奨励会の「年の功より亀の甲」

将棋世界1986年12月号、銀遊子さん(片山良三さん)の「関東奨励会だより」より。

 最年長者村松央一三段の好調ぶりが話題になっている。

 27歳。51年秋の入会だから正真正銘の「十年選手」になってしまった。

 これはイヤになる。どこの世界に、無給の見習いのまま10年も置いてなお知らんぷりをしているところがあろうか。

 将棋界に”亀の甲より年の功”という言葉は存在しない。あればむしろその逆である。

 新四段の羽生善治が「天才、大天才」と騒がれながら、ほぼ同じぐらい活躍している中田宏樹(10月3日現在では、羽生も中田も16勝6敗で全くの同率)にはほとんどスポットが当てられないのは一にも二にも年齢とキャリアの差だけでしかない。そう言えば、中田宏樹も奨励会十年選手であった。

 奨励会というところは、長くいればいるほど軽く見られるようにできているのである。先輩後輩の礼はもちろんであるが、勝負となると話は別で、後からやってきた者にとって先輩は”跳び箱”のような存在でしかない。「筆頭席に座らせられると苦しい」という昔からのジンクスがあるが、村松は筆頭も筆頭、最高位である三段の筆頭なわけだからそのプレッシャーは計り知れないものがあると想像できる。

(以下略)

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三段リーグのなかった時代、三段になった時期の順に名簿が並んでいた。

「筆頭席に座らせられると苦しい」

の筆頭席は、三段の中で最も早い時期に三段になった人ということ。

逆に言えば、三段歴が現時点で最も長い人ということになる。

嬉しいような、嬉しくないような、非常に微妙な立場だ。

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羽生善治新四段(当時)と同時期に、同じような好成績をあげていた中田宏樹新四段(当時)。中田四段のデビューは羽生四段の1ヵ月弱前。

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たしかに、藤井聡太四段のデビューからの29連勝も、中学生だからマスコミに連日大きく取り上げられたわけで、もっと上の年齢だったなら、あそこまでではなかった可能性も高い。

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1986年が現在のようにネット中継などが盛んな時代だったなら、中田宏樹四段の活躍も、もっともっと話題になっていたと思う。