加藤桃子女流王座のお父さんである故・加藤康次さんの、加藤桃子女流王座が生まれる前の話。
将棋マガジン1992年4月号、鈴木輝彦七段(当時)の「方丈盤記’92」より。
もう一人思い出すのは藤枝で高校教師をしている加藤康次君だ。
門下は違ったが、同じ静岡の生まれだったので、静岡で開かれる将棋祭りの手伝いを一緒にしたものだ。
棋士の人達は食堂で食べたが、奨励会の私達は楽屋で弁当を一緒に食べた。既に同世代の人が棋士になっていたので、私としては淋しい気持ちで加藤君と食べたのを思い出す。
どんな事を話しながら食べたのか思い出せないが、三段で先輩の私に遠慮しながら話していたのは覚えている。
彼は18歳くらいで、礼儀正しいがひ弱な感じがした。顔も甘い感じのマスクで女の子にはモテそうだったが、勝負にはどうだろうかと思った。特に弟弟子の神谷君と比べるとよけいにその感を強くしたものだ。
人の心配をする余裕はなかったが、運よく四段になった頃、加藤君が奨励会を辞めたと誰かに聞いた。
気にはなったが、彼とはそのままになってしまった。
あれから十年以上たって彼の記事を読んだ時はなつかしさよりも驚きの方が大きかった。
苦労して大学を卒業し、生まれ故郷の高校に赴任していた。
将棋部を作り熱心に指導したようだ。特に女子は全国優勝する程の実力になっている。
どれもこれも感心しないものはなかったが、一番びっくりしたのは、彼の顔だった。
確かに加藤君には違いなかったが、往時の甘い感じは微塵もなくなっていた。実にいい顔になっていると思った。正に教育者の顔であり、トルストイの顔にも似ていた。
こんなに顔の変わった男を見た事がない。鍛え抜かれた人生が彼の顔を創ったのだろう。
プロ棋士にもあれだけの顔はめったにいない。プロ将棋のいい所だけを吸収したのかもしれない。
(以下略)
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奨励会には人の数以上のドラマがある、と感じさせられる。
→「恩師 加藤康次先生。」 (明誠高校棋道部OB会)
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昨日は、第2期リコー杯女流王座戦一次予選一斉対局が行われた。
今年の女流王座戦のポスターも、昨年に続いて非常にセンスの良いものになっている。
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予選突破とはならなかったものの、ポーランドのカロリーナ ステチェンスカさんが予選1回戦で高群佐知子女流三段に勝ち、新聞各紙が取り上げている。
→史上初、ポーランド女性が公式戦で女流棋士破る(読売新聞)
→将棋で外国人女性が殊勲 公式戦で女流プロを破る(スポニチ)