将棋連盟野球部員列伝(1991年版)

将棋マガジン1991年9月号、泉正樹六段(当時)の「囲いの崩し方」より。

今月も引き続き野球の話で、我が”キングス”のメンバー構成を紹介。

 選手像に多少誇張する部分もあるやもしれず、許してつかわせ。

 では、さっそく思いつくまま、チャレンジャー精神といきましょう。

 平均年齢22、3歳の中にあって、貴重な兄貴分的存在は植山五段と小田切君(準棋士初段)。

 植山兄イ、広恵ママが応援に来ると三振の山が増えるのはなんでだろう?やっぱりいいとこ見せよーと思うのかなあ~。小田切君はチーム内では超ベテランの域。仕事の合間を縫っての参戦は、本当にご苦労さま。

 中田(宏)五段と達五段も、堂々の十年選手。監督としての中田君は実に寛大で、部員は全幅の信頼を寄せる。

 マネージャー(清水、斎田、高群)の意見も知りたい所だが、男が男に惚れるとは、真にこういうこと(私が女だったら、ほっとかないのに? イヤ、ホンマ)。

 達君は驚異の4割バッター。ただ、ドカベン・タイプなので、走る側に回ると、その真価は半減するのは致し方ない(5割を目指すはタッちゃん、アンタしかいない)。

 森内五段と中川五段は、三振かホームランの典型的な大型台風。でも意外と守備の方はしっかりしていて、森内君の”バンザイ態勢”でのフライ・キャッチはお見事。麻雀に例えると、二人リーチに暴牌を切り捨てる様なものだから、誰もがお目めをつぶりたくなる。

 中川君のサードのプレイは長島パパばりのカッコ良さ。だからといって、バッティングの方もというのは、あまりに虫のいい話。三振の山は、「大ちゃん、決して君を見捨てない」

 何はともあれ、お二人さん、ここぞの一発! まってるよ~ん。

 佐藤(康)五段と郷田四段は陰に隠れた好プレーヤーで、一試合ごとに力をつけているのは衆知のところ。

 ただ、この二人、対照的な事あり。

 佐藤君はほとんど集合時間に遅れない模範選手。片や、ガキ大将のイメージ強き郷ちゃん。中田(功)五段と共に”遅刻の常習犯”。だども、ゴオにもコオにも、あっけらかんとしているので、ガオーとは叱れやせんぜ(得なタイプだナ~)。

 さて、これよりは、チームの将来をしょって立つ奨励会のメンバー。

(中略)

 中座三段は、走攻守の三拍子そろった中核。センターの守備は、まずご安心。最近はたまに4番も打っているし、平均2試合に一回はランニングホーマー。これじゃ、良いとこばっかりだから、少しあばいたろ。

「そういえば中ちゃんて、佐っちゃんがいると、三塁盗塁も一球目からするみたいだね」 ンな事言うのは一体誰じゃないだろ! 飯塚君(三段)。隠恋慕してんじゃねえんだから(冗談よ)。

 彼と長岡二段の野球に対するひたむきさは、心打たずして語れない。例によって麻雀にたとえるならば、親リーの三面チャンに、覚えたてのチートイ素単騎で、猛然と立ち向かう様なもの。でも、両君、君たちのその熱きプレイこそ、人生で一番大切なものなのだ。声援せずにはいられないではあーりませんか。

 (以下略)

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森内俊之五段(当時)の、バンザイをしたときのような腕の上げ方での捕球。

”二人リーチに暴牌を切り捨てるような”と書かれてはいるが、この態勢でボールをキャッチできれば、毎回ファインプレーのように見えるだろう。

そういえば、森内名人の若い頃は、清原和博選手に似ていると言われていた時期もあったようだ。

体型がガッチリしているので、ユニフォームを着たらプロ野球選手のように見えるかもしれない。

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中田宏樹五段(当時)はあだ名がデビルだが、面倒見が良く、多くの後輩に慕われている。

この頃は王位戦で谷川浩司王位に挑戦していた。

キングスの監督を長く務めている。

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植山悦行五段(当時)は、中井広恵女流王位(当時)と結婚をしてからまだ1年も経っていなかった頃。

「広ベェ」、「お兄ちゃん」と呼び合っていた頃と思われる。

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ここに出てくる”小田切君”は、棋友館の館長の小田切秀人さんのこと。

小田切さんは細身なので、足が速そうだし盗塁も上手そうな感じがする。

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達正光五段(当時)は、後にゴルフの腕前も連盟で一番と言われるようになる。

しかし、達七段は、2007年に心不全で急逝する。41歳の若さだった。

多くの人が、その死を惜しんだ。

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中川大輔五段(当時)の打撃の瞬間のシーンが、数年後の将棋マガジンのグラビアに掲載されている。

非常に力の入った、シャープでスピード感溢れる打法に見える。

ホームランか三振、といえば外人打者の特徴だが、当たれば大きいと思わせるような格好いい打ち方だ。

中田宏樹五段の次の代のキングス監督となる。

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佐藤康光五段(当時)は、後に竜王戦の賞金の一部で後楽園ドームを借り切り、草野球大会を開催することになる。

佐藤康光王将と野球はイメージ的になかなか結び付かないが、実は縁が深かった。

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当時の郷田真隆四段(当時)がガキ大将の雰囲気を持っていたとは、意外な感じがする。

郷田真隆棋王のお父様は、大の長島ファンだったという。

郷田棋王は現在では”観るスポーツファン”だが、この頃から野球が好きなのは、お父様の影響なのかもしれない。

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飯塚祐紀三段(当時)と中座真三段(当時)は1歳違い。

佐っちゃんは、高群佐知子女流初段(当時)のこと。

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キングスのユニフォームの袖には”王将”と刺繍されており、1990年代は居酒屋「王将」のチームとよく間違えられたという。