棋士の本能

将棋世界1990年1月号、脚本家の石堂淑朗さんがホストの対談「石堂淑朗の本音対談」より。

ゲストは谷川浩司名人(当時)。

石堂 昔は大山-升田にしろ、ハングリープラス仲が悪いということがありますね。今はハングリーでなく、しかも仲がいい。不思議ですね。よく思うんですけど、大相撲は優勝決定戦以外は、同じ部屋同士当たりませんよね。ぶつかる際に、お互い義兄弟のような気持ちがあると力が出ないんじゃないかなどと、いろいろ考えるんですけど・・・。将棋界でも古い方が、今の若い人はあまり仲がいいので、ファイトがどうやって湧くんだろうと、お書きになっていますね。

谷川 将棋の場合、時間が長いからいいんじゃないかと思います。たとえば対局の前の日に、お酒を飲み過ぎて二日酔いになり、今日はダメだという時でも、棋士は徐々に闘志が湧いてくるんですね。それと同じで、相手といくら仲が良くても、将棋盤に向かっているうちに、棋士の本能が目覚めてきて、戦う態勢になるんだと思います。相撲は勝負が早いですから、一瞬のためらいで勝負がついちゃうところがあるような気がしますね。

(中略)

よく7勝7敗の力士が千秋楽に勝つと言われてますけど、八百長をやっている訳でなく、自然にそうなっているんだと。7勝7敗と8勝6敗の対戦では、どうしても勝ち越し決定の方に気の緩みがあると思います。一瞬の勝負だけに、そういうものがはっきり出ちゃうんじゃないかと思う訳です。決して手を抜いているんじゃなくて。

 将棋は、仮に今日は負けてもいいと思ってたとしても、やっぱり戦っているうちに、棋士の本能が目覚めてしまうんですね(笑)。

(中略)

石堂 羽生六段の話が出てきましたが、彼の強さというのは、谷川さんがご覧になってどうなんでしょう。

谷川 年齢が8つ違いまして、私は19歳の時は七段、向こうは六段ですけどタイトル戦に出ています。比較したら彼の方が私の19歳の時よりも当然強い訳です。

 自分の19歳の頃は荒けずりで、序盤は下手だったし、終盤力で逆転して勝ってたような幹事ですね。彼の将棋を見ると、本当に欠点がないんですね。よくあれだけ完成されているな、という気がします。ちょっとびっくりしますよ。

石堂 谷川さんは、五段時代まで振り飛車を指していて、ある時から居飛車党に変わられた。いずれにせよ、戦型に対しての意識がありますよね。羽生さんというのは、戦型に対する意識がないような気がしますけど。

谷川 そうかも知れません。基本的に矢倉がありますけど、振り飛車も指しますし、横歩取りも指す。どんなことをやってこられるかという不安がありますね。

 ただ横歩取りみたいな将棋は、一発パンチをくらって負ける可能性が高い訳ですよ。彼のような強い人が指すのはどうなのかな、と思うんですけど、その割には結構指していますね。ちょっと不思議なんです。

石堂 将棋というのは、心技体バランスがとれてないとうまくいきませんね。脚本の仕事なんていうのは、若い人が出てきて向こうが早く書くことができても、こちらはあらかじめ締切りを延ばしてもらえばいい訳ですから(笑)。

 十代棋士の活躍を見てて、こんなに世代が早く交代していいのかという思いが世の中にあると思いますけど。だんだん世代交代のサイクルが早くなっているような気がしませんか?

谷川 そうですね。私は少なくとも、30歳位まで追う立場にいられると思っていたんですけど、既に追われる立場ですよね。昔は棋士の全盛期は40歳位だといわれていましたが、それから5歳位は早くなっているかも知れません。

石堂 ご自分の七段、八段の頃と今と比較してみて、やっぱり微妙に今の方が強くなっていますか?

谷川 ええ、序盤、中盤、終盤すべての分野において、進歩していると思います。矢倉だけをとっても、普通の相矢倉から飛車先を突かない矢倉が出てきて、あと玉を早く囲ってしまう矢倉もありますし。

 昔のプロ棋士の棋譜や定跡を元にして、積み上げていく訳ですから、やっぱり進歩しているでしょう。終盤も同じように進歩していると思います。

(以下略)

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「相手といくら仲が良くても、将棋盤に向かっているうちに、棋士の本能が目覚めてきて、戦う態勢になる」というのは非常によく理解できる。

”棋士の本能”、とても深い言葉だ。

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故・石堂淑朗さんは多くの映画やテレビドラマの脚本を手がけ、今村昌平監督の映画「黒い雨」では、1990年に日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞している。

趣味は将棋で、観戦記も多く書いていた。

主な脚本は、映画では『南極物語』、テレビドラマでは『三匹の侍』『怪奇大作戦』『マグマ大使』『怪奇大作戦』『帰ってきたウルトラマン』『必殺仕掛人』『祭りばやしが聞こえる」など。


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