羽生善治四冠(当時)「この公開対局も今年で4回目になりました。実をいうと、私の公開対局での成績はあまり良くないのですが、その点を除けば賛成です」

将棋世界1994年4月号、羽生善治棋王(当時)の第19期棋王戦五番勝負第1局〔対 南芳一九段〕自戦記「矢倉で戦う」より。

棋王戦第1局、昼休時。将棋世界同じ号より。撮影は弦巻勝さん。

 今月は第19期棋王戦、南芳一九段との一戦からです。

 私にとっては4回目の棋王のタイトルマッチ、そのうち、3回が南九段との対戦になりました。

 これだけ同じカードの対戦が続くのは最近では珍しいのではないでしょうか。

 この第1局は2月、京都で公開対局で行われます。この公開対局も今年で4回目になりました。実をいうと、私の公開対局での成績はあまり良くないのですが、その点を除けば賛成です。

 対局当日の京都はあいにくの雪模様だったのですが、約250人のお客さんが見に来られたようです。

(中略)

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「実をいうと、私の公開対局での成績はあまり良くないのですが、その点を除けば賛成です」

羽生善治四冠(当時)は、もともと公開対局には積極賛成派。

「その点を除けば」が、絶妙に可笑しい。

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対局当日、大雪のなか東京から京都に出発した大崎善生さんの記事。

将棋世界1994年4月号、大崎善生編集長(当時)の第19期棋王戦五番勝負第1局「見よ、1億円の寄せ」より。

 2月12日、京都市「都ホテル」で第19期棋王戦が開幕した。当日は関東から東海、関西と日本全国に大寒波が到来、当日移動の私は朝8時40分に家を出た途端に、まるで新潟のスキー場の様な雪景色に出会い目が点になってしまった。

 新宿駅まで歩いてたどりついたものの、JRは走っていない、新幹線は行ってみなければわからない。何と東京から京都まで、9時間の大旅行となってしまった。

(中略)

 夕方に辿り着いた会場は、久し振りに積もった古都の雪を溶かしてしまう程の熱気に満ちていた。

 突然の大雪にもめげず、300人近いファンが固唾をのみ、息をひそめて一点を見守っている。

 体の中からあふれでてくる感性のオーラを、抑する術もなくありのままに発してる羽生。やや傾けた上半身、すべてを封印するかの様に唇をへの字にかむ南。

 彼らが悩み、彼らが体を揺すり、そして彼らは意を決した様に駒音を響かせそして彼らは沈黙する。

 その作業の一つ一つ、その思考の一つ一つを喰いいる様に観客はみつめていた。

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やはり大雪のなか、茅ヶ崎から京都へ出発した田辺忠幸さんの記事。

近代将棋1994年4月号、田辺忠幸さんの「将棋界 高みの見物特報版」より。

 当日の朝、超早起きをして午前6時からテレビ東京の早指し選手権戦準決勝、羽生四冠王-屋敷伸之六段(羽生勝ち)を見てから茅ヶ崎市の自宅を出る。外は雪。それも大雪になりそうだ。小田原で1日に2本しかない「ひかり」に乗り換えたが、早くも10数分遅れていた。

 丹那トンネルの中でストップ。そして停電。その後は光速ならぬ鈍速運転。こりゃ、いつになったら京都に着くやら。そこで度胸を決めた。雪とくれば酒である。雪景色をさかなに、日本酒とウイスキーを交互に、一杯、一杯、また一杯。「東海道中雪見酒」を楽しんだ。

 陶然たるうちに2時間1分遅れで京都駅到着。2時間を超えたので、特急券は払い戻しだという。1分差で4,330円が懐に入り、思いがけなく馬券が当たったような気分になった。

 京都も過去10年で2番目の積雪とのこと。タクシーは当てにならず、地下鉄、阪急、2種類の京阪と、4つの電車を乗り継いで都ホテルへ。最後のチンチン電車で浦野真彦六段とバッタリ会った。

 公開対局の開始前に着く予定だったのに、もうとっくに2時を過ぎている。3階の「棋王戦事務局」という名の控え室に顔を出すと、47手目、羽生▲8六銀の局面がモニターテレビに映っていた。

 ここまでの経過を共同通信の中野正記者に尋ねる。午前中の対局は離れの「可楽庵」で。

午前の対局。将棋世界同じ号より。撮影は弦巻勝さん。

(中略)

