将棋世界2003年7月号、「経験が生きた優勝」より。
第21回朝日オープン将棋選手権(深浦康市七段-堀口一史座朝日)の深浦七段(当時)による自戦解説。
―第2局で快勝した相掛かりでなく、角換わりを採用した理由は?
深浦 実は、対局場のわかつき別邸の近くの音無神社という、源頼朝と八重姫のロマンスの地があるので散策に行ったんですが、そこでふと、音無流と言えば丸山さんだと思いまして(笑)。丸山さんと言えば角換わりか横歩取りなので、先手番では角換わりを指すしかないかなと思いました(笑)。
(中略)
―常々「九州にタイトルを」と言っていたが、今回の成果は。
深浦 今回はファンの方々の声援が大きかったと思います。また、地元の期待も大きかったので、それに応えられてよかったです。故郷に錦を飾れたというか。このままでは九州全体が寂しいですから。
―10年前の全日プロ優勝について。慢心してしまいそうだが。
深浦 10年前は、本当に勢いだけで勝ち取った優勝だと思います。相手の米長永世棋聖の強さの方が際立っていました。当時は慢心どころではなく、逆に危機感を感じていました。これは周りの環境が大きかったです。19歳で四段になりましたが、奨励会の2年先輩は羽生世代で、後輩に屋敷、藤井と、そういう面々に挟まれていたので「19歳で四段は遅い」というのが正直な気持ちでした。全日プロの優勝で危機感は少し薄れましたが、その後順位戦でなかなか上がれなかったりして、満足するようなことはまったくありませんでしたね。
―今回の優勝と10年前との違いについて。
深浦 今回は経験が生きた優勝だと思います。大舞台は王位戦以来ですが、その間タイトル戦の解説や立合いの仕事をして、羽生さんや谷川さんなどの強さを直に見てきました。10年間のそういった蓄積の結果だと思います。
―「朝日選手権者になって、羽生世代に宣戦布告できる」という発言について。追いついたという実感は?
深浦 今回の朝日オープン本戦でも、藤井さん、佐藤さん、羽生さんと破って挑戦者になったんですが、運がいいという感じでした。はっきり追いついたとか、互角に戦えるということではなかったので、実感はないです。ただ、ようやくこういう勲章をいただいたので、胸を張って互角に戦えるのではないかという期待感はありますね。
―「勝率よりも効率」という発言について。
深浦 年を重ねるごとにそういう意識は強まってきました。勝率だけ高くても、大事なところで勝たないと意味がありません。勝率は5割でもいいから、タイトルが届くような位置にいたいですね。
(中略)
―研究会について。
深浦 第4局の終局後、打ち上げの後に堀口さんとしゃべったんですよ。その時は指し手の内容ではなく、将棋観について話したんです。「深浦さんはなぜ研究会をやるんですか」とか、純粋な質問をいろいろ受けました。彼は研究会をするのは「刺激を求めるため」という答えでした。僕はちょっと違って、生きのいい若手とやるのは、三段時代のガムシャラだった時の自分と向き合うような気持ちでやってるんですよ。伸び盛りの旬な子と指すと、吸収するものは多いと思います。研究会はいろいろな方と指しますが、一番多いのは丸山棋王で、もう20年来の付き合いになります。他には、宮田敦史四段や奨励会の中村亮介三段などです。
(以下略)
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八重姫は、源頼朝が北条政子と知り合う前に交際していた女性だ。
音無神社の”音無”から丸山忠久棋王(当時)を連想するところが、深浦康市七段(当時)にとっての丸山棋王の交流の長さを物語っている。
音無流とは、丸山棋王が駒音を立てない静かな指し方をしていることから付けられた。
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深浦康市九段が六段時代に書いた観戦記で、丸山忠久八段(当時)を評した名文がある。
以前、ブログで紹介したが、食べ物や扇子に対する傾向は変わっているものの、本質的な部分はこの当時のままだと思う。
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「羽生世代に宣戦布告できる」という言葉は、その後の深浦康市九段の活躍が、それを実証している。
また、深浦康市九段は、先日の王将戦挑戦者決定リーグ戦では挑戦者になることができなかったが、リーグ2位の戦績となり、来期は好位置からリーグ戦をスタートできるポジションを得ている。
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どちらにしても、今日の竜王戦第5局、先手番の丸山九段の作戦は、角換わり腰掛銀だと思う。