの主人公や脇役の多くがそうだった。

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個人的には、1977年の東宝映画「泥だらけの純情」の三浦友和扮するヤクザが最も偽悪的な一押し。感動の悲恋物語。しかし、このような言葉を使うと、20年前の千駄ヶ谷では冷たい視線を受けることになる。

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棋士偽悪者説を、もっと現実に近い表現で言えば、先崎四段が書いた通り、「皆と同じような意見を真面目に言いたくない」というところなのだろう。

この気持ち、私もよく分かる。

人から、「おっ、久しぶり。元気だった?」と聞かれると、絶対に「うん」とか「元気だったよ」とは言いたくなくなる。

「普通だった」と返してしまう。

映画館でも、そういうことがあった。

1985年公開の映画「ロッキー4」。

ロッキーがボロボロになりながらもソ連のボクサー ドラゴにKO勝ちした瞬間、館内の人たちのほとんどが拍手をしはじめた。

いい映画だとは感じたが、「何もスクリーンに向かって拍手したって仕方がないだろう、静かに映画を観たいのに」と、とても白けた気分になったのを覚えている。

私もずいぶんと変わっているのかもしれない。

  

Youtube  「ロッキー4」予告編