 棋王戦の京都対局は、このところずっと、立会人(木村義徳八段)と記録係(野間俊克三段)、それに観戦記者の池崎和記氏まで固定している。

 33手目の▲4八飛に対し、南が32分使ったところで昼休み。午後からは京都名物、対局場を本館3階の「コスモスルーム」に移しての公開対局だ。舞台の中央に盤が据えられ、上手、すなわち向かって右に羽生棋王、下手に南九段。もちろん羽織、袴の和服姿だ。南はいまだに自分で着付けが出来ないと聞いている。この日はどうしたのだろう。

 その奥の長い机の前に、立会人、記録係、棋譜読み上げの鹿野圭生女流初段、観戦記者が居並ぶ。観客席には約200の椅子。指し手の進行は大盤で分かる仕掛けになっている。

 別に2階の「比叡の間」が大盤解説と指導対局の会場になっており、ファンはエスカレーターで、3階と2階を行ったり来たりすることになる。

公開対局会場。近代将棋1994年4月号より、撮影は炬口勝弘さん。

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大崎善生編集長は業務、田辺忠幸さんはプライベートなので、田辺さんは雪見酒を楽しむことができた。

共同通信の記者だった田辺さんが最初に「棋王戦事務局」へ顔を出すのは必然の手順。

それにしても、日本酒とウイスキーを交互に飲むのはかなりの荒技だ。

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観戦記を担当した池崎和記さんによる記事。

近代将棋1994年4月号、池崎和記さんの「福島村日記」より。

 京都・都ホテルで羽生-南の棋王戦第1局(公開対局)を取材する。

 京都での開幕戦は、このところずっと公開対局をやっていて、今年で4年連続の試みになる。午前中は和室(密室)で戦い、午後から大ホールに場所を移して「終局まで見せます」という方式。

 できるだけたくさんのファンに来てもらおうと、主催の京都新聞社は昨年に続いて今年も土曜日に対局日を設定した。関東、中部地方などが大雪に見舞われた日で、京都でも13センチ積もったが、悪天候にもかかわらず、250人のファンが集った。

 公開対局は無料ではない。40余名が参加した1泊2日の宿泊コース(前夜祭出席と指導対局の特典あり)は1人3万円。午前9時からの日帰りコース(指導対局つき)が1万円、午後1時からの半日コースが3千円である。

 よく「囲碁ファンはお金を出すが、将棋ファンは出さない」なんて声を聞くけれど、そんなことはないと思う。将棋でも囲碁でも、出す人は出すし、出さない人は出さない。それだけのことだ。

 一口に「将棋ファン」といっても、いろいろある。

  1. 自分が指すのが一番楽しく、仲間としょっちゅう指している(プロ棋界の動向にはあまり関心がない)。
  2. ウデに自信があって、大会があれば必ず参加する。
  3. サロン的雰囲気が好きで、アマチュアと指すより、プロ棋士から手ほどきを受けることに無上の喜びを感じる(指導料はいくらでも出す)。
  4. 実戦はほとんどやらないが、プロ将棋には関心があって、テレビ対局をよく見るし、新聞の観戦記も熱心に読む。
  5. 指すのも好き、テレビ将棋を見るのも好き、専門誌も欠かさず買う。
  6. 将棋はまったく知らないが、プロ棋士に興味があって、イベントがあれば喜んで出掛けていく。

―など、など。

 棋王戦の公開対局を見ていると、最近目立って増えてきたのが6のタイプで、そのほとんどが女性である。将棋を知らないから大盤解説なんて見ない。最初から最後まで、観客席から一度も動かず、うっとりと対局者を見ている。こういう新しいファンが増えてきているのだ。面白い現象だと思う。

 ひいきの棋士が負ければ、ポロポロ涙をこぼす。なかには「まあ、かわいそう。私がなぐさめてあげる」という人も出てくるだろう。こうなればしめたものだ。

(中略)

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この頃は「観る将」という言葉はなかったが、羽生五冠の効果で6のタイプのファンが増えてきたことがわかる。

現在は、さらに4のタイプの方の割合も増えてきており、6のタイプの方も増え続け、本当に良い時代になったものだと思う。

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この対局で羽生マジックが出た。

将棋世界1994年4月号、大崎善生編集長(当時)の第19期棋王戦五番勝負第1局「見よ、1億円の寄せ」より。

 羽生が攻め、南が凌ぐ、南の必死の妙防に控え室もそして観客の誰しもがおそらくは予想しえなかっただろう▲7二成香の羽生マジックが飛び出す。静まり返った観客席がまた一層、水を打った様に静まり返る瞬間、これぞ目の前で見た1億円の一着である。

 緊迫の終盤、指し手がバタバタと進み、そしてやがて静かに南は駒を投じ、力の限り戦った二人に盛大な拍手が起こった。クラシックコンサートの終わりの様な、押しつけがましくない控えめな拍手だった。

