群馬に鈍牛あり。ニューヨークの藤井猛七段(当時)

将棋世界1998年12月号、野村隆さんの第11期竜王戦〔谷川浩司竜王-藤井猛七段〕第1局観戦記「藤井システム初見参!!」より。

 竜王戦海外対局は今期で9回目となるが、アメリカでの開催は2年前のロサンゼルスに続き2度目である。

 10月12日、約12時間のフライトを終えてJ・F・ケネディ空港に降り立った谷川浩司竜王と藤井猛七段ら関係者一行は、対局場となる「キタノ・ホテル」へバスで向かった。

 13日は時差調整を兼ねバスで市内観光にあてられた。ワールドトレードセンター、マンハッタン島の南端、遠くに自由の女神が臨めるバッテリー・パーク、さらにサウス・ストリート・シーポートではブルックリン橋の近くで昼食、午後は世界の金融市場の中心、ウォール・ストリートを通り抜け、国連本部まで足を伸ばした。

(中略)

 対局場となった「ザ・キタノ」はミッドタウンにある高級ホテルである。対局室となった17階のスイートルームからはエンパイアステートビルを近くに臨め、前夜祭では素晴らしい夜景を満喫できた。

 谷川は海外対局で3勝1敗1持将棋の好成績を残しており、時差調整にも慣れている。対する藤井はタイトル戦も初めてなら海外旅行も初めて。しかし前夜祭では「ニューヨークのスケールの大きさに感動し、出発前の不安も吹き飛びました。頭の方はすっかり観光気分になって明日から将棋が指せるのかなと思いますが、体調はいいので明日からがんばりたい」と挨拶しパーティー会場に集った大勢のファンから盛大な拍手を浴びた。

(中略)

「群馬に二人の鈍牛あり。一人は藤井猛。もう一人は小渕・・・」

 とは今回の立会である米長邦雄永世棋聖。原田九段に至っては「ニワトリと馬の匂いがする」の表現まで出たが、いずれにせよタイトル戦初登場とは思えない挑戦者の落ち着き振りが話題になっていた。

 ▲7七角を指した後、谷川竜王が樹剤控え室へ来訪。入れ替わりにその15分ほど後、△4三銀を指した藤井がふらりと控え室へ顔を出した。

 タイトル戦初登場の挑戦者が初日から控え室に顔を出すというのも異例のこと。藤井は行きの飛行機でも7時間ぐっすり眠れたそうだが、大物なのか「鈍」というべきなのか。

(中略)

 藤井は奨励会時代は穴熊の将棋が多く、力戦形を得意としていたそうである。

 週刊将棋のインタビューで、「僕でも最新形の矢倉や角換わりは指せるんです。指せるけど「定跡の裏に隠れた部分の変化がわからない。四間飛車も同じで、隠れた部分、現われない部分を知っておかないと指せない」と発言しているが、藤井システムは四、五段時代四間飛車の定跡を勉強しなおす過程で生まれたという。

(中略)

米長「20年前の将棋に戻った。押したり引いたり打ったり・・・厚み、重みのある手。相手に決め手を与えない。だから谷川は撃ち合いにいきたくてもできない。藤井はけんかさせないようにしている」

 そういえば挑戦者決定戦でも藤井自身が「大山流です」と呼んだ手が出たが、「定跡の隠れた部分、見えない部分」の日頃の研究が本局にも出ている。攻め合いに出来ない谷川としては何とも辛い展開だ。

(中略)

米長「いやな将棋だね。何か思い出すね、この指し回しは。本当に四間飛車の使い手なんだ」

(中略)

 藤井の押し切り勝ちで完勝。初戦を見事に飾った。

「全盛時代の大山将棋そのもの。今までのタイプと違う大山型の棋士が出てきた」と米長総評。

 藤井システムはまだまだ未知数なだけに、谷川としても油断は出来ない。七番勝負の行方が楽しみになってきた。

—–

米長邦雄永世棋聖は同じ号の「立会人奮戦記」で、

「時差ボケは無いか?」と聞いてみたら「全然ありません。体調は万全です」と頼もしい一言。対局中にも感じ入ったのだが、彼の態度は堂々として落ち着いているのか、鈍重かのどちらかであって、谷川竜王の方が新人の初々しさが少々残って見えたくらいであった。

と書いている。

タイトル戦初挑戦、かつ初めての海外という条件のもと、どっしりと落ち着いていた藤井猛七段(当時)。

”鈍牛”といえば思い出すのが、故・大平正芳首相。

故・小渕恵三首相は”ブッチホン”などの印象があるので、”鈍牛”のイメージは多少薄れる。

現在の藤井猛九段から”鈍牛”のイメージは想像できないが、初タイトル戦第1局での落ち着きぶりが、あまりにも強烈な印象だったのだろう。

藤井猛七段は、この期は4連勝で竜王位を奪取することになる。

—–

鈍牛倶楽部という芸能プロダクションがある。

所属タレントは、小林稔侍さん、オダギリジョーさんなど。

過去は、故・池部良さん、故・緒形拳さんも所属していた。

小林稔侍さんは、2001年のTBS系ドラマ「聖の青春」で森信雄七段役を、緒形拳さんは舞台で「王将」の坂田三吉役を演じている。

—–

緒形拳さんは新国劇の「王将」(辰巳柳太郎主演)を見て感銘を受け、辰巳柳太郎に弟子入りした。

Wikipediaによると、緒形拳の芸名は、「王将」の劇作家である北条秀司の奥さんによってつけられた。

読みは「おがた こぶし」だったのだが、皆が「こぶし」ではなく「けん」と呼ぶので、「おがた けん」が定着してしまったという。

—–

「王将」の坂田三吉。

歌としては、村田英雄の「王将」が有名だが、なんと1965年に石原裕次郎が「王将・夫婦駒」という曲を歌っている。作詩:大高ひさを、作曲:野崎真一。

歌詞の中には”向かい飛車”という言葉まで出てくる。

作詞の大高ひさをさんは、「銀座の恋の物語」の作詞も行なっている。

—–

坂田三吉の妻の小春の側からの歌もある。

大和さくらさんの「王将一代 小春しぐれ」。

作詞:吉岡治、作曲:市川昭介。

とても泣ける歌詞。

作詞の吉岡治さんは「天城越え」の作詞も行なっている。

この曲で大和さくらさんは、1988年FNS歌謡祭で最優秀新人賞を受賞している。