11月22日
19:45
家に帰ると、日本将棋連盟からの郵便が届いていた。
将棋文化検定の結果だ。
着替えてから封を開けようか着替える前に封を開けようか迷うが、良くない結果だった場合に着替えるのが辛くなりそうなので、開けるのをぐっとこらえる。
検定があった週に必死で問題を思い出し自己採点した結果では78~88点。(5問思い出せなかった)
2級は110点満点なので、ボーダーラインが正解率70%(77点)なら合格、80%(88点)ならギリギリかなと感じていた。
19:50
封筒の中には2級の問題用紙と2級正答と結果が入っているはずだ。
封を開ける。
19:51
最初に、何点だったかを確認したかった。
カバーレターの下には、問題用紙(中に正答がはさまっている)。
問題用紙を手に取ると、その下からクリアファイルに入った”合格証”と印字されているA4の用紙が見えた。
「合格だったのか」
喜怒哀楽があまり顔に出ないと言われるAB型の私は、表情も変えずに喜んだ。
19:52
クリアファイルに入った”合格証”と記された紙の下には、厚手の紙の合格証が。
米長邦雄会長名で”第1回将棋文化検定試験において頭書の等級に合格したことを証します”
やっぱり嬉しい。
日付が2012年11月17日(将棋の日)となっているところも嬉しい。
19:53
カバーレターだと思っていた用紙に、詳細が書かれていた。
私の点数は92点。
間違ったと思っていた問題のうち、2問が正解だった。
自己採点の最高値プラス4点の92点。
2級試験実施データによると、
・2級受検者総数 200名
・合格者数 49名
・2級合格基準点 75点(110点満点)
ということだ。
19:55
受かっても落ちても飲もうと思っていた酒を飲み始める。
19:56
記述問題の第48問、
若手の成長株の( )六段と「ハンカチ王子」ことプロ野球の( )投手は、早稲田実業高校で同じ学年でした。
で、ハンカチ王子の名前を答えられなかった私だが、今では大丈夫。
第48問を見た時のショックも、今にしてみれば良い思い出だ。
→将棋文化検定受検日記「調布の街に男涙のブルースを」 (後編)
20:30
今回、明らかに正解と自信を持って答えることができたのが50問中34問(75点分)、
- 平成21年の名人戦(羽生善治名人-郷田真隆九段)第2局で、対局場となった城はどれですか(三択)
- 日本将棋連盟の本部は戦後まもない頃に一時期、都内のスポーツ施設の( )の中にありました など
自信はないけれども、信念を持って答えたのは7問(15点分)、
- 竜王戦のタイトル戦で、海外対局が2回行われた都市はどこですか(三択)
- タイトル戦で一方が3連勝3連敗したケースで、第7局に勝った唯一の挑戦者は誰ですか(三択) など
自信がなくてとにかく困った問題は9問(19点分)。
- 米長邦雄新名人が誕生した平成5年の名人戦で、名人戦挑戦が7回目の米長が自身の心境を例えたものはどれですか(三択)
- 駒台は明治時代に作りだされました。そのヒントになったものはどれですか(三択)
- 江戸時代には大名の姫君の婚礼の際に、家紋入りの将棋盤、碁盤、双六盤を持参するしきたりがありました。それらの嫁入り道具を何といいますか(三択)
- 将棋を愛好した十代将軍徳川家治が作った詰将棋集は、一般的に何といいますか(三択)
- 江戸時代後期の民間の強豪だった天野宗歩は、明治時代の知識人が評論記事を書くほど高名でした。その記事の執筆者はだれですか(三択) など
不正解は8問なので、結果的にまぐれ当たりは1問だけだった。
カバーレターには、”さらなる挑戦をお待ちしています”とあった。
来年は1級もあると聞く。
きっと挑戦するかもしれない、と酔っ払った頭で考えた。