1億円は、羽生四冠のこの前年の獲得賞金・対局料が将棋界で初めて1億円を越したことからの形容詞。

▲7二成香がどのような手だったのか見てみたい。

将棋世界1994年4月号、羽生善治棋王(当時)の第19期棋王戦五番勝負第1局〔対 南芳一九段〕自戦記「矢倉で戦う」より。

 7図で▲6三歩成と攻め合って勝てれば一番良いのですが、△8八成香▲同金△6七香成▲5三と△同金▲6八歩△5七銀▲6九香△6八成香▲同香△6七歩で負けそうなので、断念しました。

 しかし、▲6九香で▲6九飛とすれば、先手が一手勝てそうです。

 本譜は▲6八玉△6四歩とお互いに自陣に手を戻す展開になりました。

 そして、次の▲7三成香が疑問手、▲2二成桂とすべきでした。

 すかさず△6二銀(8図)で困りました。

 ▲同成香は△同角で、△9五角や△8四角が厳しいので▲7二成香(9図)は仕方ありません。

9図以下の指し手
△8八成香▲7七金直△6五歩▲5八玉△6七香成▲同金△6六歩▲6八金△6七銀▲4八玉△6八銀不成▲2二成桂(10図)

 △8八成香から△6五歩が好手順でここでは負けにしたかと思いましたが、▲5八玉の好手がありました。

 本譜、金を捨てて玉を逃げたのが良く、後手の攻めも重くなって、10図で先手勝勢となりました。

(以下略)

皆が羽生マジックと思った▲7二成香(9図)が、羽生四冠からすると疑問手の後の「仕方ありません」という手。

しかし、この7二の成香が、左右挟撃の形で10図以降、寄せに大きく貢献する。

南芳一九段、控え室の村山聖七段(当時)も▲7二成香を高く評価している。

近代将棋1994年4月号、田辺忠幸さんの「将棋界 高みの見物特報版」より。

 南はノータイムで△6二銀(8図)と上がって当てた。これが100手目。この手を羽生は「うっかり」していて「負けにしたかと思った」という。

 だが、さすがは羽生、▲7二成香と入った。この忙しい終盤に後手を引くのだから、並の棋士では指せない手だ。局後に南は「▲7二成香は冷静な一手。それでこちらは足りません」と語った。控え室でも村山聖七段が同様に「冷静な一手」と感心していた。それでも羽生は▲5八玉と寄るところでは「自信はなかった」とのこと。観戦記の池崎氏が「羽生さん、ため息をついていましたよ」といっていたのはこの辺りのことだったか。

羽生マジックと言われる手順は、羽生九段にとって仕方なく指されたケースも多いのかもしれない。

しかし、仕方なく指された手が抜群の効果を発揮するのだから、やはり羽生マジックはすごい。

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対局後の打ち上げ後の二次会の模様など。

将棋世界1994年4月号、大崎善生編集長(当時)の第19期棋王戦五番勝負第1局「見よ、1億円の寄せ」より。

 局後、打ち上げを終え、そして両対局者を交え数人でホテルのバーへ繰り出す。羽生もそして珍しく南もよく飲んだ。よく笑った。

 今日、公開対局に訪れ雪の中を帰途についたファン達も、今頃二人の熱戦を思いながら熱燗を傾けている頃から、とふと思った。

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近代将棋1994年4月号、田辺忠幸さんの「将棋界 高みの見物特報版」より。

 次の日に東京で所用のある見物子は、感想戦のやりとりを聞く余裕はない。ただちに京都駅へ。帰り際、直子姫からチョコレートを渡された。バレンタインデーのプレゼントなんて、これまで記憶がない。この日は特急券の払い戻しといい、ラッキーなことばかりだ。

 もう雪はやんでいた。車内での徹夜も覚悟したのに、新幹線の遅れはそれほどではなく、午前0時過ぎにはもう自宅のテレビで、リレハンメルオリンピックの開会式を見物していた。

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近代将棋1994年4月号、池崎和記さんの「福島村日記」より。

 第1局は羽生棋王が勝った。

 打ち上げが終わってから、羽生さん、南さん、森信雄さん、林葉さん、将棋世界の大崎さんらとバーで飲む。両対局者が同席するのは珍しい。南さん以外は全員、酒豪で有名だが、この夜は南さんもカクテルを3杯飲んだ。

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大崎善生さんも田辺忠幸さんも池崎和記さんも最高に楽しそうだ。

村山聖七段は帰ってしまったようだが、この二次会に村山聖七段も参加していたら、新しいエピソードが生まれていたかもしれない。

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前夜祭の写真から。近代将棋1994年4月号より、撮影は炬口勝弘さん。

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