棋士たちの海水浴

将棋世界1997年1月号、真部一男八段(当時)の「永遠の師 加藤治郎」より。

 30年ほど前であろうか、先生は千葉の鵜原という小さな町に別荘を構えられた。

 将棋指しとしては相当進歩的であろう。先生の奥様もかなり早い時期に運転免許を取得されたと聞いている。

 進取の精神に富んでおられるのである。先生の業績についてはこれまで多くの方々によって語られているので、重複を避けるが、その奥底に流れているのは、創意工夫であり升田幸三の謂う新手一生の精神と一脈通じるものがあったのだろう。先生の独特な発想とユーモアには何度も唸らせられた。

 例えばゴルフについて、20数年前将棋連盟にも遅ればせながらゴルフブームが到来した。先生御自身はなさらないのだがゴルフ人気の理由について「あれは人間が自力で物を最も遠くまで飛ばせる競技だ」だから面白いのだろうと言われた。

 また先生は碁がお好きで旧将棋会館の娯楽室でよく打っておられた。

 観戦していた私と一局打とうと言われる。当時私は奨励会の二、三段で碁にも興味を持ち始めた頃だったので、喜び勇んで盤の前に坐った。

 先生は実力四段で手合いは五子である。

 局後に先生は「僕の碁はAクラスの門番のようなものだ」と言われた。

 どういう意味か考えているとさらに続けて「僕を碁で追い越した奴はA級八段にはなる。升田、大山、丸田、花村、皆そうだった」。私はなるほどそういうものなのかと深く感じ入り、将棋の勉強はそっちのけで囲碁の勉強に血道をあげることになってしまったのは、師の本意を汲まぬ不肖の弟子という他はない。

(中略)

 先述した鵜原の別荘では忘れられない思い出がある。

 毎年夏になると、遊びたい盛りの若手連中は御無理を言って別荘を3~4日お借りするのが常であった。

 或る夏、昭和45年頃であったろうか、私と佐藤義則三段(現七段)それに特別参加で芹沢博文八段(後に九段。故人)他数人で別荘にお邪魔した。

 先生も奥様と避暑兼執筆のお仕事で来ておられた。

 我々遊び人は太陽がぽかぽか照り始めれば、早速海辺に出陣である。

 芹沢先生が出がけに加藤先生に挨拶すると先生は「僕が昼頃握り飯を持って行ってあげよう」とのありがたいお言葉である。

 浜辺に着くや、泳ぎ自慢の芹沢先生は早速海に飛び込んだ。

 佐藤、真部の若手コンビの目的はもち論水泳ではない。鵜の目鷹の目で砂浜を物色していると、いい按配に二人連れの娘達が日光浴をしているではないか、図々しくその隣に坐り込んで他愛もない話をしていると、芹沢先生が海から上がってこちらを発見し、隣に坐ってその娘達に向かって曰く、「ねえ君達、もうすぐうちの爺やが昼食の握り飯を持ってくるから一緒に食べよう」。佐藤、真部の二人はびっくりするやら、あきれるやらでタジタジとなるばかりである。

 そうこうしているうちに加藤先生の姿が20m向こうに見えた。芹沢先生曰く「君達、向こうから甚兵衛を着て頭に水泳帽を被ったお爺さんが来るだろう、あれが爺やだよ」などと無茶苦茶な事を言っているうちに、私の合図に気づいた加藤先生がこちらに来られ、本当に握り飯を持ってきて下さったのである。

 そして「さあ僕も泳ごう」と言って颯爽と海に入って行かれた。

 こんな話を書くと、読者の中には芹沢はとんでもない奴だと思う方もおられるかもしれないが、そうではない。

 芹沢先生もまた加藤先生を大好きだったのである。私は芹沢先生がどれ程加藤先生を慕い、そして甘えていたかを知っている。

 この光景は私の頭から離れない。

 芹沢先生の茶目っ気、そして元気に海に向かって行かれた師匠の御姿が、目に焼きついて離れないのである。

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海水浴の頃は真部一男九段が奨励会員時代。

その当時の真部一男三段の写真が1971年の将棋世界に載っている。

真部一男三段の写真

当然のことながら、この頃からかなりの美男子だ。

佐藤義則三段(当時)も、当時は痩せていて、苦みばしったいい男だった。

この二人なら、浜辺の女性も大いに喜んだことだろう。

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この頃の水着はどのようなものなのか調べてみた。

ユニチカは、この年から水着のキャンペーンを開始している。

モデルは大窪けい子さんとマレーネ・ミッシェルさん。

当時のポスター1

当時のポスター2

ビキニとワンピース半々の時代だったのだろうか。

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将棋世界の同じ号、大崎善生編集長(当時)の編集後記より。

 加藤治郎先生は昭和24年、38歳の若さで現役を退いた。

「升田幸三みたいに鬼のように強いのにはもう勝てないよ」というのがその理由だったと聞いたことがある。

 御夫人から聞いた話。加藤家の子供達は焚火をすると皆、火を囲みしゃがみながらアヒルのようにお尻を振るという。なぜかというと、おじいちゃんが痔が悪くて火に当たるとどうもむずむずしてお尻を振る。おじいちゃんが大好きな孫達は焚火はそういうものだと思って一斉に真似をする。加藤先生の明るく楽しいお人柄が偲ばれます。

私は、この話が大好きだ。

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加藤治郎名誉九段の名著

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