将棋マガジン1988年8月号、二上達也九段の名人戦第5局(中原誠名人-谷川浩司王位)観戦記「中原、意地の巻き返し」より。
つい調子に乗って思いきったことをズバリ書いてしまうのが私の悪いくせ。その代わり、喋る方は遠慮がち。故・石垣純ニ先生に必要なことも喋らないと言われた。もっともその時は結婚式の祝辞であったか。私が珍しく長口舌を振るってしまい、それにびっくりされてかのジョークであった。
文にしても語りにしても、遠慮が入るとどこか舌足らずになってもどかしい。
私自身は結構気を遣う方だと思っているのだが、途中で面倒くさくなり、えいっとやっつけてしまう。
まあ喋りは面倒になれば黙ってしまえばいいわけだが、文はそういかない。予定の枚数をこなさなければならないからだ。
今期の予想も筆がすべって、中原勝味なしなどと書いてしまった。
この原稿を書いている時点では、まだ決着がついていないが、どうやら当たりそうで困った。
当たって困るもないのだが、チャンピオンが負ければよいという野次馬根性の現われと、どこか信用できない若手群に対して熟年代表に頑張って欲しい気持ちもあって少々複雑である。
それにしても何か盛り上がりに欠ける今期シリーズである。その原因はやはり内容に今一物足らなさが見られる点ではないか。
(中略)
飛角の飛び回る将棋は派手に見えて案外コクがない。物足りなさを感じる所以である。
あとのない一番、中原名人がじっくり矢倉で戦う意志を示したのは、結果はともかく心おきなく、くいを残さぬ心境とみた。
(以下略)
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二上達也九段だからこそ書けるし、二上九段が書いたからこそ説得力を持つ文章だ。
良い意味で、遠慮のない書き方だ。
様々な視点が存在するからこそ、観戦記は面白い。
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『熟年』は45歳~65歳を指す言葉。
この時の中原誠名人は40歳だったので厳密には熟年に該当しない。しかし、挑戦者の谷川浩司王位が26歳、また、チャイルドブランドと呼ばれた17歳の羽生善治五段、森内俊之四段、18歳の佐藤康光四段、先崎学四段が活躍をしていたので、二上九段は40歳の中原名人を相対的に熟年代表と位置づけたのかもしれない。
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『熟年』という言葉自体は1960年代に医学者によって作られたものだが(この時は60歳~80歳を想定)、1980年頃に広告会社の電通が社内に「熟年プロジェクト」を作り活動し、広告主へプロモートすることにより、急速に世の中に広まった。
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一方、厚生省は、1985年に「中高年齢層に関する新名称公募委員会」を編成し、50歳代・60歳代を指す言葉として『実年』を採用した。
しかし、官庁手動の『実年』は世の中で定着することなく、役所などの一部で使用されるにとどまった。
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『実年』と同様、消えたネーミングで思い出されるのは『E電』。
1987年の国鉄民営化の際に、『国電』の代わりとなる愛称で『E電』が採用された。
しかし、『E電』という言葉は普及することなく、ほとんどの人に使われることはなかった。
私も『E電』とは一度も言ったことがない。
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使われなくなった戦法名を除けば、数々の将棋用語は古くから現在に至るまで根付いている。そういう意味では、将棋用語のネーミングは優れていると言えるのかもしれない。